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太陽の彼

作者: 庭師

 彼は、すぐに人気者になった。

 明るすぎる髪の色に似合わない人懐こさのせいか、それとも。

 だが、その誰もを魅了する歌声を知っている者は、まだ彼女一人だった。


「市川。その頭、明日までに黒くしてこい」

「はあ!?嫌に決まってんだろ」

 また朝から生活指導の先生に捕まっている彼を見つけた。

(他にも染めてる子いるのに…)

 不良バンドBitter Prayの悪名はこの南楠原高校にも轟いていたのだろう、先生たちは心なしか彼に冷たい。

 私は理不尽なその光景を横目で見ながら素通りする。正直、中学の時より丸くなったとは言え彼は私にとって怖い存在のままだった。

 咲良中学出身は私と彼だけで、クラスも同じため必然的に彼と話すことも増えた。もっとも、彼の方から話しかけてくることがほとんどだったが。

「うっせーな、しつけーんだよ。あ、糸川、助けてくれよ」

 知らん顔で通り過ぎようとした私の名前を彼が呼ぶ。私は渋々振り返った。

「…先生、そこらへんでいいでしょ」

「何言ってるんだ。糸川、お前も染めてるだろ。あと校内では化粧禁止だ」

 話の矛先が私に向かい、先生は彼の腕をようやく放した。その途端、

「はいはい。行くぞ、糸川」

 彼は私の腕を掴み、教室へと走り出した。


「本当あいつしつこいよな。平気?」

 彼は息を乱しながら私を見る。私は頷いた。

 教室に入ると、皆がざわつく。男女二人の登校が珍しいのだろう、クラスメイトの一人――山崎慎也が騒ぎ立てた。

「あっれー?そこの二人、朝から熱いねぇー??」

「うるせー。下で会ったんだよ」

 彼は否定しない。私は黙って席についた。その前の席に彼が座る。市川、糸川――名前順では一番違いだった。

「雛、おはよう」

「彩乃、おはよ!Writingの宿題やった?」

 私の友達―――水沢彩乃は笑って頷いた。私も笑い返す。

「マジかー。私やってないんだけど大丈夫かなあ」

「大丈夫だよ、雛3番でしょ?」

「だよね、やらなくていいや」

 私は鞄から教科書を取り出しながら笑った。前の席に目を向けると、彼もまた他の男子と話して笑っている。

(――――本当に楽しそうに笑うなぁ)

(藤田とは大違い…)

(太陽と月みたい)

 ――――――――彼は、太陽だった。


 *****


「…ということで、各パートのパートリーダーを決めてください」

 HRの時間は、2か月後の合唱コンクールに向けての話し合いだった。男女混声の三部合唱。彼は私と同じ、メゾだった。必然的に話しかけられる。

「糸川もメゾなんだな!よろしく!あ、俺パトリやろうかな」

 彼が手を挙げる。拍手が起こり、学級委員が黒板に彼の名前を書いた。その後で、彩乃がおずおずと手を挙げ、再び拍手が起こる。

「じゃあメゾのパートリーダーはこれで決定ですね」

 学級委員は市川、水沢の文字を○で囲む。正直合唱コンクールは面倒だった。でも、

(―――また、あの歌声がきけるなら)

