■Scene 20 旅人【Traveler】
水晶の船が着いた先は闇だった。
ただ全くの闇というわけではなく、自分たちの姿も他の人物の姿も表情が読み取れる程度に暗闇の中に浮かんでいる。
目が慣れると天空に無数の星が見えている。それが星という名前では無いのかもしれない、華蓮は単語を口に出す前にそう思った。
空の様子が異なる事に動揺しているのは華蓮よりエーコとマナフである。
「姫……あの空にある光の点々は一体なんですか?」
エーコは空を指差してそう言った。マナフも同じように空を見上げている。
「そうねえ……シャマシュでは星って言うんだけど、ここでは違うんでしょ」
とトールを見ると、
「はい。あれは命灯といいます」
「めいとう?」
これは残りの三人がほぼ同じに声を上げていた。
「命の灯かりという意味です。ニニブには夜しかありませんから一日中あの光をみて暮らす事になります」
夜しかない世界。なんとなく気が滅入りそうになる華蓮だがあまり夜が持つ薄気味悪さを感じさせないのに気が付いた。
ネボにも太陽という存在は無かった。空にあったのは燐光と呼ばれるもので太陽の代わりになるような光量や熱量を持っていない事は、じぃっとそれを見ていてもちっとも目が痛くならないのでよく判る。
ではなぜ昼夜の区別があり昼にはきちんと空が青く見えるのか。残念ながら華蓮には判らない。それはネボの住民にも言えるのではないか。
きっと同じ質問をあの街の住民にしてみても、「そうなんだからそうなんだよ」という曖昧な返事が帰ってきそうだった。
「ねえトール。ここの人たちってどんな生活を送っているの?」
「ネボの世界やシャマシュの世界と何ら変わりないと思います。ここの住人の生活サイクルは約二八時間で成人であれば一日約九時間の睡眠をとり、のこりの一九時間は農作物の栽培をおこなっています」
四人が降り立った場所は山間の盆地だ。三方を切り立った崖に囲まれ残る一方は地平線まで砂漠が見えていた。
風が吹く音以外何も聞こえてこない。
華蓮は黄泉の世界という表現を思い出していた。ただ生命がまったく無いわけではなく、足元には草が、そして山肌にそって樹が生えているのである。
樹はみな高さが低いが広葉樹ににており、葉はみな地面にむかって垂れ下がっていた。
「太陽光がないのに植物が育つのね」
華蓮はしゃがみ込んで足元に生えている草に触れた。
「ここの植物は光合成によって栄養を得るのではなく、大地からの特殊な熱輻射によって栄養を得ているのです」
「熱輻射? でも、地面はそんなに暖かくないわよ」
「実際に熱が放射されているのではなく、微弱なマイクロ波が放出されているのですよ。木々の葉はその受信機になっていて、そこから代謝に必要な蛋白質などを生成するのです」
「ふーん」
つまらなそうに返事をする華蓮にエーコがおそるおそる尋ねた。
「姫、今の説明で理解できたのですか?」
「ぜんぜん判らないわ」
実にきっぱりと、そして自信をこめた一言にエーコもついうなづいてしまう。華蓮の判ったフリというのを理解しはじめているのかもしれない。
華蓮は手のひらを地面に当ててその熱複写を感じようとしている。しかし伝わるのは土の冷たい感触だけで木々を育てる力の波動のような何かを掴むことはできなかった。
「これからどこに向かうの?」
しゃがみ込んだまま華蓮はトールに訪ねた。
「この世界で向かう場所はひとつ、‘あ・り・す’様のところです」
「村とか街とか人が住むところには行かないの?」
「ここの人々には干渉しないほうが良いでしょう。その理由はすぐに判っていただけると思います」
トールはそれを言い終わると砂漠に向かう道を歩き出した。
三人は何も言わず、その後を追った。
§
砂漠は昼と夜との寒暖差が激しく、灼熱の太陽だけをイメージして薄着でいると、夜には凍死しかねない……華蓮はテレビのドキュメンタリーで覚えた事を思い出していた。
土に比べて砂は熱を反射しやすいが保持する能力が低い。昼の間に蓄えた熱量も供給源である太陽が隠れてしまうとすべて放出してしまうのだ。
