■Scene 48 幻影【Illusion】
一種幻想的な光景だった。
空中に浮かぶ男女。
一人は堅く目を閉じた少女。長い髪が重力に逆らいふわふわと浮かんでいた。
もう一人は甲冑を身につけた戦士。彼は自分の背丈ほどもある巨大な剣を少女の胸に突き刺していたのだ。
少女……華蓮の背中は大きくのけぞり、そして微動だにしなかった。
それはかつてハルワタートが最期を迎えたときと同じ状況である。
「タルウィ……」
無音の空間に音を発したのはエーコだった。
彼女はヴァ・ルオラを投げ捨て二人の近くに駆け寄った。
「姫を、姫を!」
そこに甲高い笑い声が響く。
「どうやら‘あ・り・す’の伝説が完成したようね」
華恋の声だった。
「これが『混沌の‘あ・り・す’』の最期よ。これで世界は消えることはないわ!」
「……なに?」
「もっと喜んだらどう? あなたなんて亜理寿の前では何の権利もない存在なのだから……でも、タルウィはあなたの存在を守ってくれたのよ」
エーコは唇をかみしめた。
「さあ、もうすぐこの空間は無くなりみんな元の世界に戻るのよ。『平定の‘あ・り・す’』が勝ったのだから!」
そう高らかに勝利宣言したのだが……
一向にその閉鎖空間が消える様子は無かった。エーコも華恋も、そして目の前の二人もそのまま、そこに居続けたのだ。
エーコはただ華蓮の姿を見ている。
だが、華恋は進展しない事態にだんだんと焦りを感じていた。
「……どういう事?」
彼女は誰かに語りかけるように両手を広げていた。
「どうしてこの空間が消えないの! もう決着は付いたでしょう、どうして!」
どうやらその原因があの二人にあると感じた華恋は、視線をそちらに向けた。
「……答えなさいタルウィ、ネボの‘あ・り・す’が死んでいる事を!」
しかし返答はない。
「答えなさい!」
だがタルウィもぴくりとも動かなかった。
じれた華恋はエーコと同じように二人に近づいたのだが、そのときタルウィの唇が動いた。
すぐさま微笑んだ華恋だったが。
「……ああ、ええとさ」
タルウィの口調にすぐに驚きの表情を作っていた。
「俺の気持ちと言われてもその……」
「いいわよ、期待して無かったから」
今度はタルウィの前で胸を貫かれている華蓮がその言葉を発したのだ。
「ば、馬鹿な!」
驚く華恋、だが、彼女を無視して二人は会話していた。
「なんだよ、そっちから聞いておいてそういう態度はないだろう?」
「まあ、草薙くんはあっちこっちでモテモテだからー。女の子には苦労していないでしょうけどねえこのリア充。滅べばいいのよ」
「知らねえよそんなこと。俺がいつモテたって言うんだ」
「ふーん、それを女子のわたしに言わせるわけ。鈍感はヒーローの特権だって百合姉ぇが言っていたけど、身近に居るとIRAつくしむかつくわ」
「……姫」
あまりの事に驚いているのはエーコも一緒だった。
間近に見ても、タルウィのラグナロクは華蓮の身体を貫通し背中から巨大な剣が突き抜けているのに。当の二人は低次元の口げんかを繰り広げていた。
これが栄子や和美であればいつものことと思う場面である。
それに答えるようにタルウィは……いや、草薙剛史はラグナロクを引き抜いて見せたのだ。
華蓮の背中に傷は無かった。ドゥルジの婚約の証も無傷である。
「……跳躍剣って言うんだよ。タルウィの剣技とこのラグナロクって剣があればできる技だってさ」
「そう言う事なの……」
うなづいたのは華恋である。
「切ろうと思えば何でも切れるけど逆に切る意志がなけれな何にも切れず、どんなものでも剣そのものを跳躍できる……便利だよな。まあ、美咲の胸板も薄いから跳躍も簡単だったぜ」
「今のセクハラよ!」
ぷっと頬をふくらませる華蓮に笑っている剛史……あの二人に戻っていた。
それとついでに剛史の服装もこの世界に連れ込まれたときの、慧香高校の夏服に変わっていたのだ。
そんな剛史に華蓮は婚約の証を手渡した。
「……そうか、ドゥルジは死んだんだ」
緑色の布を見て剛史は寂しそうに言った。
「うん……でもホントに感謝していた。そしてうれしそうだった。だから……少し嫉妬しちゃった」
「でも、覚えていないんだ」
「ダメだよそんな事言っちゃ。忘れるなんて絶対ダメだよ!」
華蓮の声に剛史は大きくうなづいた。
「忘れるもんか、あんなナイスバディな姉ちゃん」
「……それって嫌み? そう思うなら西村さんに言ってあげればかなり喜ぶわよ」
「どどどうして和美が出てくるんだよ」
「どーせドゥルジの鎧姿を見て西村さんにも着せてみたいとか思ってたんでしょ」
真っ赤になる剛史。図星だったらしい。
「……スケベ」
「お、俺はだな、デッサンに丁度良いと思ってだな!」
そんな二人のやりとりを華恋は納得できないでいた。
何度もかぶりを振り目の前で起きたことを否定しようとする。
「でも、どうして?」
「……よく判らないが、俺も美咲と考えが同じだからかな」
「考え?」
「コイツと手も握れない世界なんてつまんないと思うからさ」
「草薙くん……」
「だから俺も亜理寿を起こしに行こうと思う」
「なぜ? ……この世界が無くなってしまうのよ? あなたたちは怖くないの?」
