私が歩こうとしているヴァージンロードの先にいるのは誰ですか?
物理的に強い女子が書きたくて。
ギャグ寄りにしつつ、ざまぁも恋愛も少しずつ詰め込みました。
ヒールの音を軽やかに鳴らし、アンジェリーナは父親と並んで両開きの扉の前で立ち止まった。
「まさか我が家一番のじゃじゃ馬が結婚するとはなぁ」
ヴァージンロードを目前に、張り倒したくなる台詞を口にする父親を横目で睨みつけてやる。
「お父様、今横にいるのがお母様だったら、容赦なくお父様の口を縫われたでしょうね」
おっかない娘だと、ニヤニヤ笑う父の爪先をヒールで踏みつけ、扉の脇で合図を待つスタッフに頷いて合図を送る。
重厚な扉が厳かに開かれると、ステンドグラスを通り抜けた陽光がヴァージンロードを照らしていた。
が、歩く先を見て、アンジェリーナは思わず眉を顰める。
濃厚な赤の絨毯の終わり、祭壇の前に二人の人物がいたのだ。
一人は新郎らしくタキシードに身を固めた男。そしてもう一人はこちらを挑発するかのように純白のワンピースを身にまとった少女。
二人は既にここで誓い合ったかのように身を寄せ合い、入口に立つアンジェリーナを見ている。
「これは驚いた」と言ったアンジェリーナの父親は、けれど余り驚いた様子も無いままにアンジェリーナを横目で一瞥した。
「あちらの参列席に穴が空いているようだな」
父親に顎で示された先は新郎側の最前列、つまりは新郎側の両親が不在の状態だ。
「どうする、アンジェリーナ?」
「決まってるじゃない、売られた喧嘩は買う主義よ」
よく言ったと肩を叩く父親と参列席の人々が見守る中、颯爽とアンジェリーナは歩き始めた。
ことさら優雅に見えるように歩き、二人の近くで立ち止まる。
「こんにちは、エドワード。
随分可愛いお嬢さんを連れているけど、ここで一体何をしているのかしら?」
先ずは軽い牽制だ。
アンジェリーナに名を呼ばれ、どうにも丈が合わないタキシードの袖口を何度も引っ張り上げては戻るのを繰り返しているエドワードが、ふてぶてしいという表現がぴったりな笑みを返してくる。
けれど、この場の主役だといわんばかりに振る舞う姿をアンジェリーナが鼻で笑えば、途端に不機嫌そうな顔になったが。
横の少女はそんなことには気づかない様子で、自信満々にアンジェリーナの前でカーテシーのようなものをご披露してみたものの、下半身が安定しない礼は転ばないかの不安が先立つもので、参列席からは小波にも似た笑いが起きている。
ただの平民であるならば、背伸びをせずに頭を下げるくらいに留めておけば、余計な恥をかかなくて済むものを。
「初めまして、アンジェリーナさん」
呆れ顔でいるアンジェリーナに対峙しながら、真っ白なワンピースの少女は妙に勝ち誇った顔で言葉を続ける。
「私はキャロルといいます。
エドに愛されているなんて勘違いしていたら可哀想だから教えてあげるけど、エドの約束された運命は私なんです」
「約束された運命?」
なんのこっちゃいな。
もしかしたら二人は単なる恋人同士なだけで、お金が無いから今日の結婚式を乗っ取って挙式したかっただけなのかもしれない。
喧嘩を売るような態度から、それはないと思うけど。
冷静に考えながらもエドワードへと視線を戻せば、彼女の言葉は今流行している小説のフレーズさと言いながら、大して長くもない髪を後ろに払う。
