■Scene 41 決着【Conclusion】
戦場の死に神と言われたドゥルジでも限界はある。
すでに戦闘が始まって三レンフほど、戦闘不能にした戦士は三〇人以上である。
しかし、今回の闘いは圧倒的に不利であった。
ドゥルジは相手を殺さない。自分が逆賊であるという立場は判っているし、闘う相手は同胞である。
なるべく気絶を誘い戦闘不能で納めたかった。
しかし、それ故の手加減が難しく、傷を受けたぐらいで逃げるマルドゥックの兵士は少ない。
さらに、同胞同士の闘いというのは剣技の効果でも不利に思えた。
ドゥルジの剣技が鈍っているわけではない。
同じ大気を利用する剣士と呪術師同士、そのための防御方法もある程度確立されているのである。
だから、音速斬りでなぎ倒そうにもこちらは手加減せねばならず、それ故に倒れる兵士は少ない上に、逆賊を捕らえればより高い地位に昇れると士気も高い
相手はあのドゥルジだ。数に物をいわせれば倒せない相手ではない。
現にドゥルジはその甲冑に二、三度斬撃を浴びていた。
致命傷では無いにせよ、『剣を当てることすら不可能』と呼ばれていた伝説が切り崩されたのだ。
そしてまた、長槍がドゥルジの横腹をえぐろうとした。
呪術甲冑の防御で致命傷にはならないが、金槌で殴られたような痛みに身体をおり、剣で身体を支えた。
「いける、討ち取れるぞ!」
勇んで近づく新兵にとっさに疾風のような突きを入れる。剣先は彼の肩を貫通しその身体を近くに居た兵士ごと後方に吹き飛ばした。
あの新兵は駄目かもしれぬ……しかし、後悔している暇もない。
今の攻撃に一瞬臆した兵士だが、すぐに目をぎらつかせドゥルジを見ていた。
『大変みたいね』
また耳元で聞こえる声がする。タローマティの声だ。
「……まだこちらに居たの?」
『手を貸してあげるわ。得意技の構えをして』
得意技……自分の得意技と言えばこれだろう。
ドゥルジは剣を肩で担いだ。音速斬りである。
それに耐性があることを知っているのだろう、兵士たちは恐れずに近づいた。
『いい、わたしの合図で切り込んで……三、二、一、それ!』
その声と同時にドゥルジは踏み込んで剣で目の前の兵士をなぎ払った。
剣から衝撃波が発せられるが、今回は同時に炎が吹き荒れたのだ。
タローマティの火炎攻撃である。
衝撃波に耐性があっても突然の高熱には耐えきれない、最前列の兵士は炎につつまれ、後方の兵士も熱風にあおられて逃げるのが精一杯だ。
だが、全てを追い払った訳ではない。
慣れない技にドゥルジも疲労を隠せないのだ。
「……これでは足りない」
『大丈夫、今のは次の好機の布石よ』
「好機?」
「今だ、ドゥルジは疲れているぞ!」
無傷だった兵士はそう叫んでドゥルジに斬りかかってくる。
好機どころではない、しかし立ち向かうだけだ、剣を正面に振り上げた!
