第二十三話 叙任式
僕はようやく、肺に詰まった一生ぶんの溜め息を吐き出して、観覧席の手すりに寄りかかった。
ベルフラワーは、勝ったのだ。モニターの中で、彼女は嬉しいような悲しいような、難しい表情で笑っていた。
それから舞闘終了のラッパを待たずして、白い防護スーツで身を包んだ救護係たちが舞台に上がって来た。続けて行われる永世闘士の叙任式のため、ベルフラワーの応急処置をしなければならないのだ。
彼女は意識こそはっきりしているようだったけれど、胴体には穴が空き、両脚も腕もめちゃめちゃにされていて、動く事もままならない状態だった。
応急処置が行われる間、モニターに繰り返されし映されるベルフラワーとブラックシューレイスの決着の瞬間を見て、僕は何度も青ざめなくてはならなかった。それは、本当にギリギリの勝利だったのだ。
向かい合った二人の間に月明かりが差した瞬間、まずブラックシューレイスが強烈な蹴りを放った。
一撃のもとにベルフラワーの右足が破砕され、その時点で、もうベルフラワーには右手のベルリンガーしか武器は残されていないように見えた。おそらく、ブラックシューレイスもそう考えたに違いない。彼女は髪の毛を振ってベルフラワーの右手を払いのけ、無防備になった心核へと左手を突き出した。
けれどその左手は、ベルフラワーの左脇腹を貫いたものの、心核には辿り着かなかった。相手の狙いを知っていたベルフラワーは、どうやら危ういところでわずかに身をひねって、急所を外したらしい。
ブラックシューレイスはそのままの勢いでベルフラワーとすれ違った後、振り向いてもう一撃を叩き込むつもりだっただろう。右足を失ったベルフラワーは、もはや反撃するどころか、動くことさえままならないのだから。けれど、それは間違っていた――彼女の攻撃は、その時点ですでに終わっていたのだった。
ブラックシューレイスとぶつかり合う瞬間、ベルフラワーは右手で何やら空中に円を描くような仕草をしていた。
一見すると、最後のおまじないでもしているようなその動作の理由は、映像が拡大されて、ようやく明らかになった。ベルフラワーの指先から垂れた、か細いきらめき――ブラックシューレイスの首元に巻き付いたそれは、彼女自身の黒い髪の毛だった。
頑丈な人形の体すら引き裂けるほどの強度を持つブラックシューレイスの髪の毛は、地面にしっかりと突き立てられたベルフラワーの左足と、払いのけられた右手にくくりつけられていた。あとは力一杯にピンと張るだけで、即席のギロチンの完成というわけだ。
そういえば彼女は、気を失ってから立ち上がるまでの間に、何やらパタパタと妙な動きをしていた。きっと、その間に仕込んでいたのだろう。
とっさにそんなことを思い付く冷静さには感心するばかりだけれど――もし、ブラックシューレイスが、彼女の右足ではなく左足を蹴りつけていたら? その時点で、仕込みは何の効果もなく、彼女は確実に死んでいたはずだ。だから、それはまさに五分五分の賭けだったのだ。
そして、彼女は賭けに勝った。
***
叙任式の開始を告げるラッパの音を聞いて、僕はモニターから目を外した。
今までにも何度か立ち会ったことがあるけれど、ほとんどは裏方の使用人たちが切り回してくれるので、僕の仕事は特にない。ただ、ロングレッグ氏の後ろで立っているだけ――今日は、それだけでは済みそうにないけれど。
ラッパが途切れると、ガコンと音がして、観覧席の前面を囲む手すりが引っ込んでいき、舞台と観覧席を繋ぐスロープがチャカチャカと上から順に展開された。
道ができたのを確認して、ロングレッグ氏は無言のまま、ゆっくりと浮遊式安楽椅子をスロープへ滑らせ始めた。僕も彼の後について、緊張で強張る足を一歩ずつ前へと動かしていく。
歩いていくうちに、応急処置を終えたベルフラワーが舞台に姿を現した。彼女は失った左手と右足の代わりに、真っ白な応急用の義手義足を取り付けられ、服装も儀式に相応しい純白のドレスに着替えていた。
ついさっきまで、同じ舞台で血にまみれて闘っていた姿とは別人のようなその姿は、まるで結婚式に臨む花嫁のようで――綺麗だった。急ごしらえの義足と刃一本の左足ではまだ上手く歩けないらしく、歩き方はぎこちなかったけれど。
ロングレッグ氏とベルフラワーが舞台の中心に辿り着くと、再びラッパの音が鳴った。いつものようにプァーと一音伸ばすだけではなく、確かなメロディを持ったファンファーレだった。
『只今より、支配人ロングレッグ氏による舞闘人形ベルフラワーへの永世闘士叙任の式を執り行います。ご観覧の皆様も、どうかご起立のほどお願い致します』
