■Scene 12 許嫁【Steady】
さて、一方の草薙剛史はというと。
「どーこーだーろーなー、こーこーわー」
などとわざと語幹を伸ばして独り言をしゃべっていたりする。
彼は腕組みしながら自分がいま置かれている状況、そしていま居るところについて考えていた。
地味と言えば地味、かといって粗末な部屋ではない。
剛史が一人で使うには大きすぎるベットがあり、そんなベットが軽く一〇個は入りそうな面積の部屋である。
あまり飾り気の無い部屋の最大の特徴は、日が射してくることから南に向いていると思われる壁一面がガラスになっていることだろうか。
透明度も硬度も自宅の窓ガラスとは比べ物にならず、最初その壁を見た剛史は、
「なんで壁がないんだ?」
そこに体当たりをしたほどだ。
またそれの不思議なところは、いくら手でベタベタ触っても指紋もつかず汚れる気配がない。
剛史が窓ガラスと思っているそれは、この世界で準水晶と呼ばれている。これは鉱物ではなく珪素系列の生物であった。
窓から見える風景は森。見えるところ全部が木々だ。
針葉樹のようなのだがどこか見慣れたそれとは違う。わずかに見える空の色はこの部屋で気がついてからいくら見ても青から変わらない。
はたしてまだ気を失ったままなのだろうか?
時間が経過していないのだろうか?
その割に腹は減るし眠くなるしトイレにも行きたくなる。
トイレは部屋の一角にそれらしい別室があるのでそれで済ます、食事は腹が鳴りそうだなと思うと窓とは反対側にあるドアが開いて食事を持った女性が入ってくる。
ちなみにこのドア、こちらから開こうと思うとただの壁になっている。押そうが引こうが叩こうが蹴ろうがびくともしなかった。
眠くなれば特大ベットに横になる、そうすればガラスだった壁が不透明になり部屋の明かりが落ちる。
便利と言えば便利、「まあ、こんなもんだ」で物事を済ませてしまう剛史はそんな生活をのんべんだらりと送っていた。
自分がここに来る前の最後の記憶と言えば、幹ヶ原池に飛び込み黒い渦に飲まれたこと。
その直前、自分に手を伸ばした華蓮の姿があったが、
〈美咲なら溺れることもないだろう……それとも俺と同じように捕まって、別の部屋に居るのかな?〉
この部屋から出られないのであれば自分は監禁されてることになる。
軟禁と監禁の違いは自由意志でその部屋から出ることができるかであると、たまたま読んだ法律の本で覚えた知識を思い出しても、状況が急転するわけではない。
そもそもその常識と言う名の法律が有効なのは元の世界である。
監禁といっても剛史の待遇は非常によかった。
部屋の広さもあるのだが食事の内容も申し分ない。
豚に似た肉料理を中心に野菜の付け合わせとコンソメ風のスープ、後は本格インド料理の店に行くとあるナンのような物が皿に山盛りになって出てくる。
味付けがやや濃い――全体的に塩が利きすぎているように感じられるが、我慢しなくても食べられる。どちらかと言えば量が問題で、食べ盛りの剛史でも多すぎる位なのだ。
「出された物は、みんな残さず食べるのよ」
食事の支度に来るたびに和美に言われたせいか、目の前の物は全て食べなければ気が済まないらしい。
味は悪くないため詰め込むことにさほど苦労は無いのだが、それでも出された五分の一ほどは必ず残ってしまう。
食事のトレイを下げに女性が部屋に入ってくるたびに、
「今回も残してしまって、申し訳ありません」
そう謝るのだが、そのたびに女性も深々と頭を下げて部屋を出て行く。
中華料理はわざと少し残すのが礼儀だと聞いたことがある。空いても不快感を示していないため慣習には外れていないのかと剛史は考えた。
そもそも言葉は通じているのだろうか。食事の世話やベットのシーツや洗濯物を持ってくる女性は、どう見ても日本人に見えない。そもそも服装が異なっていた。
剛史は池の中に飛び込んだときの姿、つまりは慧香学園の男子夏期制服である。白のワイシャツに黒のズボンとその下はランニングと煉瓦模様のトランクスであった。
剛史の世話をするために部屋に入ってくる女性の服装、彼の知っているもので一番近いのはチャイナドレスだった。
