■Scene 31 砂嵐【Storm】
どの世界よりも一月、一年の単位に曖昧なネルガルでは砂嵐の周期が年数代わりになる。
一周期は約二八〇日程度だ。
翌日……数周期に一度の砂嵐が接近していることが斥候から知らされた。
同時に‘あ・り・す’様が御隠れになったことも伝えられ、なおかつネボの‘あ・り・す’の卑怯な手段によって暗殺されたことも付け加えられたのだ。
‘あ・り・す’討伐の気運が高まる中、砂嵐は‘あ・り・す’様の無念の証としてその期間、街全体は喪に服しそれが空けるのをまって討伐することが決定した。
ネルガルの街の大通りにも人影が無くなり、ときたま近づきつつある砂嵐が運ぶ風が赤い砂を巻き上げている。
そんな中、タローマティは兵士宿舎に戻って着替えをしていた。
タルウィはまだ寝ているはずだ。少し甘えすぎたかもしれない、自分は心も身体も高揚しているのか一睡もしていないにも関わらず頭はすっきりしていた。
不意に扉が開いた。
「……おっと、これは失礼しました」
部屋に入ろうとしたのはトールである。ちょうどタローマティは下着を脱ぎ捨てたところだったのでその部屋を一端出ようとした。
「構わないわ……入ったら?」
タローマティは何も気にすることなく腰に布を巻きながらトールを招き入れた。
「そうでしたな……なかなかここの風習には慣れないものです」
「わたしもマルドゥックの風習にはなかなか慣れないのよ。男と女をあんなにわけ隔ててうまくいくものなのかしらね」
「それも慣れという物でしょう」
ネルガルでは異性に裸をさらすことは羞恥とならない。それどころか性交ですら握手程度の感覚である。
本能に忠実な行為であり婚約者が居ようと婚姻していようと求められて拒む者は居ない。
よってネルガルには強姦というイメージが薄い。犯罪としての暴行や殺人は存在するが、やや乱暴に行為に及んでも、相手がケガをすればそれが暴行罪として問われる程度だ。
それはタローマティも同じだ。彼女も求められれば拒まない。
ただしその結果快感を得られなければ相手は確実に殺される。この場合局部を潰されその後腹を焼かれる。
ネルガルの民でもそれは殺人行為となるが彼女はネルガルの‘あ・り・す’のトールである。‘あ・り・す’様に対しての不敬という口実に罰せられることはない。
よってタローマティを口説こうとする男は皆無だ。
「……ドゥルジはどうしたの?」
タローマティは胸に布を巻いていた。
サラシのようなものでこの世界での下着にあたる。不純物の少ない水がないこの世界では複雑な形状の着衣は洗濯が面倒なため、普段着は布を巻き付ける形を取っている。
「ようやく先ほどお休みになったようで」
「それであなただけ抜けてきたってわけ」
トールはうなづきもせず寝床の上に腰掛けた。
机の上には真新しい呪術師用のローブが用意されていた。
形状そのものは丸首のシャツにキュロット、それにマントである。ラクダもどきのウィチュアの毛を編み込んでありそれに特殊な呪術を施してあるために、並の剣士ではその布を貫通させることもできない。
それに対呪術用のシールドコーティングも施されており、術者のレベルに合わせて防御力が向上するためタローマティが身につけると無敵の盾となる。
「……タローマティ様」
「わたしに様はいらないわ」
「先日、ドゥルジ様がおっしゃられていたことは本当ですよ」
タローマティは手を休めない。かといってトールの話しを無視しているわけでもなさそうだ。
「マルドゥックの‘あ・り・す’様はわが主を討ち取ることを……」
「判っているわ。ドゥルジがあの手のウソをつけないことぐらい」
マントを羽織った彼女はトールに語りかけた。
「彼女とは意外と付き合いが長いのよ」
「そうですか……」
「あなたはわたしを止めないようね」
「わたしも人を見る目はあると思います。タローマティ様は止めて止まるお人ではありません。ですが外は砂嵐ではないですかな?」
「砂嵐はわたしの味方よ」
「それでは、わたしも連れて行ってもらえますか?」
それは意外な申し出だった。
彼は戦力不足の相手の強い助言者である。連れて行けば当然タローマティは不利になるだろう。
「どういうつもり? わたしが‘あ・り・す’を討ち取るところを見たいの?」
「どんな形であれ、‘あ・り・す’様の行く末を見届けるのもトールの役目ですから」
「……冷静ね、外は砂嵐なのよ」
「砂嵐はタローマティ様のお味方ではありませんでしたか?」
そう言って右耳をぴんとたてて見せたウサギ……きっと人間なら、背筋の寒くなるような笑顔を浮かべていたに違いない、タローマティはそう思った。
「いいわ、わたしの腰にしがみつくことを許してあげる。その代わり、振り落とされてもわたしは助けないわよ」
「かしこまりました」
そして二人は部屋を出た。
§
『もっと素早く、手首を返せ!』
声がする。
自分はいつもこの声におびえていた。なぜ自分がいつもこんな事をしなければいけないのか?
