■Scene 13 勇者【Hero】
屋敷の外の空気は意外に美味しく感じた。
目の前に見える物、そのほとんどが木々なのだ。それらが空気を浄化しているのだろう。
酸素の濃度が高いのかもしれない。
草薙剛史は和美そっくりの女戦士、ドゥルジに連れられ屋敷の外にある小屋に来ていた。
ドゥルジはあの刺激的なコスチュームではなく膝丈で切ったローブを着ていた。足にはサンダルでバンテージのような物が軽くまかれている。
右手首にはサポーター状の緑色の布が巻き付けてありミサンガを思わせた。
「……この小屋も覚えていないのね」
ドゥルジは木を切っただけのベンチに腰掛け深呼吸をする剛史につぶやいた。
「‘あ・り・す’様の言うとおり今のあなたはタルウィではないのね」
「……草薙剛史としての記憶しか持っていないからね。俺はそのタルウィのそっくりさんかもしれないぜ」
「そんな事はないわ。わたしがタルウィを間違えるはずがない」
ドゥルジの瞳が涙で光っているように思えた。
戦士の服装の時に見せた気丈さはない。目の前に居るのは剛史を哀れみそして自分を哀れむ一人の女の子なのだ。
「ここでね、これをくれたのよ」
彼女は右腕の布をほどき剛史に差し出した。
大きさはスカーフ大。薄い緑色の四隅に小さな小鳥の刺繍があしらわれていた。
それを見て彼が思い出したもの。
『本当なんだから!』
竜虎でかき氷を食べながら華蓮が真剣に話していたハンカチの中のトール。自分が目の前にしている緑色のそれにはなんの記憶もない。
「……これ、どんな意味があるの?」
「わたしとタルウィが婚約したという証」
結婚指輪のような物か」
「女が白い布をおくり承諾の印としてそれを緑色に染めて返す……あのときあなたはここでそれをわたしに返してくれた」
「タルウィがこれを染めたのか?」
「そう」
剛史は自分がとか俺がとかいうのは止めた。本当に記憶が無いのだ、そんな言い方をしては相手を余計に傷つけるかもしれない。
「俺、そんな器用じゃないぜ」
「嘘……あなたは」
そこでドゥルジは言葉を切った。
「タルウィは何でも出来る人だった。わたしはあなたに追いつきたくて。小さな時はいつもいじめられては、あなたに助けて貰ったから」
「そもそも俺なんか剣一つまともに振り回せないよ。ケンカだって嫌いだしそうなる前に謝っちゃうからね」
「でもあなたはこの世界の危機を救った勇者なのよ!」
「勇者か。そんなのになれるのならなってみたいと思ったけどね」
風が吹き荒れる。
木々が揺れ葉が擦れ合い音楽を奏でる。
ドゥルジにとってそれは悲しさを引き起こすだけの鐘だったのかもしれない。
§
剛史の待遇はさらに良くなった。
ドゥルジとの散歩から屋敷に帰った剛史が通された部屋は、それまでの監禁部屋ではなく最上階近くの非常に見晴らしのいい部屋だった。
この屋敷、自然の岩肌を利用して作られたそれは、城という規模の大きさがある。
部屋の面積も特大ベット一〇個分から二〇個分に拡張されている。
ここの特徴かもしれないが部屋の中に区切りはなく、何となく緩やかな段差が付いている程度である。その段差もスロープがあるため足を引っかけることは無かった。
部屋の中には寝室・トイレの他に風呂があった。
ただ日本の風呂とはだいぶイメージが違う。部屋の内装を説明してくれた女性の話では『身体を洗うための場所』で湯船はなく、シャワーとブラシが一体化したもので身体をこするらしい。
このブラシが思いの外堅く、なにも考えずにゴシゴシと試し擦りをした右腕は真っ赤になっていた。
窓は部屋の二方向に付いている。構造は監禁部屋とさして変わらないらしい。
従女にその構造を聞いたがまとを得た答えは返ってこなかった。ただそんなに珍しい物ではないらしい。
この世界では夜が存在しないらしく外が明るいまま眠ることはごく普通の事らしい。
そもそも夜を示す単語が一般的では無いのか、剛史もその説明に苦労した。
窓が不透明になるのは寝ている姿を精霊に見せないためだという。