「彼女がこう言っているけど、二人が結婚するってことかしら?」
だとしたら、二人揃って往復ビンタでも喰らわせて、一晩逆さに吊るすぐらいで勘弁してやらなくもない。
「まさか。貴族の娘という旨味を逃すほど私は馬鹿じゃない。
キャロルはただの平民だ。一代限りの騎士爵の娘だってたかが知れているが、それでも一応貴族の娘だ。
だからこそ君と結婚しておかないと、商会の後継ぎになれやしないのは理解している。
そういうわけで君には戸籍上の妻の地位だけ与え、可愛いキャロルには愛人として寵愛を与えるつもりさ。
ああ、子どもはキャロルと作ればいいから、好きなだけ仕事を続けるといい。金は全て私に渡してもらうことになるが」
よし、これはぶっ飛ばしてもいい案件だと確定したなぁ、とアンジェリーナは目を細める。
その瞳に宿るのは猛禽類にも似た獰猛な光だ。
「つまり、私と結婚して金だけは巻き上げつつ商会を継ぎ、自分好みの愛人を囲おうってこと?」
エドワードの話を簡潔にまとめると、唇を歪めて笑ったが否定はしないので間違いないだろう。実に舐め腐った話である。
周囲から屑だのカスだのお花畑だの囁かれているが、面の皮が分厚すぎるのか、それとも若くして耳が遠いのか全く気にしている素振りはない。
これを胆力と捉える人間は少数派だろう。
アンジェリーナには外界を知らずに巣の中で鳴くだけの雛鳥にしか見えないのだから。
もっとも目の前の二人は世間を十分に知っていておかしくない年齢ではあるが、どれだけ年齢を重ねても精神的に成長できていないのでは意味がない悪い例である。
「君にはお飾りとはいえ、街の若い女性から秋波を送られるような私の正妻という立場をくれてやるんだ。
一代限りの騎士爵如きの娘には十分な対価だろう?
君との結婚は家同士の意向で行われるものであり、そこに愛などといったものがないことぐらい、脳筋の頭でも理解していることを期待しているよ」
相変わらず頭の悪い話をしていると、アンジェリーナは大きく息を吐く。
色々と誤解しているが、とりあえずは目の前のキャロルとやらに確認しておかないといけないことがある。
「キャロルさん、だったっけ。
色々言ってるけど、そもそもの前提がおかしいのは知っているのかしら?」
彼女へと視線を向ければ、小柄な体を大きく見せるかのように成長期らしい胸を張った。
「何がですか?」
アンジェリーナの視線を正面から見返す根性は感心する。
けれど、次にアンジェリーナが発する言葉によって、彼女はポカンと口を開けるしかなくなるのだが。
「私が結婚するのはエドワードじゃなくて、兄のリアムの方なんだけど」
厳かな結婚式会場の中で、口を閉じることを忘れた彼女以外に驚いている人間は誰一人いない。
当然だ。招待状に書かれた名前を誰もが確認して参加しているのだから。
参列席から疑問の声や、エドワードの行動を止める者が出なかったのは大体二種類に分かれるからだ。
片方が新郎側の参加者で、状況に戸惑いつつも確認先であるリアム本人や家族がいないので様子見をしていた親戚や友人達。
そしてもう片方が新婦側の参加者で、状況を把握しつつも面白そうなことが起きそうだからと泳がせていた親戚と、同じく好奇心に負けた友人や職場仲間達。
特に後者はエンタメ扱いで眺めているだろう。見学料を払え。
「え、え?どういうこと?
