第11話
「おじい。夏休みの間にバイクの免許を取りたいんだ」
「バイクかね」
夕食を終えて風呂に入り、部屋で休んでいた儀衛門は、老眼鏡をはずして机に置きながら鷹彦に向きなおった。椅子を回転させたときに金属部分が小さく軋む。
「油がきれているね。ちょっと待って。持ってくる」
身軽に部屋を出ていって、じきに戻ってきた。
「おじい。油をさしてやるから、どいて」
「うむ」
机に両手をついて重そうに立ち上がってから、テレビの前のラタンの寝椅子に歩いていく。鷹彦は、肘掛けのついた大型の椅子を軽々と持ち上げて逆さにし、キャスター付きの足を回転させて軋み具合を確かめた。
「教習所に通うとなると教習料金がいるねえ。いくらぐらいかかるのかね」
椅子をいじっている鷹彦を眺めながら儀衛門がいう。
「五万ちょっとぐらいだよ」
「バイクは何ccのを買うつもりだい」
「125cc]
「いいよ。買ってあげよう。ただし、スピードは40どまりだよ」
「それじゃあバスのスピードと変わらないじゃないか」
「おまえに何かあっては大変だからね」
「だいじょうぶだよ」
機械油を一二滴たらして音を確かめてから椅子を元に戻した。儀衛門は寝椅子に坐ったまま、さりげなく鷹彦を観察した。陸子から話は聞いていた。デリーから帰って来た峰彦が何か話したらしく、その夜、鷹彦の帰りが遅かったこと。まほろが夜遅くまで鷹彦を探し回っていたこと。峰彦もレイナと出掛けて帰宅が深夜になったこと。
儀衛門には、峰彦がなにを話したのか予想がついていた。あの峰彦がおとなしくしているとはおもっていない。そのとき、鷹彦はどうするか、どんなふうに儀衛門に反発してくるか、儀衛門は半ば恐れ、半ば期待していた。千住のところに帰っていくか、儀衛門のもとに残るか、半々だとおもっていた。
儀衛門は鷹彦がかわいかった。峰彦もかわいい。自分でも意外だった。愛情など湧かないとおもっていた。意地っ張りな峰彦が、意地を通すために歯を食いしばって頑張っている姿はいじらしかったし、すくすく育った素直な鷹彦は、儀衛門には、すでに実の孫と同じだった。
峰彦は、時が来たら蒔江田から去って行くだろう。千住の長男なのでこれは仕方がない。だが、鷹彦は手放したくなかった。かわいくて手放せなかった。その鷹彦が、儀衛門にバイクをねだっている。儀衛門はうれしかった。鷹彦を失わずにすんだとおもった。
「鷹彦や。おまえ最近、夜遊びを覚えたようじゃないか」
「おばちゃんが言いつけたんだな」
儀衛門の椅子に腰掛けて、長い足を組みながらいう。
「言いつけたなんて、言うもんじゃないよ。陸子さんは、おまえたちの大切な人なんだから」
「うん。そうだね。俺たち、みんな、おばちゃんに育ててもらったんだもんね」
「じいを恨んでいるかい」
鷹彦は俯いた。なんと答えていいかわからない。恨んでいるさ、といえたらいいのに。でも、ほんとうに恨んでいるのは千住の両親だった。
「許しておくれ。鷹彦や。悲しいめにあわせてしまったね」
広くて薄暗い部屋に儀衛門のしわがれた声が沁みていく。鷹彦は、きゅっと眉を寄せた。
「親父はなんで、そんなに多額の借金をしたんだ。自分で返せないほどの金を」
「寛臣氏が悪いんじゃないよ。寛臣氏は、遺産として借金も受け継いでしまっただけなんだよ。有能な人だけに、気の毒だった。でも、今はアートギャラリーのほかにも会社を経営して成功しているだろう? 彼には能力を発揮できるチャンスが必要だったんだ」
鷹彦には儀衛門を追及することができなかった。峰彦から聞かされた話と、儀衛門が話すことは正反対のような気がしたが、どちらが正しいかを判断することを心が拒否していた。兄も好きだ。儀衛門も好きだ。どちらも大切だ。どうしたらいいんだ。
