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夜空えかき

作者: 慧波 芽実


初めてのことだった。


僕に届いたその手紙は見慣れた白い封筒で、その封筒の宛名のところに名前が書いてあった。

僕が“絵描きさん”と呼んでいたその人は僕との交流ができてから初めて、その封筒に絵描きよりと書いてあった。

学校から逃げるように、家に引きこもっていた僕のたった一つのつながりの年上の絵描きさんは、少し分厚い手紙をだしたのだろうか。

大きな屋敷に一人、時間に取り残されたようなその人を僕はなんだか好きだったのだ。




スバルくんへ。


読みやすい、絵描きさんらしい細い字に思わず笑みがこぼれる。

もう数か月あっていない絵描きさんとの出会いは両親に対する少しの反抗だった。あるとき両親が捨てようとしていたはがきをゴミ箱で見つけた。内容はなんて事のない年賀はがきだ。優しい両親がはがきを捨てた。それはなんだかその人が特別なようで、思わずそのはがきを拾って、両親に内緒で絵描きさんを尋ねたことから始まった。


右足が少し不自由なんだと笑う絵描きさんは穏やかそうな線の細い人だった。

絵描きさんの家は立派な洋館で、僕はそこに両親の隙を見ては通っていた。そんな絵描きさんの部屋には星の絵がたくさん飾られていたのだ。

白い封筒からほのかに香る香りは絵描きさんの絵の具のにおいに似ていた。



スバルくんへ。


君がここに最後に来たのはもう数か月前かとしみじみ思います。

元気にしていますか?君の姿を最初に見たとき、わたしは君の両親を思い出しました。絵描きさんと君が言うたびにどこかむずむずするような気持ちになりました。

というのもわたしも依然、絵描きさんと呼んでいた友人がいたからです。君は今、いろんなことに悩んでいるのでしょう。君は優しくそして清い。わたしはいつも君を見てはまぶしい気持ちになっていました。君に対して言えることは少ないけれども、わたしは君を、いつでも応援しています。

君はまるで、夜空に輝く一番星のようにわたしの行く先を照らしてくれました。ありがとう。おかげてろくでもない人生がいいものにかわりました。人は死んだら星になるのだと昔聞いたことがあります。その時には、人が死んだら星になるのだとしたら、あの空は悲しみでいっぱいではないかと思ったものです。本当に悲しみでいっぱいなのかどうかはわたしが先に行ってみてきますので、スバル君はのんびりときて、思い出の話を用意していてくれたらうれしいです。わたしのたったひとりの友人のスバル君がどうか素敵な人生を過ごせますように。


 絵描きより。




封筒に入ったのは短い手紙と、絵描きさんが書いていた美しく悲しい星空の絵、そして何かあればと書かれていた名刺だった。

そうして、僕は、友人である絵描きさんが亡くなったことを悟ったのだった。絵描きさんの手紙に入っていた名刺の人物にこっそりと連絡を取ると少し冷たい声でその人は近所のファミレスで待ち合わせをするといってくれた。






月森そらと名刺に書かれた美しい名前のその人は僕が名乗るとそう、と小さくこぼした。



「あの人、私の親なの」


ぽつりとこぼしたその言葉に僕は困惑して彼女を見た。


「だってあの家はいつもひとりで」

「それはそうよ。わたし、あの人のこと嫌いだもの」


少しだけ澄ましたようにいうその人はそれでも、と細い声でつづけた。


「それでも、世界中から身内が一人もいなくなるのは少し、さみしいわね」


少しだけ訪れた沈黙に僕は口を開いた。


「あの」

「なに?」

「どうして絵描きさんは……」

「絵描きさん?あぁあの人のことね。どうして死んだかって?病気だったのよ。あの手紙は死んで落ち着いたら出してくれって頼まれていたの。娘には何も残そうとしないのに、ばかな人よね」