エドはアンジェリーナさんと結婚するって。それにお兄さんがいるなんて一言も……」
先程までの勝ち誇った顔から一転、戸惑いを隠せずにエドワードの服の余りがちな袖を掴む。
服が合わないのも当然だ。アンジェリーナと結婚するリアムはエドワードよりもずっと身長が高いのだから。
そして運命だなんて大きなことを言っていた割には、二人の関係は随分と揺らぎやすいようである。
「都合が悪いから言わなかっただけか、それとも私と結婚できると信じ切っている馬鹿のどちらかよ。
くだらない男に引っ掛かったわね、お嬢ちゃん」
嘘よねとエドワードの腕を揺らす彼女だったが、それでもエドワードは余裕綽々とした態度を変えることはない。
「ああ、確かに兄はいるが商談だと言ってはどこへでも、それこそ危険なスラム街でだって平気で寝泊まりするような変人さ。
見た目も冴えないし、あんな奴が商店を発展させることなんて出来るはずがない。
だからこそ流行に敏感で女性の心を掴める私の方が、跡継ぎとして選ばれるのに相応しいはずだ」
女性の心を掴むとか意味のわからないことを言ってるが、後を継ぐ気の商会が扱っているのは装飾品などではなく、靴下から包丁まで手広くも、日用品しか扱っていないのはアンジェリーナだって知っている。
何か贈られた経験のあるらしいキャロルが納得したように頷いているけど、多分贈り物だと思われるネックレス、アンジェリーナのような素人から見てもイミテーションだとわかる代物だ。
あんな大ぶりな宝石を彼らの両親が築いた小規模の商会が取り扱えるはずもないし、親の脛を齧り続けている確定無職に買える金があるわけでもない。
実際、新郎側の皆が胡散臭い目でネックレスへと視線を送っている。
せめて1カラットぐらいでカットが綺麗な硝子でも使えば、遠目で騙せたかもしれないのに、前提からてんで駄目。
あんな粗悪品でキャロルを騙しているならば詐欺師紛いの糞野郎で、自分も騙されているなら無能でしかないんだけど、一体これのどこが後継ぎに相応しいと言えるのかアンジェリーナにはさっぱりだ。
「それで、エドワード。
リアムをどうしてくれちゃったの?」
事と次第によっては本日を以て生を終えてもらおう。
剣呑な光を宿したアンジェリーナの視線に無頓着なまま、エドワードは肩を大きく竦めてから無造作に手を振った。
「いつものように大した成果も無い商談に夢中になってね、もうここには来れないんじゃないかな。
今頃品位の無い輩に囲まれている頃さ」
「なるほど、脛齧りマネーでゴロツキでも雇って攫わせたと」
え、という顔でキャロルがアンジェリーナを凝視する。
「参列席にご両親がいないってことは、まだリアムを探しているんでしょうね」
エドワードの余らせた袖から少女の手が離れた。
「エド、アンジェリーナさんが言ったことは本当?
そんなことしたらヤバいんじゃないの?脛齧りって言葉も気になるんだけど」
どうやら少しおつむが軽そうだったキャロルにも、問題発言であったことは伝わったらしい。
もっとも当の本人は気にしていないが。
「大丈夫だ。リアムさえいなくなれば後継ぎは私しかいないから何とかなる。
そしてアンジェリーナと結婚すれば後継者としての条件も揃うから、キャロルは気にすることなく私に愛されていればいいんだよ」
大袈裟な身振りで両手を広げ、自己陶酔に浸る愚か者と、ようやく自分の金蔓が無能だったことに気づいてドン引きしているキャロル。
自分で気づけたことはよいことだと、手に持っていたブーケを父親に押し付けてから一歩前に踏み出した。
「結婚前にくだらないお芝居をありがとう。
けど大根役者の演技に飽きたから、そろそろ現実ってものを教えてあげるわ」
心の籠っていない拍手をしながらにっこりと笑う。
「まずは貴方が気にしている商会の跡継ぎの件について。
リアムが後継ぎに選ばれたのは妻になる私が騎士爵だからではなくて、騎士爵の私と出会えるだけの人脈を評価されたからよ。
彼の商才が評価されただけで、別に私との婚姻は関係ないわ」
