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‘あ・り・す’  作者: みやしん
■Channel 6 Sin:
44/52

■Scene 43 放浪【Roaming】

 体力にはそれなりに自信があり、最近すっかり神経も太くなったと自覚する華蓮だが、今日一日はまさにフルマラソンと神経衰弱を同時にこなしたかのように疲れていた。

 参考までに……華蓮は慧香高校マラソン大会で女子部第三位の実力者である。

 距離は一五キロ。町内を数周と言ったところだ。

 今日歩いた距離はそれほどでは無いにしろ、駅前のベンチに座って大きくため息をついていた。

 そして今日を振り返ってみる。

 はじめ「恵夏」をどう発音して良いものか困ったが、うまい具合に近所の案内地図にローマ字で『Keika』と書かれていた。

 読み方そのものは慧香町と変わらない事が判った。

 もちろんそんな名前の街は聞いたことも無かった。

 ただ、県がおなじ事、道路標識や住所の案内板がきちんとした日本語で書かれていたことから、国内で慧香町と同一県なのは判る。

 日付は一二月一九日。平日である。

 時刻は正午過ぎ。どちらも公園に設置してあったデジタル時計がそう表していた。

 スマートホンがあればいろいろと情報を収集したいところだがどこにもない。家の鍵もふくめて、いくつかの鍵をまとめたサイフは持っており、ファミリーレストランで三食食べる程度の貨幣と硬貨が入っていた。

