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‘あ・り・す’  作者: みやしん
■ Channel 3 Ninib:
19/52

■Scene 18 仲間【Party】

「わたしは……なぜここに居るの?」

 華蓮は抱きかかえたウサギのぬいぐるみに問いかける。それに付けられた名前はトール、その意味は「‘あ・り・す’の従者」という代名詞。

 そして自分は水を制御する世界を支配する者、‘あ・り・す’。

 全てを思い出した彼女だが、この世界に足りない物がある。

自分はそれを追いかけるために旅に出たのに、この世界には痕跡そのものが消えている。

誰も彼の存在を覚えていないように思えた。

 草薙剛史、慧香学園美術部に所属し、西村和美と幼なじみで、そして華蓮が一番逢いたい男の子である。

「ねえ、トール。どうしてこの世界に草薙くんが居ないの?」

『それよりも‘あ・り・す’様、わたしの首にかかった水晶を両手で掴んで下さい。このままでは非常に話しづらいのです』

 華蓮はトールの声のままに、蒼い水晶を優しく両手で包む。

 掌の中で水晶が発熱したように思えた。それと脈動するように周りの空気を振動させる。

 細かく細かく震えるそれはいつしか華蓮の鼓動と同期を取っていた。

 やがて水晶から発したまばゆい光が、華蓮の指の間からもれそれがレーザー光線のように彼女の身体を取り巻いた。軌跡がワイヤーフレームのモデルのようになりやがてそれにポリゴンが張り付く。

 瞬きをするように華蓮を取り巻く空間が強く輝いた。

 次の瞬間、華蓮は蒼い部屋の中に居たのである。

 ずっと前に初めてトールと話しをしたとき、彼が水晶から作って見せた不思議な空間。

 射し込む光が全てをブルーに調色し、あらゆる色彩感覚を失わせる場所。ただ、前回のそれに比べると水晶の色合い同様、僅かな緑色を含んでいるような気がする。

 華蓮の服装はネボの街から祠に向かったときの、緩やかな巻きスカートの馬上着であった。

 そして目の前に二本足で立ってみせるトールの姿がある。

『……お久しぶりです、‘あ・り・す’様。お変わりございませんか?』

「変わらないと思うわ、でも」

 華蓮の脳裏に目の前で水晶の彫像に姿を変えていくアールマティの姿が浮かんだ。

 自分の水晶に全ての力を注ぐと言って、そのままあのような姿に成ってしまった彼女。そしてその意識体は自分の母親の蓮美だという……

「アールマティは死んでしまったの?」

『死んではいませんが生体活動は休止しています』

「それって死んでいるってことじゃないの?」

『停止ではなく休止なのです。‘あ・り・す’様の水晶に自分の生命力全てをそそぎ込んだため、アールマティ様の身体を構成する物質のエネルギーがとだえ、活動するために必要な時間を動かすことができないのです』

「……何を言っているのかよく判らないわ」

『アールマティ様の身体は時間が停止した状態にあるのです』

「それを治すことはできるの?」

『多分、‘あ・り・す’様の水晶のエネルギーをアールマティ様に戻す事ができれば……』

「じゃあ、すぐに行きましょう」

 中腰になる華蓮に、トールは首を振って答えた。

「なぜ?」

『今の水晶に貯えられたエネルギーは新たなる世界「ニニブ」へ行くためにアールマティ様がくださったものです。きっとアールマティ様はエネルギーを受け付けないでしょう』

 チャンネル、トールはそう言っていた。

 アールマティからのエネルギーを水晶にうけ、同心円状の光が身体を包み、足元に出来た真っ黒な空間。そこに落ち込んだとき、華蓮はプールの中に出来た真っ黒な空間に飛び込んだときのような感覚を思い出していた。

「ではなぜわたしはここに居るの? ここがニニブの世界なの?」

『ここは‘あ・り・す’様がいらっしゃったシャマシュの世界です。チャンネルが開いた時は確かにニニブに向かって開いたはずですが、途中でシャマシュに落ちてしまったのでしょう』

「……ここは慧香町だけど、草薙くんがいないわ」

『ええ。草薙剛史は多分マルドゥックの世界に、』

「そうじゃなくて、ここに彼が居た痕跡がないのよ!」

『それならば‘あ・り・す’様も同じです』

「どういうこと?」

『今は‘あ・り・す’様がここにいらっしゃるために、美咲華蓮としての記憶がこの世界の住人に植え付けられていますが、‘あ・り・す’様が他の世界にいらっしゃる間、例えばこの美咲家においても両親と娘二人の四人家族としての記憶しか持たないでしょう』

「わたしも本来ここには存在しないというの?」

『その通りです』

 華蓮は全身の力がゆっくりと抜けていくのを感じていた。異世界への扉が開かれた以上、そしてそこに入り込んだ以上、この懐かしい街は自分の故郷ではなくなってしまったこと……

