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‘あ・り・す’  作者: みやしん
■ Channel 3 Ninib:
23/52

■Scene 22 真実【True】

『あなたは‘あ・り・す’という言葉の意味を考えた事がある?』

 どこからか聞こえてくる声の響きは優しく感じられたが、同時に厳しく質問の答えを求めているように思えた。

 以前はその質問の答えを何度も真剣に考えたものだが、いつの間にかこんな答えに落ち着いていたのである。

「……‘あ・り・す’は世界を納める人の代名詞」

『それでは答えになっていないわ。では、なぜ世界を納める人が‘あ・り・す’と呼ばれるのかしら?』

 そう言われれば……その答えは得ていないような気がする。

 身の回りの慌ただしさからその言葉の意味は些末なことに思え、記憶の隅に追いやっていたのだ。

『意味を求めなくなったのは気持ちに余裕が無くなったからではないわ』

 では何故?

『それを求めるためにあなたは二つの橋を渡るのよ……』

 橋……そう言えばそんな事をあの子たちは言っていたっけ。

 亜美と由美。わたしにはどっちがどっちだか判らなかったけど。

 真実の橋と虚実の橋……だが橋なんてどこにもない。

 彼女、美咲華蓮は自分が置かれている状況に困惑していた。

 はたしてそれを状況と言ってよいものかも判らない。意識だけがどこかにふわふわと浮かんでいた。

 苦しさは感じないし気持ち悪さも感じない。

 ただ押入の中に押し込められた直後のような、まったく光のない空間に若干の恐怖感を覚えていた。

〈橋って……なんの事なんだろう?〉

『……姫!』

 また声が聞こえてきた。しかしこれはさっきの女性の物とは違う、聞き覚えのある優しい声だった。

『姫!』

 もう一度声が聞こえた。その声とともにゆっくりと華蓮の視界が開けて行く。

 目の前に見えるのは石造りの天井だった。

 石といっても細かな細工が施されており、そこからつるされたシャンデリアみたいな物が見える。西洋のお城にあるような派手な作りではなく、かといってただのガスランプでもなかった。