流れてきたアナウンスに従って、観客たちがぞろぞろと立ち上がり、パラパラと拍手が起こった。
文句を言う者はいない――今いるお客たちは皆、この儀式を見るために残った人々なのだから。いつもの叙任式では客の半分くらいは帰ってしまうのだけれど、今夜は壮絶な舞闘の後だからか、ほとんどのお客がまだ席に残っていた。
客席が静まると、ベルフラワーは付き添ってきた救護係たちから一歩離れて、ロングレッグ氏に近づいた。
儀式の荘厳な空気に呑まれつつあった僕は、その姿を見て、グッと唾を飲みこんだ。僕たちの――僕とベルフラワーの闘いは、まだ終わってはいない。これから、最後の締めくくりをしなければならない。
その瞬間は、もうあと数秒ほどのところに近づいてきていた。
『ベルフラワー、前へ』
場内のスピーカーから、再びアナウンスの声。
ベルフラワーは一瞬ふっとためらうような素振りをしてから、深呼吸をして、おずおずと右足を前に出した。
ロングレッグ氏の座る浮遊式安楽椅子は、もう彼女の目と鼻の先にあった。
右手を伸ばせば彼の心臓に、左足を持ち上げれば彼の脳天に刃を突き立てられる距離だった。でも、まだその時ではない。儀式の最後に、ロングレッグ氏がベルフラワーに触れるため、安楽椅子のバリアーや防衛装置を解除するその瞬間を、僕たちは待っていた。
ロングレッグ氏は深く静かな呼吸を繰り返しながら、数度まばたきをした。
彼のコバルトブルーの瞳は、いつも通り澄みきった光をたたえていた。これから自分が死ぬことなど、考えも及ばない風だった。
彼は、ベルフラワーの心が他の人形と違っていること、そして僕と親しくなりつつあることをもう知っているはずだ。けれど、今の様子を見る限り、どうやら僕たちの計画までは考えが及んでいないようだった。
そう――そのはずだ。僕はただの無力な子供で、彼の奴隷なのだから。もし彼が気付いていれば、護衛も付けずにここまで出てくるはずがない。
『皆様、ご静粛に……両者から、誓いの言葉が交わされます』
まだヒソヒソとささやきが聞こえていた観客席が静かになると、場内全体が、ふっと静寂に包まれた。
スポットライトが点灯し、向かい合ったベルフラワーとロングレッグ氏を照らし出す。僕の目にも、彼女の白い顔がはっきりと映った。衣装のせいか、硬い表情のせいか、彼女の顔はいつもより大人びて見えた。
『舞闘人形ベルフラワー、これより先、永世闘士として本舞闘場にその命と魂を捧げ、未来永劫に奉仕することを誓いますか?』
流れてくるアナウンスの声は、機械で合成された声――言うなれば、ロングレッグ舞闘場そのものの声だった。ベルフラワーは伏し目がちにうなづいて、ぽつりと呟いた。
「誓います」
儀式のための、上辺だけの言葉だと知っていても、その声を聞くと、僕は胸の奥がチリッと焦げ付くような気がした。
今まで立ち会った時には気付かなかったけれど、これはきっと、人形と舞闘場との結婚式なのだ。儀式を終えた彼女たちはこの場所と永遠に結びつけられ、心に鍵をかけられて、二度と――あるいはいつか舞闘場が完全に滅びる日まで、目を覚ますことはない。
『支配人ヴィクター・ロングレッグ、永世闘士ベルフラワーを、己の命の尽きる時まで、庇護し続けることを誓いますか?』
合成音の問いかけに、ロングレッグ氏は小さくうなづいた。言葉を発せない彼には、それだけの動作で十分だった。
『両者の誓いを受理しました。それでは、ロングレッグ氏、叙任の儀を執り行っていただきます』
アナウンスを受けて、ベルフラワーがその場にひざまずいた。
僕は無意識に、顔を伏せていた。ロングレッグ氏の前で頭を下げている彼女の姿を、直視したくなかったのかもしれない。けれど、大事な瞬間に目を閉じていたくはなかった。僕は、見届けなければいけない。
深呼吸して、ゆっくりと顔を上げると、ちょうど、ロングレッグ氏が枯れ枝のような指を小さく動かして、安楽椅子の防御装置を切るところだった。
これで――全ての準備が整った。僕はベルフラワーが顔を上げることを期待して、彼女に目配せした。今が、その時だ、と。
けれど、彼女の顔は見えなかった。彼女はまだ、じっと顔を伏せ、頭をロングレッグ氏の前に下げていた。
ロングレッグ氏がゆっくりと右腕を上げて、手のひらをベルフラワーの頭に近づけていく。
僕は「止めろ!」と叫び出しそうになるのをこらえながら、もう一度ベルフラワーを見た。
覚悟が決まらないのだろうか。それとも、舞闘の傷が深すぎて、攻撃する力がないのか?