その時、ドゥルジの真後ろの疑似チャンネルの中からうなり声が聞こえてきた。
それは一匹の獣では発することができない響きの重い声である。何十、何百のそれが一つに重なって聞こえる轟音だ。
ドゥルジは寒気を感じた、そしてそのまま本能に従ってそこにしゃがみ込んだのである。
チャンネルの中から飛び出てきたのは……それは何百どころかいつ果てなくわき出る水でできた蛇である。
それぞれの蛇は剣を差し出す物に飛びつき、その剣をかみ砕き身体にとぐろを巻き、自由を奪っていた。
あるものはそれを斬ろうとしたが斬ったそばからつながる。縦に裂けば二匹に増え同時に襲いかかったのだ。
一瞬の出来事だった。
そこに居たほとんどの兵士が戦意を無くしている。
悲鳴と獣の鳴き声が聞こえる中、ドゥルジがゆっくり身体を起こすと疑似チャンネルの中から一人の女性が出てきたのだ。
それは……
§
「アールマティ!」
虚空に浮かんだチャンネル送路付近の映像に華蓮は叫んだ。
‘あ・り・す’が騒ぎの原因となる現場の状況を転写させたものである。
「なるほど。考えたのう……あの水晶でアールマティを復活させたのか」
そう、マナフとトールの作戦とはこれだったのだ。
ネボの水晶を力として引き出すことができるのはネボの‘あ・り・す’とハルワタートから水晶を預かったアールマティだ。
ただし、アールマティは水晶に自分の呪術能力のすべてを封印したために、自ら水晶化していた。
それを、マナフとトールが再び水晶の力を彼女の身体に戻したのである。
元々水の破壊魔と呼ばれた彼女である。ネボの水晶が持つエネルギーの組み合わせによって無限の力を得たと言って良い。
“聞こえますか、‘あ・り・す’様”
華蓮の頭の中にアールマティの声が響く
§
『こちらの事はわたしに任せていてください』
「き、貴様、何者だ!」
まだ意識のあるマルドゥックの兵士がアールマティに向かって剣を向けた。また、呪術師が数人平手を彼女に向けている。
アールマティはゆっくり瞬きするとそばに居たドゥルジに手を添えた。
「……あなたのことはマナフとトールから聞きました。このままこの城の謁見の間に向かいます」
「だが、まだ兵士が……」
確かに兵士は次々に集まってくる。ドゥルジでもすべてを切り倒すことは不可能だろう。
「よし、やれ!」
アールマティの行動を躊躇と見たのか兵士が数人飛びかかり、呪術師が同時に雷撃の呪文を唱えた。
鋭い切っ先と雷光がまっすぐアールマティとドゥルジに向う。
アールマティはすっと右腕をかざし、人差し指で小さな円を描く。
すると、その軌跡にそって水分が凝結し、円形の小さな皿を作り上げていた。
「氷射[ひょうしゃ]……」
小さな、ほんの小さな一言のあと水分の皿を指ではじくと、それは回転しながら兵士と雷光に向かって飛んだ。
どうということのない速度、そして大きさに見えたそれが、回転を速くしたと思うと直径が見る見る大きくなる。
そして加速し続けたのである。
アールマティが指でその皿を手招くように引いた。
爆音と共に円盤は砕け無数の氷となって飛び散った。
雷光はそれにすべて吸収され、剣はそのつぶてで細かく砕けた。
それだけではない、氷はそのまま内壁に向かって突き進み、城全体を揺るがす轟音と振動とともに一階層が見えるほどの大きな穴をあけていたのである。
ドゥルジもあまりの出来事にただ唖然と見ているしかなかった。
「行きましょうドゥルジ。謁見の間は確か一〇階でしたね」
「しかし……」
そう、目の前にはまだ兵士が居る。
おびえていながら二人を見ていた。
アールマティはまた右腕を差し出した。
「水の破壊魔の名を耳にしたことがあるのならわたしたちの邪魔をするのはやめておきなさい、マルドゥックの戦士よ。今度は手加減しませんよ」
彼女の気迫からそれが冗談では無いことが判った。
アールマティとドゥルジが歩き出すと兵士が道をあける……昇降機までまっすぐ道が開いていた。
§
〈すごい……〉
改めてアールマティの力を思い知った華蓮だが、それは目の前の‘あ・り・す’とて同じのようだ。
「くっくっく……ヤツは本気らしいね。では、こちらも早々に片づけないといけないようだ」
「そう簡単にいかないわよ」
