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‘あ・り・す’  作者: みやしん
■Channel 1 Shamash:
9/52

■Scene 8 旅立【Departure】

〈逢えると信じること、逢うために努力すること〉

 母親にそう励まされた華蓮だったが自分が何をするべきか明確に掴んだ訳ではない。

 ここ数日で発生した不思議の全てを瞬時に解き明かせるとはとても思えないし、その糸口を見つけることすら困難に思えた。

 大きなヒントになるのは水晶。公園で自分たちを襲った男たちが狙っていた物、そしてそれにまつわる不思議。

 全てはプールの中で見つけた蒼い水晶が関係していると思って間違いないだろう。

 しかしその水晶も池の中で砕けてしまった。今では涙の形をした破片が一つ残っているだけである。

 華蓮はその水晶を持って幹ヶ原池を訪れた。

 母親が部屋に置いていったグラタンを食べ、一息入れてから……時間は夜八時を回っていた。

 警察の捜索も終わっており、池にも水が張られ水面は木々や満月を照り込んでいる。

 剛史が男を抱え池に飛び込んだ位置に立って水面を見た。

 昨日の出来事など想像できないほど静かな池。わずかな風によってできる波紋。手の中の水晶にも何の反応もない。

〈……ここには何もないのね〉

 直感でそう感じるのだろう。剛史はここで消えたがここで待っていても現れない。自分が居てもなにもならない。

 華蓮は別の所へと池に背を向けた。

 出口に向かう途中雨宿り代わりに使った大きな桜の木の下に、一人の女の子が居るのを見つけた。

 歳の頃なら一〇才ほどだろうか。たった一人でぽつんと立ってどこかを見ていた。

 華蓮は無意識のうちにその女の子に近づいていた。

 気配は消していないし辺りもそこまで暗くない。華蓮がすぐ側まで近づいても女の子は視線を変えなかった。

「何を見ているの?」

 華蓮が声をかけても女の子の反応は無い。ところが。

『お空を見てるの』

 なぜかこの場面が脳裏に浮かぶ。その直後女の子はわずかに華蓮の顔を見た。

「……お空を見てるの」

〈これって既視感ってのかな〉

 どこか不思議な感覚に華蓮の身体は小さく震えた。

 女の子は腰ぐらいまでありそうな長さの髪を両耳の上でシニヨンにまとめており、色とりどりのビーズの飾りが付いている。

 黒くとても艶のある髪は夜にも関わらず、月光を反射して天使の輪が綺麗に浮かんでいる。大きな瞳はほんの一瞬だけ華蓮に向いたが今はじっと上を見ていた。

「こんな時間に一人で居たらお巡りさんに怒られちゃうわよ」

「ママを待っているの。もう少ししたら迎えに来てくれるんだ」

「そう……」

「お姉ちゃん」

 女の子は華蓮の方を向く。改めて正面から見るとまるで人形のような愛くるしい顔立ちをしていた。

「お月さま、きれいね」

 女の子に言われるままに空を見上げる華蓮。

 大きな満月の輝きは夜空を独り占めしているように見える。

「お母さん早く迎えに来てくれるといいね」

「うん!」

 女の子は元気よくうなづいてそしてまた空を見上げた。


  §


 公園を後にして向かったのは慧香高校のプールである。

 すでに下校時間も過ぎており校門もぴったりと閉じられていたが、暑くてクーラーもまともに働かない夜にプールで泳ぐための秘密の入り口がある。

 秘密と言っても、ようは裏門であり鍵はかかっているものの守衛もおらず簡単に乗り越えられる高さだ。毎度忍び込んでいてこの学校のセキュリティはどうなっているのだろうと華蓮は思っていた。

