■Scene 21 双子【Twins】
華蓮は目の前の女性の名前を発音してよいか悩んでいた。
ニニブの世界の幹ヶ原池公園によく似たオアシスの中に倒れていた少女……たぶん年齢は華蓮と同じくらいなのだろう。見慣れたその顔つきが自然とそう思わせるのである。
その女性はシャマシュの世界での草薙剛史の幼なじみ、そして華蓮がもっとも苦手とする同級生、西村和美にそっくりであった。
相違点はヘアバンドをしておらず眼鏡を付けていないこと。そして彼女の衣装であった。
エーコやマナフのそれとも異なるし、ネボの街で見た普通の人たちの着ている物とも違う。ニニブの世界の服装なのかと思ったがトールの問いかけでそれも違うと判る。
「……失礼、わたしの言葉は判りますか?」
「はい、判ります」
弱々しく聞こえるものの、やはりそれは和美の声そのままであった。
「あなたはニニブの世界の人ではありませんね」
彼女にさらに質問を浴びせるトール、華蓮はその質問を不思議に思ったのか、二人の間に割り込んでいた。
「なんで彼女がこの世界の人でないって判るの?」
「はい。この女性にも生態活動の兆候がありません。ニニブに生まれ育った人で有ればネボやシャマシュの世界の‘あ・り・す’様のように代謝が有るはずですから」
「なんだ。この世界にいるすべての人の時間が止まっているわけではないのね」
「代謝が停止するのは必要以外にこの世界に滞在している生き物だけですよ」
必要以外、それが何を意味するのか華蓮は少し悩んでいたが、ここが死の世界だとすれば『死亡していない人』がそれにあたると思いつくのにそう時間はかからなかった。
華蓮の表情をみてトールは和美に似た女性にむき直る。
「あなたはどこの世界の人ですか?」
「わたしは……マルドゥックという世界に居ました」
その名前が出たとたん、華蓮は目を見開きエーコは剣に手をかけていた。
「マルドゥックだと!」
「お待ちください」
そのまま斬りつけようとするエーコをトールは止めた。
「しかしこの女は……」
「兵士とは限りませんよ。それに兵士だとしてもわたしたちに敵意を持っているか判らないでしょう」
そしてトールは華蓮を見た。
「‘あ・り・す’様にはそれ以外に驚く要素がおありのようですが……」
「ま、まあね」
華蓮は照れ隠しに斜め上をみると不自然に笑って見せた。
その様子をみるエーコとマナフだったが、二人には姫の様子がいつもと異なって見えなかったのか、視線はマルドゥックの女性に注がれる。
華蓮は無視されまいと一歩踏み出した。
「あなたの名前を聞いても良いかしら?」
「わたしの、ですか?」
「ええと、わたしは美咲華蓮。でも最近は‘あ・り・す’って呼ばれることが多いけど」
「……‘あ・り・す’様!」
マルドゥックの世界にも‘あ・り・す’は存在する、最近入ってくる情報が多すぎてそれを整理することが難しい。
四つの世界を納める四人の女王の事、さらに彼女らを示す代名詞が‘あ・り・す’であること、その内の一人が自分であることは理解している。
目の前の女性の表情におびえのような物が見える。自分の素性を素直に言い表した事に後悔した。
「あ、でもネボの世界でそう呼ばれていただけだから。ここではあなたと同じ必要外の生き物なの。ところで名前を聞かせてくれる?」
「わたしは……カズミといいます」
〈あう……〉
華蓮は両肩を落としそうになったが、そんな表情を相手にみせればさらに萎縮するに違いない。
作り笑いで彼女をみるが、そばでトールがにこにこと笑っている。彼女は片足をひょいっとあげて彼のお尻をぽんと蹴って見せた。
「ところで」
とそこで華蓮は言葉を切った。そしてエーコの横顔をちらりと見ると右耳をぴんと立てているトールに耳打ちする。
「マルドゥックには忌み名ってあるの?」
「いいえ、ありません」
華蓮は安心しうなづく。
「カズミさんはどうしてこの世界に?」
「わたしの世界の兵士がここに訪れたときに一緒に来ました。兵士はここの反撃にあって全滅し、世話をするために連れてこられた女性もわたしを残して死んでしまいました」
「反撃?」
マルドゥックの事だから、ニニブへの侵攻だろうと予想を付けていた華蓮だったが、改めて周りを見ても真っ黒な空の天井に星のような命灯、そして砂漠と風が吹くばかりの荒野以外、何も見つけることが出来なかった。
「それにここって『死者の世界』でしょう? 生体活動が無いのなら不死身と同じじゃないの?」
「‘あ・り・す’様、ここは死者の世界だからこそ何人も支配することが出来ないのです」
トールは冷静にそうつぶやいた。
「でも、兵士はおろか、人すらいないじゃない」
「人は居ます。‘あ・り・す’様もその方々に逢わなければいけません」
「……この人はどうするの?」
