第三話 花の娘たち(前編)
僕の名前はビット。名付け親のロングレッグ氏によれば、「端役」とか「とるにたらないもの」という意味があるらしい。ロングレッグ氏はこの舞闘場の主人であり、僕を含めたこの舞闘場の使用人たち、そして舞台に上がる人形たち全員の主人だ。名前からとって、「足長おじさま」なんて呼ばれることもある。
この舞闘場では、人形たちの殺し合いを観客に見せて金を儲けている。人形と言っても、素材が人工物だというだけで、中身は人間とそう変わらない。金属の骨があって、強化繊維の筋肉と、頭には結晶体の擬似神経網が詰まってる。表皮が傷つくと、赤い液体が流れ出てくる。言葉を話すし、心みたいなものもある――少なくとも、あるかのように振る舞う。
このグロテスクな見世物は、ただ悪趣味な主人と観客たちを楽しませるためだけに開かれるわけじゃない。彼女たちの身体には、あらゆる分野の最新技術が詰め込まれている。人間向けの身体改造とか、軍用の生体兵器、あるいは美容整形、服飾デザインなんかも。つまりここは、そういう雑多な企業が最新技術を披露するショウケースであり、人形たちは文字通りの「マネキン人形」なのだ。
人形たちはそれぞれ提携した研究所で作られて、そのほとんどがこの舞闘場の中で短い一生を終える。僕はロングレッグ氏の横で、彼女たちが主人に言われるまま互いを傷つけあい、つくりものの命を散らす場面を、数えきれないほど眺めてきた。
残酷だとは思うけれど、彼女たちが特別哀れだとは感じない。人間だって同じように、あっさり死んでいく。僕だって同じように、一生この舞闘場から出られない。ロングレッグ氏が僕に死ねと命じたら、僕はその通りにしなければならない。両親が僕を売り払う時、そういう契約をしたからだ。
ある意味では、僕も彼の人形なのだ。幸い、それほど強くも美しくもないおかげで、彼女たちより長生きできている。
舞台の掃除を終えた僕は、人形たちの控え室に入った。ノックはしない。この部屋は舞闘の前に使われるだけで、昼間は誰も来ないはずだからだ。けれど僕の予想に反して、そこには人がいた。人、というか――人形が。
鏡の前で、脱ぎかけのワンピースを腕に引っ掛けたまま、目をパチクリさせて僕を見返したのは、昨夜の舞闘で凄惨な勝利を収めたばかりの、舞闘人形”ベルフラワー”だった。昨夜ランプシュガーに砕かれたはずの左肩は、一晩ですっかり修復・再生されて、今は透けるように白い肌が下着の隙間から覗いていた。
「あら……ちょっと、何じっと見てるの。首、はねてしまうわよ」
目を細めてこちらを睨むベルフラワー。僕は慌てて後ろを向いた。本気かどうか知らないが、彼女たちが言うと冗談には聞こえない。
「すみません。誰もいないと思ったので」
人形たちと話す時、使用人は基本的に敬語を使わなければならない。そうやって丁重に扱われることが、人形たちの振る舞いに気品を与えるんだとかなんとか。それに金銭的な価値で言えば、比べ物にならないほど向こうが上だ。
でも年齢に関して言えば、僕より年上の人形はここには一体もいない。僕はたしか今年で十四歳のはずだけど、彼らのほとんどは四年以内に舞闘で壊れるか、廃棄処分される。最年長でも、今年で五年。
ごくまれに、並外れた戦績を上げてロングレッグ氏に気に入られた人形が、ペルマネンテ・グラディアトリクス、通称「グラディアトリクス」という名誉ある称号とともに永久保存処置を施されることもある。それが最も平和な引退の仕方だけれど、僕が知る限りではせいぜい数年に一体いるかいないか。そんな短い命だと知っているからか、彼らが多少わがままな物言いをしても、僕はそれほど苛立ったりはしない。
「淑女の部屋の扉には、いついかなる時であろうとノックがあるべきなのよ。あなた、名前はなに? おじさまに厳重注意してもらわなくっちゃ」