 いつもの要領で学校に入り裏庭を渡り歩いてプールに近づく。

 更衣室の窓から中に忍び込んでプールサイドに抜けると。

 そこに先客が居た。

「よぅ、華蓮も来たのか」

「……栄子」

 スタートブロックに座っていたのは栄子だった。彼女もここの常習犯で一年生の時、いい避暑地があると華蓮をここに誘ったのも栄子だったのである。

 ただ今日は泳ごうとしたのでは無いらしい。ノンスリーブのシャツに短パンから長い足を見せている。

「おまえも泳ぐつもりはないんだな」

 華蓮も水着には着替えていない。袖に刺繍が入っただけの真っ白のブラウスにミニスカートをはいていた。

「なんか……栄子とはいつも一緒になっちゃうね」

「腐れ縁ってのはこんなのを言うのかもしれないな」

 華蓮は栄子の隣のスタートブロックに腰掛ける。

「どうしたの、今日は?」

「暑くてさ、眠れないからここに来たんだ」

「泳がないの?」

「……ここに座っているだけで涼しいからな」

 栄子が言葉を詰まらせている。泳ぎたく無かったと言いたかったのだろう。

 だがそれを言えば華蓮を傷つけることになる。

 栄子も嘘が下手な女の子であった。そして優しさを隠すのも下手である。

 華蓮はスタートブロックの上に立ち上がり、そして水面に向かった。

「おい、その格好で泳ぐんじゃないだろうな」

「まさか……」

 あわてる栄子を尻目に微笑んでみせる。緩やかに波打つ水面、そこに写る自分の姿と木々、そして月を見つめる華蓮。

「どこに行ったんだろう、草薙くん」

 声が震える。栄子は何も言わずに華蓮を見上げた。

「……どうすれば逢えるんだろう」

 手のひらを広げ水晶のかけらを月光にさらす。あの時彼に見せられなかった水晶、今はかけらしかなくそれが光を反射することもない。

〈草薙くん……居場所を教えて、わたしに居場所を教えて!〉

 しかし不思議な声も映像も何も見えなかった。

 華蓮の頬に涙が滑る。彼を思うと自然にあふれる涙。華蓮はそれを拭うことも忘れ水晶を見つめた。

 やがて小さな顎にたまった涙の一滴が、プールの水面に向かって落ちた。

 風に揺れずまっすぐに落ちたそれは、小さな小さな音とともに小さな小さな王冠を作った。

 しかし……

 クラウンはそのまま波紋となり、少しずつ直径を大きくしていく。壁にぶつかっては反射し波を高くしそれを繰り返す事に波の数が多くなっていった。

 プール全体の水が震えている振動している。幾重もの波紋はプールの中央に大きな渦を作り上げていった。

「おい、これは一体何だ?」

 栄子も身を乗り出し水面を見つめていた。

 渦の中央が光り出す。そこから真上に一本の青白い光が延びた。

「……水晶が」

 華蓮の手のひらにある水晶がプールの中央の光に同調するように光る。輝きが増して内側からの光に押し出されるように砕けた。

 砕けたそれは風にとばされるようにプールの中央に向かう。砂金のように星のように輝くそれらは、水面の渦とは逆方向に回り空中に大きな輪を作った。

 その輪の中央を貫くように水柱が上がる。

 大きな渦が六本の螺旋になって空を駆け上がっていく。隣り合う螺旋の密度が狭くなり水面一メートルほどの高さに、氷で出来たかのような柱が浮かんでいた。

 その柱も光る輪も輝きながら小さくなっていく。高さ二メートルほどのそれがみるみるうちに三センチほどになり、大きさに反比例して強い光を放った。