 彼の歌は魅力的だった。中学の卒業式以来聞いていない。合唱コンクールの楽しみはそれだけだった。


 彼女は、気付かなかった。

 太陽が彼女の心を痛めることを。


「彩乃ってピアノ弾けるんだねー」

「でも、全然大したことないの」

 キーボードを叩きながら彩乃がはにかむ。言葉とは裏腹に、その指は複雑な旋律を奏でている。

「奏楽やればよかったのに」

「私より上手い人なんていくらでもいるから…それに、歌うの好きだし」

 彩乃は呟いた。そこに、後ろから明るい声が割り込む。

「水沢!パトリよろしく!」

「あ、私こそ…」

「ピアノ上手いんだなー。そういや糸川はサックスできるんだっけ」

 いきなり話をふられ、私は一瞬混乱する。

「なんで知ってるの?」

「お前…中学同じだろ」

 彼が呆れたように言った。私が納得していると、彩乃が口を開く。

「サックス!?かっこいい…二人、中学一緒なんだ」

「あ、うん…一応」

 私が答えると彩乃は更に続ける。

「市川くんってあのビタプレのボーカルだったよね。思ったより怖い人じゃなくて良かった。やっぱり歌は上手いの?」

「そりゃあね」

 何故か声がぶっきらぼうになってしまう。後ろから彼が答えた。

「ビタプレ知ってるんだ。さんきゅ」

「有名だったから…藤田くんも、名前だけなら知ってる」

「あーあいつはマジで怖いから知らなくていいよw」

「そうなの?市川くんは話しやすいのに…」

 二人が楽しそうに話し出したので、私はそっとその場を離れた。


 彼女は、気付かない。

 太陽は皆のものだった。


 *****


 合唱の練習は、ほぼ毎日あった。

 彼は楽譜を見た時からなぜか完璧に音がとれていて、ミスをしたことがない。

「すごいね。絶対音感?」

「あーそれ小学生の時も言われた。そうなのかな」

 中学の時よりも丸くなった彼に、私も少しずつではあったが慣れてきていた。

「独唱やんないの?」

「やめとく。金髪だしw」

 彼は黒板に目をやり、笑いながら首を振る。自由曲には独唱のパートがあった。私がそうなのか、と納得した時、教室の反対側から声が上がった。

「独唱、市川くんを推薦します!!」

「ちょ、てめぇ慎也!なんで俺なんだよ!」

 どうやら、山崎がふざけて彼を独唱者に推薦したらしい。

「だってビタプレは伝説のバンドとか言われてるくせに俺怜の歌聞いたことないし。本当に歌えんの?実はすっげー下手なんじゃね?」

「はぁ!?ふざけんなよ、そんな言うならやってやるよ」

 挑発に乗るところが彼らしい。学級委員が安心したように言った。

「じゃあ独唱は市川くんで決まりですね」

 その日のHRはそこで終わった。


 放課後の練習に、彼は来なかった。

「じゃあ、取りあえずここまで音とります」

 彩乃が一人で頑張って皆をまとめている。

「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」

 私は彩乃に謝ってその場を離れる。なぜ予想がついたのか自分でもわからなかったが、屋上に向かうと彼の歌声がかすかに聞こえてきた。ドアを開けると彼が振り返る。

「あれ?糸川じゃん。練習は?」

 私が隣に座っても彼は何も言わなかった。

「ちょっと抜けただけ。…独唱の練習?」

「うん、この曲独唱難しすぎなんだよなあ、伴奏も静かになるから割と目立つし…失敗したら洒落になんないからなー」

「そうなんだ…楽しみにしてるわ」

「おい、プレッシャーかけんのやめろよw」

「いやいや、クラス中が期待してるからね」

「マジかよ…合唱コン終わったら絶対慎也に飯おごらせる」

 恐怖の対象であった彼と自然に会話ができて、自分でも驚いた。

「じゃあ、私戻るね」

 私が立ち上がると、彼は何も言わずに手を振った。


「雛、遅かったね?」

「うん、ちょっと。ごめんね」

「ううん。ここまで音取ったけど、大丈夫?」

「わかった、ありがと」

 彩乃が指さした箇所を見て私が頷いた時、教室のドアが開いた。廊下で練習していたソプラノのグループが入ってくる。

「ソプラノとメゾで合わせない?」

 彩乃は頷いて声を上げた。

「ソプラノと合わせるから最初から歌います!」

 私も手元の楽譜に目を落とす。伴奏者が神妙な表情でキーボードを弾き始めた。


 彼女は、まだ気付かない。

 太陽は皆を照らす。


 *****


 彼は、独唱を引き受けてから三日間練習に出なかったが、四日目には何事もなかったように放課後の練習に参加していた。その頃メゾグループは彩乃の頑張りで音取りが終わり、細かい歌い方の指導に入っていた。

「じゃあ最初から歌ってみようか」

 彩乃がキーボードの電源を入れる。皆は楽譜を開いた。

 彼は、楽譜を見ない。だからと言って彼からしたら簡単なのであろうこの曲を馬鹿にした様子もなく、それなりに一生懸命歌っている姿に好感が持てた。たびたびはっきり聞こえる歌声は相変わらず綺麗だった。しかし、

「……。」

 独唱が始まると皆息をのんだ。伴奏者の手も一瞬止まり、それから慌てて動き出す。次の小節から一緒に歌いだすはずのアルトパートも、誰一人歌い出さなかった。彼は苦笑して歌うのをやめる。

