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第十九話 二人でお茶を(後編)

 舞台に上がってからも、彼女はまだ仏頂面をしていた。


「ベルフラワー、仕度が整いました」


 珍しく自分から礼をして、ベルフラワーは頭を下げた姿勢をじっと保つ。

 アプリコットティは悠々とした足取りで入ってくると、すでに頭を下げていたベルフラワーを見て、拍子抜けしたように肩をすくめ、自分も後に続いた。


「アプリコットティ、仕度が整いました」


 きびきびとした、貫禄のある挨拶だった。両者は同時に頭を上げ、ラッパの音が途切れる瞬間を待ち構える。


「視線が熱い……いい舞闘ができそう」


 アプリコットティの嬉しそうな呟き。

 そして、ラッパが途切れた瞬間、彼女は自分の戦闘フィールド――すなわち、舞闘場の空へと駆け上がった。柱から柱へ、壁から壁へ、備え付けのカメラではとても追いきれない速度で、彼女は縦横無尽に跳び回り始めた。


 一方のベルフラワーは、ムッとした表情のまま、前回は隠し球にしていた自律兵器シュガーキューブたちをスカートの中から蹴り出して、頭上でグルグルと旋回させた。これを提案したのは僕で、キューブたちのレーザーをバリア代わりにして、アプリコットティによる頭上からの攻撃を、少しでも妨害しようという試みだった。

 けれど、もちろんそれで完全に防げるとも思ってはいない。ベルフラワーは死角を減らすため、舞台の中心から離れ、柱に背を預けた。これで、見るべき方向はだいぶ絞られたはずだ。


 しかし、アプリコットティの技量は僕たちの予想のさらに上を行っていた。


「さあ、一発目はあたしのもの!」


 頭上の声に気付いて、ベルフラワーが顔を上げた瞬間――ドッと巻き起こった土煙が、舞台上を覆い隠した。

 一瞬遅れて、二体の人形の素早い攻防が、スロー映像でモニターに表示される。そこには、柱の上方から高速で垂直に駆け下りつつ、狙いすました蹴りをシュガーキューブの片割れに叩き込むアプリコットティと、シュガーキューブごと頭に向かって突っ込んでくる相手の足先を、右手から発した振動波でどうにか弾き返すベルフラワーの姿が映されていた。


 ごくりと息を飲みつつ、僕は舞台上に視線を戻す。収まってきた土煙の奥で、二人の人形は二度、三度とぶつかりあっていた。


「三、四発目もあたしのものね。あなたはどうする、ベルフラワー!」


 高速で繰り出される蹴りをかろうじて避けながら、ベルフラワーは両足の刃を同時に展開させた。


「……私は、とどめの一発しか欲しくはないわ」


 強い語調でそう言いきると、彼女はアプリコットティの蹴りと交叉させる形で、自分の足を相手の胸元に向けて鋭く突き出した――どうやら、先日テラスで口にしていたような迷いは、もう残っていないようだ。

 けれど、彼女の足先は難なくつかみ取られていた。高速で振動する刃が、アプリコットティの堅い指との間で激しく火花を散らし、二人の顔を赤く、白く照らした。


「今夜は月が綺麗だね。おあつらえ向きだと思わない?」


 アプリコットティは手をパッと放し、同時にくるりと回って、ベルフラワーの胴体へ拳の裏を叩き込んだ。受け止めたベルフラワーの両腕が、ミシッときしむ音を立てたのがマイク越しにも聞こえた。


「何に!」と、苛立つベルフラワーの声。

「最ッ高のダンスに!」


 アプリコットティはそう言うや否や、サッと拳を突き出してフェイントをかけると、身構えたベルフラワーの頭をちょんと蹴って、再び空中へと跳び出した。


「いったぁ! このっ、(うま)ぁ!」


 頭を抑えつつ、赤らんだ頬を膨らませるベルフラワー。

 台詞はふざけているようだけれど、彼女の目はそんな風ではない。むしろ、なんだか、いつもより真摯なようにさえ見えた。その原因はまだよく分からなかったけれど――どうやら自分で言っていた通り、彼女は何かに「怒っている」ようだった。


「こんなんじゃ足りないわ。ブラックシューレイスはもっと熱かった。永世闘士を目指すなら、もっと、もっと、捧げなくちゃダメなんだ。この舞台に、自分の全てを……」


 柱の一つから、アプリコットティの声が響く。その声に応えるように、回転するシュガーキューブたちがブーメランのようにベルフラワーの手元から飛び出した。


「いやよ、そんなの!」


 アプリコットティの取り付いていた柱が、シュガーキューブたちによってザクリと切断され、破片が周囲に降り注ぐ。もちろん、舞闘場自体がそれで揺らいだり崩れたりするということはない――舞台の柱なんて、もともと飾り以上のものではないのだ。