そう、新規顧客の開拓にと身一つで騎士団へと売り込みに来ただけはなく、一部の日用品だけだとしても商品の定期購入の契約まで交渉できた彼だからこそ。
脳筋な我が家へ結婚の申し込みにだって、平気な顔して単身で乗り込んでくる気概も買われている。
まあ、比べる対象が放蕩息子なんだから、最初から決まっていたようなものだけど。
どこかで改心して真面目に働けば競争相手として見てもらえたかもしれないけど、商科学校を卒業してから商会の手伝いをしたことがないって話だから、万が一でも後を継がせたら瞬く間に商会は傾くのが予想できる。
アンジェリーナが親だったらコネを使って僻地に飛ばしてもらい、今頃重労働に明け暮れさせていただろう。
義両親は悪い人ではないが、ちょっと甘っちょろいのだ。
「後、盛大に勘違いしているようだから教えてあげるけど、私とリアムの結婚は家同士の利益は関係無くて、純粋に恋愛結婚よ」
これが一番大事。
細やかなアフタフォローとして騎士団に通うリアムが、商店との窓口となっていたアンジェリーナとプライベートな話をすることが増え、ある日とうとう仕事後にお茶へと誘われることになり、そうして今に至るのだ。
背後から「趣味を疑うよな」という言葉が聞こえてきたが、今のは従兄弟のマーティの言葉だろう。
アンジェリーナは後で仕返しをするのを忘れないことを記憶の片隅に留めて、笑顔ではあるものの目は全く笑っていないままにエドワードを見据える。
「だから、リアム以外との結婚はお断り。
貴方じゃ力不足だから、今すぐ着てる服を全部脱いで出てってくれない?
その礼装、私の瞳の色で作ってもらってるから、貴方が着ているのが本気で気に入らないのよ」
帰れ帰れ~という呑気な囃しが聞こえてくる。本当に親戚連中は面白ければいい人間ばっかりだ。
「ほら、外見に自信があるんでしょ?
貴方のあられもない姿を見て、街のマダム達が愛人にしてくれるかもよ。
頭に何も詰まっていない顔だけの貴方にぴったり」
アンジェリーナが鼻で笑えば、エドワードが怒りと羞恥で顔を真っ赤にする。
「お、お前みたいなゴリラ女如きが!」
吠えるように叫ぶと懐に手を突っ込み、取り出したのは刃の厚いナイフだった。
へっぴり腰でナイフをちらつかせながら、空いている方の手で祭壇前の簡易台を指し示す。
「いくら気が強くても、たかだか騎士爵の娘なだけだ。刃物持っている男には敵わないだろ。
怪我をしたくなければ、さっさと婚姻届にサインをしろ!」
これだけ説明してやったのに、未だアンジェリーナと結婚すれば全て解決するのだと思っているらしい。
小刻みに震えるナイフを見ながらも、アンジェリーナは一歩も引かずに小馬鹿にした笑みを浮かべてエドワードを見る。
「ナイフなんか持ち出して、大丈夫?手が震えてるわよ?」
むしろ余裕綽々とした態度で、エドワードが持ち慣れないナイフを扱いづらそうにしているのを指摘してやる。
エドワードはナイフを握り締めながら叫んだ。
「黙れ!サインしないなら痛い目に遭うぞ!」
その瞬間、アンジェリーナの父親が呆れた声で割り込んだ。
「おいおい、さっきの娘の話を聞いていないのか?
アンジェリーナは騎士爵の娘じゃない。れっきとした騎士爵の爵位を持った一代貴族だ」
エドワードはその言葉の理解が遅れたのか、間抜け面を晒したのをアンジェリーナが見逃すはずもなく。
素早く身を屈めてナイフを避けながら懐に飛び込み、力強いアッパーをお見舞いした。
ギャグかと思う程、軽やかに成人男性の体が宙に浮く。
スローモーションで仰け反りながら後ろへと倒れていくエドワードの手からナイフが落ち、それを新婦らしい白のパンプスで踏みつけてアンジェリーナが腕を組んだ。
受け身をろくに取れずに背中を強かに床へと打ち付け、呻き声を上げながらもエドワードは怒りを滲ませた目でアンジェリーナを睨みつけてくる。
「ここで私に何をしたって、今頃リアムは川にでも浮いているだろうさ!
大人しく婚姻届にサインしておけば傷物にならずに済んだものを、もう誰もお前みたいな暴力女を娶る奴なんていないだろう!
