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第七話 咲く花、散る花(前編)

 時間の流れは早い。朝から晩まで雑用で駆けずり回っていれば、なおさらだ。


 もうすぐ一週間になるのに、僕の考えは一向にまとまっていなかった。ろくに考える時間もないし、たまに時間ができても、色んなことが次々頭に浮かんできて、かえってこんがらがっていくような気がした。

 たとえば、善とか悪とかについて。ロングレッグ氏は少なくとも、「善人」じゃない。使用人を道具みたいに扱うし、外にも敵が多い。彼が死んだら大勢が喜ぶ。それじゃ、「悪人」だろうか? 彼は僕やドリッパーみたいな、路上で腐って死ぬだけだった連中に仕事を与え、住居を保証している。客の誰かが、そう言って彼を褒めそやすのを聞いたことがある。それもまた、事実なんだろう。

 だけど、その代わりロングレッグ氏は僕たちから一つのものを取り上げた。「自由」だ。本当なら、生まれた時から持っているはずだったもの。一度もそれを手にしたことがない僕には、その重さがわからない。どれだけ大事なものだろう? 命と引き換えにするだけの価値がある?


 悩む僕とは対照的に、今週のロングレッグ氏は上機嫌だった。それはきっと、ベルフラワーが木曜日の前座興行で、彼好みの優雅で、派手で、なおかつ破壊的な舞闘を見せたことが原因だろう。しかも相手は格上、等級Aの舞闘人形”シュガープラム”だ。

 ロングレッグ氏は、ベルフラワーがずいぶん気に入っているようだ。その根拠は、観劇のあいだ普段より大きめに瞼が開いてるとか、数インチ前に身を乗り出しているとか、そんなわずかな差ではあったけれど、何年も彼を隣で見てきた僕にははっきり分かった。そしてそれは、なんとなく――僕には面白くないことだった。


*****


 ベルフラワーの舞闘が、他の人形と比べて見映えがするのは確かだ。

 彼女にはレーザー砲やら空気圧砲やら手裏剣みたいな飛び道具がないので、必然的に、相手のそばまで近づいて闘わなくてはならない。そうなれば当然、相手も自分も出血や破損が増える。どちらもお客が大好きな演出だ。それに、小柄な彼女が相手の攻撃をかいくぐり、危険に飛び込んでいく姿は見る者をハラハラさせる。

 木曜日の舞闘の相手は、まさにそんな彼女の対極に位置するような人形だった。


「シュガープラム、お仕度整いましてございます」


 舞台に立ったシュガープラムはそう言うと、真っ赤な夜会服の裾をつまんで深々と一礼した。彼女は舞闘場の人形たちの中でただ一人、この舞闘開始の口上を微妙に間違えて覚えているようなのだが、あまりに言いぶりが堂々としているせいか、誰も(ロングレッグ氏を含め)それを訂正しようとしない。


「……ベルフラワー、仕度が整いました」


 ベルフラワーも、澄ました顔で礼をする。心なしかいつもよりツンとして見えるのは、間違った口上にイラついているせいか、それとも相手が自分より礼儀正しく見えるのが気にくわないのだろうか。

 フオーッと喇叭の音が響く。にらみ合う両者は、互いの様子をうかがいながら舞台をしゃなりしゃなりと歩きだす。歩き方は二体とも似ている……新しい靴を見せびらかすような、気取った足の出し方。どちらかというとシュガープラムの方が、芝居がかって大げさな感じがする。


「先だってのランプシュガーとの舞闘、見せていただいたわ。いい脚をお持ちね、ベルフラワー」


 カッとヒールの音を立てて、シュガープラムが足を止めた。肩にかかった黒いショールが揺れる。その声は静かだけれど、かすかに感情がこもっているように聞こえた。

 シュガープラムとランプシュガーは同時期に同じ研究所から送られてきて以来、シュガー・レディスの代表として並んで活躍してきた。その同胞を廃棄場送りにしたベルフラワーに対して、思うところがあるのかもしれない。人形たちの性質上、死を悼むとか悲しむってことはないはずだけれど、舞闘を盛り上げる敵対心みたいなものは多少あるようだ。