華蓮がいま歩いているのはまさに砂漠であり、一歩踏み込むとくるぶしまで砂の中に滑り込む。当然彼女がはいているサンダルと足の裏の間にも砂粒がはいりこむが、じゃりじゃりとした感じが無く水滴のような滑らかさがあった。
そもそも、暑さも寒さも感じない。
風も吹くことがなくトールの先導でかなりの距離を歩いているはずなのに汗一つかいていなかった。
真っ暗なはずなのに振り向けばエーコとマナフの顔を見ることができるし、二人の姿は柔らかいスポットライトに照らされているようにぼんやりと暗闇の中に浮かんでいた。
「姫、どうされました?」
エーコが不思議そうに訪ねる。先ほどからチラチラと表情を伺う華蓮を心配したのだろう。
「ううん、特に……そういえば、お腹すかない?」
「いえ、特に」
「マナフは?」
「さあ……わたしも特には。姫は空腹ですか?」
華蓮はプルプルと首を振る。
実はこれも華蓮が不思議に感じた事だ。体感時間であれば四、五時間過ぎているはずなのに、喉も乾かず腹も減らない。
さらに眠くならないしトイレに行きたいとも思わない。
総じて言えば、生理現象が何一つ起こらないのである。
ある仮定をすれば汗をかかないのも説明がつく。あとはここまで考えつけばその答えを聞くのはただひとり。
「ねえトール。なぜ、喉が乾いたり、お腹が減ったりしないのかしら」
トールは立ち止まって改めて華蓮の顔を見た。右の耳は垂れ下がったままである。
「……この世界についてからかなりの時間歩いているのに疲れないことや、汗をかかないことについても同じような理由が有るんでしょう」
「たぶん、‘あ・り・す’様がお考えになっている通りだと思います。簡単に言えば、代謝がゼロになっているのです」
「それじゃあ歩き回ったりすることだって不可能ぢゃない」
「確かにその通りです。運動するのにエネルギーは必要であり、消耗するのであれば必ずそれは追加する必要があります」
極々当たり前な答えだがそれが崩れている事が問題だ、華蓮は目の前のウサギに文句を言おうとした。その時。
「この世界ではわたしたちが運動に必要なエネルギーなど、大地から取り入れることができるのです」
「大地?」
「そう、植物がマイクロ波を受け取り代謝を行うように、この世界以外の動物も大地からの力の波動をうけ動くことができるのです。その時、身体の中の代謝に関する時間系はすべて停止しています」
停止した時間系、その言葉で思い出したのは自分に力を注ぐために、水晶に変化したアールマティの姿だった。
「それってまるで……死んでいるみたい」
トールはうなずきもしなかったがあえて否定もしなかった。
「‘あ・り・す’様、一休みしましょうか」
「え?」
「わたしたちにとって『休息』は不要ですが、この世界について説明が必要でしょう」
トールが指さす先……遥かに続くと思えた地平線の先に木々のシルエットが見える。
澄んだ空気のせいかそれがどれほどの距離か計ることができないが、砂漠の中のオアシスという存在なのだろう。
そこに着くまでに何時間かかるのだろうか。
自分の身体に時間という要素が欠けているにも関わらず、華蓮は疲れを想像してため息をついていた。
§
オアシスに入った華蓮はその風景に一種の既視感を覚えた。
どこかで見たような木々の配置、わき水を蓄えた池の大きさ。初めはただの記憶違いと思っていたが目の前に幹の太い唯一背の高い樹を見たとき……彼女はその場所を思い出した。
「……幹ヶ原池公園」
ただ樹には果物がなっており、池の水面は澄んでのぞき込む華蓮の姿を照り込みながら水底を見せている。
街の中にある公園の薄汚れた雰囲気は無いが、その場がもつ印章は慧香町にあり慧香高校のすぐそばにあった幹ヶ原池公園そのままであった。
エーコは砂漠という場所が初めてなのか、当然その中のオアシスという存在も初体験であったのか、果物に手をふれわき水をすくっている。
「トール殿、この果物や水は食べたり飲んだりできるのですか?」
「もちろん、飲食は可能ですが、代謝は行われないためずっと胃にたまったままになりますよ」