 華蓮は目の前の景色が姫と呼ばれた人物の物であることにすぐ気がついた。

 多分姫が身体を起こしたのであろう。そして彼女に呼びかけた人物に焦点を合わせたのであろう。

 目の前に見慣れた女性の姿が映ったのだ。

〈ママ……〉

「どうしました、アールマティ」

「あの兵士が目を覚ましました」

 アールマティ、ネボの街にある‘あ・り・す’の神殿の神官。

 その顔は華蓮の母親である蓮美にうり二つである。ただ、華蓮がネボの街で見た時よりも若く感じた。

「判りました、わたしが逢いましょう」

「宜しいのですか? 武器を取り上げているとはいえ並大抵の戦士ではありません」

「ですからわたしが逢う必要があるのでしょう……着替えを」

 姫はそう言うとベットから起きあがり、身につけていたローブ上の衣服を床に落とした。

 その時、視界は姫の視線ではなく映画のようなパノラマになった。驚いたことに姫はローブの下に何も付けていなかった。

 息を飲んでしまった華蓮だがよく考えれば自分の裸である。

 顔立ちは自分より大人っぽく見えるが、背丈や体型に大きな変化はない。

 ということはこのまま年齢を重ねても、胸はあのボリュームのままなのかと想い、少し肩を落とした。

 ネボの‘あ・り・す’、ハルワタートがローブを脱いですぐ、彼女の周りにはお付きと想われる女官が急ぎとりつき、てきぱきと衣服を着せていく。

〈自分で着れそうな簡単な服なのに〉

 そう考えたとき、

『女王様とはそんなものです』

 また聞き慣れたウサギの声が耳に飛び込んでくる。

 トールである。その姿は見えないがそれほど遠くに居るわけではないらしい。

『あの女官にしても‘あ・り・す’様の肌に直に触れることが最高の栄光なのですから』

〈そんなものなのかしらね〉

 華蓮は曖昧にうなづく。

 着替えを済ませたハルワタートはアールマティを従え部屋を出た。


  §


 ハルワタートが向かったのは居城の中の一室である。

 アールマティとの会話から捕らえられたどこかの兵隊に逢いに行くと読みとった華蓮は、その行き先が(居城にあればだが)じめじめした地下牢に違いないと思っていた。

 だがアールマティが開いた扉の先は青空と燐光が見える、オープンテラスの広々とした部屋だった。

 到底牢屋とは思えぬ明るい環境である。その部屋のすみにベットがあり、そこに一人の男性が腰掛けていた。華蓮には懐かしさを覚える顔である。

〈草薙くん!〉

 その男性は甲冑を付けていたものの、顔立ちは草薙剛史そのものだった。

 ただ、あの剛史にしては精悍すぎる気もするが、それは身につけている鎧のせいかもしれない。

「お目覚めですか、マルドゥックの戦士」

 アールマティの手をはねのけハルワタートはそう言って『剛史』に近づいた。

「ここは……どこか?」

「ネボの‘あ・り・す’の神殿の中の一室。昨日の戦闘にご記憶はありませんか」

 男は頭を左右に振って何かを思い出そうとしていた。

「……戦闘、よく思い出せない」

「あなたのお名前はタルウィ」

「俺の名前を知っているのか?」

「あなたが身につけていたこれにマルドゥックの文字で書かれていました」

 ハルワタートがタルウィに差し出したのは薄青色の布きれであった。その隅に華蓮が見たこともない形の文字で何かが書かれていた。

 タルウィはそれをじっと見つめ必死に何かを思い出そうとしているが、それも無駄であったらしい。

「医師にも見せましたが、後頭部を強く打たれているそうです。その時の衝撃で記憶を無くされているとか……」

「そうですか……失礼ですが、あなたは?」

「わたしはネボの‘あ・り・す’です」

「‘あ・り・す’……」

 ハルワタートの言葉を反復する彼。その声に華蓮はまるで自分が呼ばれたかのように錯覚した。

 だが、とうのハルワタートの目には何故か悲しさを表す色が浮かんでいた。


  §


「姫、あの兵士をどうするおつもりですか?」

 タルウィとの会話を終えたハルワタートは、アールマティを従えて廊下に出るとそのまま自室へと向かう。

 華蓮が最初に見た部屋は寝室だったらしく、今は全く別の、やや狭く感じる一室に入っていった。

 角にある部屋らしく二方向が外に面しており街並みを望むことができる。以前華蓮がトールと一緒に足を踏み入れた方向とは別らしく、家々はあるものの木々の間にわずかに見える程度だった。

 大きめのテーブルの上には書類とペン――墨を材料にした鉛筆のようなそれが置かれていた。

 ハルワタートは執務机に備え付けられたイスに腰掛けると、上目遣いにアールマティを見る。

「……とりあえず傷の治療と記憶の回復ね」

「姫、あのものは敵の兵士です、しかも、昨日の戦闘から見て兵士長でしょう」

「ええ、判っているわ」

「あの者はわたしの水蛇をうち破ったのです」

 どうやらアールマティとしては忌み嫌っている自分の呪術とはいえ、水蛇が効かなかった事に焦りを感じているのだろう。

 ネボの世界の時間で二日前、マルドゥックの世界から一兵団がこちらに向けて侵攻を開始した。

 そもそも兵隊組織など存在しないネボである。十分に訓練されたマルドゥックの兵士を向かい打てるはずがない。

 ‘あ・り・す’の衛兵はいるが兵士と言うよりボディーガードに近いのだ。

 それでも忠誠をつくす‘あ・り・す’を守るため命をかける気合いはある。

 マルドゥックからネボに向けて開いたチャンネルはネボの神殿の直ぐ近くであった。どうやら念入りにチャンネルを設定していたらしく、ネボの‘あ・り・す’のみをねらいとした強襲作戦のようだ。