華蓮は右手の人差し指だけ伸ばして銃の形を作ってみせる。
片目を閉じてねらいをつけるとそれで打つまねをして見せた。
「水弾[ブレット]!」
その指先からは圧縮された水の弾丸が、‘あ・り・す’のベールめがけて飛んだのだ。
あとわずかの位置で着弾、そう思ったが、暗幕のすぐ横に控えていた女性がすっと立ち上がると、その弾丸めがけて雷撃したのである。
驚くのもつかの間、今度はその女が両手をこちらに向けている。
開いた手のひらと伸ばした指先が花のような印象を与えたが、その真ん中が光ったかと思うと三〇センチはありそうな稲光がフラクタル直線を描き華蓮に迫った。
あまりの素早さに進路変更できない。
ギリギリで鏡を作ると、それを天井に反射させた。
「驚いたかね……この女はタダの召使ではない。おまえの攻撃をすべて吸収し、そして反射する」
「くっ……」
「なかなかの水晶の使い手ではないか。ネルガルで龍を呼んだだけはあるね」
「そうよ、それで判ったの。どうして龍と思ったらわたしの中の龍のイメージが現れたか」
「ほほう……」
「わたしの想像力がそのまま力になる……そうでしょ」
「しかし、それは想像力とは言えないのだよ。それにおまえに打つ手はない」
「大丈夫よ、ドゥルジもアールマティもくる」
「希望は……うち砕かれるためにあるものだ」
「何ですって?」
昇降機を降りたアールマティとドゥルジの映像がまた大写しになった。
彼女らの目の前にある人物が現れたのだ。
§
「……タルウィ」
ドゥルジの漏らした声である。
確かに、目の前に剣士の甲冑を身につけ、手にラグナロクを持ったタルウィが立ちつくしていた。
「……これ以上‘あ・り・す’様の元に近づけさせるわけにはいかない」
彼は静かにそう言う。対抗し呪術の構えをとるアールマティだが、
「ここはわたしに任せて」
ドゥルジがアールマティを押さえて一歩出た。
「……タルウィ、あれはマルドゥックの‘あ・り・す’ではない。それでもあなたはわたしと戦うというの?」
「それが」
タルウィは無表情だ。むしろ微笑んでさえ見える。
「誰であろうと‘あ・り・す’様に代わりはあるまい」
「……そう言うことか」
短い受け答えのあと、二人の姿はその場から消えた。
床を蹴る音と高い金属音がする。そこかしこに火花が散り準水晶や天井に傷が増える。
一般の兵士や華蓮にとって、透明な魔物同士が争っているようにしか見えない。
もちろん、姿が消えたわけではなかった。
あまりに高速で動いているために姿が捉えられないのだ。
疾風のドゥルジとそして同等の速度と言われるタルウィ。
巨大な魔剣ラグナロクは彼にとって質量を感じさせず、ドゥルジの剣もそれに追従する。
まさに、他のだれも踏み込めない戦いだった。
〈……そうだ、わたしはこんな戦いを望んでいた〉
すでに斬り合い請け合いは身体が覚えていること、ドゥルジの脳裏にはいつしか幼い頃の思い出がよみがえっている。
どんな時でも自分を助けてくれた彼。強くたくましく優しくその背中に追いつこうと努力し続けた日々。
〈だが、わたしは彼を倒すために剣技を学んだ訳ではない!〉
踏み込む、よける、打つ、はじく。
何度も何度もそれを繰り返す。
いつの間にかお互いの甲冑には無数の傷がつき、ドゥルジの剣には限界が訪れようとしていた。
タルウィの突きを剣で払おうとしたとき、ドゥルジの剣がその真ん中でまっぷたつにおれた。
粘りのある剣であってもラグナロクの攻撃には耐えられなかったのだ。
加えて彼のなぎ払い、それも残った剣で受けようとするが芯が砕けたそれが役に立つはずもない。
またドゥルジの握力もつきていたのだろう、剣ごと弾き飛ばされ準水晶に飛び一枚を砕いた。
さらに袈裟懸け、ドゥルジは紙一重でよけたものの胸当てに切っ先が引っかかりまっぷたつになりその場に落ちた。
呪術結界も役に立たなかったのだろう、ドゥルジの胸を押さえているサラシがあらわになり、皮一枚切っているのか赤がにじむ。
〈終わりか……〉
もはや次の一撃でラグナロクが自分の心臓を貫くのは目に見えていた。
目の前で剣を構えるタルウィ。最期だから叫んでも構わないか、そう思う。
「タルウィ……」
聞こえない、きっとこんな声では聞こえない。
だから、最期だから!
