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‘あ・り・す’  作者: みやしん
■Channel 5 Marduk:
37/52

■Scene 36 軟禁【Confine】

 ネボの‘あ・り・す’がマルドゥックに入った……その情報が世界に知れ渡ることはほとんど無かった。

 恒久的なチャンネルが閉じられている事が第一の原因である。

 その他にも華蓮たちがほとんど秘密裏に身柄を拘束されたことにも関係する。

 ネルガルの砂漠地帯で、流砂に飲み込まれたという情報の方が広く知れ渡っているぐらいだ。

 マルドゥックの‘あ・り・す’の居城の中でも、華蓮たちが捕らわれた事は一部の兵士のみ知る機密事項であった。

 だが、人の口を塞ぐのは難しく、翌日には公然の秘密となっていた。

 ただ、捕らわれたと言っても扱いは悪くない。

 特に華蓮に至ってはネボの‘あ・り・す’という立場だろうか、来賓という扱いである。

 トールの言う敵地で捕まったのだから、きっと捕虜扱いで、暗くてじめじめして鉄格子が窓について、おまけにそこいら中にナメクジがはっているような非衛生的な部屋に閉じこめられるのかと思っていた。

 彼女の中の牢屋というのはそういうイメージらしい。

 華蓮が通された部屋は居城のかなり上の階層らしく、二方向に開いた窓からは、地上から見上げれば首がおかしくなるくらい高い木々を見下ろせた。

 部屋の広さもシャマシュの華蓮の部屋の数倍はあった。

 草薙剛史が二回目に通された部屋と作りは同じである。

 調度品がベットと机以外何もないため、余計広く感じる。部屋全体の色調は白だが目に痛いほどではない。

 空の濃いブルーもあいまって昔見たエーゲ海の建物に似ていると思った。

 何も無いとはいえどんなにさわっても指紋一つつかない窓とか考えるだけで消える部屋の照明――よくよく見れば照明器具のたぐいも無いのだが、そんな不思議で飽きることはない。