「と、いうと?」
「もし満腹まで食べてしまうと、消化が行われないのでずっと満腹感に襲われることになります」
胃の中で腐る事はないのだろうがもどすまでずっと腹の中にあるというのも気持ちが良い物ではない。暗くて物の色合いがよく判らないが、匂いや感触から考えて不味くは思えないそれらから、エーコは名残惜しそうに手を離した。
一方マナフはそこの存在に気圧されることなく、空に浮かぶいくつもの光をじっと見上げている。
「……マナフは砂漠って初めてじゃないの?」
幹ヶ原池公園と見比べているうちに意外に落ち着いているマナフを見かけた華蓮は、彼にそっと声をかける。
マナフは照れくさそうに華蓮を見返した。
「わたしが生まれたのはネボの街から離れた場所で池の周りに大きな砂丘がありましたから」
「そうなんだ。ネボの世界ってどこもかしこも命の息吹があって、砂漠とか無縁の場所だと思っていたけど」
華蓮はマナフの横に腰を下ろし膝を抱えて彼と並んで空を見上げた。
「……命灯って言ったよね、あの光」
「そうですね」
「あの光の中にわたしやマナフや、エーコや……」
そして蘭や、百合や、蓮美や、剛史の命もあるのだろうか。自分が慧香町で見ていた星の光もその世界に息づく人々の命の灯火かもしれないと感じた。
「姫は……この旅に出たことに後悔はないのですか?」
いつの間にかマナフも華蓮のすぐとなりに腰を下ろし彼女を見ている。
言葉遣いや態度とは反比例しその髪はまとまりがなく両目は無造作におろされた前髪であまり見ることができない。
本当は砕けた男なのだろうか。自分を‘あ・り・す’として見ているために言葉遣いが堅くなっているが、栄子のような乱暴な口調が似合っているのかもしれないと華蓮は思った。
「後悔ね……してるかもしれないししてないかもしれない」
「はあ」
「わたしは逢いたい人がいるから」
彼女は小さく笑ってまた命灯を見上げる。
「彼の命もあの光の中に有るとしたら、きっとわたしのとは離れて光っているんだろうなあって思うの。わたしの居た世界にはそんなお話があるんだ」
「お話ですか」
「うん。織女と彦星って話しなんだけど、仲が良すぎて星の河の両岸に引き離された恋人の話。それが年に一度だけ逢えるんだけど……わたしなら我慢できなくてきっと河でもわたってみせるのにね。わたしは泳ぎだしたからいいけど、反対側にその人がいるかちょっと不安なの」
華蓮は微笑んだままマナフの顔を見つめた。
「マナフには恋人っているの?」
彼の表情がとたんに変わり普段の冷静さが極度の焦りに入れ替わった。
してやったりと華蓮は追い打ちをかけるよう言葉を続けた。
「恋人が居なくても好きな女の人くらいはいるんでしょう?」
「え、ええと……まあ」
「もしそうだとしたら、この旅に付き合わせたこと悪かったと思うわ」
「……大丈夫ですよ」
ぽつりとつぶやく彼の言葉に華蓮は聞き耳を立てた。
「大丈夫って、離れていても自信があるってことなの?」
「その。わたしの好きな人とはだいぶ前に別れてしまいました」
「そう」
「今でもわたしは彼女の事を好きだと思うのですが、彼女はもうわたしの事など忘れているかもしれません」
「そんな事ないよ」
「いいんですよ姫。別れることもまた運命だったのですから」
華蓮はぷいっと正面を向いた。
「どうしました?」
「わたし、運命って言葉嫌い。がんばればできることも運命の一言で全部おしまいにできそうだから」
自分に課せられた‘あ・り・す’という運命、そして剛史との出逢いとそして別れが持つ運命。
彼女が腰掛けている場所、幹ヶ原池公園では剛史がサルワを抱きかかえるように池に飛び込んだ場所。そして彼の後をおって自分も飛び込んだ場所だった。
翌日に涙目の和美に頬を叩かれ、その夜に自分はプールにできたチャンネルから新たな世界に旅立った。
そういった一連の事すべてを運命だとしたら……この先剛史と出逢うことが無くてもそれを運命という言葉で片づけたくはなかったのだ。
もし、それが定められた道であっても自分は横道に逸れてみたい。