 その光りが最高潮に達して爆発した。

 華蓮は思わず目を伏せたが、手のひらに現れた暖かさにまぶたを開くとそこには水晶が一つ乗っていた。

「……華蓮、それは」

「水晶……」

 確かに水晶だ。

 砕けてしまったあの水晶に比べるとより蒼みが増しているが、形も大きさもほぼ同じである。

それは輝くこともやめ彼女の手のひらの上に静かに横たわっていた。

 プールの水面は何事も無かったかのように外界の景色を取り込み非常に穏やかに見えた。

「人魚姫の涙か……」

 栄子の一言で華蓮は母親が教えてくれた事を思い出した。

『人魚姫が満月の晩、岩場の上から流した涙が波と混じり合うと、それが水晶になる』

「……わたしが人魚姫?」

『そうですよ』

 華蓮はとっさに声のする方向を見た。

 そこには一匹のウサギが立っている。右耳が途中で倒れており彼は華蓮を見て笑っていた。

「トール……」

『その水晶は正真正銘あなたの物です』

「お、お、お、おい、華蓮、このウサギしゃべってやがるぞ!」

『失礼な、わたしにはトールという由緒正しき名前があります』

 トールはすっかり腰が引けている栄子に自慢げにそう言って胸を張った。

「トール教えて。この水晶を使えば草薙くんが消えていった場所に行けるの?」

『多分……』

「多分ってどういうこと!」

『‘あ・り・す’様はこの世界以外の構造についての知識をほとんど無くされています。それを説明しても直接あの方が消えた世界に向かう事は出来ないでしょう』

「でも行けるのね!」

『それは……』

『行かせるわけにはまいりません』

 もう一人の男の声。それはプールを挟んで反対側に立っている。

 月光を浴つつフード付きのコートは全ての光を吸収し不自然な暗闇を作っている。

 見えるのはその中に光る碧色の輝く瞳だった。

 華蓮も栄子も、そしてトールもその男を見た。

 草薙剛史を暗黒の渦の中に引き込んだ男。

「……あなたは誰!」

 華蓮の声はその場にある全てを震わせた。

『聞いたとしてもそれを人に語ることはできません』

「今度こそ狙いはわたしなのね」

『……まさか水晶を再生しようとは。もはや手加減は無用ですな』

 男が笑ったように思えた。そして華蓮に右手を差し出した。

 周りの木々がざわめく、枝が数本折れて、まるで矢のように華蓮に向かって飛翔した。

「華蓮!」

 栄子の叫ぶ声、まるでそれに呼応するように華蓮の手の中の水晶が宙に浮かび回転する。

『‘あ・り・す’様、壁と!』

 トールに言われるままに華蓮は叫ぶ。

シールド!」

 それと同時にプールの水面が持ち上がる。幅一メートル厚さ五十センチ高さ二メートルほどの水柱がプールからせり上がり、華蓮に向かって飛んだ枝を受け止めたのだ。

 水柱は枝を飲み込んだままその場に浮かんでいた。

 それが氷でない証拠に取り込まれた枝が中でもがくように回転していた。

『馬鹿な……それでは、これでどうだ!』

 男は両腕を前に突き出した。

 華蓮に向けられた手のひらの中にいくつもの小さな稲光が集約する。

 男の人差し指がひときわ輝き気合いの言葉とともに、視直径で一メートルはありそうな電光が飛んだ。

 トールは無言だ。華蓮の水晶はますます回転速度を増している。

 水柱が男に向かって移動し光を受け止めようとする。

 だが電光の勢いが強いのか水柱は砕け散って飛散した。

 フードの奥の闇の表情が笑う。だが。

“鏡と”