ちなみに部屋の照明が落ちるのは、草薙剛史という身体が覚えている睡眠のための欲求――つまり、暗闇を望む思考を部屋が読みとって暗くしている、そう従女は説明してくれた。
きちんとした説明なのだが文化形成の違いだろうか剛史には理解できない。脳波コントロールの照明スイッチと言う感じに納得したつもりだ。
相変わらず娯楽施設は何もない。
ただ廊下に通じるドアも自由に開くし、部屋の中の呼び鈴を押せば従女はいつでもやってくるという。
窓の外の風景は相変わらず森だが、部屋が高い位置に移動した分見下げるようになった。
あと景色がかすむ遠くに山肌らしきものも見える。
試しに従女に紙と鉛筆をくれと頼んだところ、それらしい物を持ってきた。
鉛筆の構造は元の世界のそれと変わりない。ただし軸の形は円である。
紙は純白で非常に質が高く少し粗めのワトソン紙と言ったところか。気が利くというのか鉛筆とペアの練り消しゴムらしきものも持ってきてくれた。
従女がうやうやしく頭をさげ、部屋を出ていったあと、窓の外の風景でも書こうかと思った剛史だが……なんとなく外の小屋での和美の表情を思い出す。
テーブルの上に置かれた一枚目の作品は、きちんとヘアバンドをした和美のスナップであった。
§
「ドゥルジ」
彼女を呼び止めたのはこの世界での軽装鎧に身を固めた男の戦士であった。
マルドゥックの‘あ・り・す’の城の中、ドゥルジの服装もマントで隠されているが、中はあのきわどい鎧姿である。
ドゥルジは振り向き男の顔を見るとまたかとため息をついた。
「何かしら、サルワ」
「……あいつは本当にタルウィなのか?」
サルワと呼ばれた男の背丈はドゥルジよりずっと高い。さすがに天井の異常に高いこの城の中では天井につきそうなという形容はふさわしくないにせよ、女性の中では長身なドゥルジが見上げていた。
彼の場合背が高いだけでなく全体的に細身の身体をしていた。ひょっとしたら筋肉のたぐいが一切ついていないのではないかと思わせる。
それは顔にも現れており、浮き出た頬骨は正鵠というより残忍さを強調していた。
彼の言うタルウィとはすなわち城の中のロイヤルスイートに居る剛史の事だ。
「間違いないわ。‘あ・り・す’様もそうおっしゃっている」
「だが今ヤツは何をしているか知っているのか?」
「……さあ」
「部屋に引きこもって絵を描いているという。絵だぞ、女じゃないんだから」
「口に気をつけることね。わたしも女なのよ」
「それは判っている。でもタルウィがそんなことをするか? しかも召使の女を部屋に引き込んでそいつらの顔を描いているらしい。どうもそのおかげで召使どもに大変な人気らしいがな」
「何が言いたいの?」
「アイツは偽物だ」
ドゥルジは何も言わず静かにサルワを見ていた。
「‘あ・り・す’様のおっしゃるとおりヤツをこの世界に引き込んだが、アイツがタルウィで有るわけがない。 シャマシュの世界のクサナギタケシという男にすぎない」
「例えそうだとしてもネボの‘あ・り・す’と関係ある男よ」
ドゥルジはそれだけ言ってサルワに背を向けた。
だが。
「まてドゥルジ。もうタルウィはこの世に居ないのだ」
彼女の足が止まった。
「もうタルウィの事は諦めろ。あの時の闘いでチャンネルに飲み込まれたとき、ヤツは……」
「違う、タルウィは生きている!」
「そんな思いこみだけ背負い込んでこの先ずっとあのクサナギをタルウィだと信じ込んで生きて行くつもりか!」
ドゥルジに近づこうとしたサルワだったが……動けなくなった。
振り向いた彼女の右手に細身の剣が握られ、その切っ先が彼の喉元まで後一センチという距離で止まっていたのだ。
「‘あ・り・す’様の言うことが信じられないの? 彼はタルウィとしての記憶を無くしているだけよ」
「だが思い出すことはない」
切っ先がさらに迫る。
「これ以上わたしを怒らせないことね。いくらあなたが念術に長けていても練呪する僅かの時間にこの剣があなたの喉を切り裂く」