大人しくサインしなかったことを一生後悔してろ!」
はいはい、とおざなりに返しながらも言われたことは結構腹が立つので、足と足の間へと勢いよく足を踏み出す。
鋭いヒールが男性の大事な部分の少し手前で鈍い音を立て、ヒュッとエドワードの口から息を呑む音が聞こえる。
きっと男性がよく言う、玉ヒュンってものを体験できたはずだ。
「そっちこそリアムを侮り過ぎじゃない?
確かに商売に関しては変人の域にあるけれど、それも極めれば一つの才能よ。
彼のことだから何食わぬ顔をしてやって来るわよ」
途端、背後から扉が勢いよく開く音が響いた。
「やあ、遅れてごめん!」
泥だらけのシャツ姿で現れたのは、アンジェリーナの本来の婚約者リアムだった。
靴には土がこびりつき、ベストの端にはほつれが見えるが、その顔には疲れた様子すら見られない。
むしろどこか満足げだ。
「ちょっとした商談が発生してね。交渉してたら少々時間がかかったんだ。
いやはや、商売人ってのは仕事になるものを見つけられると抑えられないもんだね」
エドワードは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「なぜここにいるんだ!街のゴミ共に始末させたはずだろう!」
リアムは肩をすくめながら、床の一部となっているエドワードを見下ろす。
「ゴミ共って、ああ、お前の依頼先のことかい?
お前から受け取ったはした金よりも、僕の話の方が将来性もあって、いい仕事ができると思ったらしくてね。
ちょっとばかり雇用に向けての話をまとめてきたよ」
軽い調子で話しながら、アンジェリーナの横まで歩いてきたリアムが微笑む。
「相変わらずね。あなたらしいわ」
頬へのキスを受けて、そっと彼の頬を撫でた。
「怪我が無くて良かったけど、貴方の弟をどうにかしないといけないわね」
再びエドワードへと戻した視線は冷たく、リアムがナイフを拾ったことで危機感を抱いたのか、殴られた顎を押さえて後退りながら立ち上がった。
が、すぐにエドワードの体が大きく横へとよろめいた。
「あら、いいパンチ」
しっかり腰の入った右ストレートを放ったのは、エドワードの運命であるはずのキャロルだった。
登場時の勝ち誇った態度から困惑へと感情は移り変わり、最終的には怒りへと落ち着いたらしい。
「全部でまかせばっかの顔だけ詐欺師野郎!
よくも騙してくれたわね!」
悪態もお見事だ。
顎から左頬へと押さえる箇所が変わり、尻もちをついた状態のエドワードが呆然とキャロルを見上げるも、可憐な少女然としていたはずの彼女は鼻息荒く睨み返している。
「エドワードもだけど、彼女もどうしたものかしらね」
ちょっと考えたが今すぐに何かは思いつかない。
そうしている間にもリアムの両親が汗だくになりながら姿を見せ、今度は彼らの父親に殴られてエドワードの反対側の頬も真っ赤に腫らしている。
こうなると自慢していた美貌など見る影もない。
エドワードは商会の使用人たちによって引きずられるように退場していった。ついでにキャロルも。
リアムが襟元を正しながらアンジェリーナの横に立てば、エドワードがナイフを出したあたりから存在を消していた神父が祭壇の影から姿を見せた。
「始めても?」とボソボソとした声で聞いてくる神父に頷いて返す。
新婦の入場から38分後、ようやく誓いの言葉が会場内で宣言された。
* * *
リアムと結婚してから暫くして。
休暇中のアンジェリーナは商会の裏にある広い庭で、リアムを攫った張本人達に稽古をつけているところだ。
「そこ!もっと腰を落とす!」
疲れからか手抜きしているのを目ざとく見つけ、アンジェリーナの叱責が飛ぶ。
女性だと舐めてた相手に一度も当たらない木剣、同じだけ走り込んでいるのに自分達だけ震える足。
稽古が終われば誰もが地面に転がって、立っている者はいなかった。
「さすがに騎士様には勝てねえっての」
ぜいぜいと息を吐きながら、まだ若い青年が木剣を手から離す。
他の青年達も突っ伏した顔を上げてアンジェリーナを見た。
「いや、どっちかというと若奥様がゴリラすぎんじゃね?」
その口が閉じられる前に木剣が目と鼻の先に突き立てられれば、命の危険を感じて素早く横へと転がっていく。