 一二月に寒いと言うことは日本と言うことだ。ならばやはりシャマシュなのだろうか。

 そう思って公園の中に起きっぱなしのトールに聞いてみたものの応答がない。

 人気のない公園の中とは言え、高校生の女の子がぬいぐるみに真剣に語りかける構図はあまり良くない。

 自ら役立たずになるとはこのことかもしれない。

 ともかく街を散策してみよう、何か手がかりが掴めるかもしれない……とりあえずコートの中にトールを押し込み公園をでると南下した。

 女の子と言え素手にウサギのぬいぐるみをぶら下げて街中をあるけば、悪い方向に目立つだろう。

 公園を出てすぐ通りを歩いていると大きな敷地と建物が見えてきた。

 どうやら学校のようだ。校門の看板を見ると『恵夏学園』と書かれている。

〈やっぱり公園の近くに学校ができるものなのかしら〉

 ちょうどお昼休みということで校庭からは学生の声が聞こえてくる。

 半分ほど開いた校門から中を覗こうとしていると、

「そこの君! もしかしてこの学校に何か用事か!」

 何ともすさまじい大声が聞こえてくる。

 反射的に耳を塞ぎそうになったのはその声と音量に聞き覚えがあったからだ。

 華蓮がおそるおそるその声の主を見ると……

 悲鳴を上げなかった自分はエライと思う。予想通りそこに立っていたのは慧香高校生徒会副会長、兵藤晃の顔だったのだが首から下に問題がある。

 この寒空の下、身につけていたのはアマチュアレスリングのユニフォームだけ。無駄に体格が良いために全身の筋肉線がよく目立つ。

 あえて視線はへそより下に下げないようにした。

「うむ、その困惑した表情。もしかしたら道に迷ったのかね」

〈違うわよ、あなたの格好に驚いているだけよ〉

「それならば大丈夫! この武藤明がきちんと道案内を……」

 明はそう言ってレスリングの構えをしながらにじり寄ってクル。まさしく逮捕レベルの変態だ。

 とそこで数人のブレザー姿の男子生徒が躍り出ると明を背後から捕縛する。

「副会長、いけませんよそんな姿で学校をでては!」

「さあさあ、すぐに戻って下さい。通報されますよ」

「ぬう、放せ。俺は彼女を適切に道案内せねばならぬのだ!」

「道案内する前に、副会長が人の道を外れてどうしますか!」

 その後男子生徒たちは明の身体を持ち上げ学校の中に引きずり込んでいく。

 華蓮はそのどさくさにまぎれ、校門の前から立ち去った。

〈何だったんだろうあの人〉

 兵藤晃と同様、根は悪くないのだと思う。ただその表現方法にいろいろと誤りがあるのだろう。

 そう重いながら歩いていると……目の前に居る後ろ姿は、

「栄子!」

 華蓮はそう大声で叫んでいた。

 呼ばれた相手もくるっと振り返ってこちらを見ている。

「やっぱり栄子だ、どうしたの……」

 こんなところでと言おうと思ったのだが、彼女の制服のデザインが違う。

 セーラー服である。

 比較的ポピュラーな、学園物のドラマで出てくる典型的なセーラー服の冬服だった。

 ただそれを着ているのが栄子だったために、非常に似合っておらず、また見方を変えれば怖いぐらい似合っていた。

 スカート丈が短いのである。短いと言っても膝丈なので多分この学園の標準の物だと思うのだが、それが何となく栄子に似合っていない。

 しかしそれを足首に届きそうな長さに変えてみると、ステロなスケ番に見えないこともない。

 なんと言っても顔つきとか髪とか腰回りとか背丈とか、つまりようするに服装以外は栄子そのものだった。

 その栄子が華蓮を見てぽつりと言った。

「……あんた誰だい?」

 何となく予想されたリアクションなのだが一応確認のために、

「ええと、慧香高校の美咲華蓮だけど……」