他の子供のように街で遊んではいけないのか。
子供の手にはあまりに大きなそれ。回転させるたびに切っ先が肌にふれそれが傷となる。
塞がりきらないうちにまた叩かれ、だんだんと痣になっていく。
『もし、これに刃がついていたらどうする?』
判っている、これが練習用で先端も刃も丸くなっている事を。
しかし自分はまだ子供なんだ。才能なんて関係ない、多分、あなたのようにはなれない。
涙を見せればまた叱られる、周りの大人はあの剣士の娘だからとあたしをほめる。
〈違う……あたしはあたしであって誰かの娘なんかじゃない〉
それを証明するためにあの人を越え果たし合いに勝ったのだ。
自分の父親に。大嫌いだったあの人に。
‘あ・り・す’様の前での御前試合、自分は試合だと言うことも忘れヴァ・ルオラで父親の右腕の健を切った。もう二度と剣術がふるえないように。
自分を追い込んだあの腕を!
だが……試合後、自分は気づいた。
だれもあたしの事を誉めてくれない、称えてくれない。ただ私怨で父親に剣を向けていた醜い形相にみな恐れをなしていたのだ。
ふるえた、全身の筋肉がふるえ、そして涙が止まらなかった。
その時……‘あ・り・す’様はあたしの肩を、身体を、そっと抱き締めてくれたのだ。
暖かい――自分に母親は居ない。
その時、自分の母親を見つけたような気がした。
聞こえる、あの優しい声が。獣のようにただ闘うことを望んでいた自分……
「エーコ、気がついたのね」
ぼんやりとした視界の向こうに女性の姿が見えた。
あの時、自分を抱き締めてくれた笑顔、それが若干若くなっているように見えるが語りかける声は変わらない。
「……‘あ・り・す’様?」
「良かった、エーコ……」
顔も声も同じだがやや様子が違う。
彼女越しに見える空は真っ赤だ。ここはどこだろう。 額が冷たい、でも、全身は熱い。
ゆっくり瞬きした後自分を心配そうに見る少女の顔がはっきり見えた。
「姫……ここは」
「ネルガルの街を脱出したの、そしたら途中でエーコが倒れたんだよ」
そうか、思い出した。
エーコは上半身を起こそうとしたが、それはすぐさま‘あ・り・す’様……華蓮に押さえられた。
「だめだよ、酷い熱なんだから。まだ寝ていないと」
確かにけだるい。足や腕の関節に痛みを感じていた。
「……ここはどこですか?」
「よく判らないけど野営地みたいだよ」
ネルガルの街に入る前に何回か利用したそれに設備が似ている。エーコも寝床の上に身体を横にしているようだ。
「馬車でまっすぐ進んでいたらマナフがここを見つけたの。誰も追ってこないみたいだし、エーコは動けそうにないから」
追っ手……そうだ、自分たちは。
「姫、ネルガルの‘あ・り・す’様ですが」
「わたしじゃないわ」
今までそれなりに笑顔だった華蓮の顔が急に沈んだように見えた。
「わたしがベールの中に入ったら、床に水晶が落ちていて、それを拾ったらいきなり爆発したの」
華蓮は懐から真っ赤な水晶を差し出した。多分ネルガルの‘あ・り・す’の水晶なのだろう。
「……では、退路を開いたときの爆発も違うのですね」
「うん、わたしにはこの水晶使えないし、それに、わたしの水晶も使えないみたい」
「姫のもですか」
「エーコの病気を治そうと思って水晶を使おうと思ったけど何の反応もしないの。だから、一応考えられることはしたんだけど、ちょっと待ってね」
華蓮はそう言ってエーコの顔に手を伸ばすと、額に張ってあった布状の物をはがした。
「……わたしの世界では熱が出たらタオルに水をしみこませて額に当てるの。でも、ここには普通の水が無かったから地下水を使ったんだけど」
布がはがれた後はわずかに風が当たると冷たく感じる。
華蓮はエーコの額に手を当てた。
「やっぱり少しべとべとになっちゃうね。熱、ちゃんと下がったかな」
そう言って華蓮は中腰になると、エーコの額に自分の額を当てた。
「あ、ひ、姫……」
「まだ、熱有るね……顔も赤いみたいだし」
エーコの顔が赤くなったのは熱のせいではないが、華蓮には判らなかったようだ。
手桶の中に布を入れて軽く絞ると、それをまたエーコの額に乗せた。
「我慢してね、熱が下がるまでだから」
「姫、その布は?」
「あ、ええと……手頃のが無くて」
そう言って舌をだす華蓮。
