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第二十一話 涙の雨(中編)

 舞台には、雨が降っていた。

 百年前に大きな気候の変動があって、この地方にはめったに雨が降らなくなった、とドリッパーが口にしていたことがある。事実、僕の記憶にある限り、これはわずかに三度目の雨だった。雨が降っても、舞闘はいつも通り天窓を一杯に開いた状態で行われる。スポンサー企業としては、ちょっとした雨くらいで誤作動を起こすような兵器を売りに出していると思われたくはないのだろう。


 とめどなく降りしきる雨粒に対して、向かい合った二人の人形の受け止め方は対照的だった。

 体表から発する微弱な力場で雨粒を弾き飛ばし、まるで雨など降っていないかのように凛とした姿で立つベルフラワー。そして、降る雨を降るままにその身で受けて、黒く長い髪から滴らせるブラックシューレイス。


「ベルフラワー、仕度が整いました」

「ブラックシューレイス……仕度が整いました」


 二人はほぼ同時にそう言って、裾を持ち上げ、深く頭を下げた。

 ラッパの音が消え、両者の瞳が互いを見据える。観客たちも、僕も、ただじっと口をつぐんで舞闘の始まりを待ち受けていた。

 最強の人形ブラックシューレイスと、永世闘士に王手を掛けた新星ベルフラワー。それだけでも見応えのある舞闘には違いないけれど、ただそれだけではない異様な緊張感が、二人の間に、そして舞闘場全体に満ちているようだった。


「……ベルフラワー」


 先に言葉を発したのは、ブラックシューレイスだった。寡黙な彼女が自分から対戦相手に声を掛けるなんて、ずいぶん珍しいことだ。


「なあに?」


 両脚を展開させ、いつでも舞闘に臨める体勢のまま、ベルフラワーは首を傾げた。


「死んでしまった小鳥を覚えている……?」


 ブラックシューレイスの問いかけに、ベルフラワーの肩がヒクッと震えた。ブラックシューレイスが「小鳥」と呼んだ少女――舞闘人形クークーフラワーのことだ。彼女が、それを忘れるはずはない。


「私はきっと、ずっと忘れないわ。あなたは、覚えているの?」


 そう問い返されて、ブラックシューレイスはかすかに唇を緩ませたように見えた。


「覚えているよ。私はここで倒れた全ての人形を覚えている。私の手の中で痛みに震え、動かなくなった指先を覚えている。早鐘を打ちながら、だんだん微かになって、消えていった鼓動を覚えている。ゆがんで、潤んで、それから虚ろになった瞳を覚えている。覚えているよ、死を……」


 夢見るような声で話しながら、ブラックシューレイスはゆっくりと歩き出した。右へ、左へ――カツ、カツと振り子のように、行ったり来たりを繰り返す足音。つられて、長い喪服の裾が濡れた地面を擦る音。

 これほど饒舌に語る彼女の姿を見るのは、初めてのことだった。あるいは彼女も、好敵手のアプリコットティを倒したベルフラワーに対して、特別な感情があるのかもしれない。


「……甘くて、はかなくて、舌先でとろける砂糖菓子のようだった。おいで、小さな釣鐘草。おまえにも、それをあげる」


 ブラックシューレイスの言葉は、そこで止まった。

 そして次の瞬間――彼女の姿は舞台からかき消えていた。残されたのは、彼女の身にまとわりついていた無数の雨粒。はね上げられた雨粒は霧となって、ベルフラワーの視界を遮る。


「そんなもの、要らないッ!」


 凛とした声とともに、ベルフラワーは両脚を振るって周囲の霧を散らし、視界に相手の姿がないことを悟ると、すぐに地面を蹴って空中へと脱する。同時に、すでにブラックシューレイスが背後に回っていることを予期してか、クルリと体を回転させて、後方へと両脚の刃を振るった。

 その読み通り、霧の中から飛び上がった黒い処刑人は、眼前を通り過ぎていくベルフラワーの刃を眺めながら、手を出さずにそのままフワリと降りていった。


 にわかに生じた霧はすぐに雨粒でかき消され、着地した両者はまた睨み合いながらお互いを牽制する。

 正面からのぶつかり合いでは、圧倒的に高性能な体躯を持つブラックシューレイスが有利だ。加えて、彼女は離れた距離からも相手を拘束する、自由自在の髪の毛がある。そのどちらかを早めに潰さなければ、武器の少ないベルフラワーは不利を覆せない。


 距離を保ったまま、円を描くように回り続ける二人。

 僕のいる観覧席からは、じわじわとベルフラワーの周囲を取り囲む、ブラックシューレイスの髪の毛が見えていた。ベルフラワーもそのことに気がついているはずなのだけれど、ブラックシューレイスから目を離さないようにそれらを退けるのは不可能だった。