当然目の前のカズミの事だ。彼女は不安そうに華蓮を見ていた。
どうやらエーコの目はきつすぎて顔を向けることが出来ないらしい。トールはカズミの顔をのぞき込んでいた。
「いかがされますか。わたしたちも旅の身いずれはマルドゥックにたどり着くと思いますが……」
「ご一緒してもよろしいのでしょうか?」
「トール殿!」
穏やかな会話に割って入ったのはエーコだった。
彼女にしてみれば当然の反応と言える。華蓮にもなんとなく判っていた。
例え兵士では無いにせよ、ネボの神殿を襲いそして各世界に侵攻しているマルドゥックの人間である。衛兵として無条件に反応してしまうのだろう。
「エーコ殿、確かにこの世界に居る限りカズミ殿は不死ですし、国元でもすでに死亡扱いされているかもしれませんが」
「いや、そうではなくて、マルドゥックの兵士で有れば我々の敵ではないか」
「兵士であればそうかもしれませんが、この方はお世話をする方だと言っているではありませんか」
「しかし……」
「いいじゃない、一緒に行きましょ」
華蓮は髪の先を指で遊びながらぽつりと呟く。
「姫!」
「エーコの気持ちも判るけど、この人にとってはいきなりこんな訳の判らない世界に連れてこられて、置いてきぼりになって食べ物も食べられないなんて悲惨よ。おまけに着替えも無くてお風呂もなくて、夜ばっかりなんてめげちゃうわよね」
前半は確かに目の前の彼女の心情かもしれないが、後半はほとんど華蓮の心情に違いない、トールもマナフもエーコもそう感じていた。
「と言うわけで一緒に行きましょう。ただこの後はこの」
華蓮はトールをちらりと見た。
「ウサギの言う人物に逢ってからネルガルって世界を経由して、マルドゥックに行くのはその次だけど」
「はい、連れていっていただけるだけでうれしいです」
「エーコもそれで良いでしょう?」
「はい、姫がおっしゃるのなら」
エーコの顔には不満が一杯に詰まっている、それは見ているだけでよく判る。
だがそこはそれ‘あ・り・す’様こと華蓮の意見に逆らうことも出来ない。
「怖い顔しないで。どんな所でも一人は寂しいのよ」
華蓮の何気ない一言に、エーコは見慣れた筈の小さな姫の中の隠された孤独を見たような気がした。
‘あ・り・す’という肩書きもしらずにネボの世界で女王として担ぎ上げられ、誰もしれぬ過酷な運命に立ち向かっている……本人はただ単に、異世界に消えたボーイフレンドを探しているだけかもしれないのだが。
それにしても。
華蓮はカズミの顔をまじまじと見ていた。
「……あの、何か?」
‘あ・り・す’様の表情に不安を感じた長髪の少女はわずかにおびえて見せたが、
「ううん、何でもないわ」
エーコといいカズミといい、酷く似すぎだ。
ただ、カズミの性格はこちらの方が格段に良さそうだと、華蓮は一人うなづいて見せた。
§
この世界の住人でない華蓮たちにとって休息はまったくの無駄である。
確かに空腹感もなく喉の渇きも感じず、さらに数時間歩き続けても筋肉痛一つない。
ニニブの中で活動するために必要なエネルギーは、大地から供給されると言うが、何故ここの世界は異世界の住人に対して寛容な態度をとるのだろう。
幹ヶ原池公園に似たオアシスを離れ、メンバー一人を加えて華蓮たちは歩き続けた。
目立ったあかりもないクセに周りを確認するには十分な光量がある。そのくせ見渡す限りの砂漠は、実はどこにも進んでいないのではないか、そう思わせるのだ。
肉体的な疲れを感じないのはエーコもマナフもカズミも同じだった。
ただ、砂の無限回廊を進み続ける精神的な疲労は誰もが感じており、トールを除けば顔色が悪い。
あれだけ強がって見せるエーコですらため息をつかずにはいられないらしい。
オアシスを出て何時間か過ぎたときだろうか。
「……どうやら、目的地が見えてきたようです」
顎があがって前屈みに地面を見つめていた華蓮は、トールの声に反応して見上げると……やはり見えるのは暗闇である。
「どぉこぉ」
返事がまるっきり気が抜けているが、トールはそれにもめげる様子もない。
「判りにくいかもしれませんが目の前をよく見てください」
そう言われて残りの三人も目の前のまっくらなスクリーンを凝視した。
「……あれ、山ですか?」
それらしき何かを最初に見つけたのはマナフだった。
華蓮とエーコは彼が見ている方向を見る。改めて目を凝らしてみると……そう言えば目の前のある一角だけ命灯がない。
ただ、それは縦長の長方形であり山と言うには異様である。
「……あとどれくらい歩くのぉ」
華蓮もそれを確認したが彼女の関心はむしろ、目的地までの距離であった。
「遠くに見えますがそんなに歩きませんよ」
「そんなにってどれくらいー」
「‘あ・り・す’様の時間感覚で一〇分ほどです」
本当だろうか?