「タルウィ!」
彼がその声に答えるように一歩踏み込み、ラグナロクが自分に迫ってくる。
……だが。
その切っ先はドゥルジの胸に突き刺さらず、髪の太さほどの距離を残しドゥルジの胸の前で止まった。
静止画のようだ。
時はきちんと動いているのにその場では時間軸だけが置き去りにされていた。
なぜ。そう思ったドゥルジは切っ先にあるものを見た。
サラシの中に一緒に巻き込まれているのはドゥルジがタルウィからもらった緑色の布地。
婚約の証だった。
タルウィの瞳が泳いでいた。手が震え唇が動いている。
何かを訴えようとしている。
ゆっくりラグナロクが降り彼の目がドゥルジを見ていた。
「……ドゥルジ……」
懐かしいその声にドゥルジは答えようとしていた。
だが、声を出すことはできない。
彼女の胸から婚約の証を突き抜けるように短剣の切っ先が突き出てきたのだ。
ドゥルジの身体は弓なりになるが、剣が彼女の身体をそこに固定し床にはたたきつけない。
目を見開いた彼女、痛みもなく見ているのは目の前のタルウィだけだ。
「……討ち取ったぞ、逆賊ドゥルジ」
その声はドゥルジの背後から聞こえてきた。
不自由な身体を引きずり呪術師用の短剣を握り締めた義手、フードの中からのぞく骸骨のような顔……
「……これで俺は‘あ・り・す’様に、認められる!」
サルワの名前を呼ぼうと思った。
しかし声の代わりに口から出たのは血液。そして苦悶。
「これで俺は認められる!」
彼は笑った、剣を持つ手も自分のローブもドゥルジの血で赤く染めながら笑った。
だが、すぐにそれも聞こえなくなる。
タルウィが吼えたのだ。
まさしくそれは雄叫びだ。
のどの奥から全身をふるわせ、大気をふるわせ、何もかも塵に返してしまいそうな声、音、そして力!
サルワの中に浮かんだのはたった一つ恐怖という名の感情だった。
思わずドゥルジを刺した短剣を引き抜く、彼女の身体が倒れ込んだ。
そして、ラグナロクもタルウィの手を離れたように見えた。
剣の舞……その巨大な剣はドゥルジの時よりもさらに早く、音を発することも無く目の前のサルワの身体をその空間から消し去ったのだ。
サルワはもはや細切れと言えぬ、細胞以下に分解された。
痛みを感じる余裕も無かっただろう。
瞬きにも満たない時間だ。
そして彼は膝を折るとラグナロクを床におきドゥルジを見て……もう一度吼えた。
その彼の周りに幾重もの光のリングが現れた。
次の瞬間には彼の姿は消えていた。
§
「ドゥルジ!」
いくら叫んでもここからでは相手に聞こえない事ぐらい承知だ。それでも感情は抑えられない。
「……惨めな最期よのう」
‘あ・り・す’の一言に映像からベールをにらみ返す。
怒りに唇を噛みしめる。痛みは全く感じない。
「おまえもあのような最期はおのぞみかえ?」
「……草薙くんをどうしたの?」
「おまえたちはそれしか興味がないのか? タルウィは本来の力と役目を思い出しただけだよ」
「タルウィじゃないわ、草薙くんよ!」
華蓮が手を振る。
「水針[ニードル]!」
すると指先から水滴が飛び、それが水の針になってまっすぐに暗幕に飛んだ。
だが、直前で召使の女の雷撃で四散し、今度は電気の針が華蓮を襲う。
左肩にそれを受けた。
痛い! 腕がしびれ動かなくなる。
泣き叫びたいけど今はそれ以上に目の前の相手を倒したかった。
「無駄だと言っただろう……まあそのうち力を使い果たして倒れるだろうな」
〈攻撃すると必ず反撃される……どうすれば?〉
