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RINと友達(2005)  作者: 瑞城弥生
3/6

 パソコン教室は、特別教室棟の三階にある。授業で一回だけ使ったけれど、「まずは電源を入れましょう」なんてやっているもんだから、がっくり来た。いまどき小学生だってそれくらいは言われなくても出来るのに。

 部屋の場所は覚えていたが、辿り着いた扉の前で躊躇した。部屋から音が聞こえない。部活の日だと聞いていたから、少なくとも数人で談笑しているはずだ。


「誰もいないのかな」


 全員が一列に並んで無言のままパソコンに向っている姿を想像して寒気がした。とにかく入ってみようと扉に手をかけたとき、後ろから声を掛けられた。


「ごきげんよう」


 そこには北山郁美が立っていた。

 腰まで伸ばした長い黒髪と、引き込まれるような黒い瞳。細い銀縁の眼鏡は小さめの顔に良く似合っていた。


「パソコン同好会に御用ですか」


 にっこりと笑った郁美先輩はとても可愛くて、またもや見とれてしまった。


「転入生の佐伯倫子です。今日からこちらのパソコン同好会にお世話になります」


 全然期待はしていなかったけど、郁美先輩には興味があった。友達を作る事をかたくなに拒んでいる自分にとっては珍しい事だった。


「そう、私は副部長の……」

「北山郁美先輩ですよね」

「何で知ってるの?」

「クラスメートが教えてくれました」


 普通なら「友人」と言う所を無意識に「クラスメート」と置き換えていた。


「そう。まあ、入って」


 コンピューター教室にはトーカ製の省スペース型パソコンが整然と並んでる。十七インチの液晶ディスプレーにマウスとキーボード。でもそれは全て電源が落ちたまで、教室には誰もいなかった。


「今日は部活の日ではないんですか」

「月水金の週三回が活動日。だけど参加は任意なの」


 面倒くさかったら来なくていいと付け加えて、先輩は隣りの準備室へ入っていった。教室のとは比べられないほど大きなマシンが目にとまった。


「学園祭ではね、三次元映像の映像シュミレーションでもやってみようかと思っているの。だから部員はみんな各自の割り当て分を自分のマシンで処理しているのよ。トーカのじゃ計算が追いつかないのよね」


 三次元映像シュミレーションは別に難しい事ではないけれど、教室に常備してある標準型トーカ製のパソコンには無理だろう。中央演算処理装置は遅いしメモリーも少なすぎる。部員が何人いるのか分からないけど、みんなそれなりにハイスペックなマシンを持っているのだろう。

 学園祭の出し物と、準備室の大きなマシンから推測するに、ここのパソコン同好会はかなりレベルの高いサークルなのかも知れない。コンピューターについて同レベルで話の出来る人間が今までは周りにいなかったから、少し楽しくなってきた。


「何使ってるの」

「え?」

「コンピューターよ」

「オリジナルです」


 先輩は部屋の中心にあるテーブルに座るよう指示を出して、二人分の紅茶を入れ始めた。それはティーパックなどではなく、本格的な紅茶だった。


「OSは」

「チェリーシロップを使ってます」


 トーカ製のパソコンにトーカ製のOSと、すべてトーカ製で固めれば補償と安定がもらえたから、それがスタンダードな仕様だった。だけど世の中には標準仕様を好まない物好きな連中が存在する。その中の一人が中心となって造ったトーカ互換のOSが『チェリーシロップ』だ。名前の由来は覚えてない。開発用スレッドでいつの間にが名前がついていた。他にもいろいろなOSがネット上には流れているけど、これが一番気に入っている。軽くて、使いやすくて、かっこよかった。