ミラー!」

 どこからか響いた女性の声に答えるように華蓮がつぶやく。

 すると飛散した水が彼女の右手の前で集まり円形の盾のような形になる。

『シールドはもう利かない!』

 男の叫び、しかし円形の盾は空中で凍り付き凹面鏡になっていたのだ。

 電光を全体で受け止めそれを百八十度反射する。光は大きさとスピードを増し男に向かって飛んだ。

 男の叫び声が聞こえる、光の渦は男を包んだ。

 華蓮がゆっくりと手をおろすと目の前の氷の鏡はすぐさま消え、電光を全身に浴びてしゃがみ込む男の姿があった。

「答えなさい……草薙くんをどこにやったの!」

『……まさか、貴様』

「草薙くんを返しなさい!」

 スタートブロックから踏み込む華蓮、彼女の手の中に戻った水晶がより輝いた。

『愚か者が!』

 まるで雷のような老女の声、頭の中に直接響くそれにそこにいた全員は身体を震わせた。

『覚醒したネボにおまえごときが勝てると思っているのか!』

『‘あ・り・す’様!』

『早々に引き上げよ、体勢を立て直せ!』

『はっ!』

 男はおびえるようによろよろと立ち上がると天を仰いだ。

 一瞬、華蓮の目の前がフラッシュアウトする。

 轟音と振動がそれに続き稲妻のような閃光がプールの中、男の側に落ちたのだ。

 そこに出来たのは真っ黒な渦、男はその中に飛び込んだ。

「やろう、また逃げたぞ!」

 栄子が叫ぶ。だが華蓮はその黒い渦をじっと見ていた。

〈それが運命の人であれば、必ずもう一度巡り逢える……〉

「トール、わたしこの穴に入ってあの男を追うわ」

「華蓮!」

『‘あ・り・す’様』

「だって……草薙くんはわたしの……」

 華蓮がつぶやくそばから黒い渦は小さくなっていく。彼女は栄子を見た。

「旅行には行けないかもしれない。ごめんね」

「……必ず草薙を取り返してこいよ」

 うなづく華蓮。強がりの微笑みを見せた。

「それに勝負は栄子が勝ったままだもんね」

「ああ、あたしに勝ち逃げさせるなよ!」

『‘あ・り・す’様』

 華蓮はトールを見た。

『See you again in the world that you face.(この次にあなたが向かう世界でまたお逢いしましょう)』

「うん!」

 華蓮は再度水面を見る。黒い渦はほぼ消えかけていた。

 プールサイドを走る男が居た位置まで走り、そこから渦に向けて飛び込んだ。

 目の前の全ての風景が消えた。


  §


 不思議な光景だった。

 飛び込んだのは黒い渦だったのに、その中は柔らかい蒼色で息も苦しくなく身体にかかる水圧もない。

 手足を動かそうとすると抵抗感があるので自分を取り巻いているのは水だと思うのだが、それにしては視界がはっきりしすぎていた。

〈どこまで落ちるんだろう?〉

 体感時間で有ればもう五分以上下降している。しかし底に到着する様子もない。

 肺の酸素は出し尽くしていないから自然に沈まないはずだ。自分を取り囲んでいるのは比重が低い水なのか。

 このまま自分はどこに向かうのだろう。

 手のひらの中の水晶はうすぼんやりと輝いており、その光が自分を取り囲んでいた。

〈このまま……沈んでいくばっかりだったり〉

 そんな事を考えた華蓮だがある異変に気が付いた。

 自分が吐き出した気泡、それが下に向かっている。

〈そんな、空気より軽い水なんて……違う、わたしは沈んでいるのではなくて浮かんでいるのね〉

 それに気がついたとたん、自分の周りの世界が逆転する。

 今まで上だった面が下になり、底だと思っていたところは水面になる。

 遥か上に光が見える。点のような白い明かりが見える。

〈あれがゴールね〉

 華蓮は手をかき足を蹴った。身体中にまとわりつく水を流しまっすぐ上に向かって。

 どんどん大きくなる白い輝き、手を伸ばせば届きそうな距離にそれが近づいてその中に手を差し込んだ。その勢いのまま浮上する。

 上半身に風を受ける。

 彼女の周りを取り囲んでいた水の感触が無くなった。もともと水圧を感じていなかったせいか今だ水中にいるようだった。

 だが風景が違う。

 思い切って立ち上がってみた。

 今まで底なしを思わせたのに足の裏は確かに水の底を掴んでおり、ゆっくり身体を起こすと深さは膝ぐらいである。

 改めて自分が足を浸している場所をみると、岩場の中の清水がたまった池のようだった。両手を広げた程度の面積、ごつごつした岩の向こうには木々が茂っている。

〈風が吹いている〉

 水の中とは全く違う感触。彼女の顔をなでていく風。

 見たことも無いような風景だ。まったく手つかずの自然というのだろうか、そこにあるものは自らの意志を持つように存在感を示していた。

 その中で、たったひとつ見慣れたそれが華蓮の目に飛び込んできた。

 自分に向かい笑う二本足で立つウサギ。その右の耳が途中でたれていた。

「トール……」

 ウサギは華蓮の問いかけにこう答えた。

「Welcome to Wonderland,My master 'A・L・I・C・E'.」

       (不思議の国へようこそ、‘あ・り・す’様)


■ Channel 2 Nebo:

■Scene 9 神殿【Shrine】に続く


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