「鷹彦や。教習料金のことを陸子さんに話しておくから呼んで来ておくれ」
「うん」
難問から解放されたように眉間を開いて立ち上がった。そのまま部屋を出て行く。入れ替わりに陸子が入ってきた。
「そこに座りなさい」
机の前の椅子を示されて、陸子はおとなしく坐った。
「鷹彦がバイクの免許を取りたいそうだ。教習料金を払ってやって、バイクを欲しがったらバイク代も出してやっておくれ」
「はい」
「それとね。鷹彦が小遣いを無心してきたら、そのつど出してやってくれないか」
「よろしんですか。心配です。高校生が夜遅くまで外をうろついているんですよ。悪いお友だちと付き合っているんだと思うんです。お金をわたしたら」
「まあまあ、陸子さん。人というものはね、誰かしら甘えられる人が必要なんだよ。誰にも甘えられず追いつめられたら、自暴自棄になって、だめになってしまうよ。甘やかすのではなく安全弁だ。その安全弁に、陸子さんがなってやってくれないかね」
「大旦那様」
「お母さん代わりの陸子さんにしか、頼めないんだよ。厳しい役回りは峰彦がするだろう。峰彦は損な子だ。かわいそうな子だよ」
陸子は黙って頷いた。儀衛門のことだ。なにか考えがあるのだろう。その儀衛門がいうのだから、そのとおりにしようとおもった。鷹彦のことはそれでいいとして、陸子はまほろのことも心配だった。
付き合っていた男性から受けたDVが心の傷になっていないか、陸子はそれを案じていた。なんでも話してくれればいいのに、いつのまにか、まほろは陸子に話しをしなくなっていた。それが寂しく、悲しかった。いつまでたってもまほろにとっては、世話をしてくれるおばちゃんなのだ。
「大旦那様。まほろさまのことなのですが」
「まほろか」
儀衛門は、ふうと肩から力を抜いた。
「陸子さん。まほろのことは顕人に任せてあるんだよ。顕人が親なのでね」
「若旦那様ですか」
「うん。まほろがDVにあっていたと知って、そうとう怒っていたな。世間に出して危ない目にあうくらいなら、家に置いておくほうが安全だと親バカを言っていたよ。世間の風に当てなくて、どうやっておとなになっていくというんだね」
「申し訳ありません。わたしが不注意だったんです」
「だから、そのことはもういいんだ。就職に全部失敗してしまったが、顕人はかえって喜んでいるよ」
「そうですか」
「三年たてば鷹彦は二十歳だ。まほろと結婚させる」
「早いのでは。二十歳なんて、そんな」
「いや。二十年待てば十分だ。私が生きているうちに夢を叶える」
「大旦那様……」
儀衛門の夢のための結婚。そんな結婚が二人にとって幸せな結婚生活に結び付くのだろうか。老人の妄執に付き合わされるまほろと鷹彦はどんな気持ちでいるのだろう。もし自分が、まほろの母だったら、まほろのために儀衛門に反対できただろうか。まほろの人生を、鷹彦の人生を、それぞれの自由に任せてやることはできないのだろうか。陸子は、儀衛門の執念のまえに、結局何もいうことができなかった。
鷹彦は鬱々とした日々を紛らすように、下地とバイクに乗って走り回っていた。勉強にも身が入らず、水泳もやめてしまっていた。三年に進級して、周りが受験組と就職組に分かれて、それぞれの進路に向かって集中しているさなか、鷹彦だけが枠から外れて中途半端のまま、年の瀬を迎えていた。
「下地、おまえ、大学はどうするんだよ」
台場海浜公園の駐車場にバイクをとめて、鷹彦は隣の下地に声をかけた。十二月の夜風はダウンジャケットでさえ防ぐことができずに肌に染みてくる。下地はヘルメットを取って海風に顔を向けながら寒そうに顔をしかめた。
「おまえこそ、どうするんだよ。センター試験は来月だぞ。だいじょうぶなのかよ」