「……では、これから確かめに行こう」
「確かめる?」
「そうだ。これからクサナギのところに行こう」
サルワの細い手が切っ先を摘んで下げた。
彼はドゥルジの横を通り過ぎ足音も無く歩き続ける。
「……どうした、来ないのか?」
彼の一言にドゥルジも後を追った。
いくら広い城と言え剛史の部屋までさしたる時間はかからない。その間二人は無言でその二人を見た他の兵士はなるべく目を合わせないように、顔を伏せたまま通り過ぎていった。
剛史の部屋の前には衛兵が一人立っている。
彼も二人の姿を見ると直立して見せた。
「……タルウィは居る?」
「はい、中にいらっしゃいます、ドゥルジ様」
ドゥルジとサルワは顔を見合わせ、ドアをゆっくりと開いた。
§
丁度その時、剛史は特大ベットのシーツを変えに来ていた従女を引き留め彼女をモデルに絵を描いていた。
和美の絵を描いてから窓の外の風景画を描いていたのだが、あまりに単調な森の描写のために二枚ほど描いて飽きてしまった。
その後に思いついたのが人物画だ。彼の部屋を世話してくれる女性を引き留めては絵を描いていたのである。
最初は何か誤解があったらしく部屋を出ようとする従女を呼び止め、
「お願いが有るんだけど」
そう頼むとぱっと顔を赤らめ、その後に唇をかみしめてうなづいていたのだが、ただ単にイスに一〇分ほど座らせるだけだと判るとほっとしたように頬をゆるませていた。
頼めば絵の具も手に入ったかもしれない。ただ彼が主に扱っているのは水彩絵の具であり、様式が違っていたら受け取ってももったいないので鉛筆画で我慢している。
モデルにされている女性は自分が何のためにイスに座らされているか判らず、剛史のもういいよの声の後に紙の上に描かれた自分を見て思わず歓声を上げるのだ。
大抵書き上げた絵は従女が物欲しそうな目で見るので新しい紙と交換にあげてしまう。
この世界では写実的な肖像画というものが珍しいのかもしれない。写真という技術も無いようだし肖像画は位の高い人々の者なのだろうかと剛史は考えた。
今回モデルになっている従女は二回目である。
「この絵はどうするの?」
「ふるさとの家族に送りたいです。きちんと働いていることが判れば安心してくれると思います」
うれしそうに剛史の手の動きを見ていた彼女が、急に険しい表情になり立ち上がった。
「……だめだよまだ動いちゃ」
彼は鉛筆の動きを止めて彼女にそう訴えたが、視線が自分を見てそして入り口の方に向かう。
何だろうと思って振り返ると、そこにはドゥルジともう一人。
「今日は何のようだい?」
剛史は何事も無かったかのようにドゥルジに問いかける。そしてその後ろの男性に目を向けて……その男はどこか見覚えがあった。
顔を見たわけでもないのにどこだろう。しばし記憶を掘り下げて。
「おまえは……」
「覚えていたのかタルウィ、いやクサナギ」
「覚えているさ。俺をここに連れてきた張本人だからな」
剛史の記憶の中のその男は幹ヶ原池で華蓮と自分に襲いかかってきた賊を仕切っていた人物、そして池の黒い渦に自分を引き込んだ男だ。
「やはりわたしの事は覚えていないのだな」
「……あんたもこの世界で俺の知り合いだったというのか?」
「わたしの名前はサルワだ。そしておまえのライバルだよ」
「ライバル?」
剛史とサルワの言葉がとぎれた一瞬ドゥルジは従女に目を向けた。
「席を外しなさい」
従女は震えながら頭を下げ、ドアに早歩きする。
「あのさ、晩御飯持ってきたときに続き描いてあげるから」
「タルウィ、止めろ!」
サルワは剛史が描いていた紙を取り上げた。それをドゥルジに突きつける。
「みろ、こんな絵を描くヤツがタルウィであるわけがない!」
そう叫ぶと剛史の目の前で絵を引き裂いた。
「てめえ、何しやがる!」
「勝負しろタルウィ!」
サルワはドゥルジが腰から下げていた剣を抜き取ると、それを剛史に渡すように放り投げた。
「それを取れ。そしてわたしと戦え。そうすればおまえの正体など一発で判る」
