第十四話 時計の針は止まらない(後編)
舞台に上がったペンデュラムクロックは、ベルフラワーが言っていた通り、伏し目がちにキョロキョロとして、気弱な女の子みたいに見えた。
気弱、というか――陰気だ。グルグルと渦のごとく巻き上がった紫の髪に、舞闘人形にしては珍しく、装飾の少ない、もっさりと地味めな衣装を着ている。舞台衣装というより、ネグリジェかなにかみたいだ。
「ペンデュラムクロック、し、仕度が……整いました」
おっかなびっくりで、どもり気味の声。モニターに大映しになって初めて気付いたけれど、彼女はどうやら足に何も履いておらず、裸足でペタペタと土を踏んでいる。案の定、礼儀にうるさいベルフラワーは気に喰わない顔をしている。
「ベルフラワー、仕度が整いました」
素っ気なく言って、いつも通りに格式張ったお辞儀を終えると、ベルフラワーはさっと姿勢を正して、相手をじっくり見定めた。対するペンデュラムクロックは、ラッパの音をぼんやりと聞きながら、落ち着かなげに何やらぶつぶつ呟いている。
「……なあに? 言いたいことがあるなら、はっきり言って頂戴」
ツンとした声でベルフラワーが言うと、ペンデュラムクロックはビクッと怯えたように肩を震わせ、またぶつぶつと呟いた。集音マイクの音量が上げられ、彼女の暗い声が舞闘場に響く。
「カチッ……カチッ、って……と、時計の音……あの……聞こえ……ます?」
意味不明な問いかけに、ベルフラワーはムッと眉をひそめる。
「はあ……? 聞こえませんけど!」
「そうですか……わ、私には聞こえます。カチッ、カチッ、は、針の音……時計の針は止まりません。じ、時間はただただ、矢のように過ぎ去っていきます。私はただただ、回る時計の針を見ている。か、カチッ……カチッ……」
彼女の不気味な呟きを聞くにつれて、舞闘場の観客たちは静まり返っていった。
きっと皆、僕と同じような感想を抱いたに違いない――こいつは、何を言ってるんだ?
ベルフラワーも、明らかに同じことを思っていた。彼女はさらに苛立った様子で、爪先でトントンと地面を蹴り始めた。
「そうやって訳のわからないことを言って、私を苛立たせようとしてるってわけ?」
もし、本当に計算づくの挑発だとしたら、相当な策士ということになるだろう。実際、ベルフラワーはもうすっかり挑発に乗せられてしまっている。ペンデュラムクロックは変わらぬ調子で、ぶつぶつと呟き続ける。
「訳が分からない、なんて……こ、こんなに明解に示されているのに。針の音が十二度、そして鐘の音、ああ、なんてこと、なんてこと……!」
彼女は錯乱したように、首を横に振った。その様子は、ほとんど正気とは思えない。僕は、もしかして彼女は精神が壊れてしまってるんじゃなかろうか、と思わずにいられなかった。
今までにも、そういう人形を見たことがある。廃棄場送りが決まって、半狂乱になる人形。あるいは製造された時の調整ミス、刷り込み機械{インプリンタ}の拒否反応で、神経に異常をきたした人形。そういう人形は、すぐに取り押さえられて、強制停止させられるものだった。
けれど、彼女はこうして再び舞台に立っている。どうにかして精神鑑定をパスしたのか、それとも、ロングレッグ氏は異常を承知の上で、彼女を闘わせようとしているのだろうか。
「時計時計って、時間切れでも狙ってるのかしら。時間稼ぎなんか、させないわよ!」
もう我慢していられない、という風に言って、ベルフラワーはタッと地面を蹴った。素早く死角に回って、間合いを詰めていく彼女の姿を見るうちに、僕の背筋に悪寒が走った。何か、マズいことが起きつつあるような気がした。
「と、時計の針……『カチッ』」
ペンデュラムクロックの小さな呟きが、マイクを通して聞こえ――次の瞬間、舞台の上が赤い色に包まれた。
一瞬遅れて、バウッと耳をつんざく破裂音。僕は血の気が引くのを感じながら、目を皿のようにして舞台を見つめた。
ベルフラワーの姿は、舞台の端にあった。彼女は捨てられた玩具のように地面に転がって、最初の舞闘よりフリルの増えた綺麗な服は、無惨に焼けこげていた。
僕は、叫び声を上げそうになる自分を、必死で抑えなくてはならなかった。
ロングレッグ氏が、そこで見ている。ベルフラワーとの協力関係を彼に知られることだけは、避けなくてはならない――自分のためにも、彼女のためにも。
「ああ、ほ、滅びの世界……やりすぎよ、クロックワイズ・クラック、やりすぎだわ。もっと、絞り込んで……ああ、ま、また、おじさまに叱られてしまう」
ぶつぶつと独り言をしながら、ペンデュラムクロックは親指の爪を噛み始めた。ベルフラワーは傷ついた体でどうにか立ち上がったものの、相手の無作法を責める元気はないようだった。
彼女は誰の目にも明らかなダメージを受けていた。自慢の右足は、その刃のほとんどが爆炎によって吹き飛ばされ、もはや、かろうじて体を支える以上の役には立ちそうにない。
「ゲホッ……まったく、ドレスが台無し……」
強がりを言って、フゥと溜め息をつくベルフラワー。ペンデュラムクロックはちらりと彼女を見て、ほくそ笑んだように見えた。
一体、彼女の武器は何なのか? それが分からなければ、反撃もままならない。僕の目には、彼女はただ突っ立っていただけに見えた。けれど、彼女は何か目に見えない方法で、舞台に爆発を巻き起こした――観覧席の僕がいくら考えても、ベルフラワーには何の助けにもならないのに、僕は考えようとするのを止められなかった。