ぼやけた頭で目測してみても数時間歩きそうな気がする。だから流し目でトールの事を見た。
「ホント?」
「はい、ウソはつきません。わたしが‘あ・り・す’様にウソを教えた事がありますか?」
よくよく思い出してみると彼がウソを付いたことはない。
むしろ本当の事しか華蓮に告げていなかった。もしくは教えてくれないかのどちらかだ。
「うんしょっと」
華蓮は重い腰をあげて歩き出した。トールはにこりともせずその後を追ったのである。
トールの言葉にウソは無かった。
歩き始めて一〇分後、目の前に巨大なブロックがあった。
多分、麓であろうそこから見上げると頂上を確認することができない。
なにしろ平坦な地面から五〇メートル四方の大地がせり上がっているのだ。
絶壁という言葉ですら生ぬるさを感じるような、岩の壁がそこにあった。
しばらく真上を見上げていた華蓮とエーコだが、首が痛くなったのかほぼ同時に首をもたげため息を付いた。
そしてまたほぼ同時にトールを見た。
「……ねえ、これなに?」
「何ですか、これは?」
「そうですね、山です」
「山ねえ……」
大地が一部せり上がって高くなった地形を山と呼ぶのであれば。山と言われれば山に見えるが……
「ここはどこ?」
「記憶の墓場……ニニブの民はそう呼んでいます」
「わたしはそこで何をするの?」
トールはそれに答えず目の前の岩の壁に目を向けた。
闇にとけ込みそうなその壁に、天から一条の光が降りてくる。二つの輝きがゆっくりと螺旋を描いていた。
その様子を見上げながら華蓮はある事を思い出した。
〈二重螺旋……なんて言ったかな。そう、DNAだ〉
生命を複写するための情報、ディオキシリボ核酸であるそれがどんな構造なのか深くは知らない。ただ、物質の結合が螺旋階段を描いている教科書のイラストだけは覚えていた。
二つの光は音もなく大地に降り立った。
まぶしさはあまり感じないのに目の前にある何かを凝視することが出来ない。
やがて光の壁が一つずつはずれそこに人のシルエットが見えた。
目の前に二人。
フードをかぶりマントで全身を覆い二人とも手に大きな杖を持っていた。
不思議だったのは二人の容姿がまったくおなじ事だった。フードとマントに遮られて顔を見ることは出来なかったが、衣服も杖もサンダルも複写したかのように同じであった。
そして動作も同調していた。
目の奥が痛くなるような、いっそ錯覚であったほうが理解しやすそうな二人は同時に杖を華蓮に差し出した。
「ネボの‘あ・り・す’様ですね」
女の声だった。それも華蓮にとっては聞き覚えのある響きである。
ただ、どちらが放った声なのか判らない。
「ようこそニニブへ」
「ようこそ記憶の墓場へ」
彼女らはその言葉の直後、杖を引き寄せフードを外した。
華蓮は思わず息を飲んだ。その二人の顔に見覚えがあったからだ。
名前を呼ばなかったのは経験からではなくただ単に驚いただけである。
さらに二人の名前を同時に言うことが出来なかったからであろう。
加藤亜美と鈴木由美……名字も性格も異なる双子、しかも二人を同時に見た級友はほとんど居ない。
そんな伝説の姉妹。それがそろって今、目の前にいる。だが、どちらがどちらかまったく判断できなかった。
フードの折れ方はおろかそこから現れた顔はまるで同じだった。
距離と薄暗さがあるために克明には判らないものの、目の位置や口・鼻の形、髪に至っては色や光沢や跳ね具合までまったく同じなのである。
「……あなたこそネボの‘あ・り・す’様」
「……すべての悲劇を背負う女王様」
「悲劇?」
「そう、それを求めるために」
「あなたはここに来た」
二人はゆっくりと華蓮に近づいた。
その歩幅も手の振りもまったく同じである。近づけば近づくほど違いを見つけることができず、目の錯覚のように感じてしまう。
「……あなたは誰なの?」
華蓮の問いにも二人の動きは乱れない。
「わたしたちに名前はなく」
「わたしたちに個性はない」
「わたしたちは導く、真実の橋と」
「わたしたちは導く、虚実の橋に」