「あんたマニアックね」

「すいません」


 とっさにそんな言葉が口をついた。


「べつに、謝んなくたって」


 先輩は壁際のマシンを立ち上げた。大きな冷却ファンの音が響き渡る。バイオスが起動し、OSの読み込みをはじめた。

 先輩の肩越しに覗き込んでみると、見た事も無いOSが立ち上がった。


「これ、何て言うOSですか」

「スノウの改良版なの。そういえば名前を付けてなかったな」


 スノウは三世代前のOSで現在は手に入らない。当時は世界を支配する勢いだったのに、何だか問題があって三十年前に回収されたらしい。残っている資料には「問題があって」としか書かれていないから、どんな問題だったかは謎のままだっだ。


「ご自分で作ったんですか?」

「そうよ。古いソースを解析するのに一ヶ月も掛かったんだから」


 お気に入りの『チェリーシロップ』を使いこなす為に、プログラムソースをダウンロードし解析した事があったけど、軽く三ヶ月は掛かった。その間に六回もバージョンアップをしていたから、解析が終わった頃には、ソースはすでに別物になっていた。

 自分の事をすごいとは思っていないけど、旧式のOSをたった一ヶ月で解析したこの人は間違いなく天才だ。

 格段に技術力も高い先輩に対して憧れの感情が生まれた事に、自分でも気付いていた。この先輩となら、一緒に部活動をしてみたいと思った。でもそれは『友達』とは異なる感情のような気がする。