服装の外見が身体のラインに沿って裁断されており、膝と太股の付け根の中間よりスリットが入っていることなどが類似点である。ただ、チャイナドレスに有る鮮やかな刺繍はなく深緑と紺の二色染めで腰に幅一五センチほどの帯を巻いていた。
スタンドカラーはなく丸首に近い。
髪型が特徴的だ。長い髪を後頭部でポニーテイル状に一本にまとめそれを右回りに渦巻きに固めていた。
髪の色は淡いブラウンであり瞳の色と同じである。
顔立ちが日本人のそれと異なる事、同じ服装を着ていることから人物の区別ができない。
何を話しかけても返事がないので言葉も通じないのかと思っていた。
ところがある時食事を運んできた女性が、ちょっとしたはずみにスープをこぼして剛史の腕にひっかけた。
「あっちー!」
すると剛史の悲鳴に続いて、
「申し訳ございません!」
そう謝ると額を床にこすらんばかりにふせた。
どうやら言葉は通じるらしい。
女性は持っていた手ぬぐい状の物で丁寧に剛史の腕にかかったそれをふき取ると、急ぎ足で出ていってしまった。その直後わらわらと数人の女性が部屋に入り、やや赤くなった剛史の腕にクスリを塗ったり湿布のような厚布を貼り付けたり、包帯のようなものをぐるぐる巻きにして去って行った。
一度に複数の女性の姿を見たが収支無言だった。
次に世話にきた女性は、何を話しかけても何も応えなかった。
§
のんべんだらりの生活は数日続いた。
ただしこれは剛史の体内時計での記録であり、正確な時間ではない。部屋の中にカレンダーも時計も無い。持って居たスマートホンは水没の影響で画面が完全に浸食し動作しなかった。
する事がないので一日たつごとに体内時計のねじが延びているような気さえする。
せめてスケッチブックと鉛筆さえあれば窓の外の風景を書くのにと、食事以外の時間は目の前の森を見て過ごしていた。
我ながらジジイな日々だと感じている。
食っては寝る生活のため太ったような気もする。
そこで思い出したのがお菓子の家のお話だった。さんざん太らすだけ太らせてその後で自分を食べる。
〈うーん、人肉なんて酸っぱくて旨くないっていうけどなあ。特に俺なんか運動してないから筋肉なんか締まってないだろう〉
針葉樹を見ながらそんな事を考える剛史の神経も、人並み以上に太かったのかもしれない。
そんな退屈がある日突然壊れた。
いつものように目を覚まし食事が来るまで森でも眺めるかと、窓に向かおうとするとドアが開いたのである。
「今日は朝飯がずいぶん早いなあ」
彼がテーブルに付こうとすると入ってきたのはいつもの服装と違う。
何というか多分ロールプレイングゲームの女戦士はこんな格好だと言わんばかりの服装だ。要所ゝはきちんと隠しているもののちょっと露出度が高かった。
鼻から上はフェースプレートに隠されてよく判らないが、首筋から延びる髪は漆黒でしかも美しくまとまっていた。
「……すごいわね。今日までこの退屈に耐えるなんて」
彼女はそうつぶやきながらフェースプレートを外した。
美しく流れる黒髪、それはさらさらと川の流れのようだったが何より驚いたのはその顔である。
剛史はぱかっと口を開いたままその女性の顔を見つめていた。
「どうしたの? わたしの顔に何か付いているかしら」
「か、和美」
そう、目の前の女戦士の顔は和美そのままだったのである。
「……誰の名前?」
「誰の名前じゃないぜ。珍しくヘアバンドしてないな」
確かに目の前の『和美』はヘアバンドをしていない。その分前髪をヘアピンでまとめているが瞳といい鼻筋といいどこから見ても西村和美その人だった。
さらにその声も違和感を覚えなかったことから和美と同じであった。
剛史は彼女の姿を上から下へと目をこらす。明らかに変な視線に対しても彼女は動じる様子を見せなかった。
「しかし和美……すごい格好だなあ」
「わたしはドゥルジよ。あなた、本当に記憶を無くしているの?」
「なんだって?」
「ドゥルジ。いい、ドゥ・ル・ジ。わたしを忘れたの?」
「だから和美だろう?」
二人の頭の上に飛び交う疑問符の団体。
「まあ落ち着こう」
「いいわ」
と剛史はベットに腰掛けドゥルジはそばのイスに座った。
さて、改めてドゥルジの服装を見る剛史だったが……
「なに?」
「いやさあ、本当にすごい格好だなあ」
「わたしの装備のこと?」
「ああ、ひょっとしたら密かに毎年八月と一二月に有明に行ってたんじゃないのか? 妙に似合ってるぜ」