そう問いかけられまずエーコは華蓮を見た。
次に剛史も華蓮を見た。
二人に見つめられ、次が無い彼女は仕方なしに大きくうなづいた。
「失敗を気にしていたら先に進めないでしょ」
どうせその程度の答えなのだろうと思っていたのか、エーコと剛史は顔を見合わせて肩を落として、そして微笑んでいた。
「答えになっていないわ!」
だが華恋は収まりがつかない。そんな彼女に華蓮は話を続けた。
「ではわたしからあなたに質問するわ。亜理寿を起こすと必ずわたしたちは消えるのかしら?」
「まだ理解していないと言うの。この世界は亜理寿の夢の中だと。夢から目覚めたらそれは消えてしまうわ」
「今までそれを実証した人は居る?」
「居るわけないでしょう。それが『最期の選択』なのだから」
「と言うことは亜理寿が目覚めても世界が消えないこともあり得るわね。消えることが可能性なら消えないことにも可能性があるわ」
あまりにあっけらかんと言う華蓮に華恋は呆けるだけだ。
「わたしは消えない確率に賭ける」
「それがほとんどゼロに近い確率でも」
「ゼロで無ければ充分よ」
そして強くうなづく華蓮。
「わたしは……わたしは納得できないわ!」
華恋は黒い水晶を取り出し、それを自分の目の前にふわりと浮かべた。
「絶対に、絶対に亜理寿は起こさせない!」
「やべえ、あいつ自分の水晶を壊すつもりだぞ!」
「姫、止めないと!」
剛史とエーコにそう言われても、とっさに何かできる訳でもない。
ただ、ネボに立ち寄ったときの事を思い出し、あの頼みを実践してみようと思った。
自分の白い水晶に両手を重ねそして願ってみる。
華恋は黒の水晶から全てのエネルギーを放出しようとしていた。
呪文を唱える時間はほんおわずか、右手の人差し指を水晶に伸ばした。
だが、その水晶を横取りした人物がいるのだ。
華恋の目の前にマナフが立っていた。
「……マナフ」
驚いたのはエーコである。マナフはその声に答えて振り返って笑って見せたようだが、相変わらず両目が前髪に隠れてよく見えない。
「衛兵長、意識が戻ったんですね。よかった……」
「何者だ、どうしてわたしの水晶を取り上げる!」
華恋の主張はもっともだと彼を召喚した華蓮本人も思った。
だが、マナフに今までの頼りなさはない。
「……もうやめよう、アンラ・マンユ」
「何ですって?」
「君だってホントは亜理寿を起こしたいんだ」
「……あなたみたいなネボの一兵卒に言われる筋合いではないわ! あなた何者!」
「俺は……アエーシュマだよ」
驚き目を見開く華恋。
だがその名前は華蓮も一回聞いたことがあった。確かどこかで……その様子はマナフにも判ったのかもしれない。
「ネルガルのタローマティの兄……そう言ったら判るかな?」
「ああ、思い出した!」
「さらに……アンラ・マンユの胸に剣を突き刺した男なんだ……」
「でも、タローマティは‘あ・り・す’があなたを殺したと」
「本当は……俺が彼女を殺したんだよ。とは言っても手すら繋げない自分の境遇に嘆いた彼女が、自分の胸を突いて死のうとしたのを助けられなかったんだけどね」
「やめて!」
華恋は叫びその場にうずくまった。
それを見て華蓮が小首を傾げるのだ。
「そう、やっぱり……あなたが前回の『混沌の‘あ・り・す’』なんでしょ」
「……そうよ」
「たぶんネルガルでマナフ……じゃなくてアエーシュマを好きになったけど‘あ・り・す’の伝説と掟に逆らって亜理寿と戦って負けた」
「違うわ……戦うのが怖かったの。この世界が消えてしまうのが、怖かったの!」
「それで」マナフ=アエーシュマである。
「俺はタルウィ同様、別の世界にとばされたんだよ。着いた先はネボだったけど」
「でもね」
華蓮である。
「タローマティのお兄さんってタルウィにそっくりだったんじゃないの?」
「別世界にとばされたときに俺は容姿が変わってしまった。おまけに記憶も封印されていた。亜理寿に何か迷いがあったんだろ?」
「ふーん。草薙くんは変わらなくて良かったわね」
「どういう意味だよ」
何となく褒められたのかけなされたのか判らない剛史である。
華蓮はそんな彼を掘って置いて華恋に近づくと手をさしのべた。
「そう言うことなら話は早いわ。さあ、行きましょう」
「どこへ?」
「亜理寿のところ。みんなで彼女を起こすのよ」
まだ華恋は不安そうな顔をしている。
「あなただって好きな人の手を握りたいんでしょ。だったら一緒に行く権利はあるし、わたしも助けて欲しいから」
華恋は震える手をゆっくりと伸ばす、華蓮はその手をしっかりと握りなおした。
「……亜理寿。いま、あなたのところに行くわ!」
“どうしても来るの?"
女の子の声で返事が返ってくる。
どことなく怒気をはらんだ声だが、華蓮は臆することなく叫んだ。
「もちろん……そろそろ良い子は起きる時間よ!」
“判ったわ……いらっしゃい"
その声とともに華蓮たちの足下に大きな穴が開いた。
そこに居た華蓮とエーコ、剛史とマナフ、それに華恋はゆっくりと穴の中に落ちていった。
■Scene 49 母親【Mother】に続く