問い返されて、鷹彦は照明に彩られたレインボーブリッジと、その向こうの芝浦に広がっているビル群を眺めた。黒い海に照りかえる都市の明かりが、砲台跡と横に伸びた“鳥の島”の形を浮かびあがらせている。物悲しくも美しい眺めだった。
「俺、大学行くのやめようかな」
鷹彦の呟きに下地が小さく笑った。
「行きたくても、今のおまえの学力じゃ、受かんないって。進学校に入っておきながら、真面目に勉強したのは二年間だけで、最後の一年は捨てちまったんだから」
「それを言うなら下地だってそうじゃないか。あ、そうか。おまえはお袋さんのスナックを手伝うのか。いいよな、当てがあるやつは」
「やらねえよ。スナックなんて。俺は高校を卒業したら漁師になるんだ」
「漁師。おまえが」
「おう。俺は、沖縄に帰って、親父の船に乗るんだ」
「親父さんて、沖縄で漁師をしているのか」
「そうだよ。再婚して子供もいるけど、親の片割れにかわりはないからな。俺は来春高校を卒業したら沖縄に帰るつもりだ」
「沖縄は基地が危ないだろ」
「でも、俺は沖縄が好きなんだ。いいぞ、沖縄は。働き口さえあれば、あんなにいいところはないさあ」
「いいよな。下地は。親がいて」
バイクをおりて海のほうに歩きはじめる。
「でもさ、親父さん、再婚して家庭を持ってるんだろ。そんなとこに入って行けるのか」
「なんくるないさあ。頑張って仕事覚えて給料もらって、そしたらアパートでも借りるさ。ちょっとのあいだだけ、めどが立つまで、助けてもらうさあ」
「そうなんだ」
「俺と一緒に沖縄行くか」
「漁師はちょっと。きつそうだし」
「あはは。千住には無理だよな。それぞれ、居場所ってもんがあるからな」
「居場所かあ」
波の音がすぐ近くでしていた。塩の匂いも絡みついてくる。
「下地が帰る沖縄の海は、埋め立てられた東京湾の海とちがって、きれいなんだろうな」
鷹彦の呟きは、真冬の夜風にさらわれて消えていった。
帰って来た、とまほろは階段の下に腰かけて耳をすませた。鷹彦のバイクが玄関の前をまわって勝手口のほうの車庫に入っていく。時刻をみると二十三時をまわっていた。
鷹彦の生活が乱れていた。こんなことでは来月のセンター試験さえまともにできないだろう。受験を放棄したとしかおもえない。
玄関の物音に耳を澄ませていると、ドアが開いて鷹彦が寒そうに入ってきた。スニーカーを脱いでいると、峰彦の部屋のドアが開く音がした。まほろは壁に隠れるように身を寄せた。峰彦が足早に玄関に行った。
「こんな時間まで、どこをほっつき歩いていたんだ。誰となにをしていた」
頭ごなしの叱責に鷹彦の顔が歪んだ。峰彦の脇をすり抜けようとする。その腕を峰彦が掴んだ。
「おまえがこんなに情けないやつだとは思わなかったぞ。いつまで拗ねて我儘しているつもりだ。受験は目の前だぞ。しっかりしろ」
「うるせえ!」
峰彦の手を乱暴に払って睨み付ける。峰彦も強い視線で睨み返した。
「鷹彦。立ち止まるな。前進しろ。それしか自分を保てる方法はないんだ。大学に行って、就職して、力をつけて、それからどうするかを考えろ。蒔江田に縛られるな。千住に帰ってもいいんだぞ。まほろとの結婚なんか、あんなもの破棄すればいい。だいじなのは、おまえがどうしたいかなんだ」
陸子の部屋の戸がわずかに開いた。寝間着姿の陸子が、電気を消した部屋でひっそりと玄関の声に耳を澄ませた。
峰彦さまのいまの言葉は、まほろさまをひどく傷つけたことだろうと陸子は胸を押さえた。まほろさまは、鷹彦さまに対して臆病になっている。言いたいことがたくさんあるのに、言えないでいる。心配も怒りも、どっさり抱え込んでいるのに、変わってしまった鷹彦さまに、正面からぶつかることができないでいる。反撃され、攻撃されるのが怖いのだ。