華蓮は考えた。思案するのは得意ではないが、この時ばかりは話は別だ。
見えるのは無表情な蘭の顔。目が開くとまさしくいつもいじわるな一番上の姉。
〈蘭姉ぇって何か弱点無かったかな〉
顔が同一なだけで同一人物では無いのだがふと考えてしまった。
蘭の嫌いなもの。
食べ物の好き嫌いはほとんど無いが鍋物のしらたきは手を付けない。猫は好きだけど犬は苦手。理数系は得意だけど英語は赤点ぎりぎり。スポーツ全般は嫌いだけど苦手ではない。いつでも自分にちょっかい出していていたずらが好きでママに押し入れに閉じ込められていたせいか閉所恐怖症に……
〈閉所恐怖症? 蘭姉ぇを閉じ込める?〉
「ぐずぐずしているとこちらから行くよ」
〈……まって、やってみる価値はあるわ〉
華蓮は目の前で何回も手を振ると水の針をとばした。
「……芸の無いことを」
しかしその針の動きはきわめてゆっくりだ。
召使の周りを球状にぐるりと取り囲むように飛ぶ。そして当たらなかった。
何度も何度も水の針を繰り出しては女の直前でそれを止める。直前で止まるために女に攻撃はしていない。
「なにをしている」
いつの間にか女の周りはきらきらと光る水の針が隙間無く敷き詰められていたのだ。
「……それで同時に攻撃しようとでも言うのかね?」
「違うわ……凍結[フリーズ]!」
華蓮のかけ声とともにその針が凍った。
当然隙間無く敷き詰められていたし、見かけの体積が膨張するため女は氷のボールの中に閉じこめられていた。
ただ、たったひとつの針は女の目の前に凍結せずに浮かんでいる。
「当たれ!」
華蓮の命令で残った針が女の額めがけて飛ぶ。
当然それは遮断され、女は反撃の雷を下そうとした。
「鏡[ミラー]!」
再度のかけ声に今度は氷の内側がエネルギー反射のミラーとなったのだ。
ボールの中を無数に反射しまくる雷撃、それが中央に集約し女を直撃した。
それを吸収し反撃する、しかしその反撃もまた反射される。
逃げ出せない無限連射の中、華蓮は叫ぶ。
「圧縮[コンプレス]!」
華蓮が両方の手のひらを打ち合わせた。
それと同時に圧縮するボール。それは反射する雷撃と女を含めて凍り付けにしたのだ。
悲鳴をあげることなく氷の柱となる女。直後、大きな音と共に床に転がり動かなくなった。
「お、おのれ……」
「覚悟しなさい」
「それはこちらのセリフだ!」
ベールが風で揺れると、そこから竜巻が起きまっすぐ華蓮に向かって飛んだ。
華蓮は膝をおり、自分が立っている床に人差し指と中指を押しつけ、そこに大地を感じたのである。
それをすくい上げるように指をふり、目の前に砂塵をイメージした。
「いでよ、『大地の龍』!」
巻き上げられた砂は、細かい粒子が段々と集まり円を描きそこから土とも岩とも思える龍を作り出し、目の前の竜巻に喰らいついたのだ。
それだけでは無かった。
右手の人差し指で自分の頬をこすり、そこに摩擦熱を感じる。
左手の人差し指で自分の目をこすり、そこに涙をためた。
「いでよ、『火の龍』、『水の龍』!」
そうだ、イメージすれば引き継いだ水晶の力は発動される。
振り払った両手、右の手のひらに炎がわき上がり、そこから火炎をまとった龍が現れた。
左の手のひらからは水がわき上がり、そこから透明無垢な水の龍が現れた。
それと同時に華蓮の赤い水晶が小さな音と共に砕けた。限界を迎えたのだ。
竜巻を食い破った大地の龍を含め、三頭の龍はお互いの身体を絡ませ、螺旋を描いてまっすぐ暗幕に向かって飛んだ。すでに、それをシールドする人物も居ない。