「恵夏高校? うちの学校かい? でも制服が違うみたいだけど……あたしは恵夏学園の北山映子っていうんだ」

「あ、ああ……そうなんだ」

「でもあたしの名前知ってたよな、なんかようなのかい?」

 どうも自分の事を本当に知らないようだ。見た目は栄子同様ちょっと怖そうなのだが気のいい女の子らしい。

「ええと……その、友達と待ち合わせてたんだけど、紹介されていた子と容姿が似ていたの」

「そうなのか……偶然だな」

「そ、そうね」

 さすがに華蓮もこの手のトラブルにだいぶ慣れてきたらしい。初対面の相手でも適当に話が続けられるようだ。

「あのね、おまけに道に迷っちゃって。駅はどっちの方向か教えてくれる?」

「駅? 恵夏駅ならこのまままっすぐ道を進んで線路が見えたら左手に曲がってそのまま進めば判るぞ」

「ありがとう、ごめんね」

「おう、気をつけてな」

 と別人の映子はすたすたと学校を通り過ぎて行ってしまった。どうやらサボりらしい。

 そこら辺の行動は栄子と良く似ている。

 それから道案内通りに駅に向う。

 やっぱり知らない私鉄の知らない駅であることを確認し、隣接区には慧香町という街が無いことも調べた。

 ただ、駅前の案内図を見ている限り、この恵夏町そのものはほぼ一般的な日本の街という感じだ。

 それなりに開かれた駅前に駅から離れると住宅地、南下すると海岸が有るらしい。

 何かますますもって怪しく感じるがそれを確かめるすべもない。

〈……とりあえず電車でも乗ってみようかな〉

 何がとりあえずなのか判らないが、華蓮は思った次の瞬間に券売機に向かっていた。


  §


 電車に乗って判ったのは隣町が『西恵夏町』という名前だったこと。

 恵夏町に比べると商業都市化されている。それと電車を降りるときに気がついたのだが、通貨もどうやら同じなようで硬貨は当たり前のように販売機で使用できた。

 西恵夏町は立派な駅ビルがあり案内板を見ると有名なブランド店も入っている。

 駅前はショッピングモールになっていて大手家電量販店に格安衣料用品店、それにカジュアルスーパーマーケットもあった。

 メジャーなハンバーガーチェーンにフライドチキン、大きな書店も軒を並べ人々で賑わっている。

 少し離れたところにはFMラジオのサテライトスタジオもある。

 地方局にしてはそれなりの規模だ。その日も全国的に有名なアイドル歌手が番組の収録に来ているらしく、むさい追っかけが玄関前に陣取っていた。

 しばらく歩いてみるとシティーホテルもあり、さらに足をのばすとわりに大きなお寺と巨大なショッピングセンターがあったりと慧香町に比べると遊ぶポイントが多いことに気が付いた。

 だが、それ以上におかしな事がある。

 恵夏町に戻る電車の中で華蓮は考えていた。

 まずこの電車だ。

 恵夏町が始発はいいとして、次の駅は西恵夏町。その次が、

『大雪のため運行を見合わせています。復旧時期は未定です』

 というつれない看板が一枚ぶら下がっているのだ。

 住人はそれを不思議に思うことなく通り過ぎていく。

 さらに隣町へ続く大通りは行く先々で工事中……ここでは暮れなので道路工事が多いことも納得できるが、車線全部が通行止めは酷すぎないだろうかと思うのだ。

 結局思うように移動ができないために、元居た恵夏町に戻ることにした。

 それから駅を離れてうろうろする。

 あまりコートの中にトールを隠していても、万引きと間違われそうなので紙袋を求めてコンビニを探す。

 するとファミリーストアがあるではないか。

 ついでにここでは季節外れだがハーゲンダッツでも買おうかと飛び込んでみたら、そのカウンターに居た女性が亜美(もしくは由美)にそっくりでアイスを落っことしそうになった。

