表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
‘あ・り・す’  作者: みやしん
■ Channel 3 Ninib:
20/52

■Scene 19 接吻【Kiss】

 どんな状況でもそれなりに対応できる柔軟さ、草薙剛史はそれが自分の長所だと思っていた。

 ただ、その状況はあくまで日本国内で発生しうる物だ。

 少なくとも言語について不自由なくコミニュケーションが行えるという条件付きである。

 彼の英語の成績は悪くない。むしろお経読みでしか教科書の内容を朗読できない華蓮に比べれば発音もまともであった。

 恐らく英語でもそれなりに会話できる、そんな自信もある。

 ところが彼は、いま置かれている状況にある種の戸惑いを隠せない。

 奇跡的に言語レベルのコミニュケーションはとれているが、生活習慣そのものに大きな変化があり自分自身の変化も大きかった。

 彼が戸惑うのはどちらかというと自分の変化である。

 マルドゥックの‘あ・り・す’の居城、剛史が住んでいるのはその最上階にほど近い非常に見晴らしのよい一室であった。

 軟禁部屋から移された部屋はサルワとの一戦で窓ガラスを粉砕してしまい、部屋の中の調度品もゴミにしてしまった。

 少しはこの城の主に怒られるかと思ったが、ただ単に部屋がかわっただけであった。それもより豪華な作りの部屋への移動となったのである。

 さらに、周りが自分を見る目が明らかに変わった。

 異世界の男を見る好奇心が表れていた瞳は、羨望・尊敬を表すそれになっていたのである。

 当然部屋の支度をする従女の態度も様変わりした。

 絵を描かせてくれと言っても思いっきり頭を下げて、恭しく部屋を出ていってしまう。

「また暇な時間が増えたなあ」

 剛史はほとんど三方向が準水晶に囲まれたパノラマを見ながら、ぼんやりとそんな事を呟いた。

 暇なのだ。

 異世界に放り込まれたら普通はいろいろな事件に巻き込まれるはずだ。悪い魔法使いの呪いで眠りっぱなしになったお姫様を助けるために、僅かばかりの騎士団とともに艱難辛苦の道を乗り越えて、裏切りや友情やコメディやラブロマンスがあり最後に聖剣を手にした自分が命ぎりぎりのところで天命とともに魔法使いを打ち破る……なんてことになるのが普通なのに。

 自分ときたら絵を描いて一日部屋でごろごろしているだけ。

 非日常的といえば……剛史は部屋の片隅に置かれた鉄剣を見た。

 あの時使ったサーベルまがいの細い剣ではなく、長さが自分の背丈ほど、幅の広いところで三〇センチはある両刃の直剣である。

 試しに持ち上げようと思ったが、見た目通りの重さに構えることすらできない。この部屋に置いて有るのだから、きっと自分とは何かの因縁がある物なのだろうが、部屋のオブジェとしてはあまりに無骨である。

〈悪い魔法使いといえば……例の‘あ・り・す’婆さんかなあ〉

 マルドゥックの‘あ・り・す’の姿を直接見たわけではないのだが、声からしてきっとベールの中は典型的な魔法使いの姿である、しわくちゃで鷲鼻で腰も曲がりっぱなしのお婆さんだと剛史は確信していた。