華蓮の前で跪いた二人は、杖を差し出して華蓮の前で交差させた。二人が初めて別々の動きを見せたのである。
「わたしはここで何をするの?」
杖を交差させたまま、向かって左の女性が立ち上がった。
「ここは『記憶の墓場』……命から解き放たれた主をなくした記憶が寄り添う場所」
「この山に、色々な人の思い出があるの?」
「そう。その中にはネボの‘あ・り・す’様が忘れようとしたあなたの過去も存在する」
「わたしの過去?」
杖を交差させたまま、向かって右側の女性が立ち上がった。
「‘あ・り・す’様は求めているはず、自分が捨て去った過去を、自分がここに至るまでの記憶を」
「その中にそれがあるの?」
「それは真実の過去と」
「それは虚実の過去と」
杖を引いた二人はまた一人のようになった。
「あなたは二つの橋を歩み」
「あなたは一つの道を選ぶ」
二人は華蓮に手を差し出した。向かって右側の女性が杖を左手に持ち替えて、鏡の中に導くようにゆっくりと手を動かす。
「‘あ・り・す’様」
華蓮の足下でトールの声が響いた。
「橋を渡れるのは‘あ・り・す’様一人です」
「……わかったわ」
華蓮は二人に導かれるように足を動かした。
多分、拒否することもできるのだろう。しかしあの山の中に閉じこめられた記憶の中に、これからの旅を導く何かがあるような気がするのだ。
華蓮は両手を差し出し二人の女性の手に重ねた。
すると右手からは赤い光、左手からは青い光が満ちあふれ、それが光球になって螺旋を描いて腕から肩に、そして全身に駆け上がったのである。
「姫!」
とっさのこと、エーコは身を乗り出した。
だが、光はほんの一瞬の輝きを残し、そこから二人の女性と華蓮の姿を消し去ったのだ。
「トール殿、姫はいずこに!」
「心配はいりません。‘あ・り・す’様はご自分の本当の記憶を求める旅にでただけです」
「では、あたしたちはどうすれば?」
「待ちましょう……いまできることはそれだけです」
確かにそれ以外の手は無いように思えた。
エーコは唇をかみしめ目の前の絶壁を見つめた。
§
華蓮の姿が消えて五分ほどすぎて。
落ち着かない様子のエーコを後目にトールはカズミに歩み寄った。
「カズミさん、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
人語を器用に話して見せるウサギは右耳が途中から折れ曲がっている。カズミは腰をかがめて視線を合わせていた。
「……何でしょう?」
「マルドゥックの侵攻についてです」
「ですが……わたしはあまり詳しく知りません」
「ええ、構いませんよ」
トールはエーコとマナフに見つからないようにと、二人の死角になる山の陰にカズミを引き寄せた。
「……それで、何をお話しすれば宜しいのですか?」
「そうですね、マルドゥックの‘あ・り・す’様はお元気ですか?」
カズミは目を丸くし声を詰まらせた。
「そんな、わたしなどは‘あ・り・す’様とお話できる身分ではございません」
「そうですか? あなたならご自由に会見できるはずでは、ドゥルジ様」
「なっ!」
「丸腰でわたしたちに合流するとは思いませんでしたよ」
トールのつぶらな瞳はじっとカズミ=ドゥルジの姿を見ていた。
「なぜ判る……それに剣が無くともおまえを殺すぐらい訳もない」
「でしょうね……でも、誤解しないでいただきたい。わたしはあなたの正体を他の方々に知らせるつもりはありませんよ。あなたさえボロを出すことが無ければね」
「なに?」
「一応忠告しておきましょう。マルドゥックの兵士に仕える女は必ず左腕の人差し指に入れ墨を入れているのです。むろん、エーコ殿とマナフ殿はご存じ無いと思いますが」
トールはそう言ってドゥルジに背中を向けた。
「くれぐれもご注意を」
「……なぜそんなことをわたしにいう、おまえは、‘あ・り・す’に仕える身ではないのか?」
「もちろんです」
トールは振りかえり右耳をピンとたてて見せた。
「トールとは『‘あ・り・す’様にお仕えする者』という代名詞ですから」
ウサギの両目は闇の中に小さく光っていた。
■Scene 22 真実【True】に続く