 心配事といえば。

 仲間はみな、別々の部屋に居ることだ。

 ドゥルジの話では身の安全は保証するとのことなので、酷い扱いは受けていないと思うのだが、やはり心配だった。

 特にエーコの事が気にかかる。

 部屋にドアらしきものは有るのだが、どうやって開けるのかよく判らない。

 ここに案内されしばらくして、何だかお腹がへったかなと思った時、壁の一部がすっと消えると扉になった。

 そこからお手伝いさんらしき女性が食事を運んできた。

 その時、ドア口から外をちらりと見た。

 監視役と思われる兵隊が左右にふたり、槍をもって立っている。華蓮を見ると深く会釈してから、無言で中へお戻りくださいと訴えられ、しぶしぶ部屋の中に入ったのだ。

 なのでどうにかすれば扉があくと思うのだが、部屋の中からでは押そうと引こうと叩こうと反応しない。

〈確か、監禁と軟禁の違いって、自由意志で外に出られるか出られないかの差だって、草薙くんが言ってたな……〉

 ふと、思い出したその名前に浮かんできたのはやはり彼の甲冑姿だった。

 窓に手を触れて外を見てみる。

 同じ仕草を剛史がしていたことなど彼女には知るよしも無かった。


  §


 ほぼ同じ時刻。

 居城の謁見の間に一人の来客があった。

 一人というより一匹と言った方が的確かもしれない。

 彼はいつものごとく、右耳をぴんとたてて言った。

「お久しぶりですな、アンラ・マンユ様」

「この城の中でその名を呼ぶのは禁句だよ、トール。わしにも色々と立場という物がある」

「それは失礼しました、マルドゥックの‘あ・り・す’様」

 暗幕の前に控える白ウサギは、特に悪びれる様子もなく頭を下げて見せた。

 お目通りが無いときでも数人の衛兵と従女に囲まれている謁見の間だが、今そこにいるのは‘あ・り・す’とトール、それに‘あ・り・す’お付きの従女の三人だけである。

 ‘あ・り・す’の一言で他の者はすべて下げられたのだ。

「そう言えばそちらのトールが見えないようですが……」

「ここには連れておらんよ。おまえと違って自由に動き回れる身体でもない」

「左様ですか……まあ、その方がうるさくなくて結構です」

「そう言っておったと伝えておこう」

「それにしても人払いなどして大丈夫なのですか? わたしとて剣を振るう事ぐらいできますよ」

「判っておる。そのために女は一人残しておる。おまえの性格ならこの状態で何かしでかすとはおもえん」

「なるほど」

 トールは暗幕に近づいた。普段なら誰か止めるところだが今は声を上げる者は居ない。

「よくここまでネボの‘あ・り・す’を導いたな」

「……そうですな。今回は導かれたというのが正しいところでしょう」

「すでにおまえの考えを越えておるというのか?」

「わたしの耳を引っ張るのです」

 そのすぐ後、‘あ・り・す’の笑い声が聞こえてきた。

「おまえの耳をか。たいした‘あ・り・す’だ」

「ですので、今度ばかりはわたしにも予想がつきません」

「あの‘あ・り・す’が『最期の選択』を選ぶかもしれんと……」

「はい。それもどちらを選ぶかも」

「なるほど」

「それはあなた様も同じですよ。まさかドゥルジ様を送られるとはわたしも驚きましたよ」

「知っていてそれをみなに話さぬ方もどうかと思うがな」

「聞かれなかっただけですよ。ならば答えようがありません」

 一人はウサギ、一人は暗幕の中……ともにお互いの表情を伺うことはできなかった。

「少しは役にたったかな、ドゥルジは?」

「どうでしょうか……すでにドゥルジ様のお力を借りるまでも無かったのではないですかな。むしろ、今回の一件はドゥルジ様の不信を駆り立てるだけでは」

「判っておる。ドゥルジとて単純ではない。だから」

「邪魔だと?」

 トールはちらりと暗幕のそばに控えている女性を見た。

「気になるか? 平気なのは判っておろう」

「お一人足りないようですが」

「ここでタルウィの記憶を取り戻すときの余興で壊れてしまったよ」

「すると、補充はドゥルジ様ですかね?」

「それはドゥルジ次第というところよ」

 トールは小首を傾げて右耳をたてて見せた。


  §


 例えようもない感覚である。

 なぜなら、彼女には空を飛ぶという経験が無いからだ。

 呪術師といえ行える技には限界があり、炎を自由に操ることは出来るが、自分の身体を浮遊させることはとうてい無理である。

 故に、身体の一部が地面に触れていない感覚は慣れることが出来ない。

 おまけに、目の前には闇が広がっている。

 視覚が奪われたわけではないようだ。何となくだが自分の身体を見ることは出来る。

 何となくという曖昧な表現は、自分の身体がもやに包まれたかのようにはっきり捕らえることが出来ないからだ。