「いきなり何言ってるんだよ、俺がこんなの扱える訳がないじゃないか」
「そちらから来なくてもこちらから行くぞ!」
サルワは自らの短剣を引き抜くとそれを剛史の眉間に突き立てるように踏み込んだ。
本気で無かったのだろうか、剛史がわずかに身体をひくと短剣の切っ先はそれ以上前に進むことはない。
「危ないだろう!」
「剣を取れ。そして戦え!」
目の前の男は剛史が剣を拾うのを待っている。剛史は仕方無しに床に転がっている長剣に手を伸ばした。
見た目通りの重さが剛史の肩を襲う。こんな鉄の塊が振り回せるはずが無かった。構える事も不可能に思えた。
「行くぞ!」
かけ声とともにサルワが踏み込む、剛史は剣を引きずるように後退した。
しかし今度は切っ先が止まらず、肩・二の腕・脇腹とかすめて行く。そのたびに剛史の身体に赤いラインが増えていくのだ。
「タルウィ!」
ドゥルジはたまらず声をかけた。
「みたかドゥルジ、こんな男がタルウィのはずがないのだ!」
男の叫び声、そして短剣が自分の胸元に向かって迫る。
そのとき。
急に剣が軽くなった。まるで鳥の羽で作られたかのように手首を動かしただけでふわりと浮かんだ。
剣を垂直に立て盾のようにサルワの短剣を受け止める。
金属のぶつかり合う音がした直後、剛史は剣を下に振り下ろし切っ先を床にたて、それを支点に棒高跳びの要領でサルワの頭上を飛び越え彼の背後に回ったのだ。
あまりの切り返しの早さにサルワは状況が判らない。
剛史は剣を右手のみで掴み左肩に担いでいた。
前傾姿勢になり左手を右手に重ねる。
そのまま眼前全てを振り払うように剣を震った。
剛史の気合いとともに弧を描いた切っ先から爆音が響く。
床がはがれテーブルが倒れ、傷一つつかないはずの準水晶が砂のような粒になって粉砕した。
サルワは? 彼はすんでで身体をかばったのか生きている。それでもマントは千切れ頬に一本の傷が走っていた。
「……音速斬り」
ドゥルジの声に剛史は我に返る。
目の前のめちゃくちゃになった部屋の様子、そして傷だらけのサルワ。
自分が今、何をしたのか判らない不安。
ただ彼は自分が手にした剣をじっと見ていた。
§
「そうか、音速斬りをね」
同じ城の中、ドゥルジはベール越しに‘あ・り・す’の声を聞いていた。
「間違いありません。マルドゥックでも『音速斬り』が出来るのは数えるばかりです」
「左様。その一人がドゥルジ、そしてもう一人がタルウィ」
「‘あ・り・す’様、やはり彼はタルウィなのでしょうか?」
「わたしの言うことが信じられなかったか……無理もない」
「もしタルウィで有れば記憶を取り戻すことは可能でしょうか?」
「記憶を取り戻すにはそれなりの時間がかかろう。だが記憶を取り返す前にやっておかなければならないことがある」
「何でしょう?」
「ネボの‘あ・り・す’を始末することだ」
ドゥルジは僅かに顔を上げた。
「タルウィの記憶はネボの‘あ・り・す’に感化された結果に違いない。故にネボを始末すればタルウィへの影響も少なくなるだろう」
「では早速に」
「慌てるなドゥルジ。覚醒が不十分にせよ相手は‘あ・り・す’だ。しかも今はネボにいる。このまま闘いに望めば倒して下さいと言わんばかりだ」
「ですが……」
「よく聞くのだドゥルジよ。すでに手を打って有る。そして遅かれはやかれ‘あ・り・す’はここに訪れる。その時を待つのだ。それにヤツの持つ水晶は手に入れなければならない」
押し殺した笑い声、ベール越しに‘あ・り・す’の身体がふるえている様子がドゥルジには見えていた。
「運命というのは時に面白く、時に悲惨で、時に残酷だ。そう思わんか、ドゥルジよ」
小さくうなづきながらドゥルジは、あの時剣を構えて見せた剛史の後ろ姿を思い出していた。
〈タルウィ……あなたの記憶はわたしが取り戻すわ〉
彼女は自分の右手首にまかれている緑の布地を見て、小さく笑った。
■Scene 14 勝負【Fight】に続く