そんな彼らを見てアンジェリーナがニッコリと笑った。
「まだ喋れるだけの余裕があるとは想定外だったわ。
休憩が終わったら、騎士団伝統の厳しい稽古を叩き込んであげる」
裏庭で上がった複数の断末魔は、窓を開いて稽古を様子を見ていたリアムの耳にまで届き、けれど何も聞かなかった顔をした彼らの主によって窓は閉められた。
エドワードに依頼されてリアムを攫った彼らは、元々は他の街で親が無く育った少年達の集まりだったらしい。誰もが成人すらしていなかった。
体力を活かした仕事を探していたら商人に商品の護送を頼まれたものの、目的地に着いた瞬間に報酬金を踏み倒して逃げられたのだそうだ。
元の街に帰る路銀稼ぎの為に街をうろついていたところ、初対面のエドワードの依頼を受けたということだった。
その話を聞いて、リアムは護送の経験があることに目をつけたのだという。
報酬金を踏み倒されたと悔しそうな様子から嘘とは思えなかったし、自己申告ではあるものの護送中は悪事に手を出さず、生まれ変わったつもりで仕事をしていたらしい。
今はリアムの下で試用期間としてスラム街にある学校で使う石板や木炭などを届けさせたり、管理を担当する人間の目があるものの小さな倉庫の整理や動物の世話などをさせているが問題は特に起きてはいない。
このまま問題無いと判断されて正式雇用となれば、荷物の護送を担当させるつもりだということから、アンジェリーナの手が空いた時に稽古をつけている。
リアムや他の商会の従業員が休みの日には、簡単な読み書きや計算も習っているそうだ。
成長期を終えようという彼らがどこまで伸びるかはわからないが、自分に合う仕事に就けるように今から何でも試してみたらいいし、駄目なら帰る路銀ぐらいは稼いでもらわないと、と笑ったリアムがとてつもなくアンジェリーナは好きだ。
元々の雇用主であったエドワードはといえば、家に置いていたら碌なことをしないと判断されて、漁業ギルドの知り合いにお願いして長期間戻ってこれない漁船に乗せられた。
飲み物に睡眠薬を盛られてグッスリ安眠していたから、船に乗せられるまでは目を覚まさないでいたはずだ。
起きたら見知らぬ場所で、さぞ驚いただろう。その顔を見られなかったのだけが残念である。
今頃汗水垂らして働いていることだろう。
少し気になったのは、ああいった綺麗な顔の奴がいると色々助かるんだよという言葉だったけれど、笑みを浮かべたままのリアムが何も言わないのでアンジェリーナも聞かなかったことにしている。
ちなみに途中で寄った漁港で更に他の船へと乗り換えさせられる予定なので、数年単位で帰ってくることはない。
漁船の中で真面目に働きさえすれば、アンジェリーナへの慰謝料を引いた額が給与として支給されるし、ここでも働かないようだったら魚の餌にでもされる可能性もあるとは聞いている。
義両親は勘当としながらも親心から多少の心配はしているようなので、エドワードを餌にして超レアな魚が釣れた場合に、どこか美味しい部位を融通してもらえるように頼んでいるのは内緒だ。
キャロルについては今回の件を一応反省しており、エドワードに騙された被害者でもあるということから、彼女の両親からこっぴどく説教された後は社会奉仕の活動を一年することで話がまとまった。
なお、奉仕活動先は騎士団詰め所の清掃であり、汗にまみれた騎士達の酸っぱい匂いにキレ散らかしながら作業をしているそうで、キャロルがエプロン姿で叫ぶ姿をアンジェリーナも一度見かけている。
とはいえ奉仕活動で手を抜くと延長されることから、彼女が通う詰め所は綺麗になっていると言われているそうだ。
そのため、他の騎士団詰め所にもキャロルを回してほしいと要望が上がっているらしい。本人は死ぬほど嫌がっているが。
ついでにキャロルからの要望で消臭用の薬剤の購入が検討され、売り込みに成功したリアムも満足そうにしている。
最近ではキャロルの奉仕活動が終わったら声をかけ、清掃業をメインとした新しい商売もしようかとも画策し始めているようで、それなら騎士団も喜ぶだろうなとアンジェリーナも上官に話を回しているところだが、本人の希望は全く聞いていない。
「愛人希望だった割に働くことを厭う様子はあまりないみたいだし、単に自分の将来が不安だっただけじゃないかな?