「ふうん、そう。それはそれは光栄ですこと」


 そっけなく返すベルフラワー。相手の口調を真似して挑発しているみたいだけど、あまり効いてるようには見えない。

 シュガープラムは謎めいた笑みを浮かべ、肩のショールをつまみ上げる。その下に隠されていたのは、彼女の細い腕――ではなく、空中に浮かぶ十個の小さな球体だ。磨き上げられた黒い宝石のようにつやつやと輝くそれらは、左右の肩から数珠繋ぎにつらなって、彼女の腕の代わりをしている。先端でちょこんと浮いた手首が、少し不気味だ。


「では……ショウの始まりと行きましょうか、お嬢さん」


 そう言うと、シュガープラムは球体の列を上下に波打たせて、右手首をふわりと空中に送り出した。手首は彼女のショールをつまみ上げたまま小鳥のように飛び、天窓の近くまで昇っていったかと思うと、垂れ下がったショールを空中で手放した。


「脱いだ服を舞台に放り出すなんて! はしたなさにも限度ってものがあるわ。ランプシュガーといい、どうしてシュガーの子ってこうなのかしら」


 憤慨するベルフラワーに、シュガープラムは手の甲を口元に当て、クックッと笑った。年長者の余裕ってところか。


「放り出したりしませんよ、ベルフラワー。これは私の砂時計。あのショールが肩に落ちてくるまでの間に……あなたを舞台に這いつくばらせてみせる」


 シュガープラムの目の色が変わった。比喩じゃなく、文字通り瞳が青から赤に変わったのだ。同時に彼女の肩につらなっていた”腕”が――つまり球体たちが連結を解かれ、それぞれが別個の衛星となって彼女の周囲を回転し始めた。

 この球体たちは、海を挟んだ向こうにある大企業セドラス・ヴァリアント社が開発した半自律型ドローンだ。回転翼やジェット噴射もなしに飛び回るドローンたちは、それぞれが小さなレーザー砲を抱えている。シュガープラムが彼らを統率し、敵を舞台のどこまでも追い詰めるのだ。


「踊ってごらんなさい、可愛い子(マ・ベル)


 ひねった洒落を言いながら、シュガープラムはパチンと指を鳴らした。

 合図に従って、ドローンたちが舞台へと放たれる。ベルフラワーは気乗りしない表情を浮かべながらも、シュガープラムの誘いに乗って、舞台の上で軽やかなステップを踏み始めた。直接相対したことがないとは言え、この状況でじっとしているのが危険だってことはベルフラワーも直感で理解したらしい。何しろ、相手は等級Aだ。


「あら、列なんか作って、そんなに私と踊りたいのかしら」


 一直線に並んで飛んでくるドローンたち相手に、余裕を見せるベルフラワー。舞台を跳ねる彼女を追って、ドローンたちもわっと左右に広がる。動きはベルフラワーの方が一段速く、しばらくの間はベルフラワーがドローンたちの動きを制しているように見えた。けれど空中を飛ぶドローンたちは、上下から少しずつ彼女を追い込んでいった。

 そして二体のドローンがベルフラワーの前後を捉えたわずかな瞬間、舞台をパッと赤い光が走った。細い、かすかな光。ドローンの一体から照射されたそれは、ベルフラワーの白いスカートを貫いて、もう一体のドローンに吸い込まれていった。


「ふうん……ただの風船玉じゃないみたいね」


 穴の空いたスカートを見下ろしてぽつりと言うベルフラワー。強がりを言いながらも、その顔にもう余裕はなかった。シュガープラムのレーザーには、人形の胴体だろうと容易く風穴を開けるだけの力がある。前座興行である以上、シュガープラムも心核は避けているようだけれど、体を穴だらけにされれば再生はかなり長引くことになるだろう。

