第八話 咲く花、散る花(後編)
「ビット! 返事は決まったかしら?」
数日後、飛ぶような足取りで通路を駆けてきたベルフラワーは、大層ご機嫌な声で笑った。本来は人形がここまで来ちゃいけないはずなのに、どうやって抜け出してきたのか。その肩には、ちゃっかり自分の物にしてしまったシュガープラムの黒いショールがかかっている。
「……まだ、一週間経ってないだろ」
今日はまだ日曜日――週で唯一、舞闘場が休みの日だ。休みといっても、僕自身にはたっぷりと仕事がある。それでも、平日よりは少ないのが救いだけれど。お客のいない静かな入場路を相棒のシャダー・ブラシで掃いているところに、彼女がやって来たのだった。
「そっか……そうね。それじゃ、待つわ」
ベルフラワーは話の内容とは何の脈絡もなく、ウフフと含み笑いをした。
「何がそんなに面白いんだよ?」
僕が尋ねると、彼女は笑いを押さえ込むように自分の唇を両手で塞いだ。
「おっと……はしたなかったかしら? でも、クークーたちの前じゃあんまり言えないんだもの。私、スポンサーが増えそうなのよ。新しい服、新しい武器。ああ、どうしたって、うっとりしちゃうわ」
夢見るように天井を見上げながら、ベルフラワーはその場でクルリと一回転してスカートを翻し、またくつくつ笑った。その無邪気な姿を見て、僕はシャダー・ブラシを壁に立て掛け、フゥと溜め息をついた。
「笑ってられる神経が分かんないな。君、僕に何をさせようとしてるのか分かってんだろうな?」
苛立つ僕の言葉を、ベルフラワーは人差し指をピンと立てて中断させた。
「秘密……わかってるでしょ」
「こんなとこ、日曜は誰も通りゃしないよ。君の言う、例の……仕事に対してさ。僕が、何かできるなんて思えなくて……」
一応、言葉をぼかしつつそう言ってみると、彼女の顔がふっと強張った。
「そっ……それ、まさか、断わろうとしてるの?」
ずいぶんショックを受けた様子の彼女に、僕は慌てて首を振る。
「いや、違う! そうじゃない。まだ……考えてるよ。でも、自分が何をするのかぐらい分かってないと、仕事はできないだろ。僕に何を求めてるのか、ハッキリ教えてくれってことさ」
僕の説明に、ベルフラワーはしばらく首を横に傾げたまま、ウーンと唸った。
「でも、私だって、ハッキリなんて分かっていないのよ。だって、私が言ったんじゃないんですもの。声が聞こえて……言う通りにしなきゃって……」
それじゃ、さすがにあんまり無責任じゃないか。あきれた僕は立て掛けたシャダー・ブラシをまた手に取って、掃除に戻ろうとする。と、ブラシが急に空中で何かに貼り付いたように動かなくなった。見れば、ベルフラワーの力強い手――闘うための手が、僕の相棒であるブラシをがっちりと握りしめていた。
「急にお願いしちゃったこと、悪いとは思ってるのよ。あなたはただの使用人で、大きなことができるわけじゃないのも分かってる。でも、あなたしかいないの。私のリストにない人。あなただけが頼りで……信用できる人なのよ。どうしてって、そう言われていたからで、それ以上の説明はできないんだけれど……説明できたらいいのにって、思うんだけれど……」
もどかしげに拳を握りしめて、ベルフラワーはじっとうつむいた。シャダー・ブラシの柄がミシミシ音を立て始めたのに気付いて、僕は慌てて彼女の肩を叩こうとして――すぐにハッとその手を引っ込めた。ロングレッグ氏は、使用人に多くのことを禁じている。人形たちに、こちらから手を触れることも、その一つだ。それを破ったドリッパーがどうなったか。
僕は引っ込めた手で自分の頭を掻きながら、肩をすくめた。
「分かった。とにかく、考えてみるよ……考えてみる」
「そう? それじゃ、そうして頂戴。ありがと!」
ベルフラワーはコロッと表情を輝かせて笑うと、来たときと同じように軽い足取りで通路を走り去っていった。
*****
その翌日、カビ臭い寝床から起きた僕は、部屋に置かれた唯一の機械である端末のモニターを起動した。端末と言っても、ロングレッグ氏からの仕事の言いつけや、ドリッパーから送られてくる舞闘場の予定などの定期報告をモニターに表示する以外には、何の機能も付いていない。
まだ仕事が始まるまでは時間があったので、僕はドリッパーからの定期報告を上から下までのんびりと眺めた。そして、末尾に書かれていた、水曜日に行われる本興行の対戦内容に、ふと目を止めた。そこには、等級Bに上がったばかりのクークーフラワーが早速、本興行に出場することが記されていた。
クークーの対戦相手は、等級Aの舞闘人形、”ブラックシューレイス”――舞闘場へ来て三年目になる彼女は、この舞闘場で今、最も永世闘士に近いとされている人形だった。