 再び空中を跳び回り始めたアプリコットティの姿を追って、ベルフラワーは視線を上下左右に走らせる。

 アプリコットティが自分で口にしていた通り、彼女の居場所がかろうじて分かるのは、彼女が一瞬着地して、蹴りつけた壁や地面がドッと音を立てるときだけだ。そして、それもほんのわずかな時間――目で追おうとした時には、すでに次の場所に足をつけている。


「つれないことを言わないで。踊ろうぜ、ベイビー!」


 素っ頓狂な笑い声を上げながら、アプリコットティはベルフラワーの死角からさらに攻撃を加える。

 避けきれず、ベルフラワーは背中に強烈な拳を喰らって、地面に転がった。以前の前座興行と同じパターンだったけれど、今度は倒れたままではない。彼女は立ち上がり、身を屈めて、展開させた両足を地面に刺した。


「あら、それって何のつもり? そこに踏ん張って、あたしを待ち構えようってこと?」


 集音マイクとスピーカー越しに響く、挑発するようなアプリコットティの言葉に、ベルフラワーはこの舞闘中、初めてふっと不敵な笑みを浮かべた。


「そんな悠長なこと、するもんですか!」


 次の瞬間、舞台脇の柱の一本が、突然ボロっと崩れ出した。僕はそれを見て、ホッと息をつく――僕が提案したもう一つの作戦が、どうやら上手くいったらしい。

 崩れる破片の間に、空中でバランスを崩してもがくアプリコットティの姿が見えた。彼女が着地しそうな柱を狙って、事前にシュガーキューブたちが柱に切れ込みを入れていたのだ。


 その瞬間を待ち構えていたベルフラワーは、展開した全てのジャックフットをバネにして地面を蹴り、落ちてくるアプリコットティめがけて飛び出しーーそして、両者は地面の間際でぶつかり合った。


「……私の勝ちよ。降参して、アプリコットティ」


 絡み合った二人が動きを止めた後、モニターには、相手の首元に手をかけるベルフラワーの姿が映し出されていた。


「ねえ、あたしがそんなことを望むと思う? あたしにあなたを嫌いにさせないでよ、ベルフラワー。あたしは最後の瞬間まで闘い抜くわ!」


 組み敷かれたまま、アプリコットティは右足をヒュッとしならせ、馬乗りになったベルフラワーの後頭部を狙う。けれど、その足はすぐにベルフラワーのジャックフットによって地面に刺し留められ、腿から吹き出した血がベルフラワーの背中を染めた。


「あ……グッ」


 短いうめき声を押し殺し、アプリコットティはふっと笑いを浮かべた。


「ああ……楽しかった。熱かったわ。最ッ高だった。ねえ、あたしは満足よ。そんな顔しないで、ベル……」


 その一瞬、アプリコットティの右腕がベルフラワーの手を払いのけ、同時に鋭く突き出された左の掌が、ベルフラワーの顔を砕くかに見えた。

 けれど、彼女の左手は空を切り、何かをつかもうとするかのように虚空へと伸ばされたまま固まった。

 アプリコットティの頭部はすでに、左右から伸びたシュガーキューブの光束によって射抜かれていた。


「嘘つき! 喜びなんか、どこにあるって言うの!? そんなの、どこに……」


 動かなくなったアプリコットティの胸に、ベルフラワーの小さな拳が弱々しくぶつかった。

 その拳に、ぽつ、ぽつ、と、水滴が落ちているのがモニターに大きく映されていた。観客席は水を打ったように静まり返っていた。


 熱い涙をこぼすベルフラワーとは正反対に、僕は冷え冷えとした気持ちで、その様子を見守っていた。

 これでとうとう皆が、そしてロングレッグ氏が、彼女の心の異常に気付いてしまっただろう。人間としてなら、僕は彼女の心がおかしいなんて誰にも言わせない。けれど、人形としては――僕は震える唇を噛み締めて、ロングレッグ氏を見やった。


 彼は、じっと無感動な瞳で舞台を見つめていた。その奥にある考えは、僕には読めなかった。そして、彼の浮遊式安楽椅子に取り付けられた小さなモニターが、ピッと音を立てた。


(ドリッパーを呼べ)


 僕がその場に立ち尽くしていると、モニターが再び音を立てた。


(ドリッパーを呼べ。すぐに)


 かろうじてハイと返事をして、僕はおぼつかない足取りでふらふらとドリッパーを呼びにいった。

 彼はロングレッグ氏と何事か話していたけれど、これから何が起きるのか、僕には悪い想像しかできなかった。

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