伏せた目や言葉には、いらだちが見え隠れしてビクッと思わず小さくなってしまう。そんな僕に彼女は別にあなたをせめていないわ、とつづけた。

そして、少しだけ思案して口を開いた。


「あなたはあの人のことをどこまでしっていたの?」

「え?」


その言葉に思わず言葉を止める。


「ぼくが、しっているのは絵描きさんで穏やかでそしてやさしい、アルトの声の少し小柄な人ってことかな」


迷いつつそう口にすると彼女はそう……というと僕に1冊のノートを渡した。


「何?これ」

「あの人の思い出話よ。私が読んだら捨ててほしいって言っていたけれども、でもたぶん、あなたたち家族が読むべきものだと思うから」

「僕たち家族?」

「そう、あなたたち家族。あの人、あなたたち家族にだけは読ませるなと言っていたの。私には読んでほしいとか言っておきながら。おかしな話よね。でもたぶん、本当は読んでほしいのよ。そういう人だから。あぁわたしは数ページ読んでやめたわ。本を読むのは苦手なのよ」


強く言い切ったその人に僕は少し震えた声で彼女に言葉を漏らした。


「じゃあ」

「なに」

「きみもいっしょにこれ、読んでほしいな」


その言葉に彼女は少しだけなやんでからまぁ、それなら……と頷いた。





***


かさり。

こんなにも自分のタイミングの悪さを感じたことはない。嬉しそうな横顔が目に焼き付いた。


「知ってる?こんな青空で目に見えてないだけで星は空にかがやいているんだ」

「まぁ!そうなの?」


キラキラした目を向けていた。


「太陽の明るさで隠れているだけでいつでも空にあるんだよ」

「すごいわっ!物知りなのね」

「ははっ、そんなことないよ」

「ねぇ、もっと教えて!」


多分、それが彼と彼女の始まりだったのだと思う。

わたしの婚約者であるその人はいつも目を伏せる人だった。

笑顔を見たこともなく、その人のほうが年上なのにどこか弱々しい人だった。弱虫で臆病でビクビクしているその人だったが、わたしは案外気に入っていた。

わたしの両親が死んだときにも、婚約者は傍にいて、わたしの両親は星になっているんだと話してくれた。わたしはひねくれているから、それが本当なら、なんてさみしい星空なのだと思った。それでもやさしく傍にいてくれたその人をわたしはたぶん愛していた。そしてその人となら未来を描けると信じていた。

わたしの家は昔からの旧家で、その人は生まれたときからの婚約者であった。わたし自身には限られた人付き合いしか許されず、そしてわたしもそんな生活を受け入れていた。

そんな私の唯一の友人が絵描きだった。両親が星になっていると聞いてから仕事の合間に少し星の絵を見たくなった。信じてなどいないくせに自分の単純さに笑えてしまう。名の知れない絵描きだった人を呼んで、星の絵を頼んだ。そしてその人はわたしの友人となった。

絵描きの友人は自由でのびのびとしている人だった。わたしはそんな友人の世界に触れるのが好きであった。友人はわたしに星の絵を教えてくれて笑った。


「いつまでも君が書いてくれたらいいのに」

「見たい時に、きみのそばにいれるとは限らないよ」


絵描きのようにうまくかけない星の絵は少し歪だった。




絵描きと婚約者がはじめてあったときはいつだったのか。わたしは知らないが、絵描きと婚約者のやりとりをおそらく初めて見た時、わたしは世界にひとりきりのような気がした。


「あなたは、絵描きが好きなのですか」

「見ていたのですか」

「ええまぁ」

「それで?あなたはやめろというのですか」


そうつぶやいた婚約者はたぶんはじめてわたしの目を見た。


「わたしにそれをいう権利はあるのでしょうか」

「あなたは婚約者ですからあるんじゃないですか。でも絵描きに対する気持ちはほんの戯れ。それでもやめろと?」


少しいらだちの表情を浮かべていた婚約者にわたしはなにも言うことはできなかった。とめればよかったのだろう。すがればよかったのだろう。それさえできないわたしのなんとあさましくみじめなことか。

旧家といえどわたしにはやるべきこともやらないと行けないことも多くあった。その間、婚約者と絵描きがあっているのかという不安は大いにあった。

彼らは夜が好きであったし、当初から会うのは日が落ちてからの単時間ではあったけれどもわたしには我慢がならなかった。付き人から聞く彼らが会っていたという話は不快しかなかった。不快な気持ちを仕事にぶつけるとそれはむなしく、成功して帰ってきては、わたしは余計にせわしくなった。