働けばちゃんとお金になることを教えてあげれば、意外と真面目に働いてくれると思うんだ」
というのはリアムの発言である。
何でも拾ってくるなぁと思わなくもないが、彼が商人である以上、その才覚を信じるだけなので特に何かを言うつもりもない。
そしてアンジェリーナの夫に無事収まったリアムとは、新しい商品の仕入れも兼ねた新婚旅行を計画中だ。
結婚後すぐはアンジェリーナの休暇が取れなかったが、エドワードやキャロルの件が片付いたタイミングで丁度長期の休暇を取れることになったのだ。
訪れた商人仲間から聞いた話を書き出して真剣な表情を浮かべていたリアムだったが、アンジェリーナの視線に気づくと緩い笑みへと変わる。
「アンジェはどこに行きたい?」
ベッドの上に広げられた地図の上には、旅の候補地にペンでチェックを入れる代わりに美しくカットされた硝子細工が置かれていて。
キャロルが持っていたネックレスよりも遥かに上質なそれは、アンジェリーナが普段使いできるアクセサリーを作るためのものだ。
普段から騎士として訓練に励むアンジェリーナが、高い宝石の装飾品は傷つけそうで腰が引けると言っているのを覚えていてくれていて、壊れても気にならない物にしようと二人の瞳の色をした小ぶりなイミテーションを買い求めてくれたのだ。
シャツの一番上の釦にするか、それともカフスとピアスの土台に嵌め込むか。
そういった相談一つも楽しい。
アンジェリーナは女性としては背が高いのだが、両親に似ず大きく育ってしまったというリアムはアンジェリーナの頭一つ越えていて、嫌いだった高いヒールへのトラウマだって克服させてくれた。
商売への入れ込み具合は変人レベルではあるけれど、アンジェリーナへの贈り物はいつも真面目に考えて、照れながら渡してくれる可愛い人。
肩を抱かれ、耳に触れる唇には小さな笑い声を上げ、自分の目線の高さにある肩へ頭を乗せる。
「どこもいいなって思うけど」
そう言いながら指先が辿るのは街から汽車の線路が続く先、そこに置かれた硝子はアンジェリーナの色。
「知っている人が誰もいない所で、二人でいたいかも」
そりゃあいい、と言ったリアムが地図の上から硝子を拾ってから地図を畳み、そうして布団を捲り上げる。
「じゃあ、眠るまでの絵本代わりにアンジェの気になる街の話をしよう。
四季がはっきりした土地だから、きっと君も気に入るよ」
布団に潜り込んだアンジェリーナはリアムにそっとキスをしてから、ゴロリと横になる。
きっと新婚旅行は楽しいものになるだろう。
珍しい物を探す競争をしたり、見たことのない料理を一緒に食べたり。
きっとそんな旅になる。
それに帰ってきてからも。
リアムとならいつだって幸せになれるのだという思いしか浮かばないのだから。
そんなことをつらつらと思いながら、童話を読み聞かせるかのように寝物語を始めたリアムの声に耳を傾けた。