 戦闘は一トグもかからず終わると思えたが勝利したのはネボ側だった。

 ハルワタートの命が危ないとみたアールマティはその時の呪術の限りを尽くし、数万に及ぶ水蛇を召喚したのである。

 彼女がそれほどの大量の水蛇を召喚したのはこれで二回目だが、今回は様相が異なっていた。

 兵隊の指揮をとっていた兵士が特殊な剣技で水蛇を一閃したのである。通常水蛇に物理攻撃は効かない。切ろうと粉砕しようと元に戻る。場合によっては切断した数だけ増える。

 しかし男の剣技で切断された水蛇はその場で蒸発する。のちのアールマティの見立てでは聖霊の魂ごと粉砕したのではないかと考えられた。

 それでもマルドゥックの兵力は五〇分の一程度、わずかに数十人しか生き残ることが出来なかった。

 しかし水蛇を斬った兵士は、その勢いでハルワタートに迫っていた。

 もはや手がないと確信したアールマティは禁呪を唱えようとした。

 だがハルワタートは水晶をかざし、その光で兵士を包んだのである。

 光の圧力がやみ視界がはっきりすると兵士はハルワタートの前に倒れていた。

 男がやられたと見間違ったマルドゥックの兵隊は総崩れになり、チャンネルをひらき退散していったのである。

 ハルワタートがどんな技を使ったのかアールマティには判らなかったが、意識を取り戻したその兵士は自らの記憶をなくしていた。

「……それではあなたはどうすればいいと思っているの?」

「マルドゥックはまた攻撃を仕掛けてくるはずです。その時のために」

「人質?」

 あまり口にしたくなかった単語をハルワタートにあっさりと告げられ、アールマティは頬を赤くして俯いた。

「……わたしがそんな手段が嫌いなのはあなたもよく知っているでしょう?」

「しかし相手は‘あ・り・す’様のお命をねらっているのです」

「マルドゥックがねらっているのはわたしの持っている水晶ではないかしら」

 ハルワタートは自分の胸元にわずかに見えていたネックレスを引き上げた。

 そこには華蓮のそれよりやや小さく青みが強い水晶があった。

「しかし、その水晶を渡すことは姫のお命をとられる事と変わりません!」

 ハルワタートは大きなため息をついた。

「わたしの命なんてそんなに大切な物なのかしら?」

「姫、何をおっしゃって居るんです!」

「わたしの立場はこの水晶を操ることだけ。後は『最期の選択』を行うだけ。自分に一国の人々をかけて守ってもらう価値があるとは思えないの」

「姫……」

「……ごめんなさい。あなたを混乱させてしまって。でも、わたしには怪我をしている人にむち打つことは出来ないのよ」

「そのお優しい心は立派だと思いますが……」

「違うわ」

 ハルワタートは席をたって窓際に近づいた。

 今日も青空に燐光が揺れている。

「わたしは臆病なだけ。たまにね、わたしの立たされている立場が面倒になって、誰かわたしの命を奪ってくれるのを待っているのよ」

「姫!」

 アールマティは駆け寄ろうとしたが、ハルワタートは振り向いてそれを止めた。

「……冗談よ」

 ハルワタートはそう言って微笑んだが、華蓮には冗談には聞こえなかった。


  §


 ‘あ・り・す’という立場が女王と同じと思っていた華蓮だが、ハルワタートの一日を見ているとどこか違うように感じる。

 ネボの世界のみの特性かもしれないがとても平和なのである。

 それなりに犯罪もあるらしいのだが世界全体を転覆させようとか、そんな物騒な事は無いらしい。

 よって政[まつりごと]は政治・経済に疎い華蓮から見ても非常にのんびりと行われていた。

 一応午前中に閣議がある。

 そこでは農作物の収穫とか税率の決定とかを話し合うのだが、昼から夕方にかけて議員も自分の仕事に帰っていく。

 たとえばそれは衛兵も同じであり、三日に一度の神殿警備をのぞくと他の日は自分の仕事に就く。

 他の仕事を持たないのは‘あ・り・す’ことハルワタートとアールマティ、それに‘あ・り・す’に仕える女官ぐらいであった。

 ハルワタートにしても閣議に出ても特に意見を出すわけではない。何か決定事項があればその最終確認を行う程度である。

 日本の天皇陛下が『日本の象徴』であることと似ていると思った。

 それでもネボの世界の人々は‘あ・り・す’に寵愛を示しているのか、正午に神殿のテラスに姿を現すと、明るい声援を投げかけられる。

 さらに手に届かぬ存在でも無いらしく、その日の午後は二人ほど女官をつれて街の市場に出向き、市民と気軽に話をする。

 その姿を見ているとただの愛想のいい女性に見えてくる。

 どうしても、と手渡された野菜類を持って――当然、持ったのは女官だが――居城にもどるとあっという間に夜になっていた。

 ハルワタートはそのまま医師の部屋に向かい、そしてタルウィの部屋に向かった。

 彼はちょうど食事中であった。

 肉食が中心となるマルドゥックと菜食主義のネボでは食生活が異なるのだが、タルウィはテーブルの上に出されたスープとサラダを食べていた。

「あ、ええと、‘あ・り・す’さん」

 すぐに部屋を出ようとしたハルワタートにタルウィが声をかけた。