彼女が言っていた通り、舞台に立った時点で、これは彼女だけの闘いになってしまった。僕は、彼女が舞台に立つ前に、それを解き明かしておかなければならなかったのだ。
一方、舞台の上のベルフラワーは、圧倒的に不利な状況に置かれてもなお、毅然と胸を張って相手を睨みつけていた。
「私、あなたがどうやって攻撃をしたのか全然分からないわ。でも、分かってることもある。あなたはじっとして動かない……あなたは、身一つでは闘えない。そして、爆発は加減ができないってこと……つまり……うくっ」
ベルフラワーはうめき声を上げて、その場に膝をついた。
彼女が言わんとしたことは、僕にも伝わった。つまり、懐まで近づくことができれば、ペンデュラムクロックは爆発に自分を巻き込むような攻撃はできない、ということだ。ペンデュラムクロックも、そのことには気付いているようだった。
「そうかもしれません……で、でも、私には聞こえます。止まらない時計の音、それから……あなたの倒れる音」
そう言い終えると同時に、二人の間にピリッと電気が走ったように見えた。幻覚ではなく、確かに空気中を稲妻のように火が走ったのだ。それこそが、ペンデュラムクロックの「導火線」に違いない。
続けて起こった爆発の音に、僕は思わず目をつぶっていた。ベルフラワーが、そこで弾け飛ぶところを――彼女が死ぬところを、僕は見たくなかった。目をギュッとつぶっている間に、二度、三度と爆発の音が聞こえた。
僕は手のひらに汗が滲むのを感じながら、ゆっくりと瞼を持ち上げた。ベルフラワーは、まだ舞台に立っていた。けれど、今度は左腕をまるごとちぎり飛ばされ、半機械の肩からどくどくと血を流していた。
彼女たち人形が感じる痛みは、僕たち普通の人間の十分の一ほどに抑えられているという。けれど、そんな死ぬような傷を負ってしまって、十分の一だってきっと泣くだけじゃすまない痛みに違いない。
今までなら、これ以上に残虐な舞闘だって、冷めた目で見ていられたのに――こんな気持ちになるなら、彼女に協力などしなければよかった。
いっそ今からでも、彼女の計画をやめさせて、舞闘をやめさせられないだろうか?
そんな無意味な考えが頭に浮かんでしまうほど、僕は焦燥していた。計画なんかとは関係なく、「舞闘人形」としてこの世に生まれた彼女は、いつか終わりが来るまで闘いを続けるしかないのだ――この舞闘場にいる限り。
「振り子は行きつ、戻りつ、時間を刻み続けます。そ、それは留まらない時間の現れです。そして、時間はいつかあなたを連れ去ってしまう……今すぐにでも!」
舞闘開始当初の臆病さと比べると、ペンデュラムクロックは徐々に言葉にはっきりと話すようになっていた。そして、その締めくくりの一言には、次がとどめだという強い決意が聞き取れた。
対するベルフラワーは、とうとう地面に倒れ込み、もはや息も絶え絶えで攻撃を避けることすらままならないように見えた。
今度こそ、決着がつく――僕は閉じようとする瞼に力を込めて、必死で舞台に視線をとどめた。
このまま彼女が死んでしまったら、彼女の考えたこと、彼女の流した涙のことも、誰も知らない、僕だけの記憶になってしまう。負けて死んだ人形のことなど、観客も、使用人も、ロングレッグ氏でさえも、長く覚えてはいない。僕だけでも、彼女を覚えていなくてはいけない。僕は、目を逸らしてはいけないのだ。
再び、ピリッと空気に火が走り、終わりを予期した観客がざわめく――その時、ふっと風が吹いた。
ドウッと響く爆発の音は、ベルフラワーの倒れ込んだ場所とは十メートルほども離れた、見当外れの場所から発していた。
後になって知ったところでは、ペンデュラムクロックは、肉眼で見えないほど細いチューブで、そこら中に爆発性のガスをばらまいていたらしい。そのガスは空気より重く、彼女が着火するまでその場所に留まるはずだった――舞台上に風が吹かない限りは。ベルフラワーが言っていた通り、確かに彼女のコントロールは「フニャフニャ」だったというわけだ。
向かい合った人形たちは、爆風に目を細めながら、二人ともきょとんとしていた。そして次の瞬間、ベルフラワーは気付いた。何が起きたにせよ、とにかく、今がチャンスだと。
「針の音……き、聞こえないっ!?」
それが、ペンデュラムクロックの最後の言葉だった。残った左足で地面を蹴って、空中を矢のように跳んだベルフラワーは、伸ばした右手で彼女の頭蓋を押さえ込み、高周波の震動で脳を揺らした。
「……鐘の音なら、聞こえるでしょ」
ベルフラワーの台詞が聞こえたのかどうか――ペンデュラムクロックは耳から赤い血を流しながら、その場に倒れ込んだ。ベルフラワーもまた同じ瞬間に力つきて、重なるように倒れた。けれど、どちらが勝者かははっきりしていた。
***
舞闘が終わり、気を失ったベルフラワーが運び出されるのを眺めていた僕は、自分の頬が濡れていることに気付いた。そして、そんな僕をロングレッグ氏がじっと見ていることに。慌てて服の袖で涙を拭き取ると、ロングレッグ氏の意思表示用モニターが、ピッと音を立てた。そこに表示された文字を見て、僕は驚いた。
(泣くな、ビット)
ロングレッグ氏がそんな優しげな言葉を表示させるのは、初めてのことだった。けれど、続けて表示された一言を見て、僕の甘い感慨はすぐに鉄を噛んだような苦い味へと変わった。
(もっと、楽しめ)