陸子には、それが手に取るようにわかった。陸子自身がそうだったからだ。
「兄貴こそ、ごちゃごちゃ言わずに千住に帰れよ。この屋敷は、やがては俺のものになるんだ。兄貴こそ、出ていけ」
まほろは我慢できずに飛び出した。睨み合う兄弟の間に割って入って、鷹彦のダウンジャケットの胸を両手で掴んで揺すぶった。
「鷹彦、謝って。峰彦に出て行けなんて言っちゃいけない。峰彦が、どんな思いで今日までタカコを見守ってきたか、わからないの。峰彦こそ、どんなに辛かったか」
「タカコなんて言うな! 子供扱いするな。俺はもう、まほろに甘ったれていたガキじゃないんだ。俺を見ろよ。おまえと結婚する男なんだぞ」
手をもぎ離されてぐいと押された。よろけて峰彦の胸に支えられる。
「俺のことは、ほっといてくれ」
廊下を走って階段をかけあがって行く。まほろは峰彦に向かい合った。
「出て行かないで峰彦。鷹彦とわたしだけにしないで。鷹彦は変わってしまった。どう接していいのかわからないの。わたし一人じゃ、不安なの。ここにいて峰彦」
まほろは峰彦のセーターの腕を必死に掴んでいた。峰彦は、セーター越しに伝わってくるまほろの手の震えを感じていた。いつもまほろはそうだった。いつもこうして僕の服を掴んで離さない。震える手は、まほろの不安の象徴だ。縋りつく相手を見つけて必死で訴えてくる。この子こそ、いつも寂しくて、悲しい思いをしているのかもしれない。
峰彦は、まほろの手をほどくことができなかった。まほろが自分から手を放すまで、峰彦は無言でまほろを見つめていた。
結局鷹彦は、センター試験を放棄して高校を卒業した。アルバイトもせず家にも寄り付かず遊んでばかりいる鷹彦を、まほろはもてあますおもいだった。
遊ぶ金がなくなると帰ってきて陸子に無心する。儀衛門からいわれていたから、陸子は、そのつど欲しいだけ小遣いを渡したが、溢れそうになる小言を喉元で押さえるのが精いっぱいだった。
暖かな日差しが差し込む午後だった。めずらしく顕人は儀衛門の部屋にいた。
「お父さん。鷹彦のこと、どうするつもりなんです。すっかりひねくれてしまって、高校は卒業したものの、夜遊びばかりしているじゃないですか」
こんなことになったのも、みんな儀衛門のせいだと言わんばかりの顕人だった。
仲の良かった下地は、本人が言っていたとおり沖縄に帰ってしまったため、鷹彦は遊ぶ友人を求めて夜の街を流れるようになった。酒の味も覚え、金使いも荒くなった。峰彦が叱れば叱るほど、鷹彦の夜遊びはひどくなった。
陸子はただおろおろするばかりだし、たまに相場が自分を大切にするように諭しても、そのときだけはおとなしく聞いているが無駄だった。
顕人が、そもそもの根源である儀衛門に文句の一つも言いたくなるのも無理はなかった。その儀衛門は、テレビの前でラタンの椅子に寛いで午後のバラエティー番組を見ていた。
「千住氏が峰彦を返してくれとうるさくてねえ」
顕人の話など聞いていなかたように儀衛門がのんびりとそういった。
「では鷹彦を返しましょう。峰彦は私がずっと仕事を教え込んできたんだ。あれは有能です。返すなら鷹彦です」
「なにを言うか。鷹彦はうちの子だ。かえすなら峰彦だ」
「鷹彦は見込みがない。あれはものになりません。峰彦のように、なにがあっても飲み込んで、腹の中で消化して、のし上がっていくよう男でなければ」
「鷹彦はまだ十八だよ。夏に誕生日がきて十九だ。大学を受験しなかったぐらいがなんだね。あの子のことだ。その気になったら、一年で後れを取り返して、いい大学に入ってみせるさ」
「どうしてお父さんは、そんなに鷹彦を信用できるんですかね」