 一旦距離を離そうと、ベルフラワーが後ろへ引く素振りを見せた瞬間、燃え盛る黒い炎のように荒ぶった髪の毛たちが、彼女の足に襲いかかった。

 反射的に足をはね上げ、逆立ちの状態になるベルフラワー。しかし砂糖にたかるアリの大軍のごとく、収まらぬ勢いの髪の毛たちは彼女の左腕に絡み付き、力一杯に彼女を振り回した。


「きゃっ!」


 甲高い驚きの声を上げて、空中に放り出されるベルフラワー。

 髪の毛たちはなおも彼女の腕を手放さず、獲物を捕らえた大蛇のように力強く締め上げた。骨が軋みをあげ、にじんだ血が白い袖を赤く染めていく――痛々しい姿だけれど、状況はまだ僕たちの想定以上に悪くなってはいない。

 ベルフラワーは締め上げられた左腕から力を抜き、右手で髪の毛たちをつかみあげると、そこに最大出力で音波砲ベルリンガーを撃ち込んだ。

 髪の毛たちがどれほど生き物のように見えても、それらはごくごく微小で精密な機械に過ぎない。だから、内部の機械を直接振動させることさえできれば、髪の毛たちは誤作動を起こすはず――これは、僕がブラックシューレイスの舞闘記録を漁っていて見つけた事実だった。かつて、同じメーカーのもっと大きな音波砲を搭載していた人形が、彼女の髪の毛を完全に封じたことがあったのだ。その人形は結局、拳の一撃で心核を吹っ飛ばされてしまったけれど――とにかく、彼女の髪の毛はベルフラワーの右手の中で力なく垂れ下がり、まるで魔力を失ったように、ただの毛に戻っていた。


 束縛から解き放たれたベルフラワーは地面に脚をつくや否や、今度はこちらの番とばかりに、不能の髪の毛たちを右手につかんだまま、グッと後方へ跳んだ。

 勢い、ブラックシューレイスは髪の毛に引っ張られる形でふらりと姿勢を崩す。彼女はすぐに自分の髪の毛を手刀で切断して体勢を立て直したけれど、ここ数回の激戦で研ぎ澄まされてきたベルフラワーの反射神経には、十分な隙だった。


「ふっ!」


 短く息を吐いて、ブラックシューレイスの懐に飛び込むベルフラワー。

 一瞬の交錯の後、毛髪と喪服の黒い海から飛び出してきた彼女の無事な姿を見て、僕はほっと溜め息をついた。そして夜に溶け込む黒い波がざっと後ろに引き、ブラックシューレイスの姿が露になるーー彼女の足元には、袖ごと肘から切断された、白い右手が転がっていた。


「……ああ、痛い、痛い……」


 三文芝居の役者のように、淡々と呟くブラックシューレイス。その黒く塗られた唇は、かすかに笑っているようにさえ見えた。

 今までのどんな負け試合でも、彼女がここまで体を傷つけられたことはなかったはずだ。けれど、雨水とともに自分の肘から流れ出る血を、他人事のように眺めるその姿は、劣勢を感じさせるどころか、今までよりも一層不気味さを増していた。


 モニターにベルフラワーの姿が大きく映し出された瞬間、僕は、彼女がまだ決して優位に立ったわけではないと思い知ることになった。

 僕のいる閲覧席からは見えなかったのだけれど、彼女の左頬は、銀色の頬骨が目に見えるほどまで、無惨にえぐりとられていたのだ。僕はとうとう耐えられなくなって、モニターが別のカメラに切り替わるまで、瞼をきつく閉じていた。


「ひとまず、痛み分けってところね……あつっ」


 ベルフラワーは言葉の途中でうめき声を上げて、眉をひそめた。きっと、口を動かすだけでも痛むに違いない。けれど彼女は深く息を吸い込んで痛みを押し殺すと、また言葉を続けた。


「でも、きっとこんなものじゃないんでしょう。あなたのやり方って、なんだか遊んでいるみたい。それって、すっごく無礼だわ。まるで、永世闘士なんかなりたくないみたい」


 また、そんな挑発するようなことを――とやきもきする僕をよそに、彼女はムッと唇を尖らせた。

 確かに、ブラックシューレイスの闘い方は、いつも余裕ありげだった。今夜でさえ、これだけの死闘を繰り広げていてもなお、彼女は底知れない余力を残しているような気配がある。それは、ただ不気味だというだけでなく、いつでもベルフラワーを殺すことができるという自信の現れのようにも見えた。


