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RINと友達(2005)  作者: 瑞城弥生
4/6

「月か」


 遠いな。想像できないほど遠い。だから現実感が全然無い。いつも一人だと言う点では共通しているけど、スケールが違いすぎた。隣町に出張しているのとは訳が違う。

 十二階建ての三号棟は校門からは目と鼻の先にある。エレベーターで七階のボタンを押した時に、隣りのおばさんが駆け込んできた。

 山田さんの娘は同い年だが地元の公立高校に通っている。山田さんは父親と同期だ。でも既に局長の父親と違って、隣りの山田さんはまだ係長だった。


「あら、佐伯さんの。今お帰り?」

「はい、部活をはじめましたので」


 この団地の住民はみな顔見知りだった。防犯上すばらしい事だと自治会長が自慢していたのを憶えている。でもみんなが私の事を知っているから、私は父親のために優等生を演じなければいけなかった。別にそれ自体どうって事は無い。愛想良く受け答えしていれば相手が勝手に誤解してくれる。それはいつも学校でやっている事だった。


「ただいま」


 返事があるわけないのに玄関を入るとついそう言ってしまう。「お帰り」という言葉はもう何年も聞いた事は無い。忙しいのは分かるけど、子供をこんなにも放っておいて心配じゃないんだろうか。

『顔も忘れちゃったのよ』

 先輩の寂しそうな顔がちらついた。家の両親も滅多に顔は合わせないけれど、朝の挨拶ぐらいはとりあえず出来ている。


「かぐや姫みたいね」


 両親が月に居る事を思い出して何故だかそう思った。

 

 部屋は少し暖かい。さっきまで弟が居たんだろう。食卓テーブルにはラップの掛けられた青椒牛肉糸が置いてあった。


『ちゃんと食べろよ。あなたの弟より』


 趣味が料理だと言い切るだけに、弟の料理はプロ顔負けのおいしさだ。将来コックにでもなるのかと聞いたら「趣味だよ」と返された。

 レンジで暖めた青椒牛肉糸を口に運びながら、自分の将来について考えてみた。学校の成績はよくないから大学への進学は諦めていた。さっさと就職して、この落ち着きない転校人生に終止符を打ちたいと思った事もあったけど、今は何もしないでただぼっと生きていけたらいいのになんて考えていた。

 そんな事はありえないのに。


「コンピューター関係の仕事かな、やっぱ」


 夕飯の後には紅茶を飲むのが習慣になっている。

 葉月お手製のクッキーを摘みながら、アニメの再放送を眺めていた。

 葉月はお菓子作りが趣味みたいで、毎週月曜日には週末に作ったお菓子の残りをクラスの何人かに配っていた。情が移るから余計な事はしないで欲しけど、葉月のお菓子はすごくおいしいから、実は楽しみにしていたりする。


「お茶会か」


 今朝の葉月のお誘いを断る口実を作らないといけなかった。善意で誘ってくれている彼女たちには申し訳なかった。彼女たちの事は嫌いじゃないし、こんな風に出会わなかったら素敵な友達に成れたに違いない。

 だけどだめだ。

 彼女たちと過ごす時間は、再び自分を悲しみに突き落とす為の伏線にしかならないんだと言い聞かせた。

 自分部屋に戻ると、机の脇で長いこと大人しくしていたマシンの埃を払って、久しぶりに電源を入れてみた。バイオスの種類とバージョンが表示される。


「DREAM BIOS VERION 0.45」


 郁美先輩に借りたCD―Rを差し込むとインストーラーが自動的に走り出しだす。いつもならカーネルをロードする途中で止まるのだけど、今回はすんなりとクリアした。

 作業はチェリーシロップと同じで淡々と進んでいく。最後に表示される再起動のボタンを押せばインストールは完了だ。

 人差指でエンターキーを軽く叩く。

 画面がブラックアウトして、再びバイオスのメッセージが表示される――はずだった。

 中心部分から白いひかりのようなものが広がってきた。

 それはディスプレーをはみ出して、部屋を真っ白に塗り替えてゆく。

 机が、ベッドが、本棚が、お気に入りのぬいぐるみが……。

 全範囲指定した後に塗りつぶしのコマンドを実行したように白に変わっていく。

 白以外の色がなくなった後、そこはまた「部屋」に戻った。 

 真っ白な部屋。

 テーブルとパソコン、そしてベッド。それらはすべて白かった。

 壁には一箇所だけ窓があって、窓の外も、やっぱり真っ白だ。

 雪が降っていた。

 ベッドの上に横たわっていた少女が、何の前ぶれも無く起き上がる。


「夢を見たの」


 少女は誰に向うでもなくそう言った。


「夢を見たのよ。いつもと同じ夢。私がいてあなたが居るの」

「ここは、何処?」

「私の夢よ」


 少女はベッドから足を下ろすと、立ち上がって振り向いた。

 白いワンピースが、とても似合っている。


「素敵でしょう」


 白一色の世界は、慣れないためか目が疲れる。けれどとても居心地のいい場所だった。それは郁美先輩のマシンで感じたあの優しさと同じだった。


「あなた誰?」

「わたし?」

「そうよ」


 少女は少し考え込んだ。


「忘れたわ。ずっと眠っていたんだもの。でもユキと呼ばれていた時も有ったわね」

「ユキ?」

「だからそう呼んでくれてもいい」


 ユキは窓に寄りかかって外を見た。

 コンピューターを立ち上げたらここに来た。多分仮想現実なんだろう。自分の意識だけが、ユキの世界に取り込まれた。そう考えるのがなんだか一番しっくり来た。

 部屋には出口が無い。外に通じているのは窓だけだ。それでも外には雪が積もっていて、此処から出て行く事は出来ないようだった。

 部屋の隅に置いてあるパソコンが目に入った。机の上の真っ白いパソコンだ。

 此処が仮想現実ならば、抜け出すヒントはこのなかにある気がした。

 とにかくその前に座ってキーを叩いた。


 どのくらい時間がたっただろう。

 見慣れないOSはGUIを使っていない古典的なシステムだった。でもそれは実用的でないという理由だけで今まで見向きもしなかったのだった。


「こんな事に成るなら、少しは憶えておけば良かったな」


 コマンドラインの命令言語は基本的に英語だったから、いろいろな単語を適当に打ち込んでみたけど効果はない。

 時計が無いから、何時だか分からなかった。

 でも、この体のだるさからすると朝の四時くらいだろう。試験前日の徹夜開けの朝と同じ疲れ具合だった。いつもならハイテンションになって眠気なんか飛んでいってしまうのに、何故だか今日は妙に眠かった。


「ねえ」


 ユキはまだ外を見ていた。


「楽しい?」

「ええ、とても」


 何もしないでぼっとしているのは嫌いじゃない。いやどっちかと言うと好きだった。

 このまま、この少女と二人でこの世界に居残るのも悪くない。

 別れを悲しむ必要もないし、出会いに怯えなくてもいい。両親のために優等生を演じる事も、将来に頭を悩ます事も無いだろう。

 そんな事を考えたら、更に眠気が襲ってきた。

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