 同じ匂いの人。

 あえて言えばそんな感じなのかも知れない。


「あの、それ使ってみたいんですけど」


 先輩の使っている「スノウ(改)」が気になってしかた無い。入部したての一部員が使って良いものには見えなかったけど、ダメモトで聞いてみた。


「これ?」

「はい」

「本当は新入生になんか触らせないんだけど、あなたチェリーソースなんて使っているし、何か匂うのよね」

「え」

「私と同じ匂いがするの」


 どうやら先輩も私と同じ様に感じたらしい。


「いいよ。ちょっと待ってね」


 先輩はすばやくキーボードを打ち始めた。ディスプレーにコンソールが現れては消えていく。あまりの速さにその作業をトレースする事は出来なかった。


「ユーザー名、どうする」

「え?」

「ユーザー登録しないと操作できないよ。それとも機能限定でいいのかな」


 ゲストアカウントでログインしても何も楽しめない。それは言葉通り「お客さん」と言う事なんだから。


「いいえ、リンでお願いします。R、I、Nでリン」


 それはネットで使っているハンドルネームだった。郁美ならその名前に気付いたかも知れないけれど、彼女は黙っていたし、私も気付かれていない振りをした。


「RINね。はい、どうぞ」


 先輩が飛び降りるように席を離れたので、その椅子に腰掛けてマウスを握った。一つずつ操作の感触を確かめていくのだけれど何だか変だ。やけに反応が柔らかい。

 まるで生きているようだ。

 チェリーシロップと同じ軽さ、操作性の良さ、洗練されたデザイン。それに加えて優しさを感じた。


「どう、気に入ってくれた」

「はい、それはもう。なんだかチェリーシロップに似ていますね」


 それを聞いた先輩は可愛く眉間にしわを寄せた。


「そりゃそうよ。チェリーシロップは私が作ったんだもん」

「はい?」


 首を傾げたまま、暫くぼっと先輩の顔をみていた。

 そうですか、先輩があのOSを……。


「えー!」

「そんなに驚かなくても」


 これが驚かずにいられますか。チェリーシロップの開発者と言えばプログラマーの憧れの的である。その正体は完全に謎だったから、みんな好き勝手に想像を膨らませていた。

 その憧れの人が、こんな可愛らしい女子高生だなん知ったらみんなどう思うだろう。私は結構嬉しかったりしたんだけど。


「驚きますって。だって……」


 先輩は自分の唇に人差し指を当てた。


「部員も知らないんだから、この事は内緒にしといてね」

「あ、はい。でも――」


 どうして、先輩はそれを今話したのだろう。一介のユーザーで、転入してきたばかりで、OSの評価すらした事の無いこの私に。


「言ったでしょ、私と同じ匂いがするって」


 そう言う事か。理論的にどうこうと言うわけではなく感覚的なものなんだ。優秀なプログラマーが人間的な感覚に頼っているところが面白いと感じた。

 だから私は、先輩の事が好きになった。

 もう少し先輩の事を知りたいと思った。


「どうしてプログラムなんか始めたんですか」

「両親が忙しくてあんまり家にいなかったから、子供の時はいつもコンピューターを相手に遊んでいたわけ。この子達が私の姉妹なの」


 自分と似ていると思った。転校が多すぎる為友達が出来なかった反動からコンピューターにはまった。姉妹と言うほどの付き合いは無かったけど、友達となら呼べなくも無い。

 そこらへんが「同じ匂い」の原因なんだろう。


「もう少し遊んであげてくれる? その子結構嬉しいみたい。あなたに会えた事が」


 先輩が「その子」と呼んだスノウ改良型搭載マシンはパソコンというにはかなり大きいタワー型で、その正面中央に雪の結晶をかたどったエンブレムが付いていた。


「そう言えばこれ」

「なに」

「うちにも同じマークのマシンがありますよ」


 使ってはいなかったけど、机の脇に今も置いてあるはずだ。


「それほんと?」

「はい、父が以前会社でもらってきたんですよ。どのOS入れても動かくて」

「当たり前よ」

「はい?」

「その子達はスノウでしか動かないのよ」


 先輩の「その子」という言い方に妙なやさしさを感じた。さすがに姉妹だと言い切るだけの事はある。


「佐伯さん。OSのインストールできるのよね」

「はい、一応は」

「じゃあこれ」


 先輩は引出しからCDを取り出した。表面に何も書いていないただのCD―Rだった。


「これなら動くはずよ」

「これは?」

「この子と同じOSよ。スノウ改良型。名前は……まだ無い」


 うちで眠っているそのマシンの事はすごく気になっていて、ネットからいろいろなOSを拾ってきては片っ端から試してみたけど、一度として動かなかった。すべてがカーネルを読み込むところで落ちてしまうのだ。チェリーシロップでさえシステムエラーを起こしてしまう。


「ありがとうございます」


 先輩は私の頭を軽く叩いくと、準備室の本棚から漫画を取り出して読み始めた。


「あ、それ」

「知ってるの? 面白いよね、これ」


 学園に潜む巨大な影、そしてその敵と戦いながら成長する主人公。よくある話だったけど、だからこそ単純に楽しめた。


「はい、家に続きありますよ。今度持って来ましょうか」

「ほんと! 続きが気になってしょうがなかったのよね」


 漫画の趣味も同じだったなんて。

 あれ。と思った。

 いま自分は、先輩と何気ない会話を何の違和感も無く続けている。いつもなら本能的に避けている他人との接触が今はとても心地良い。

 これはやばい。

 今度は理性が自分の行動を止めに掛かった。

 これ以上先輩と近づく事が怖かった。

 すぐにやって来る別れが恐ろしかった。

 もう帰ろう。此処に長くは居られない。

 窓の外はもう真暗で、時計は七時を指している。


「帰りませんか」


 別に家は目の前だったし、今日は両親ともに出張で家にいないし、弟は塾だから帰りは十時過ぎだったから早く帰る必要もなかった。だけど、心のどこかで早く帰らなきゃと考えていた。


「ん?」

「もう真っ暗ですよ」

「そうね」


 先輩は本に集中したまま無愛想につぶやいた。その態度がなんだか気分を楽にしてくれた。


「先に帰って」

「え?」

「家には誰もいないし」


 両親は忙しくてあまり家に居ないって言ってたのを思い出した。うちと同じでただ帰りが遅いんだろう。有名な科学者だって葉月が言っていたから泊り込みで研究とかもあるだろうし。


「滅多に帰ってこないから、顔も忘れちゃったのよ」

「職場は遠いんですか?」


 顔も忘れるほど会っていないという所はわざと気付かない振りをした。


「うん」

「外国とか」


 北山郁美は笑って、空高く輝く満月を指差した。


「あそこよ。ちょっと遠すぎるよね」

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