 振り向いて近づくとちょうど食事が終わったところらしい。

 ハルワタートは微笑みながら彼のそばに近づいた。

「お食事は口に合いまして?」

「……ええ、というか、初めて食べる物ばかりなので」

 それでも残さずに食べたのは空腹のなせる技なのかもしれない。

「どうです、何か思い出せましたか?」

「いえ……自分の名前がタルウィという事すら実感が無いのです」

「そうですか……」

「それと‘あ・り・す’さん……」

 タルウィの一言にハルワタートはくすくすと笑っていた。

「あの、何か?」

「いえ、わたしは確かに‘あ・り・す’と呼ばれる立場にありますが、それは名前ではありません」

「では、なんとお呼びすればよいのですか」

「……ハルワタート」

 自分が自分の名前で呼ばれなくなって久しかった。いつの間にか周りからは‘あ・り・す’様と呼ばれ姫と呼ばれる。

 果たして自分が名前を失ったのはいつか。彼女はそう考える。

「そうですか。ではハルワタート、あなたの知る限りでよいのですが、俺が何者か教えていただきたい」

「マルドゥックという名前に覚えはありますか?」

 タルウィは首を左右に振った。マルドゥックでもそれは否定的を示す仕草のようだ。

「あなたはマルドゥックという世界の戦士です。先日、マルドゥックはこのネボという世界に戦争を仕掛けてきました」

「戦争、ですか? それで俺は甲冑をつけているのですか?」

 その甲冑は今のところベットの横に畳まれていた。

「多分そうでしょう。結果的にわたしたちの世界はマルドゥックの軍隊を退けることに成功しました。あなたはその時ケガをしてこの世界に取り残されたのです」

 ハルワタートは彼の要求通り知る限りの素性を話して聞かせた。

 だがタルウィの記憶は戻らなかったらしい。

「それでは、俺とあなたは敵同士、という事ですか?」

「そうですね。あなたの記憶が戻れば多分そうなるでしょう」

「……ではなぜ、俺にこんなに親切にするのです。俺はあなたを倒すためにここに居るかもしれないのに」

 タルウィはアールマティと同じ疑問を口にした。

 それにハルワタートは笑顔で答えた。

「今のあなたはけが人です。ネボは命と慈しみの世界……ケガをした人をそのままにはできません」

「だが……」

「本当に敵同士かはあなたの記憶が戻ったときにまた、考えればよいことだと思います」

 そう言ってハルワタートはベットから離れた。

「ここは静かな世界です。傷が癒えるまでゆっくりしてください」

「……ええ」

「おやすみなさい」

 彼女は足音をたてずに部屋から出ていった。


  §


 ハルワタートが向かった‘あ・り・す’の寝室の前に、華蓮の見知った姿があった。

〈あら〉

 思わず声を上げたが彼こそ、

「宜しいのですか、‘あ・り・す’様」

「何がです、トール」

 右耳が途中でおれている二足歩行のウサギである。

 トールであった。

〈あなたの姿って変わらないのね〉

『そうですかね』

 彼は彼なりに成長しているのだといいたいのかもしれない。

「アールマティ様の言っていることは確かです。彼の目的は‘あ・り・す’様のお命。このままここで養生させてよいとは思えません」

「ホント、アールマティと同じ事を言うのね」

 ハルワタートは彼の事を無視するように寝室に入っていった。もちろんトールもその後を追った。

「彼は記憶をなくしているわ。それに記憶が戻ってわたしに手をかけようとしても、水晶はわたしを守ってくれる。この間みたいにね」

「それはそうですが……もしかすると、『最期の選択』が迫っているのかもしれませんよ」

「そうなのかしら」

 ハルワタートはベットに腰掛けてトールの事を見ていた。

「もしそうであれば水晶は‘あ・り・す’様に味方してくれないかもしれません」

「……‘あ・り・す’の伝説?」

 それは以前、ネボの預言者の祠で聞かされた単語だった。

「わたしは伝説に惑わされないつもりよ。それに『最期の選択』なんて信じていないし」

「ですが、わたしは見ております」

「……過去のすべてが未来永劫繰り返すとは限らないわ」

「なるほど……」

 トールの口調は納得を示す物ではない、ハルワタートにもそれは判ったのだろう。彼女は腰をあげて衣服を脱ぎ始めた。

 それと同時に部屋に控えていた女官が寝間着をもって彼女に近づいた。服の形式は帯のない浴衣に近いが、下着のたぐいは付けないらしい。

「……もう休むわ」

「そうですか……それでは失礼します。お休みなさいませ」

 トールも女官もハルワタートに深々とお辞儀をすると部屋から出ていった。

 彼女が床についてガスランプの明かりが落ちていく。窓の外には燐光が揺らめいていた。

「……‘あ・り・す’の伝説、か」

 寝返りをうったハルワタートは歌うようにこう言った。

 

 『‘あ・り・す’は必ず彼女の恋する男に命を奪われる』、と。


■Scene 23 虚実【False】に続く

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