 ちなみにその女性のネームプレートは「加藤由美」になっており、まさしく「加藤亜美」と「鈴木由美」を足して二で割ったような名前だった。

 やっぱり変だ、なぜ、同じ顔の住人がいて、名前が微妙に違って、自分の事を知らないのか……

 幹ヶ原池公園に比べるとぐっと規模の小さな公園のベンチに腰掛けて、寒空の中アイスを食べていると今まで訪れた世界に居る以上に不安に駆られていた。

 そう、今は一人なのだ。

〈……結局、ここどこなんだろう〉

 もう午後四時を回っている。

 冬は日が暮れるのが早いし夜になったらどうしよう……まさかここで野宿という訳にもいかないし、どこかに泊まれるほどお金を持っていない。

 とりあえず、もう少し歩いてみよう……アイスのカップをゴミ入れに捨てて、華蓮は歩き出した。


  §


 少し歩くと住宅地の真ん中に花屋があった。

 一階が店舗で二階が住宅のようだ。

 入り口にはたぶん、店の名前であろう『雛菊園』という漢字が書かれていたが、そのすぐ下に『当面の間、店をお休みします。まことに申し訳ありません』という綺麗な字の張り紙があった。

 セロテープ以外の部分がやや色あせているところをみると、これを張ってそれなりに日が立っているのかもしれない。

「……あの、何か?」

 ぼんやりとその店を見ていると女の子が声をかけてきた。

 それに答えようと振り向いて奇声をあげなかった自分はエライと華蓮は思った。

 西村和美にそっくりだったのだ。しかも私服だったのであの和美と見分けが付かない。

 しかしここで和美と名前を呼べるほど、彼女と仲が良くなかったのが幸いだった。

「あ、それはその……実は、この花屋なんですけど……」

「ああ、『雛菊園』ですね。そう、ちょっと成瀬さんのお宅の事情で実家の方に帰っているんですよ」

「そうですか……」

「ひょっとして、成瀬さんのお知り合いの方ですか?」

 ナルセ……と聞いて思い浮かぶ名字といえば。

「え、ええ……美雪さんとちょっと」

「そうなんですか、深雪[みゆき]ちゃんのお知り合い……すると前の学校のお友達ですか?」

「そうなんです。一度遊びに来てと言われていたんですけど」

 と話をつなげながら、自分にはこのような才能があるのかと思い始めていた。

 さらに、目の前の女の子が出てきたと思える家の表札をちらりとみる。

「あの、もしかして佐野カズミさん?」

「え? どうして知っているんですか?」

「あ、やっぱり」

「はい、わたしは佐野和実です……ひょっとして深雪ちゃんから聞いていたんですか?」

「ええ、隣の家の女の子がすごく綺麗だって」

「や、やだ……」

 と顔を赤くするところを見ていると、同じ容姿同じ名前でも性格は千差万別だなあと思う。

「……せっかく来たのにお留守なのは残念ですね。もしよかったらわたしの家でお茶でもいかがですか?」

「あ、いえ……この後すぐに戻らないといけないんです。今日は挨拶だけと思ってきたんです」

「そうですか……たぶん、来年の一月には成瀬さん、こちらに戻ると思いますよ」

「判りました、それでは」

 と挨拶しながらその場を去った。

〈ああいう西村さんなら性格も良くていいわね〉

 とか思い歩きながらどうせなら泊めてもらえば良かったかなと後悔した。


  §


〈さてこれからどこに行こうかな〉

 恵夏駅前に戻った華蓮は駅前ロータリーを見ながらぼんやりとしていた。

 時刻は夜六時。冬なのですっかりと日が暮れている。

 そろそろお腹も減ってきたし、どこかで食事で元考えていると、

「そこのあなた。ここでは見ない制服だけどどこの学校かしら」

 背中に投げかけられた声。その口調から警官か補導員だと思うのだがそれ以上にとても聞き覚えのある声だった。

 急ぎくるりと振り返るとそこにあった顔はまさしく美咲三姉妹の長女、蘭である。

 そこで素直に蘭姉ぇと大声を出さなかったのは、彼女が婦人警官の制服を着ていたからだ。

 しかもそれがよく似合っていた。長身で抜群のプロポーション。制服からはみ出しそうな旨のボリュームにややタイトなスカートからのぞくすらりとした足。

〈蘭姉ぇってこういうコスプレ似合いそうだよね〉

 とか思っていると、目の前の蘭が驚きに目を見開いて自分を見ている。

「……か」

〈まさか、わたしを知っているの?〉

 そんな華蓮に蘭がいきなり抱きついた。

「可愛いー!」

 そしてボリュームのある胸に華蓮の頭を抱き込んでぐりぐりする。婦警としては非常に問題のある行動だったが相手が蘭だとすると華蓮にはどこか納得できた。

 美咲家の中で華蓮を一番溺愛しているのは父親の敬一郎と思われがちだが実は長女の蘭なのである。

 華蓮が高校に上がってからはさほどでも無かったが、中学に入るまでは必ず一緒に入浴していたし、小学校の間は華蓮が蘭の抱き枕であった。

 蘭が華蓮をいじめるのもタダ単に気を引きたいだけである。なので家族以外の誰かが華蓮にちょっかいでも出したことが判れば蘭は激怒する。許されているのは栄子くらいだ。

 あまりに溺愛しすぎるために高校に上がると華蓮は個室になったがしばらくは落ち込んで半分鬱状態になったほどだ。

 家族はそれを『華蓮欠乏症』と呼んだ。

 故に蘭のスマートホンの写真フォルダーは華蓮とのツーショットで満載である。彼女の妹自慢は一旦始まると数時間は終わらない。

 蘭に彼氏ができないのも(作らないのも)華蓮を置いて男の世話なんてできるかということらしい。

「ねえねえあなたどこの学校なの? こんな時間にこんなところに居たら危険よ。お姉さんが送ってあげるから名前と住所と電話番号とメールアドレスと生年月日と血液型と身長と体重とスリーサイズにカップと足のサイズと好きなケーキと食べ物と、どんな女の子が好みなのか……」