 その婆さんと逢うことを謁見というのだから、彼女が相当な地位に有ることぐらい剛史にも想像できる。予想では女王、もしかしたら女帝かもしれない。

 だが‘あ・り・す’との謁見は一回だけ、しかもその時は自分に対して語りかけただけだった。

 悪党という雰囲気がしないうえ自分に何かさせようとする気配もない。

 これが拷問でも受けていれば「なにくそ!」という気分にもなるのだが、それも無かった。

 拷問というより来客扱いだ。待遇はこれ以上考えられないほどよかった。

 食っては寝る、風呂に入る、たまに絵を描く。

 この世界に引き込まれて何日が過ぎたのか、それを忘れるほど平凡だった。

 そんなある日。

 珍しく窓の外の木々をスケッチしている彼の部屋に、ひとりの女性が訪れた。

 それがいつもの従女でない証として大きなローブを羽織っており、フードはおろされまるで燃えるような赤い髪がポニーテイルより少し低い位置で一本にまとめられていた。

「こんにちは」

 少女と呼んでいいほどのあどけない表情で彼女は笑ってみせる。

「……こんちは」

 剛史も軽く返事をしたが、頭の中ではその女性が顔見知りか必死になって検索していた。

 少なくとも赤毛の友人はいない。

「……きみは誰?」

「そう、やっぱり記憶をなくしているんだ」

 少女は笑顔のまま答えたがその表情に寂しさを隠せない様子だった。

「わたしはタローマティ。シャマシュではわたしに似た人は居なかったのね」

「……ええと和美、ぢゃなくて、ドゥルジの知り合いなのか?」

「そうね。知り合いとも言うし友だちとも言うし……座ってもいい?」

 タローマティが指差したのは剛史の斜め右のイスだった。

 彼は機械的にうなづきながら、その赤毛を黒く染めてみれば母親側の従兄妹にあたるひとつ年下の鳴瀬美雪に似ていると思った。

 ただ、美雪はタローマティほど大人っぽくはなく、いつも自分にお兄ちゃんといってまとわりつく、本当に妹のような存在である。

 彼女がローブをはずすと少し大き目のTシャツに短めのスカート、そう表現するのがぴったりの服装が現れる。

 シャマシュに住む女性であればダイエットを考えだすのではないか、そんな少しふっくらとした体系は美雪によく似ていた。

「絵を描いているんだってね」

 タローマティは剛史の手の中の紙をみて呟く。

「シャマシュでは男でも絵を描くんだ」

「この世界だと絵描きは女の仕事なのか?」

「詳しい事は判らないんだ。わたしはこの世界の住人ではないから」

 国とか地方とかの単語を使用しなかった彼女の言葉を、剛史は聞き逃さなかった。

 すなわち。

「きみもマルドゥックの人ではないのか?」

「そう。わたしの生まれたのはネルガルっていう世界。あんまり帰っていないけど」

「どうして?」

「ここで戦士として戦っているからよ」

 そう言って笑う彼女の口元に八重歯が見えていた。見た目通り明るい少女なのだろうか、それとも明るく振る舞っているのだろうか。

「……マルドゥックでは俺と君はどんな関係だったんだ?」

「決まってるじゃない、恋人同士よ」

 その答えに思わず身を引いてしまう剛史、彼のそんな様子を見てタローマティは声を上げて笑って見せた。

「ホントはね、マルドゥックでは戦士としての仲間だったわ」

「戦士……君も剣とか振るって戦えるのか?」

「わたしは呪術師だから。剣は持っていても護身用の小さなものよ」

「呪術師?」

「こんなの」

 タローマティが右手をすっと上げ手のひらを返すとそこに小さな火の玉が浮かんでいた。

 光源ではなく炎が揺れている。中心は黄色く外に広がるに連れて赤く、絶えず形状を変化させながら宙に浮かんでいた。

 剛史は腕組みしてうなづいた。

「魔法みたいなものだな。さしずめこれはファイヤーボールってやつだ」

「シャマシュではそんな言い方をしているんだね。こんなふうに炎を操る呪術を使って戦うのがわたしの役目」

「戦いか」

「どうしたの?」

 手のひらの炎を消すとタローマティは大きな瞳をくりくりっと動かして剛史を見た。

「ドゥルジや他の連中に聞いたけど、俺ってここの世界では剣をふるって戦っていた戦士なんだろう?」

「ええ、そうだよ」

「でも、俺にはそんな記憶は無いし、あそこにおいてあるでっかい剣なんて全然持ち上げられないぜ」

「サルワ相手に音速斬りをして見せたって聞いたけど?」

「無意識というか、自分で何をやったか全然覚えていないんだよ」

「いいこと教えてあげる」

 彼女は大剣を指さした。

「あの剣はタルウィがこの世界で使っていたんだよ」

「……って、俺か?」