「まほろと結婚させれば落ち着くよ」
「まだそんなことを」
「なんだい。私が今まで、酔狂でこんなことをしてきたと思っているのかい」
「ええ。そのうち飽きるかと思っていましたよ。尋常じゃないですからね。人様の子供を、その子供の人生を、あなたはその手に握って、まほろまで巻き添えにして楽しんできたんだ。これって、人間のすることじゃないですよね」
クスクスと儀衛門が笑い出した。顕人が本心をぶちまけて怒りをあらわにしているというのに、儀衛門は笑うのをやめない。
「顕人や。人というものはね、どんなに金があってもだめなのだよ。成金は尊敬されない。所詮成金と見下されるだけだ。でもね、日本人というのはおかしな民族で、血統や家柄には、不思議と尊敬の念を抱くのだよ。私は、若く、血気盛んな頃にそれを体験したのだ。たかが庄屋の小倅がと、足蹴にされた無念さを、民主主義が滲み込んだ時代に生まれたおまえには、わからないだろうねえ」
また儀衛門はクスクス笑った。だが、皴の中に埋もれそうに細い目は笑ってはいなかった。
若かりしときの、あの時の悔しさ。足で蹴られて地面に転がった時のショックと屈辱。平等であるはずの人なのに、人が人を見下す理不尽。
「いったい、何十年前の話をしてるんですか。時代は変わったんです」
「変わりゃあしないさ。その証拠に、歴史を飾った偉人といわれる人々は、語り継がれていくじゃないか。偉人たちは、民族の誇りだからだよ。今上天皇もその一人だ。天皇家の家系は、西暦六六0年の神武天皇まで遡れるのだよ」
「知ってますよ。それくらい」
「気が遠くなるほど昔じゃないか。すごいねえ」
「だから、それがなんです」
「知ってるかい。墓は三代で絶えるという俗説を」
「なにを言いたいんだか」
「平民が代々家系を繋いでいくのは昔ならいざ知らず、現代では難しい。しかし、天皇家は六六〇年も家系を繋いできたのだよ。ただそれだけで、天皇は国民から無意識の尊敬を受けているのだよ」
「それは天皇の話でしょう。それに、家系がなんだというんです。そんなにありがたがるような代物でもないでしょ」
儀衛門は椅子から立ち上がって机に歩いて行き、引き出しからファイルを取って顕人にわたした。
「千住家の家系図だよ」
手に取って、顕人は見開きをめくった。ぐっと声が漏れて目が大きくなる。
「これは」
「すごいだろう。私はどうしても、この血がほしかったのだよ」
顕人は千住家の家系図から目が離せなかった。かつては借金まみれの泥まみれでも、まぎれもない純金だった。
「峰彦は優秀だろう? おまえが惚れ込むくらいなんだからねえ」
また儀衛門がクスクス笑った。顕人は笑えなかった。峰彦に対する崇拝の念が全身に走りめぐった。高貴な血だった。天皇家ともつながっている血筋に顕人は、儀衛門が言ったことを理解した。自分たち雑魚とは違う、高貴な血。
そういえば千住寛臣は、困窮のさなかにあっても品位を損なうことはなった。妻の美苑は凡人だったが、寛臣は古びた背広に身を包んでいても毅然と頭を上げていた。
それが先祖から受け継いだ誇りなのだろうかと顕人はおもった。儀衛門が千住に執着する気持ちがわかりかけてきた。だが、それとは別に、峰彦、鷹彦、まほろの三人の若者たちの行く末に思いを馳せた。
このままでいいのか。父は十分に自分のやりたいようにやったのではないか。三人を解放してもいいのではないか。自由に自分の人生を歩ませてやってもいいのではないか。
顕人は、悩ましい顔つきで千住家の家系図を閉じた。
「お父さん。私は初めて、峰彦と鷹彦とまほろがかわいそうになりましたよ。やはり三人は、お父さんの犠牲者です」
悲しそうな顕人の視線を受け止める儀衛門は、どこまでも静かだった。