〈き、危険なのはあなただと思う〉

 そう重いながらも蘭のホールドから抜けることができない。

「先輩!」

 呼吸困難で意識が飛びそうになる耳に、これまた聞き慣れた声が飛び込んでくる。それと蘭の舌打ちする音も聞こえてきた。

「だめですって、いくら好みの女の子が居てもそんなことしては!」

「うるさいわねユリ。わたしはこの道に迷った子ウサギちゃんを保護しただけなんだから」

 解放された華蓮が見た救い主。それは蘭と同じく婦人警官の姿をした美咲三姉妹の次女、百合の姿だった。きちんとメガネも付けた彼女は眉を八の字にして華蓮に頭を下げた。

「ごめんなさい、この人悪気は無いんです」

「い、いえその。大丈夫です、道にも迷っていませんから」

「ホント? ウソ言ったらだめよ。きちんとお姉さんが……」

「ともかく仕事に戻りますよ」

 百合は蘭の身体を引きずって近くに停めてあったミニパトに乗り込んだ。運転席が百合で助手席が蘭である。

 そのまま静かに発信したのだが、助手席から身体を乗り出し蘭がいつまでもこちらを見ている。

〈結局……蘭姉ぇも百合姉ぇもわたしのことを知らなかった〉

 静かになったあとそれを考え少し寂しくなった。


  §


 結局スタート地点の幹ヶ原池公園に戻って来たのだが、すっかり日も暮れ公園の中もライトアップされていた。

 季節柄訪れる人も少なく、華蓮一人がぽつんと取り残された形になっている。

〈……ここ、どこだろう?〉

 途中、ファミリーストアで買ったあんぱんとパックのフルーツ牛乳を飲みながらそんな事を考える。

 未だトールは何の反応も無いし、知り合いのそっくりさんに出逢うがみな自分のことは知らない。

 手がかりは無い上にもう町内も歩き尽くしていた。

 そう、おかしいといえばこの町も西恵夏町と同じくどこか変だった。

 こちらは住宅地なので広い通りは駅前ぐらいなのだが、隣町に通じると思われる箇所はほとんど道路工事、もしくは私道のため通行することができない。

 一カ所強行突破を試みたのだが、これぞ現場監督というオヤジに烈火のごとく怒られ追いまくられた。

 下手に警察沙汰になるとまずいので、それからは無理はしていないが恵夏町から外に出ることができなかった。

 通れる道路と言えば西恵夏町に続く道ぐらいの物だ。

 試しに南下して海岸に出たがひたすらテトラポットが並んでおり殺風景そのもの。小さな港があるが停泊している船舶は無く無人だった。

〈なんかこの町が閉鎖されているみたい〉

 それが華蓮の率直な感想である。

 それにしても夜の公園に女の子一人というのはいかにも物騒だ。

 さらに警官や近所の恵夏学園の教師に見つかったらまた問題がありそうだ。

 ベンチの背もたれに体重を預けて反り返り、夜空を見る。

 星がそれなりに見えるが明るい月が僅かな光をじゃましている。雲もなく良い天気のようだ。

〈この世界だともうすぐクリスマスなんだなー〉

 ファミリーストアに寄ったときに『クリスマスケーキ予約受付中!』という張り紙を見た。

 去年のクリスマスは栄子と水泳部の友達を自分の家に呼んでホームパーティーを開いたが、シャンパンに酔っぱらって大変な騒ぎになったのを思い出す。

 華蓮はため息をつくとポケットの中から真っ白になった水晶をとりだした。

 今は何の輝きも発していない。

 もし、このまま何の手がかりも見つけることができなければ、今日はいったん、ネボかマルドゥックに戻ろうか……そう考えたのである。

 すべての‘あ・り・す’の力を引き継いだそれはどこの世界にもチャンネルを開ける……はずだ。

 断言できないのは寂しいが、実際に必要なときに力を発せ無い事が多い。

〈コイツと一緒かな〉

 紙袋の中に収まっているウサギのぬいぐるみを見てそう思った。

 そんなに人も居ないことだしと華蓮は紙袋からトールを取り出してみる。

「……ねえ、聞いている? 起きている?」

 反応は無かった。

「いい加減に返事しなさいよ。こっちは何のヒントも掴めなくてもうくたくた何だから」

 それでも返事はない。

「……いいわ。そろそろ帰るからせめてチャンネルの開き方くらい……」

『来ますよ、‘あ・り・す’様』

 その人形から返事があった。

「なんだ、起きていたの……それで、何が来るって言うの?」

『お迎えです。準備はよろしいですか?』

「準備って何を用意するの?」

『心の準備ですよ』

 何を言っているのだろう、覚悟ならずいぶん前から決めていると思ったが。

 羽音がして一羽の小鳥が華蓮の目の前に舞い降りた。

 セキセイインコだろうか、夜に飛ぶなんて珍しいと思ったが、そのセキセイインコはちょんちょんと跳ねながら華蓮に近寄ってきた。

 ずいぶんと慣れている。どこかで飼われていたのが逃げ出したのだろうか?

 華蓮はトールをいすに腰掛けさせると、座り直してそのセキセイインコをじっと見た。

 こちらの動作で逃げるかと思いきや、その場を動こうとしない。慣れている以上に度胸が据わっていると思ったが、ちょんと小さく飛び立つと、今度はトールの頭の上に止まったのである。