彼女のシャツはへその辺りまで切り裂かれていた。それをタオル代わりにしたようだ。
エーコは目頭が熱くなるのを感じていた。
「や、やだ、そんなにイヤがらなくても。ちゃんと何回か砂で洗ったのよ」
「どうしてあたしにそこまでしてくれるんです?」
「どうしてって、友達だからでしょ」
涙目のエーコに華蓮はそう言った。
「友達?」
「エーコはどう思っているか判らないけど、わたしにとってエーコは大切な友達よ」
「それは……姫の世界の栄子殿にあたしが似ているからですか?」
「それもあるかな。でも、栄子とエーコは違うわよ。何回もお願いしているのにわたしの事は名前で呼んでくれないし」
「そ、それは……」
「それにね、ため口聞いてくれるともっと楽なんだけどね」
「タメグチ?」
「そんな畏まった口調じゃなくてわたしからエーコにしゃべるみたいな感じで」
「ですがそれは」
「判ってるわ。今は病人なんだし無理させるわけにはいかないわよね。さあ、もう少し寝た方がいいわ」
「……はい」
エーコは華蓮に言われるままに瞳を閉じた。
多分、彼女の要求の名前で呼び捨ての上、ため口は無理だろうなと思っているうちに意識が闇に包まれていた。
§
「姫」
エーコが再び眠りについたのを見届け寝所を出ると、マナフが声をかけてきた。
ここについてからずっと追っ手がこないか見張っている。
「衛兵長は?」
「まだ熱が下がらないけど……一度意識を取り戻して、また寝たわ」
「そうですか」
「マナフも少し休んだ方がいいよ。わたしが周りを見るから」
「そうはいきませんよ。姫こそ少しお休みになった方が」
華蓮は首を左右に振って答えた。
「ですが姫も昨日から一睡もされていないはず。体力が持ちません」
「今眠ったらきっと目を覚まさないよ」
「それほどお疲れならなおのこと」
華蓮はうつむき唇をとがらせながら肩をふるわす。
「あの……何か失礼な事を言いましたか?」
「違う……違うよ。どうして言うこと聞いてくれないんだろう?」
華蓮は右手の中の自分の水晶を見つめていた。淡い黄色のそれは輝きを失い小さな手のなかで眠っているように思える。
「この水晶がちゃんと働けば、きっとエーコの病気だって治るはずなのに」
「しかしその力を使えば、姫の生命力を削ることになります」
「でもこのままじゃ、エーコが死んじゃうよ!」
華蓮は顔をあげマナフに向かって叫んだ。
だが、その勢いもすぐさま収まり力無くうつむいてしまった。
「……女王さまだとか姫だとか言われても、何にもできないんだよ。水晶の力が無くなるとわたしなんてただの女の子だよ」
「姫……」
華蓮はマナフの胸元に顔を埋めていた。
「エーコを助けたいのに、何にもできない……」
何故か泣くこともできない。
こんな時に大声で泣けたらどれほど気持ちが和らぐだろうに。
困惑顔だったマナフも意を決したのか華蓮の両肩にそっと手を添えた。
「大丈夫です、衛兵長は助かります、わたしたちもそうです」
「……気休めよ」
「そうかもしれませんが、希望を失ったらそれこそ終わりじゃないですか」
華蓮はそっと顔を上げた。
「以前、姫が運命は自分で決めるとわたしにおっしゃってくれたではないですか。わたしはその言葉に勇気づけられています。だから大丈夫です」
「マナフ……」
「ご存じですか? ‘あ・り・す’様には龍の加護があることを」
「龍? 『内気な人魚姫』に出てきたあれ?」
「そうです。生物界の長である龍は‘あ・り・す’様の危機を必ず救ってくれます」
「それも伝説なの?」
「はい」
そうだ、ここで自分が希望を失ってどうする。
少なくとも今は、トールも居ない今は自分がもっとも頼られる存在ではないか。
華蓮は何とか笑顔を作って見せた。そして、マナフの身体からゆっくりと離れた。
「ご、ごめんね、弱気になって……」
「いえ。仕方の無いことですよ」
「……ネボの‘あ・り・す’」
二人は突然投げかけられた声にその声の方向を見た。男の声である。しかも華蓮にはその声に聞き覚えがあった。
野営地の入り口、舟を前に黒い甲冑に身をくるんだ男が居た。
帯剣していないが彼が剣士であることはすぐに判った。よく発達した筋肉を甲冑がなんとか押さえ込んでいるように見えたからだ。
それ以上に……その男の顔を見たとたん華蓮は大きな声で叫んでいた。
「草薙くん!」