〈……そうか、わたしは死んでいるんだ〉

 彼女――タローマティは冷静にそう思っていた。

 事実を素直に認識しているのではなく、あきらめているのでもない。『そういう事』に無関心なのかもしれない。

 自分の最期……ネボの‘あ・り・す’と一戦交え、召喚されたあの巨大な生物に押し流された。

 それより前にあれに胸を射抜かれたが……

 タローマティは自分の左胸に手を触れた。傷口はそこにしっかりと残っている。

 血が流れていないのは死んでいる証かもしれない。

 ふと、目の前に人の気配を感じた。

「だれ?」

 音は届くのだろうか? そう思いながらも声を上げる。

 すると、人の気配は二人にふえた。だが、そこに感じる意識は一つだけである。

「……ここはどこなの?」

「記憶の墓場」

 目の前の二人がほぼ同時にそう答えた。

 どちらか一人かもしれないがそれを確かめることが出来ない。

 なぜなら二人はまったく同じ姿をしており、そしてまったく同じ動作をしていたからだ。

 全身をすっぽりと包むローブも握られた杖も、その材質も陰も光沢もしわも何もかもが一緒だ。いっそ錯覚であったほうが理解しやすい光景である。

 ただ、タローマティは彼女たちの事を聞き知っていたようだ。

「……そう、あなた達がニニブの双子ね」

 アミとユミは何も答えずにじっとタローマティの事を見ていた。

「丁度いいわ、あなた達にお願いがあるの」

「願い?」

「わたしたちに?」

「そう……わたしにはまだ、伝えなければいけないことがあるの」

 双子はただじっとタローマティの声を聞いていた。


  §


 城に戻って二日目、ドゥルジは平服を着て城内を歩いていた。

 兵士が通うこの城の中で、平服を着ていられるのはよほど階級が高いか、もしくは召使かのどちらかである。

 非士[ひし]と呼ばれる召使より身分の低い人々が居る。

 城の最下層で汚れ仕事をいっさい引き受ける彼らそしてわずかの彼女らは、不名誉な闘いの報いとして両手の指を全て切断され、者によっては両足の健を切られている。

 舌も切断され呪術も封印されていた。なおかつ死ぬことも許されず、人としての扱いを受けることもない。

 マルドゥックでは着るものにその階級が全て現れる。

 ドゥルジの平服は膝丈強のノースリーブのワンピースと言うところだ。

 一枚布から作られ、薄い緑色に着色され飾り立てる物は無い。

 普段はあの露出度が高めな甲冑を身につけて城内に居ることが多いが、あの装備にもそれなりに理由があった。

 疾風のドゥルジ……彼女につけられた呼び名である。

 格闘師並の反射速度をもち、中型の剣を扱うそのさまは、動きが終わってやっと彼女の剣技が判ると言われている。

 タルウィの音速斬りも原型はドゥルジが編み出した物だ。

 剣の腹を相手に見せるように弧を描くことで、非常に圧搾した空気を作り出し、その爆発力で相手を倒す……それに必要なのは人の目にとまることのない速度である。

 剣技としては実践的でない『居抜き』(居合いのこと)で、最初の一閃で二〇人までは同時に倒せるというウワサもある。

 話半分でも一〇人は相手にできる計算だ。

 それだけ激しく動くため全身を覆い隠す甲冑では重すぎる。

 また、不用意に関節にあたり思うような動きもできない。

 もちろん鍛冶屋はこぞってドゥルジ向けの甲冑を作るが、結局肌に合わなかった。

 結果、胸当てと腰回りを残し他を外し、マルドゥックの家畜であるテクラヤギの毛で紡いだ布で止めている。

 脚絆が左手と右足だけに着いているのも利き腕・利き足を軽くし、自分の戦い方を有利にするためである。

 脚線美はおろかその成熟した体型は匂い立つと言われながら、戦闘が終われば全身が赤く染まっている彼女に、隙だらけに見える甲冑を笑う勇気のある兵士は居ない。

 もちろん、露出している部分も呪術仕上げをしている。

 狙えたとしたら……その部分を剣で突き刺そうと思っても、なまくらな剣なら切っ先がつぶれるか、剣士が上なら剣が砕けるだけだった。

 そんなドゥルジが平服で城内を歩けば逆により目立ってしまう。

 下級兵士などは彼女を出入りの女と間違え声をかけそうになるが、振り向いたその顔を見てあわてて敬礼するのだ。

 その日の夢見は最悪であろう。

 彼女をよく知る上級士官であっても、

「今日は特別な打ち合わせでもあるのだろうか」

 と首をひねる。

 そしてネボの‘あ・り・す’の話を思い出し、秘密裏に話しが進んでいるに違いないと思うのだ。

 あながち勘違いではない。

 ドゥルジがいくつかの門番を抜けて向かったのは、ネボの‘あ・り・す’が軟禁されている部屋である。