「そう。そしてあの剣を自由に振り回す事ができるのはすべての世界の中でタルウィひとりだけなんだ」

「信じられないよ」

「……わたし、ネボの‘あ・り・す’と逢ったんだよ」

 ネボの‘あ・り・す’、すなわちそれは美咲華蓮の事である。

「彼女は水の呪術を操っていたわ。それもとびっきり上級な水蛇って呪文」

「戦ったのか、美咲と」

 タローマティは小さくクスリと笑って見せる。

「恐い目だなあ、そんなにその子の事が心配なんだ」

「いや、その……」

「大丈夫だよ。結局は引き分けたから。彼女が操る呪術とわたしが操る呪術では、性質が正反対だから危険なんだけどね」

 言葉の割に危険を感じさせないのは、それをいかにも楽しそうに語る彼女の表情に原因があるのだろう。

「そのうちタルウィもあの女の子と闘うことになるのかもね」

「俺が?」

 今度は剛史が笑っていた。

「どうして俺が美咲と闘わなければいけないんだ?」

「運命だから」

 剛史は一転した彼女の表情にどきりとしていた。

 憂いとでもいうのだろうか哀れみとでもいうのだろうか。それを纏った彼女は一瞬にして少女から女に変貌していたのである。

「‘あ・り・す’の伝説、それに組み込まれているのよ、あなたは」

「信じないよ。もしそれまでの運命がそうなっていても俺が美咲と闘う必要はないんだ。運命そのものを変えればいい」

「……そういう瞳は変わらないのね」

 タローマティは音も無く腰を上げた。そしてほんの一瞬……風のように彼女の身体が動いたかと思うと、剛史の鼻孔に甘い香りが漂う。

 そして唇に柔らかい感触が。

 気が付けば目を閉じたタローマティのアップの顔が目の前にあって、自分の唇が彼女の唇にしっかりと塞がれていたのである。

〈え、ええ?〉

 わずか数秒に満たない時間のあと、彼女は唇を離し唖然とする剛史を見た。

「なんだ……」

 タローマティの呟きに、正気に帰る剛史。

「唇の感触は変わっていないみたい」

「な、なんだって?」

「あなたが闘う前にわたしがもう一度‘あ・り・す’と闘うわ。その時、タルウィはどちらを応援するのかしら」

 ローブを取り上げるとそれを羽織り、剛史に背を向けて部屋を出ていく彼女。

 扉の向こうに姿が消える直前。

「それじゃあね、お兄ちゃん」

 片目を閉じて手を振って見せた。

〈……俺ってこの世界で何をやっていたんだ?〉

 思い出せない古い記憶に悩まされながらも、彼の唇はタローマティのそれの感触に少し照れていた。


  §


 剛史の部屋を出てすぐ、居城の最上階に展望室があった。

 天井は半球でそのすべてが準水晶で作られており、広さは半径一〇レオトほど。その部屋の中心にタローマティが立っていた。

 剛史の部屋を出てからまっすぐここまでやってきたのである。

 そこに入ってしばらくし天井を見上げていたタローマティが静かにこう言った。

「……今度はあなたが遠征するんですって?」

 彼女の瞳は天井を見たきりである。ただ、声をかけられた相手は階段を上り部屋の中に入ってきた。

 腰まで届くほどの黒髪を波立たせて近づく女性はドゥルジであった。

「ドゥルジも大変ね、いろいろと」

「‘あ・り・す’様に無断でネボの世界に行って、そして無断でネボの‘あ・り・す’と闘ったそうね」

 ドゥルジはタローマティとの距離を二レオトほど離して立っていた。

「よく罰を受けないでこうして居られるわね」

「わたしはマルドゥックの人間ではないし、この世界の‘あ・り・す’を特に尊敬もしていないわ。それはドゥルジも知っていると思ったけど」

「それでもあなたは‘あ・り・す’様におつかえする戦士なのよ」

「形はね」

 ようやくドゥルジの方をむくタローマティは笑顔を浮かべている。

「わたしがこの世界にいるのはお兄ちゃんが居るからよ」

「タルウィとは兄妹でもないくせに」

「そうよ。でもわたしは決めたの。タルウィの事を兄としてずっと愛して行く事を」

 ドゥルジの視線が冷たく自分に突き刺さる事に、赤毛の少女は何も気にせず相手の瞳を睨み返していた。

「ここの世界の人には受け入れられない感覚のようね」

「ええ……たぶん、わたしは一生理解できないでしょう。兄妹が抱き合う事が普通の世界なんて」

「血を別けた二人だからこそ真に愛し合う意味があるのよ。そうすれば血はまたひとつに戻る。あるべき所にもどるだけだわ」

「それでもタルウィはあなたの兄ではないわ」

「彼との口付けは久しぶりだったけどとても甘かったのよ」

 ドゥルジの視線がよりきつくなった。

「この世界の婚約の証も意外と効力が無いものかもね。物とのつながりより肌のつながりのほうがより強力よ」