その顔はまさしく華蓮が追い求めていた慧香学園の同級生、草薙剛史のそれだったのである。
だが、同時にもう一つの顔でもあった。
マルドゥックの戦士……タルウィ。
どちらだ? もちろん彼女の脳裏には剛史の名前しかない。しかし、目の前の男からは剛史らしさは感じられなかったのだ。
「草薙くん、覚えていないの? 華蓮よ、美咲華蓮!」
「なるほど、タローマティがねらうわけだ」
彼は華蓮の問いかけに答えることなく、一歩一歩二人に近づいた。
甲冑が擦れ合う音すらしない、まったくの無音で近づいてくる。
マナフは華蓮を背後に回し、自分の剣を抜いた。
「止めておけ、おまえでは俺の相手にはならない」
「なるかならないかやってみなければ判るまい」
「愚かな……死ぬぞ」
その声とともにタルウィはマナフに向かってダッシュする。
目にも止まらぬとはまさにこのことだ。マナフは剣を差し出すように構えたが、距離を詰めたタルウィはその剣の腹に手を添えた。
ただそっと手を添えただけに思えたがマナフの剣がまっぷたつに折れたのである。
マナフは後ろ飛びしようとしたが華蓮が居る、せめて自分の身体を盾にしようと思ったのか、両腕で自分の顔をガードした。
それにどれほどの効果があるか判らない。
彼の不安を見透かしたかのように腹に向かって拳をふるうタルウィ、だが、その時だ。
甲高い金属音がした。それと同時にタルウィの身体が後方にとび、マナフとの間に二メートルほどの間合いができた。
タルウィの右胸のプレートに切り込みがあった。
呪術防御されているそれに傷を付けることができる武器はただ一つ。
マナフが目の前を見るとヴァ・ルオラを構えたエーコが立っていたのだ。
「ほう、ネボの戦士か」
「姫に何をする!」
「挨拶だよ。この後にやってくるタローマティにちょっとした贈り物をと思ってね」
「草薙くん!」
華蓮の声が響いた。それを聞いて、エーコは改めて目の前の男を見た。
「くさなぎ? まさか、姫の探している……」
「俺はタルウィ……マルドゥックの戦士だ」
「どうしたの、わたしを忘れたの!」
「うるさい‘あ・り・す’さんだ」
そう言って無造作に近づくタルウィ、エーコは華蓮の危険を感じ取ったのか、ヴァ・ルオラを半回転させると彼に向かって踏み込んだ。
再度金属音がする、今度は甲冑を傷つけたのではない。
エーコのヴァ・ルオラに食いつくように、タルウィの巨大な剣が打ち付けられたのだ。
帯剣して居ないはずのタルウィ、彼が右手を天に掲げたとたん彼の手の中に突如剣が現れたのだ。
ラグナロクである。
その大きさに見合ったかなりの質量らしく、ヴァ・ルオラで受け止めるエーコの腕が悲鳴を上げた。
もちろん、彼女が熱病に冒されていることもある。
セラミックの剣と魔剣がお互いを削り合う。エーコが気合いとともに半歩踏み込むと、それに押されるようにタルウィが後方にとばされた。
いや、彼の意志で飛んだのであった。
タルウィはすぐさま切っ先をまっすぐエーコの額へ向けた。
剣が当たったわけではない。
だがエーコの額の真ん中に小さなくぼみができたかと思うと、全身を硬直させヴァ・ルオラを手から離し、その後すぐに痙攣を起こすとその場に座り込んだ。
「エーコ!」
「どうやらこれまでのようだ」
華蓮は倒れたエーコを抱きかかえてタルウィを見た。彼はラグナロクを地面に突き立てると、
「またいずれ」
そう告げた。その言葉が終わる頃には彼の姿は巨大な剣ごと、赤い大地と空の景色の中に消えたのである。
「姫、とりあえずここを立ちましょう」
マナフは舟の方に向かって走った。
だが、彼がラクダもどきに手を添えようとした瞬間、舟がふくれたと思うと視界を丸ごと白色につつむ大爆発が起きたのだ。
吹き飛ばされたラクダもどき二頭は地面にたたき付けられそのまま動かなくなった。
舟は粉々に吹き飛び小さな破片は華蓮の身体に当たった。
マナフはかろうじて直撃を避けた物の、その場から動ける状態ではない。
華蓮はマナフを呼んだ。だが爆音がそれを邪魔する。
風が強くなり、巻き上げられた赤い砂が竜巻状に上空に昇っていく。
その向こうに……ローブを羽織った一人の少女が立っていた。
「さあ、‘あ・り・す’の力、見せてもらうわ」
タローマティは静かに笑っていた。
■Scene 32 召喚【Summon】に続く