 部屋の扉の両側に立つ兵士にマルドゥックの‘あ・り・す’から頂いた門鑑を見せると、平らな壁に亀裂が入り扉ができあがる。

 長身のドゥルジはそれをくぐるように中に入ると、ネボの‘あ・り・す’=華蓮は窓から外の風景を見ていた。

 ドゥルジにはすぐに気がついた。

「……エーコはどうしてる?」

 ドゥルジが門番に合図して扉を閉めさせる間、華蓮が近づいてきて最初に言った言葉だ。

「女剣士であれば別の部屋にあてがっている。ここほどではないが粗末な部屋ではない」

「ちゃんと世話する人は?」

「召使がついてきちんと面倒は見ている。その約束はしたはずだが……」

 ドゥルジは目を細めた。

「わたしの約束では信用できないか?」

「そうじゃないよ。本当に心配だっただけ。奥に入って」

 ベットの他の調度品と言えば、部屋の真ん中にあるやや大型の机とイスが三脚である。

 華蓮は食事以外ベットに腰掛けているので、このイスはほとんど使用していない。

 ドゥルジが華蓮の右隣に腰掛けると、部屋の扉が開いてお茶の道具をトレイに乗せた女性が現れた。

 彼女は机に木彫りのカップとポットを置いた。

「ありがとう」

 華蓮がそう言うと女性は深々と頭を下げ部屋から出ていった。

 食後に何回か飲んだことのあるこれは、砂糖を入れない紅茶という感じだ。

 苦みが少しきつい気もするが、後味は悪くない。

「ここの人ってあんまりしゃべらないのね」

「相手が‘あ・り・す’であれば口を開くだけで不敬にあたる。しゃべるなどもってのほかだ」

「でも、ドゥルジはわたしと話しているでしょう?」

「わたしは‘あ・り・す’様と自由に謁見する事ができるだけの地位を築いた」

「……そうなんだ」

 華蓮は茶を一口飲んだ。『にがー』と顔をしかめたがすぐさま今まで通りの顔に戻す。

 ドゥルジは口を付けないが、華蓮は進めもしなかった。

 ややあって、

「……なぜわたしを招き入れる」

 ドゥルジが重い口を開いた。

「おまえはわたしが憎くないのか?」

 その問いかけに華蓮は上目遣いに考えているようだが、

「別に。あなたがわたしに何かしたわけじゃないでしょ」

 と答える。

「確かにウソついてニニブからずっと旅はしてきたし、最後の最後でエーコの首筋にナイフを当てたのはむかつくけど……騙してどこかに連れて行こうとしたわけじゃないし」

「あの時、わたしの頬を叩いたではないか!」

「……あれは別の理由なの。もちろん騙されたんだって思って悔しかったけど、でも『憎い』とは思わなかったな」

「何故だ」

「何故って言われてもね。何となく友達みたいだから、かな」

「馬鹿な。わたしはマルドゥックの戦士だぞ!」

「でも、わたしたちと一緒の時はそんな事言ってなかったし」

〈またこれだ……〉

 そう、ドゥルジは苛立っていた。

 どうしても華蓮の受け答えが気に入らないのだ。目の前に居るのはネボの世界を納める‘あ・り・す’であるはずなのに。

「それに……わたしがエーコの世話をしているとき自分がやるって言ってたじゃない」

「あれは……あの女剣士のプライドを考えてだ」

「プライド?」

「考えても見ろ。自分が命をかけてお守りすべき主に、自分の面倒を見て貰うなど恥以外の何者でもない!」

「ドゥルジ、聞いても良いかな?」

「……なんだ」

「あなたにとってマルドゥックの‘あ・り・す’様は命をかけて守る存在なの?」

「馬鹿な事を聞くな、当然だ!」

 我慢ならない質問だった。自分の信念そのものを否定されかねないそれにドゥルジは思わず立ち上がっていたのだ。

 帯剣していれば迷わず抜刀していただろう。

 そんなドゥルジを華蓮は静かに見ていた。

「……でもね、わたしはそんな風に思われたくない」

「何?」

「わたし見たんだよ、ニニブの山の中で。ハルワタートがタルウィに剣で胸を刺されるまでを。彼女はそれを知っていたの」

「……それで」

「ハルワタートは言っていたわ、『自分は人が命をかけてまで守ってくれる価値があるんだろうか?』って。わたしには今、彼女の言いたいことがよく判るつもり。だって、わたしのせいでエーコは……」

「では、あの女剣士の行いは全て無駄だと言うのか!」

「違うわ。‘あ・り・す’の為だなんて思わないで、エーコ自身のためって思いたいの、この旅も全て」

「それは責任転換にすぎない、おまえが‘あ・り・す’という立場をわきまえない愚かな発現だ」

「……そうだよ、何もかも重すぎるんだよ」

 そう言ってまっすぐに自分を見る瞳……ドゥルジはそらさないように集中した。

「わたしが持つ水晶だって世界を回るごとにどんどん責任が重くなっていくの。いつのまにかわたしの肩や背中や手にたくさんの人の命が覆い被さって行くんだよ。でも、今までそんな事考えたことも無かった。