おじさま――つまりロングレッグ氏は、いちいちそんな苦情を聞き入れたりはしないのだけど。
彼女たちの心には、本能的に彼を敬い、彼に従うよう刷り込みがなされている。当のロングレッグ氏がどう考えているかはともかく、彼らにとって「足長おじさま」は父親のように近しい存在なのだ。何百年も前にこの大陸で書かれた小説では、「足長おじさん」というのは身寄りのない少女を助ける善人だったそうだ。今、ここにいる「おじさま」は、彼女たちを舞台で殺し合わせて、客から金をとっている。偶然とはいえ、ひどく皮肉な呼び名だ。
しかし少なくとも彼女、ベルフラワーは、そんな皮肉さを少しも感じていないようだ。僕が名前を名乗ると、彼女はフウンと気のない返事をしてから、コンコンと鏡を叩いた。
「もう、こっちを向いていいわよ」
お許しが出たので、僕はため息をつきつつ振り向いた。彼女は鏡の前で肘をついて、ジロジロと僕の顔を眺めていた。
「あの……掃除にかかっていいですか? 早くしないと、他の部屋もあるので……」
肩をすくめる僕に向かって、ベルフラワーは人差し指をピンと立てて突き出した。
「黙って。ちょっと、そこにじっとしてて」
言われた通り、渋々ながらその場に突っ立っていると、彼女は突然立ち上がり、ぬっと顔を近づけてきた。
「なっ、何……?」
間近で見る彼女の薄紫の瞳、金色の髪、そして真っ白な頬――彼女たちと接するのには慣れているはずだったのに、僕は驚きとともに、非常に居心地の悪い気分を味わった。普通、人形たちは僕をほとんどいないもののように扱うので、こんなに近づかれたのは初めてだったかもしれない。
困惑する僕を無視して、彼女はさらに一歩踏み出し、じっと僕の目やら顔やらに視線を走らせた。
「見覚えがない顔だわ。本当にまったく……うーん。どういうことかしら」
そうしてまじまじと僕の顔を眺めた後、彼女は急にフイと顔を背けて、また椅子に座り込んだ。一体、何のつもりなのか――
「あら、またボーッとしてるの? もう、私の用は済んだわ。好きなだけ掃除して頂戴」
ムッとする僕に向かって、ベルフラワーはあっけらかんとそう言った。
「……言われなくても、そうさせていただきますよ」
吐き捨てるように言って、僕は持ってきた相棒のシャダー・ブラシを手に握りしめ、部屋中に押し付け始めた。
シャダー・ブラシは、高周波の振動によってどんな汚れも即座に分解して、ブラシの毛の間に取り込んでしまう、とても強力で頼もしい掃除道具だ。物心ついた時から仕事を共にしている、僕にとっては道具以上のものなのだ。あるいは、ロングレッグ舞闘場の「掃除道具」である自分と、重ね合わせていた部分もあったのかもしれない。でも、理由なんて今となってはどうだっていいことだ。使用人仲間の誰よりも、長い時間を共に過ごしてきたこのブラシは、僕の分身であり、僕の家族みたいなものだ。
しばらく黙ったまま掃除に没頭していると、ふと背後に視線を感じた。振り向くと、ベルフラワーがまだそこに座って僕をじろじろ眺めていた。
「何なんだよ! 何のつもりなんだ?」
思わず声を荒げると、ベルフラワーはびくりと肩を震わせた。急に大声を出されて、驚いたようだ。その証拠として、彼女のふくらはぎが小さく割れて、凶暴な両脚の”ジャックフット”がほんの少し展開しかけていた。もしも、その脚がすっかり刃を出していたら、たかがちょっとした大声のために、僕の首は胴体とお別れする羽目になっていただろう。
背筋の寒気をこらえながらも睨みつけると、彼女はムッと眉をひそめて見返した。
「言葉遣いがはしたないわね。気に食わないわ。でも、やっぱり……記憶の顔と一致しない。じゃあ、あなたが……? うーん……」
何やら意味の分からないことをぶつぶつ話したと思うと、彼女はまたフイと顔を背けて、部屋を出て行った。今度こそ、戻ってこないようだ。僕は深い溜め息をついて、シャダー・ブラシとの仕事に戻った。