「わたしは……どうすればいいの?」

『ニニブに行きましょう』

 ニニブ、預言者の祠の過去の自分が教えてくれた知識では大地を管理する世界。そこに二人目の‘あ・り・す’がいるのだろう。

 彼女に出逢いそして水晶の力を授かる事、それが目的であり華蓮の使命でもあるという。

 でも……華蓮は考える。

 自分は普通の女の子だ。むしろ水晶だとか世界だとかそんなのを相手にしている方がよほど不自然ではないかと。

 ただ水泳が好きで、そしてこの家の家族や学校の友だちが好きで……

『‘あ・り・す’様、学校のプールに開いたチャンネルに飛び込んだときの事を思い出してください』

 新たなる旅立ちに躊躇している事に気がついたのだろうかトールは小声でそうつぶやいた。

『あの時の決意をもうお忘れですか』

 忘れるわけがない。

 自分は……自分は異世界に連れ去られた彼に逢うために旅立ちを決意したのだ。

 華蓮は青い壁越しに机の上のスケッチブックを見た。常に自分を見続けてくれた彼、草薙剛史への想いを抱いてわたしは自ら‘あ・り・す’と名乗るに至ったのだ。

『姫!』

『‘あ・り・す’様!』

 声が聞こえる。一人は女、そしてもう一人は男の声。

 二つの声とともに水晶の作る壁をすり抜けるようにふたりの男女が目の前に現れた。

 女性は長身で髪が長く切れ長の目が心配そうに華蓮を見ている。その瞳も表情も華蓮のライバルであり悪友である栄子とうりふたつ。

 ネボの神殿を守る若き衛兵長である、フィエル=エーコ。

 そしてエーコの部下であり預言者の祠まで旅をし、自分を水蛇からかばうために背中に傷を負った青年……少し長めの前髪は彼の両目を隠している。まるで華蓮の姿に照れているように。