「それ以上言わない方が身のためよ」

「そうかしら?」

 ドゥルジが踏み込む。瞬きとも思える一瞬に彼女は腰に吊るしてあった剣を抜き、その切っ先は右のこめかみのすぐ横をすり抜け、タローマティの赤毛を数本切り裂いていた。

 しかしドゥルジは微笑む事が出来なかった。

 突きを仕掛けた剣の腹に、タローマティの手のひらが重なっている。

 そしてその部分は赤熱化していたのである。これも一瞬の内に数千度に達する熱を剣に放出していたことになる。

 もし、それがドゥルジの顔に向けられていれば……その美しい顔は消し墨のようになっていたに違いない。

 お互いの額に冷たい汗が流れる。最初に緊張を破ったのはタローマティだった。

 彼女は天井に向けてすっと手を上げる。

 今まで青空を写していた準水晶の天井は一転して真っ黒なスクリーンになり、そこにまるで映画のように映し出されたのはネボの預言者の祠で水蛇を放つ華蓮であった。

「……よく見ておく事ね。この子がネボの‘あ・り・す’。シャマシュでの名前は美咲華蓮」

 準水晶はタローマティの思考を読み取り、彼女の記憶の中の映像をそのまま映し出していた。

「この子……どことなくドゥルジに似ているわ」

「似ている?」

「好きという情熱だけで生きているのよ」

 タローマティはドゥルジに背中を向け自らの記憶の中から呼び起こした華蓮をじっと見ていた。

「多分、彼女も自分の運命を信じていないのでしょうね」

 タローマティが自ら言った運命という言葉、それに対する感情すべてを華蓮に投げつけていた。

 それが何なのかを打ち消すように笑う。

 彼女の想いに同調するように、赤毛がより燃えていた。


  §


 黒い天井、漆黒というよりほんの少しだけ蒼い色が混ざってみえるのは、空に散らばる小さな明かりのせいかもしれない。

 手を伸ばせば取れそうな気もするのだがふれる直前に逃げていきそうな気配もある。

 けっしてあける事のない夜。よってその世界の人々は朝というものも夕方というものも知らない。

 空は黒いものであり雨が降らなければ無数の明かりが見える。

 その小さな光を人々は命灯めいとうと呼んでいる。

 すべての次元に存在する人々の命を印す明かり。瞬く事のないそれが、時に一瞬だけ大きく輝いて空を滑って見せる。

 命が大地に帰る瞬間。ここは魂の終着地点なのかもしれない。

 高い山があった。

 特徴的な山で上空からみればそれは正方形をしており、四方はスソから頂上まで切り立った崖のみで構成されている。

 もちろん階段や坂道が存在しないそれは、人々が立ち入る事を拒絶しているように思えた。

 その頂上にふたりの女性が座っていた。

 人一人ほどの間をあけふたりは膝を抱えるように座っていた。頭が隠れるくらいの大きな一枚布を被っており、シルエットから見れば俯いていた。

 布から見えるのは爪先と杖を持った右腕だけ。

 時間が止まっているかのようにふたりはまったく動かない。

 空に四個の大きな光が流れた。

 右側の女性の首がその光を追うようにわずかに上を向く。

「……来るようね」

 続いて左側の女性も右側の女性とまったく同じように首を上げた。

「そう……もうずいぶん来なかった来訪者」

「‘あ・り・す’様に逢うために」

「『橋』を渡るために」

 歌うように言葉をつなげたふたりはまったく同時にそしてまったく同じ動きで立ち上がった。

 見方によっては同じ人間がぶれて二人にみえる、そんな錯覚を呼び起こしそうな光景である。

 ふたりは空を見上げている。次に言葉を発したのは右側の女性だった。

「……今度の来訪者はどちらを選択するのかしら」

「それは橋を渡るべき者が決めるもの。わたしたちは道標に過ぎないわ」

「ええ、よく判っているわ。姉さん」

 その言葉の後一瞬だけ左側の女性が右側の女性を見た。シンメトリが壊れて初めて二人が存在する光景になる。

「その呼び方は止めましょう。わたしたちに親族はなく」

「わたしたちに個性はない」

 悲しい詩でも唄うような声に永遠の夜の世界の聖霊たちが騒いでいる。もっとも天に近い場所にいる二人は、同時に杖を天に差し出した。

「虚実の橋を渡るものへ」

「真実の橋を渡るものへ」

「‘あ・り・す’様の御加護がありますように」

「‘あ・り・す’様の御祝福がありますように」

 夜だけが支配するその世界の空に、大きな光球が現れそして消えた。

 二人の少女の杖だけが、その運命を知っているのかもしれない。


■Scene 20 旅人【Traveler】に続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