 とはいえ、もちろん弱点がないわけじゃない……ドローンたちのレーザー砲は必ず「二体一組」でないと撃つことができない。二つの点と点が結ばれることで、初めて殺傷力のある熱線が生まれる。「砲」というよりは、ピンと張られた光の糸なのだ。


「……砂時計が落ちてしまうわ。テンポを上げましょう、ベル」


 シュガープラムの声を合図に、ドローンたちは小刻みにレーザーを放ちはじめた。それを見て、ベルフラワーも彼らが二体ずつセットで動いていることに気がついたようだ。彼女は網目のように交差する光線を避けながら、挟み込まれないようにと巧みにドローンたちを誘導しながら、少しずつシュガープラム本体へ近づこうとしていた。右から左へ、ライトアップされた舞台の上を跳ねまわる彼女の姿は、まさしく踊る少女の姿だった。


「まあ、美しいこと。では、華々しく散る花をお見せして、ショウの終わりと致しましょう」


 シュガープラムがそう言って冷たい笑みを浮かべた瞬間、レーザーの一本がベルフラワーの左腿を射抜いた。


「あッ……つ」


 がくんと姿勢を崩して、ベルフラワーは舞台に膝をつく。同時に、散っていた五組十体のドローンたちが、一斉に彼女に殺到した。彼らはレーザーの糸をピンと張りめぐらせたまま、抜け出せない光の柵で彼女を取り囲み、徐々にその包囲を狭めていった。その光が空中に描く文様は、それこそ赤い花のようだった。


 ベルフラワーにもはや逃げ場はなく、彼女の敗北と、手痛い傷、悲痛な叫び声は避けようのないことのように思われた。そんなもの、とっくに慣れっこになったつもりだったのに、この時、僕は「あっ」と声が出ないように口を手で押さえていなければならなかった。

 ほんの数回交わした会話で、情が移っちまったんだろうか? 少なくとも、どうやら彼女を「ただの人形」として扱えなくなったのは確かかもしれない。


 ともあれ、僕の心配は杞憂に終わった。レーザーの花がしぼみきった後、灼かれた空気の真ん中に、ベルフラワーの姿はなかった。舞闘場にいた誰もが、一瞬、彼女を見失ったに違いない。それから観客の目に入ってきたのは、両肩にジャックフットの爪先を突き立てられ、仰向けに地面へ倒れたシュガープラム、そしてその上にまたがるベルフラワーの姿だった。

 やがて、舞闘場の大モニターに直前の映像がスローモーションで映し出された。全てのレーザーが自分に向かって収束する瞬間、ベルフラワーは高く跳びあがると、ドローンの一つをトンと踏みつけにし、そこからさらに右足一本で跳躍して、シュガープラムの頭上を取っていたのだった。


「さ、どうなさるおつもり?」


 両膝で相手を組み敷いたまま、ベルフラワーは問いかけた。シュガープラムは悔しげに唇を噛みながら、ちらりとその背後を見る。


「おっと、まだあの風船玉を使うつもりなら、こうするわよ」


 とどめとばかりに、ベルフラワーはシュガープラムの顔に手を伸ばし、彼女の細い唇をつまみあげた。間抜けな顔にされたシュガープラムはかっと赤面して、それきり堅く目を閉じてしまった。どうやら、負けを認めたようだ。

 舞闘の終わりを告げる喇叭を聞き、フゥと立ち上がったベルフラワーは、折よくひらりと舞い落ちてきた黒いショールをつかみ取り、自分の肩の上に羽織った。実のところ、ショールはとっくに空から落ちて、シュガープラムの「風船玉」の一つに引っかかっていただけなのだけれど――とにかく、それは狙いすましたような、颯爽とした勝利だった。

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