 わたしはただ草薙君に逢いたいだけだったのに」

「ふ……なら、良いことを教えてやろう」

 華蓮は小首を傾げてみせた。

「おまえの言う草薙剛史、タルウィは、この世界でわたしと婚約しているのだ。どんなにおまえが望もうと取り戻すことはできない」

 ドゥルジはそれを言い放ったあと、華蓮の様子をじっと見た。

 錯乱するかそれとも怒り出すか。しかし、彼女の反応はどれでもなかったのだ。

 小さく笑ったのである。

「……やっぱりね」

「何だと?」

「何となく……ドゥルジを見て名前がカズミだって聞いて、マルドゥックの人だって知ったときからひょっとしたらそうじゃないかって思っていたんだ」

「……誰かに聞いたのか?」

「ううん。わたしの元いた世界にも草薙君の幼なじみで西村和美ってあなたそっくりの女性がいたの。とっても頭が良くて綺麗で、いつも草薙君の面倒を見ていておそろいのカップルだった。

 ……この世界にもちゃんと居たんだね」

「ニシムラ……カズミ」

「さっきあなたの頬を叩いた訳を話さなかったでしょ、あれってわたしの世界の西村さんに対しての仕返しなの。彼女ね、さらわれた草薙君を助けられなかったのはわたしのせいだって、頬を思いっきり叩いたんだよ。そして泣き出したんだよ。だからその仕返し」

「わたしは……わたしは泣かない!」

「わたしも泣かないよ。そう決めたから」

 いつの間にか華蓮の瞳は力強くドゥルジを見ていた。

「この世界の‘あ・り・す’が何を考えているか判らないけど、わたしはわたしの為にああなったエーコの為に、そしてアールマティの為に、全ての人の為に、水晶を取り戻してネボに帰る」

「……‘あ・り・す’様はおまえが『混沌の‘あ・り・す’』となり全ての世界に暗黒を導く前に、平定しようと考えておられるのだ」

「『混沌の‘あ・り・す’』? わたしが?」

「わたしは‘あ・り・す’様を敬愛している、服従している! おまえには民衆の寵愛を受ける‘あ・り・す’たる資格はない!」

「そうだよ、わたしは‘あ・り・す’じゃない」

 驚くドゥルジに華蓮はきっぱり言ってのけた。

「わたしは美咲華蓮だよ。今も、これからもずっと」

「ふざけるな!」

 ドゥルジはテーブルに拳をたたき付けた。

 カップが倒れ茶がこぼれ、それが床にひたひたとたれたがそれも気にせず、もう一度テーブルを叩いた。

 だが、それ以上言葉にならなかったのだろう。

 無言で部屋を出ていこうとした。

「ドゥルジ」

 その背中を華蓮が引き留めた。

「ニニブからの旅、あなたと一緒で良かったと思っている。多分、他のどのマルドゥックの戦士よりも」

 ドゥルジはそれに答えず部屋を出た。

「ドゥルジ様、手から血が」

 門番に言われ自分の右手が切れているのに気がついた。テーブルにたたき付けたときに怪我したのだろう。

「お手当を……」

「気にするな」

 ドゥルジはそれをぬぐおうともせず、華蓮の部屋を後にした。

 数階層下り、自分の部屋の前にたつと中から何者かの気配を感じた。

 だれかが自分の留守の間に入り込んだらしい。

 その階層は上級士官のみが出入りでき、階層の入り口には衛兵も立っている。こそ泥のたぐいでは無いだろう。

 長剣はないものの、いざというときに太股の内側に縛り付けたナイフがある。

 ドゥルジはそれを抜き取って逆手に構えるとゆっくりと扉を開いた。

 侵入者は扉を開けてすぐの場所に居た。

 逃げも隠れもせず堂々としている。ドゥルジが不届き者に思えるほどだ。

 そう、彼は招かざる客では無かったからだ。

「……お帰り、ドゥルジ」

 部屋の中で彼女を待っていたのはタルウィだった。



■Scene 37 困惑【Lost】に続く

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