そのうちに絵描きの絵を見ることも、星空を見上げることもなくなった。

気が付いたときには婚約者と絵描きは恋人になっていた。

戯れだとわたしに告げたその口で婚約者は絵描きに愛をささやいていた。そしていつの間にか、その2人は屋敷から姿を消していた。

付き人がその2人を探しますか?と聞いた。

わたしは首を横に振った。

そうして激高のままに、婚約者の実家を追い詰めようとしたときに、婚約者の父の不貞でできた少女とであった。そらは覚えていないとは思うけれど、その少女がそらだ。

まだ生まれてから数年の少女をわたしは引き取った。



付き人はそんなわたしと少女をずっとそばで見ていてくれた。わたしは付き人に恋はせずとも愛した。付き人は数年前に事故に会うまでそばにいてくれた。あの付き人にこの気持ちを伝えたことはない。

ただ、一度だけ、夜空を眺めていた付き人をいとおしく思ったことがあった。


「お前は、夜が好きなの?」

「嫌いではないです。生き物が眠るための静寂なこの暗闇も、そしてそれを見守るようにあらわれる月も。まるであなたは月のようですね」

「意味がわからない」

「あなたは自分を犠牲にしても、会社のため、社員のため、あとはそらお嬢様のために尽くす。それでいて自分はなにもしていないという。その優しさも、そのさみしさも、まるで月のようですね」

「そうか」

「自分は、そんな月を守れる人間になりたいと昔からおもっていました」


そら、わかってほしい。あなたを生んだ父や母にはなれない。わたしも付き人も至らないところがあっただろうけれど、わたしたちはあなたを愛していた。たぶんずっと愛している。

あなたのおかげで慈しんでくれた婚約者と優しさをくれた絵描き憎しまずに生きていけた。ありがとう。そら、あなたは世界に1人ではない。

わたしの年の離れた友人のスバルくんは目元がとても、絵描きに似ている。きっと2人の子供なんだと思う。そらと血のつながった親戚かもしれない。

わたしは恨んでいないと、伝えることはついにはかなわなかったから、絵描きから教えてもらった星の絵を描き続けた。どうかそらが会うことがあったら伝えてほしい。優しい2人が幸せに生きていけるように。


***




ファミレスの喧騒が少しずつ大きなものになっていく。時刻はもう8時を指そうとしていた。


「本当にあの人は」


いたたまれない表情をした僕をよそに美しい彼女はため息をついた。


「こんな思い出話なのか手紙なのかわからないものを残さないでほしいわ。それにこれじゃああの人の付き人に対するラブレターじゃない」


ぶつぶつといいつつも少しだけ目元が潤んでいた。


「どうする?僕の両親に」

「いいえ。いらないわ」


会った時にはすねたような表情だった彼女はきっぱりとそう言い切った。


「わたしの家族はあの人とその付き人よ。あぁ、あと、スバルくんだっけ?あなたは親戚の子。それはこれからもかわらないの。わたしはあの人が残したものを守らないといけないのよ、いまさら、あの人を傷つけた人に会いたいとは、まだ思えない」

「そっか」


その言葉に少しだけ肩が落ちる。思いのほか言葉が小さくなる僕に彼女は初めて笑いかけた。


「今はまだ、よ。あの人が許そうとした人を私が憎むわけにはいかないもの。ねぇ。よければあなたの口からあなたの両親にあの人の話をしてみてくれない?」


その言葉に頷くと彼女は嬉しそうに微笑んだ。




ファミレスからでると空には大きな月が上っていて、星を隠していた。僕は絵描きさんと付き人さんのやり取りも思い出して少しだけ人の見てはいけないものをみたような恥ずかしい気持ちになった。


帰ったら両親と話して、それから……。


僕が考えるのをやめていた未来のことを、考えてみたくなったのはきっと、絵描きさんのおかげなのだと思う。とりあえず、絵描きさんの絵を部屋に貼ろうかな。


振り向くと月を見て微笑む彼女が見えて僕も思わず笑顔になりながら、家までの距離を走り出した。



今回このような素敵な企画に参加できて大変楽しく書かせてもらいました。

なかなか時間が取れずに短編になってしまって口惜しくも思いますが、今回の投稿を皮切りにまた作品をぽつぽつかいていけたらいいなと思いますのでどうかよろしくお願いします。


#starmoonFes 企画には大変すばらしいほかの作者様の作品もあるのでぜひ見にいってもらいたいです。

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