「……姫はお強いですね」
マナフの寂しそうな一言に華蓮は少し言い過ぎたかと思った。
「あ、でも、マナフの事にはわたしは何も言えないから」
「いえ、わたしも結局運命に対抗できなかった敗者ですから。ただ」
「ただ?」
マナフは微笑んでみせる。
「もう一度挑戦してみようかとは思います」
「うん」
良い顔だと思った。
瞳はよく見えないが心に何かを秘めた男はその雰囲気が良くなるのだろうと彼女は思う。
とその時。
マナフの表情が急に険しくなった。
何事かと思うが華蓮は何をすべきなのか対応がとれない。
彼は中腰になり腰に差している短剣を引き抜き、華蓮を自分の背中に隠すように動いた。
「マナフ……」
「そこの草陰にだれかが」
二人とも小声である。マナフは切っ先を草陰に向けて息を殺していた。
華蓮も呼吸をとめマナフと視線を合わせて中腰になる。
全くの無音の状態が数秒、その後に確かにがさがさと葉が擦れ合う音がする。
「エーコかトールじゃないの?」
「いえ、相手は隠れようとしています」
マナフはそう告げ音を立てずに進む。華蓮もそれに遅れまいとすり足で進むが追いついて居なかった。
一足先に草陰をのぞき込んだマナフは、肩をびくんとふるわせて短剣をしまった。
「どうしたの?」
危険は無いのだろうと思い華蓮も彼に近づいて草陰の中を見ると、そこにはひとりの女の子が立ってじっとふたりの事を見ていた。
「ここの世界の住人でしょうか」
危険は無いと彼も感じているのだろうが、小さな手を胸の前にくんで大きな瞳を揺らがす事無く向けられ、どうすれば良いか判断に困っているようである。
ただ、華蓮はその女の子の顔に見覚えがあった。
それを思い出すのに時間はかからない。このオアシスが幹ヶ原池公園に似ていること、そしてその公園で最後に見かけた少女。
ネボの神殿から慧香町に落ちたとき、そこで泣いていた女の子。
着ている衣服こそ違うが、その顔も身体も髪も、その時の少女だったのである。
「……あなた、どうしてここに居るの?」
華蓮は目の前の少女にそっと声をかけてみた。
「姫のお知り合いですか?」
「そういうわけじゃ無いんだけど……」
「……倒れているの」
少女はか細い声でそう答える。もし風が吹いていれば聞き逃してしまいそうな小さな声、耳に飛び込んできたのが奇跡のような弱い声である。
「倒れている?」
「あそこに、お姉ちゃんが」
「あなたのお姉さんなの?」
少女は首を左右に振った。両耳の上で束ねられた髪もつられて左右に振れている。
マナフと華蓮が少女の指さす方向に顔を向けると、確かに岩影に女性らしいシルエットが見えていた。
「あの人、どれくらい前から……」
と華蓮が少女の方に振り向くと……そこにだれも居ない。
姿が跡形もなく消えていたのだ。
「あ、あれ? 女の子は?」
「姫、この女性はまだ息があるようです」
マナフは少女にお構いなしに倒れている女性に近づいた。
華蓮は後ろ髪引かれる思いを感じながらその女性に近づき……またも息をのんだのである。
「わたしは衛兵長とトール殿を呼んできます」
「あ、あの……」
「大丈夫です、すぐに戻りますから」
マナフは立ち上がって暗闇の中に姿を消した。
しょうがなくひとり残された華蓮は改めて岩を背もたれに寝ている(気絶している)女性を見たが。
ネボとも先ほどの少女とも異なる衣装、大きめのTシャツとスカートを掃きその上に一枚布のローブを羽織った彼女は、腰まで届きそうな長くて黒々とした髪を蓄えていた。
スカートは正面と背後が膝上まで中割れしていた。チャイナドレスのスカートが腰回りで九〇度回転したような感じである。
卵形の顔立ちに形のよい唇。華蓮が見ている目の前で瞼がゆっくりと開き、そこから大きな瞳がみえ自分を見た。
相手は自分を知らないらしい。ならば華蓮も彼女を知らないはずなのだが……
〈絶対名前は言わない方がいいわね〉
「大丈夫?」
「あの、ここは?」
華蓮はその声を聞いて確信した。
目の前の少女、それは西村和美の生き写しであった。
■Scene 21 双子【Twins】に続く