永世闘士(グラディアトリクス)……」


 ブラックシューレイスは独り言のように呟きながら、陰気な瞳で上目がちに対戦相手を見た。


「おまえはそれになりたいの、釣鐘草?」


 その問いかけに、ベルフラワーは間髪入れず答える。


「私は、なるわ。この舞闘の後に」


 ベルフラワーの返事は、本当は質問の答えにはなっていない。問われたのは、「なりたいかどうか」なのだから。もちろん、この場で本心を言うわけにもいかないのだけれど、きっと嘘をつくのが嫌だったのだろう。


「そう……でも、おまえにはなれないよ」


 ブラックシューレイスは暗く熱のこもった視線を、ベルフラワーからもっと遠くへと向けた。視線の先は、おそらく観覧席――僕と、ロングレッグ氏がいる場所だ。


「……なぜ? 私があなたに負けるから?」


 ベルフラワーの問いに、ブラックシューレイスは首を横に振った。おまえがここで死ぬから、とでも言うのだろうと僕は思ったけれど、そうではなかった。


「おまえは、本当の永世闘士を知らないから。おまえも、誰も彼も……何も知らない」


 淡々と、しかし畳み掛けるような早口でそう言った次の瞬間、ブラックシューレイスはガッと強く地面を蹴って、苛烈な攻めに転じた。

 喪服の裾を重たく翻しながら、眉間めがけて蹴りを一閃。あやうく身を屈めて避けたベルフラワーを、先ほどのお返しとばかりに髪の毛をつかんで引き倒し、みぞおちに右の膝蹴りを入れて、さらに浮き上がった彼女の背中めがけて、素早く掲げた左足の踵を打ち込んだ。あまりに素早く、スロー映像でも追いきれないほどの華麗な連続攻撃に、僕さえ一瞬見とれそうになったほどだった。


 我に返った僕はロングレッグ氏の視線に構わず、観覧席から身を乗り出してベルフラワーを見やった。

 地面に打ちつけられた彼女は、かろうじて致命傷は逃れたようで、手ひどく痛めつけられた胴体を両手で押さえて、うめき声を上げていた。

 ブラックシューレイスは倒れたベルフラワーの頭を堅いヒールで踏みつけながら、虚ろな目で月を見上げて、不気味な呟きを続けた。


「本当の永世闘士とは……未来永劫に闘い続けるもの」


 ブラックシューレイスの踵が、ふっと浮き上がった。そのまま、ベルフラワーの頭を踏み砕くつもりだったに違いない。

 けれど、彼女はすんでのところで横に転がって、ブラックシューレイスの踵はゴンと重い地響きとともに地面にめり込んだ。


「本物もにせものもないわ。ただ、五回勝ち続けた人形のことよ。それだけのものでしょ!」


 思わず本音を漏らすベルフラワーに、ブラックシューレイスの表情が曇った。いつも仮面のように無感情な顔を貼り付けていた彼女が、初めて垣間見せたその表情は、亡霊のように虚ろで、暗い情念に満ちていた。


「違うよ、おまえ……それは『にせもの』。たった五回で、杯は満たされない……私は知っている。杯には穴が空いている。常に、血を注ぎ込んでいなければ……私には聞こえる。無限回数の勝利を捧げたものだけが、本当の、『永世闘士』なのだよ」


 彼女の呟きをマイク越しに聞いて、僕はようやく、この人形の謎めいた言動の、本当の意味を理解していた。そして同時に、腹の底から冷たく不快な気持ちが上ってくるのを感じた。


 最強とうたわれるブラックシューレイスが、なぜ、ずっと永世闘士になろうとせず、舞闘場に留まっているのか。

 スポンサー企業か、それともロングレッグ氏本人かは分からないけれど――きっと彼女の心には最初から、他の人形とは違う目的が刷り込まれていたのだ。永久にここで闘い続けるように、永世闘士の名誉を勝ち取れないように。

 この舞台の上に閉じ込められて、勝ち抜くことも死ぬことも許されず、彼女はひたすら相手の死だけを見つめてきたのだろうか。いくら人間と違う形態の脳を持っていると言っても、そんな状況に置かれて、狂わずにいられるものだろうか。

 僕は、アプリコットティが口にしていた言葉を思い出していた。


(永世闘士を目指すなら、もっと、もっと、捧げなくちゃダメなんだ。この舞台に、自分の全てを……)


 ブラックシューレイスはまさに、己の全てを舞台に捧げきった人形だった。

 彼女はこの舞台そのものの、舞闘場そのものの象徴だった。そして、僕たちはそれを負かさなければいけない。それは、ロングレッグ氏を殺すという目的だけではなく、この閉塞した場所から逃れ出るために、避けて通れないことのような気がした。

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