頭をめぐるいくつもの疑問が、現れては消えた。
そして、ロングレッグ氏の手が、ベルフラワーの頭に触れた。
彼は自分のもののように彼女の頭に手のひらを載せて、細い金色の髪の毛を撫でた。ベルフラワーはじっと黙って、されるままになっていた。僕は自分の呼吸が荒くなるのを感じた。
永遠にも思われる一瞬、ロングレッグ氏の安楽椅子が、ピッと音を立てた。意思表示モニターが、角度を変えて、僕の方へ向いていた。
そこには、彼の言葉が、彼の本心が、書き出されていた。
(ビット、おまえは私が何も知らないと思ったのか?
おまえは私が何もできない、不能の「イカれた爺さん」だと本気で思っていたのか?)
ロングレッグ氏の言葉は、僕を追い立てるようにカチカチと音を立てながら、モニターに流れ続けた。
(この舞闘場で、私に秘密を作れると、本気で思っていたのか、ビット?
私を殺したがる商売敵はいくらでもいる。そんなことは今までに何度もあった。
私のレディに誤った目的を刷り込ませる手口も、これが初めてではない。
彼女にはしっかりと再教育を施した。彼女に、私を傷つけることはできない。
見たまえ、彼女は私をこの上なく愛しているんだよ)
ベルフラワーの頭に載せられたロングレッグ氏の手が、ぐっと力を増すのが見えた。
彼は髪の毛をつかんで、彼女の顔を僕に見せるように、引っ張り上げた。
ベルフラワーは、青ざめた顔で僕を見た。薄い瑠璃色の瞳が、恐怖に震えていた。それは、ロングレッグ氏に対する恐怖だろうか。それとも、歪められた自分の心に気付いたことへの恐怖だろうか。
僕は打ち鳴らされた鐘のように激しく鼓動する自分の心臓を押さえて、流れ続けるロングレッグ氏のモニターに再び目を落とす。
(かわいいビット坊や、どうして私が今までおまえたちを放っておいたと思う?
おまえに服従の味を思い出させるためだ。敗北の味を思い知らせるためだ。
勝利を望まなければ、敗北はない。おまえはそれを望み、そして敗北した。
苦い味がするだろう? 二度と味わいたくはないだろう?)
安楽椅子にじっと座っていたロングレッグ氏が、コフ、コフと咳のような音を口から発するのが聞こえた。
彼は笑っていた。彼が今まで発した中で、二度とないほど上機嫌で、高らかな笑い声だった。
僕は頭の血管を、どくどくと音を立てて血が流れるのを感じた。ぎゅっと絞られるように視界が狭まり、目の前で世界がちぎれてしまいそうに見えた。なかなか終わらない儀式にしびれを切らした観客たちの、ざわめき始める声が、はるか遠くに聞こえた。
(ベルフラワーについて、おまえが気に病むことは何もない。
彼女はこれから幸せを感じるだろう。私の箱に詰められて、私のそばで眠りにつく。
とるにたらないおまえの代わりに、私が彼女を愛でてやろう。
私が若いおまえに嫉妬していると思うなら、それは違う。
私はおまえたち二人を、この上なく愛しているのだよ。
二人とも、私の、大事な所有物なのだから)
ロングレッグ氏の言葉はそこでふっと途切れ、意思表示モニターはそれきり何も表示しなかった。
満足げなロングレッグ氏の手がベルフラワーの頭から離れようとした時、彼女は不意に彼の手を包み込むように、両手で握りしめた。
「おじさま、に……贈り物を」
ベルフラワーの絞り出すような声が聞こえた。彼女の頬を、ひとしずくの涙が伝っていた。
ロングレッグ氏は何も言わず、ベルフラワーがそれを両手に載せて、自分に向けて差し出すのを待った。
彼女の小さな両手に載せられた、その四角い箱が一体なんなのか、彼は思い至っただろうか。
きっと、分からなかったはずだ。
僕はその時間を彼に与えるつもりはなかった。チャンスは、ほんの一瞬だったのだから。
「ロングレッグさん!」
名前を呼びながら、僕はポケットの中に隠してあったシュガーキューブの片割れのスイッチを入れた。
僕のポケットと、ベルフラワーの手のひらに載ったもう一つのキューブとが、赤い光で結ばれて、コッと金属が火花を上げる音、それから肉の灼ける嫌な音がした。
ロングレッグ氏はその瞬間、上半身を大きくよじり、僕の顔を振り返った。
「僕は、あんたが大っ嫌いだよ」
ロングレッグ氏は大きく目を見開いて、噛み付きそうなほど口を開いて、肩越しに僕を睨みつけながら、深く長い息を口から吐いた。そして、そのまま動かなくなった。