 ウォフ=マナフ、まだ駆け出しの衛兵であった。

「エーコ、それにマナフ……」

『姫ご無事でしたか。神殿から急に消えたのでどこに行ったかと思いましたが』

「そういう二人はどうしてここに?」

『エーコ殿とマナフ殿は水晶とアールマティ様がお選びになった、新たな旅の仲間です』

 トールはそう言って耳をぴんと立てて見せる。

『もちろん、わたしもご一緒しますが』

『あたしが……選ばれた?』

『わたしもですか?』

 エーコもマナフもトールの顔を見て、そしてお互いの顔を見た。

『これから向かう世界は必ずしも‘あ・り・す’様に優しい世界とは限りません。そして運命も』

 運命……アールマティは別れ際に確かにそんな事を言っていた。

 ‘あ・り・す’の運命は過酷で残酷かもしれないと。

 それは自分が草薙剛史と永遠に出逢えることが出来ないという暗示なのか、それとも自分が行わなければいけない事の辛さを言っているのだろうか。

「わたしは……仲間というより友だちの方がうれしいんだけどね」

『……友だちですか?』

 戸惑っているのはエーコだった。

「でも、きっとエーコの事だから難しい相談なんだよね」

『やはりあたしにとっては‘あ・り・す’様ですから』

 すまなそうな顔をするエーコ。華蓮はマナフを見た。

「それに、こんなこと巻き込んで、ごめんなさい」

『いえわたしも‘あ・り・す’様の旅の友が出来るというだけで光栄です』

「でも、もうネボの街には帰れないかもしれないんだよ」

 マナフはにっこりと笑っていた。

『幸いわたしには親も兄弟もおりません。天涯孤独の身を‘あ・り・す’様のために使う事ができれば本望です』

「ありがとう……」

 感謝の言葉、それに誘発されるように、四人がいる水晶の壁が柔らかく輝いた。

『行きましょう、‘あ・り・す’様。チャンネルが開きます』

「トール、わたしはこの街……慧香町に帰ってくる事が出来るのかしら?」

『……それは‘あ・り・す’様がおきめになることです』

「判ったわ」

 華蓮はゆっくりと目を閉じた。

〈必ず草薙くんを連れて帰ってくるから。それまで元気でいてね、ママ、パパ、蘭姉ぇ、百合姉ぇ!〉

 胸の前で小さな手を組むとそこにエネルギーの流れを感じる事ができる、ネボの世界から母親の意識と重なってずっと自分を見守り続けてくれた優しいもう一人の母親。

「ニニブへのチャンネルを……開いて!」

 華蓮の掛け声とともに、エーコ、マナフ、そしてトールを乗せた水晶の船は、新たなる世界に向けて開かれた、チャンネルに突入した。


  §


 所は変わって。

 闇のフロアの奥深く、ベールに包まれた王座にいるマルドゥックの‘あ・り・す’。その前にひざまづくのは深緑のローブを羽織ったひとりの男性であった。

 燭台からの点りのせいかもしれないが、男の顔色は酷く悪かった。もともと血色に恵まれては居なかったが、蒼白を軽くこえまるで土の色を示している。

 それは目の前の‘あ・り・す’に対する恐怖かもしれない。

「……よく戻ったな、サルワ」

 ‘あ・り・す’のしゃがれた声が響いた。音量ならだいぶ小さいはずの彼女の声はフロア全体に響き渡る。

 発音そのものに呪術が仕組まれているのかもしれない。

 いつものようにベールの左右には召使が座っており、目を閉じたまま何も声を発しない、それは、置物のようにさえ思えた。

 サルワは彼女の言葉をどう捕らえるべきか悩んでいるようである。

 自分の生還を心から喜んでいるのか、それとも失態を皮肉で表しているのか。

「心配せずともわしはおまえの帰還を心より喜んでおる」

「は、痛み入ります」

 彼はもう一度深々と頭を下げた。

「右腕を失ったそうだが」

「……はい」

 サルワがローブの中から差し出した右腕の表面はローブと同じく深い碧色をしていた。

 形などは人の腕と同じであり、手や指先などは染めたかのように思えるが、よくよく見ると木目模様を見る事ができる。

「どうだその義手の具合は?」

「まだよくは慣れていませんが、いずれは自由に動かす事もできましょう」

「そうだな……考えようによっては痛みを感じない腕だ。『生身』のそれよりもずっと良いかもしれんな」

「ですが……」

 サルワは自分の右腕をまるで物のように見つめていた。

「素材がネボの樹というのが我慢できません」

「トコネスギは弾力が人のそれとよく似ておる。物を保持できぬほど柔らかくも無く、曲がる事が不自由に思えるほど固くもない。さらに人の神経系信号に反応する細胞組織まであるのだ。義肢のための樹だな」