「んだよ、そんなに下手かよ」

「え?…あ、ああ、そうじゃなくて…」

「アルトしっかり入ってくれよ、いつまでも俺一人だと恥ずかしいだろーが」

「あ、うん、…ごめん」

 アルトのパートリーダーが謝る。私も、自分自身がしばらく楽譜のページをめくっていなかったことに気付いた。

「…じゃあ、気を取り直してもう一回やろっか」

 彩乃が笑いながら言う。その頬が心なしか赤い。


 彼女は、気付いただろうか。

 太陽の光を欲しがる者は多くいる。


 *****


 それは、合唱コンクール本番の三日前のことだった。

「雛、ちょっといいかな」

 彩乃に呼び止められ私は足を止める。次は数学で、移動教室だった。

「…私ね、」

「うん」

「…市川くんのこと好きになっちゃった」

 私は一瞬だけ固まる。驚いたが、思い当たる節は多々あった。一応、聞いてみる。

「なんで?不良じゃん」

「そう思ってたんだけど…パトリの仕事もちゃんとやってくれるし、優しいし、面白いし」

「へぇー…」

「それに、あの歌声に惚れちゃった」

 胸がチクリと痛んだ。初めて彼が独唱を披露した日から、その歌声は2年生、3年生のクラスにまで広まり、有名になってしまったらしい。

「…いいじゃん。告白しないの?」

 私が聞くと彩乃は真っ赤になって俯いた。

「もったいないよー。すればいいのに」

「…しようかな。合唱コン終わったら」

「応援するね!」

 数学のクラスはレベル別で、クラスの違う私たちはそこで別れた。


 なぜだか、いい気分ではなかった。

 音楽室に置いてある自分のサックスを探し、屋上へ上がる。ここ最近の日課だった。

 屋上に誰もいないことを確認すると、サックスをケースから出す。思い切り吹こうとした時、ドアが開いた。

「ああ、やっぱり糸川か」

 聞き覚えのある声に振り返る。声の主は山崎だった。

「校庭まで聞こえるんだよ、そのサックス。上手いね」

「練習の邪魔だった?ごめん、明日からやめる」

 山崎は野球部だった。ほとんど毎日校庭で練習している。苦情を言われても仕方ないと思った私は、先に謝った。

「あ、いや、そうじゃなくて」

 山崎は慌てて首を振る。

「上手いし、その曲好きだし、その…続けて」

 私はサックスに口をつけた。いつも吹いている曲を選ぶ。山崎は私のことを見ていた。

 曲が終わり、息をつくと私は聞いた。

「ところで、何か用?もしかしてサックス聞きにきただけ?」

「いや、そうじゃないんだけどさ…」

「え?」

「…俺、糸川のこと好きになっちゃったみたいで。良ければ俺と付き合ってくれないかな。あ、勿論、今すぐ答えなくていいから!」

 言うだけ言って帰ろうとする山崎を私は呼び止めた。

「…私のどこがいいの?」

「…糸川、可愛いじゃん。ギャルっぽいのに意外と真面目だし。あと今サックス吹いてるところ見てさらに惚れた」

「なんでここでサックス吹いてるのが私だってわかったの」

「怜に聞いた」

 即答され、私は面喰らう。

「…っていうことだから!また明日!」

 逃げるように帰っていく山崎を見て私はため息をついた。


 彼女は、気付くだろう。

 太陽を知っているのは彼女だけではない。


 *****


 合唱コンクールは、結果からいうと大成功だった。私たちのクラスは三学年15クラスある中で見事三位に入賞し、一年生なのに校長に絶賛されるという快挙を成し遂げた。おそらく、彼の独唱部分が高得点を稼いだのだろう。教室に戻ってきたクラスメイトたちは口々に彼を褒めた。

「市川、お前すげーな」

「さすがビタプレボーカル!」

「ほんとに上手いんだな」

 男子たちが彼に群がる様子を、私は一歩引いて見ていた。入賞を喜ぶパートリーダーたちを見ても何故か素直に喜べなかった。

「悪かったな、挑発して!でも結果良かったからいいだろ?」

 彼の周りには山崎もいた。笑いながら彼に話しかけている。

「わかっただろ?俺歌えるんだぜ」

 彼も笑う。太陽のような笑顔で。


 合唱コンクールの打ち上げが終わった後の教室で、私は山崎の告白を断った。

「そっか…残念。でも俺が勝手に好きでいるくらい許せよ?」

 私は頷く。

「あとサックスもやめんなよ!聞きたいから!」

 山崎は寂しそうに笑って続けた。

「糸川、怜のこと好きなんだろ?」

 ――――――――ああ、そうなのか。

 全ての謎が解ける。彩乃が彼を好きだと聞いた時や、彼の歌声を褒めるクラスメイトを見た時のもやもやした感情の理由も。

 やっとのことで答える。

「…そうなのかも」

「そっか。頑張れよ。」

 ――――――――――謎が、解ける。

 彼の歌声を唯一知っていた時の優越感、苦手な人物と思っていた割にはよく話したこと、たまに痛む胸。


 彼女は、やっと気付いた。

 太陽の暖かさが欲しかった。


 *****


「彩乃。市川に告ったの?」

 私は平気なふりをして尋ねたが、彩乃は首を振った。

「うん。だめだった。」

 彩乃は、他に好きな人がいるんだって、と寂しそうに笑う。あの時の山崎と同じ表情で。

「そっか。残念だね。」

 私は純粋に思ったことを口にした。

 彩乃は頷いて、それから私たちは話題を変えた。

 いつものように数学のクラスで別れた後、彩乃が私の背中に呟いた言葉を、私は知らない。


「…雛。あなたのことだよ」


 彼女は、まだ気付かないだろう。

 太陽が微笑むのは、彼女だ。


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