 慣れすぎだ、怖さすら感じる。

 どうしたものかと思っていると、そのセキセイインコは華蓮をじっと見る。

『……‘あ・り・す’様、‘あ・り・す’様、お迎えにあがりました』

 そんな声が聞こえてきた。

 正直華蓮は対応に困っている。いま、空耳でなければ目の前のセキセイインコが言葉をしゃべったような気がする。

〈確かセキセイインコは訓練すればおしゃべりできるって聞いたけど〉

 そんな事を考えていると。

『ネボの‘あ・り・す’様……一緒に参りましょう』

 さらにそう続けた。

 華蓮はようやくトールの存在を思い出した。

「ねえ、トール」

『なんでしょう』

『なんですか』

 返事は小鳥とウサギと両方から聞こえてきた。

「……あ、ええと、どうしたらいいの?」

『付いてきてください』

『付いていきましょう』

 これも両方だ。しかしどちらも同じ返事なので選択肢は無い。

 華蓮がウサギのトールを紙袋の中にしまおうとすると、セキセイインコはまた小さく飛んで今度は華蓮の肩に止まった。

〈粗相とか大丈夫かな〉

『わたしはそんな失礼な事はしません』

 こちらの考えはある程度読めるらしい。少し面倒な相手である。

 トールを入れた紙袋を持つと小鳥を振り落とさないようにゆっくり歩き出したが、思いの外しっかりと肩に止まっているのか少々の段差では落ちないようだ。

「それでどこに行けばいいの?」

『まずは駅前に行きましょう』

 そう言われもう一人の映子に教わった道筋を思い出して歩く。

 夜も更け始めているので人通りも少ないが、駅前に近づくとそれなりに辺りが明るくなった。

 ウサギのぬいぐるみを持ち歩く女の子は目立つと思うが、肩にセキセイインコを乗せている女の子も目立つのではないか。華蓮はそう思ったが街ゆく人は自分になんの関心もないのか、こちらを見ようともしない。

「それで今度は?」

『そのまま南下します』

 海岸の方に歩けというのか、彼女は言われたとおり歩き出した。

 大きな倉庫街を抜け住宅が見えてくると、

『そこの十字路を左です』

 小鳥はそう指示する。これも逆らわずにいわれた通りに曲がってまっすぐ進むと大きな建物に出くわした。

 住宅ではないようだ。

 入り口には『恵夏総合病院』と書かれていた。

 もう時間も遅いしすでに面会時間も終わっているから入り口の門もしっかりと閉じていいはずなのに、人一人分入る隙間が開いていた。

 しかし、どこかで見た風景だった。

「……ここに入るの?」

『はい、お待ちです』

「だれが?」

 すると小鳥はそれに答えることなく華蓮の肩を飛び立って、建物に向かって飛んでいった。

 よく見るととんだ方向、たぶん病室だと思うがその窓が一つ開いており明かりがついている。

 あそこがゴールなのだろう。

 華蓮は門をくぐって(実はやや狭かったのだが)広い庭をこそこそ歩きながら建物の前に向かった。

 正面口も閉まっている。『面会は終了しました』と立て看板がおいてあるのだが、それを無視してガラス戸を開くと中は無人のように思えた。

〈看護士さんとかどこに居るんだろう?〉

 とりあえず第二関門突破。つぎはあの病室だ。

 庭に面していて二階の奥から二番目くらいだからと案内板を探し、二三六か二三七号室だと判った。

 誰もいない階段を上り照明の消えた廊下を歩く。

 まるで季節はずれの肝試しである。

 部屋番号を見ながら二三六を見つけたがそこには名札も無く空き部屋らしい。

 それならと隣の二三七号室を見ると、名札が入っており入院患者が居るはずだ。

 だが。

 華蓮は自分の目を疑った。その個室に入院している患者の名前にである。

〈……そんな〉

 だが、もし彼女が居るとしたら、この部屋しかないだろう。華蓮は震える手で部屋のドアをノックしようとしたが、

「開いてるわ」

 先に中から女の子の声が聞こえてきた。

 華蓮はドアに手をかけてゆっくりと開く。

 部屋の中は狭い。個室らしくベットが一つだけあった。

 小さなテーブルの上に鳥かごがあり、そこに先ほどのセキセイインコが入っている。

 ベットの上の女の子は白のカーディガンにスツールを羽織っていた。上半身を起こしてじっと窓の外を見ていたのである。

「……何を見ているの?」

 華蓮がそう尋ねると、

「月」

 たった一言、そんな返事が返ってきた。

「……あなたも‘あ・り・す’なの?」

「そうよ……ネボの‘あ・り・す’こと、美咲華蓮さん」

 少女はゆっくりと振り返った。

 腰ほどに届く髪、それをお下げにして肩から胸に流している。その末端に赤いリボンを巻いていた。

 童顔でややオデコが広め、大きな瞳を蓄えた目は、目尻がやや垂れ下がっていた。

 華蓮と同じ顔の彼女は小さな唇を動かした。

「初めましてではないわね。わたしがネルガルの‘あ・り・す’……でもここでは美咲華恋と言われているわ」

 返答できない華蓮に向かって小首を傾げ微笑んだ。

「ようこそわたしの世界……古代バビロニアでは月を意味するシンへ」

 窓から風がふく。

 それは二人のカレンの髪を揺らしていた。


■Scene 44 想像【Imagination】に続く

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