 一瞬、‘あ・り・す’の声が途切れ。

「……それともサルワはその腕が不満か?」

「とんでもございません」

 優しく聞こえた‘あ・り・す’の言葉にサルワは顔を伏せていた。ただでさえネボ遠征に失敗し、右腕を切断した怪我をおしてチャンネルを超えてきたのだ。

 もちろんその失策から処罰を予想していた。

 自害か、それとも処刑か。

 マルドゥックの戦士の中で一番不名誉とされる処刑、それが両手の指をすべて切り落とされた後で、戦士としての資格を剥奪される事である。

 剣を握る事も出来ず呪術を唱える事も許されない。人という扱いすら受ける事がない。

 どうせなら自害と心に決めていたサルワを待っていたのは、失った右手の変わりの義手と‘あ・り・す’への謁見だった。

 彼女の姿は相変わらずベールの向こうで表情はおろか、姿形を見る事も出来ない。声ほどにその顔は笑っているのか、それとも。

「サルワ、しばらくは養生するがよい」

「ですが……」

「おまえが戦わなければいけない機会はまだある。それまでに失った腕と呪術に磨きをかけるのだ」

「……はっ」

「下がってよいぞ」

 ‘あ・り・す’の声に従うようにサルワは彼女の方を向いたまま数歩後退し、薄暗いフロアの階段へと消えていった。

 巨大な門が開く音とそれが閉じる音がしてしばし蝋燭の芯が焦げる音だけが響く。やがて。

「……どうみるドゥルジ」

 ‘あ・り・す’の低い声に操られるように王座の背後から姿をあらわしたのは、きわどい服装を大き目のマントで隠した女戦士、西村和美と同じ顔をもつドゥルジである。

 彼女も王座の前に進むとサルワと同様に跪いてみせた。

「そのような事をせずともよい」

「そうはまいりません」

「それよりサルワへの扱い、おまえはどう見る?」

 ドゥルジの顔に困惑の表情を読み取る事ができた。

「……ネボに派遣したわが軍は壊滅、その前線指揮をとっていた者に対してはいささか甘いように思えますが」

「はっきりというな。人前ではもう少し話す内容を考えた方がよいぞ」

「申し訳ありません」

「だが……」

 ベールの中で金属音がした。‘あ・り・す’が身につけている装飾品が奏でる音だろうか。

「わしとて勝つ見込みのない戦いに赴かせた男に対して、罰を与えようとは思わん」

「勝つ見込みが無い?」

 ドゥルジは顔をあげベールを見ていた。

「ですが相手は武力を持っておらぬネボです。まるで子供相手に兵士が負けたとあっては」

「アールマティが居た。それで全滅しなかったのは奇跡だよ」

「アールマティ……ネボの神殿の管理者ですか?」

「表向きはな」

 そう言ってしばらくの静寂のあと、ベールの向こうから聞こえてきたのは笑い声だった。

「不思議なのかドゥルジ、アールマティの事が」

「はい……」

「ヤツも自分の力は嫌っておったからな」

「ですがただの神官でしょう。それにネボの操る呪術はほとんどが回復を主眼とするものと聞きます」

「確かにその通りだよ。だが、アールマティは違う。ヤツが操れるのは掟破りの攻撃呪文ばかりだ。しかもその破壊力はどの世界の‘あ・り・す’よりも強力であった」

「まさか……」

「わしがあえてあの女と闘わなかったのは呪術戦になれば勝てるという保証がなかったからだ。強力で強大でそして残忍なほど相手を抹殺する力。アールマティは『水の破壊魔』という名前まで持っている」

 ドゥルジはアールマティの姿を見た事がない。だが、その美しい顔立ちは噂に聞いていた。

 ネボの神殿の中の水の守り神、そして女神。

 ‘あ・り・す’が居なくなってから彼女の暖かな表情だけが戦うすべを知らないその街を守っていたと。

 守っていた事は事実であったが、それは美しさではなく強さだった。

「以前マルドゥックの戦士、呪術師など二〇〇〇からなる軍隊でネボの神殿に侵攻したことがあったよ。わしもアールマティの事については眉つばに感じていたのでね、ネボに直接行く事は出来なかったが、負けるという恐れも抱かなかった。だがな、戦闘は瞬きの間にすんだよ。アールマティが召喚した数万の水蛇が我が軍の兵士を骨まで残らずかみ砕きおった」

「数万……」

 ネボの世界の攻撃呪術「水蛇」、水の中の聖霊の内もっとも気性が荒く獰猛・攻撃的なそれを、ネボの‘あ・り・す’(これは華蓮の事である)がターロマティの前で召喚したという話しは聞いていた。

 しかしその時の水蛇はタローマティの「炎の壁」の前に敗れ去ったと聞くが……

「しかし数が多くても所詮水で出来た蛇ではさほど」

「水で出来ている故に我々がいくら切り裂こうともすぐにつながる。そしてその顎は金剛史石ダイアモンドの剣ですらかみ砕く。長さが三〇レオト(一レオトは約九〇センチ)もあるそんな魔物を数万も呼び出し制御出来るほどの力だ。アールマティがその気になれば彼女がすべての世界を支配する事も可能であろう」

 ドゥルジはその光景を想像しようとして……背筋が寒くなった。

 音速斬りの試しで数百の毒蛇を相手に一閃でそのすべてを両断した事があったが、その数の違いと、切っても切ってもすぐに繋がるそれを相手にするなど悪夢に近い。

「そしてアールマティの持つすべての呪術の力が、ネボの‘あ・り・す’の水晶に宿った……サルワの持つ碧の呪術の力も含めてな」

「大気に関する呪術もですか?」

「左様。水晶とは相反するふたつの状態を示す。力を撮り尽くした物体の状態と、力が純粋に物体として存在したもの。アールマティは水晶にすべての力を注ぎ込んだため自らの身体が水晶となった。サルワの右腕も同じだ」

「では」

「‘あ・り・す’は気づいておらぬだろうがあの水晶で碧の呪術を扱う事ができよう」

「ならばネボの‘あ・り・す’がすべての世界の‘あ・り・す’の持つ水晶に触れれば……」

「すべての世界の力を取り込む事ができる」

 わずかな静寂のあと、ドゥルジのつばを飲み込む音が聞こえた。

「ドゥルジ、ようやくおまえの出番だ」

「……わたしの軍を遠征させるのですね」

「いや。向かうのはおまえ一人だよ」

 その言葉にどう答えるべきか……ドゥルジの瞳が落ち着きを失った。

「勘違いするな。おまえひとりで‘あ・り・す’を相手に戦えと言っているのではない。わしに考えがあるのだよ」

「作戦ですか?」

「ネボの‘あ・り・す’の記憶は不完全だ。精神もまだほんの子供に過ぎないしこの世界の有り様にはまだ気づいていない。故に、ドゥルジよ。おまえの存在そのものが、‘あ・り・す’には大きな武器になるのだ」

 ‘あ・り・す’の低い笑い声が聞こえる。

 ドゥルジにはベールの向こうの世界の支配者が、何を思案し何を自分にさせようとしているのか、想像する事が出来なかった。

 ただ逢ってみたいと思う。

 数千の兵を一瞬で壊滅させた魔力を引き継いだ水晶を持つというその少女に。

 そしてタルウィ……草薙剛史が想いを寄せる少女の喉元に剣を突き付ける事を想像して微笑んでいた。


■Scene 19 接吻【Kiss】に続く

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