断末魔のような叫び声のあと、三頭の龍が食らいついた暗幕が爆発し虚空だったその空間が謁見の間に引き戻されたのである。
暗幕はバラバラに砕け散っていた。
召使の女がその場に倒れている。取り巻いていた氷は砕けていた。
〈ごめんね、蘭姉ぇ〉
華蓮は暗幕に近づきかろうじて残った正面の一枚をはぎ取った。
しかしそこには玉座と、碧色の水晶が一つあるだけだった。
華蓮は水晶を取り上げ握り締めた。
〈逃げられた……〉
しかしそんなのはあとだ。
今は行かなければいけない場所がある。
華蓮は謁見の間を後にすると急な階段を駆け下りた。
§
巨大な紋を抜け出た華蓮がまっすぐ向かった先、そこに居たのは、
「アールマティ……」
しかし、その名前を呼ぶ声は力無かった。
それはアールマティも同じだ。
再会の余韻も無くただうつむいている。
アールマティの視線の先、ドゥルジが床に仰向けに倒れていたからだ。
華蓮はしゃがみ込んで彼女の顔を見た。わずかに息がある。
しかし床はすべて赤色に染め尽くされていた。
華蓮はアールマティを見た。彼女は力無く首を左右に振るだけだった。
「……ネボの、‘あ・り・す’か」
声が聞こえてきた。ドゥルジの声だ。
瞼は開いているが瞳に精気はなく焦点も合っていない。もう何も見えていないのかもしれない。
「わたしは華蓮だよ」
「そうだったな」
華蓮は無理を承知でアールマティから自分の水晶を受け取る。水本来の力を使えば……アールマティが無理でも自分であればそう思ったのだが。
「……それは、使わないでくれ」
「どうして、まだ助かるかもしれないよ!」
「きっと、タローマティもおなじ事を言ったのだろう」
ドゥルジの首がほんの少し動き華蓮の方を向いた。
「運命は自分で決める。戦場で戦って死ぬのだ。それが戦士の死に様だよ」
「ドゥルジ……」
「それにな、わたしはうれしいのだ。タルウィはわたしを助けてくれたのだ」
「うん」
「婚約の証を見て、わたしの名前を呼んだ彼は、間違いなく……わたしが目標とし、そして愛したタルウィだ」
「うん」
「タルウィはわたしのために叫んでくれた。わたしの技で、……仇を取ってくれたのだ。これほどうれしいことが、他にあるか?」
「うん」
そしてしばらく目を閉じ、ややあってゆっくりと開いた。
右手が動き自分の胸元を探り、一枚の布を取り出した。
元々は緑色だったが今では赤黒く染まり、真ん中に穴があいている。
タルウィとドゥルジの婚約の証だった。
「頼みがある」
ドゥルジはその布を華蓮に差し出した。
「もし、クサナギタケシに逢うことがあれば……これを渡して、伝えてくれ……もう、わたしのことなど――忘れているかもしれないが、ドゥルジが『ありがとう』と……」
「約束するよ」
ドゥルジからそれを受け取り華蓮は握り締める。指先が赤く染まることも気にせずに。
もはや最期が近いのだろう。ドゥルジの呼吸が浅くなった。
ふと、ドゥルジに笑顔が浮かんだ。
「どうしたの?」
「……思い出したのだ……おまえたちとの『旅』を。今度また、『旅』がしたい……カズミとしてではなく……ドゥルジとして」
「できるよ、きっと」
「カレン」
ドゥルジは華蓮の名前を呼ぶ。
「仲間とは……友達とは、良いもの……だな」
笑顔を浮かべるとドゥルジの瞳はゆっくりと閉じ、そして呼吸音も聞こえなくなった。
マルドゥックの戦士が逝った。
華蓮は婚約の証を握り締めやっと涙を流した。
■Scene 42 慟哭【Wail】に続く