「アリアケ?」
「あっとその格好じゃ規制でコスプレできないよな」
「こすぷれ?」
「違うのかな、それじゃあ東京文具センターとかまんだらけあたりでアルバイトしていたり」
意外にそっちの方面に明るい剛史であった。
「ところでさ……それって何のライトノベルの誰なの?」
そう言って指さそうとした剛史だったが。
いきなりドゥルジが抱きついてきたかと思うと、そのままベットに押し倒されたのである。
「ままままま、まて和美、俺たちはまだ高校生であってだな」
「……タルウィ、本当に記憶を無くしているのね」
「タルウィ?」
「あなたの本当の名前よ」
そうつぶやいて剛史の身体を引き寄せるドゥルジ。彼女の身体の要所ゝをカバーしている鎧モドキはそれなりの堅さを持っているらしく、ごつごつとした感触を剛史に与えていた。
ただ、その他の露出している例えば脇腹とかお腹とかの柔らかく温かい感触は、ワイシャツ越しに伝わってくる。
それと彼女の震える肩、そして涙。
「せっかく逢えたのに、わたしの事を覚えていないなんて」
「……覚えているかと言われれば」
「小さな頃から一緒に遊んでいたでしょう、その思い出もあなたの頭の中には無くなってしまったの?」
どうも彼女の話を聞く限りドゥルジとタルウィという二人の男女は幼なじみだという。それなら剛史と和美も幼なじみだが、少なくとも剛史の知っている和美はコスプレ少女ではなかった。
「……あのさ」
「何?」
「ここはどこなのかな?」
その何気ない質問にドゥルジは身体を起こした。だが剛史の両腕は押さえ付けられたままで彼女の涙に濡れた瞳がじっと剛史を見ている。
考えようによると非常に美味しいシチュエーションだが、剛史としてはこの訳の判らない状況を何とかしてほしかった。
「やっぱり、‘あ・り・す’様の言うとおりあの時の記憶を全て無くしているのね」
「‘あ・り・す’様?」
「いいわ、連れていってあげる。‘あ・り・す’様の元に」
彼女はそう言ってベットから降りまだ倒れたままの剛史に手を差し出した。
§
剛史はドゥルジに連れられ自分が監禁されていた部屋から外に出された。
外と言っても大きな屋敷、もしくは城の中らしく、天井が異常に高い廊下に出ただけだった。
照明らしき灯りはあるのだが光量がその場所の広さに追いついていないため、やや薄暗い感じを与える。
城の中にありがちな彫刻や絵画などがまるでなく、廊下に敷き詰められたグレーの絨毯だけが目立っていた。
自分の目の前を歩くドゥルジを見ていると、その後ろ姿は和美である。肩を揺らさず頭もあまり上下しない映画俳優のような歩き方も、軽く波打つ腰ほどの長さの黒髪もどうみても和美だった。
違いと言えば服装だ。背中を見ても健全な青少年には刺激がきついものである。
和美もたまに嫌がらせのように妙に露出の高い服装で食事や掃除をしにきたり、マイクロビキニだミニスカートだとそんな衣装でスケッチしろと押しかけることもあるがあれともまた違う。
〈この格好で剣でも振り回している姿なら一躍コスプレ会場の人気者になれるのになあ〉
たまに部屋の世話係の服装をした女性や、男の兵士が交差する通路から現れると彼ら彼女らは恭しく挨拶していく。ドゥルジは会釈する様子も見せないことから、この女性の地位が高いと感じていた。
すれ違う人々の目はドゥルジだけでなく剛史にも向けられ、そして挨拶しているように見える。
「ここでは皆あなたのことを知っているわ」
ドゥルジは振り返ることなくそう言った。
「俺ってここでは有名人なのか?」
「有名人……そうね、英雄はみんな、そう言うものでしょう」
「ひーろー? 俺が?」
「そうよ。マルドゥックの救い主ですもの」
振り返ったドゥルジはどこかうれしそうに見えた。
「ちょっと待ってくれよ。俺は運動なんか全然だめなんだぜ。金槌だし、力無いし、だから美術部に所属しているんだからさ」
「すぐに判るわ」
再び歩き始めるドゥルジ、その後は無言で歩く速度も上げた。
何回か廊下を曲がり段々とその幅が広くなる。やがて建物の中に有るとは思えないほどの大きな門の前に到着する。
全身を鎧で固めた門番の兵士は、ドゥルジと剛史の姿を見て直立した。
「……タルウィをお連れしたわ。‘あ・り・す’様に謁見を」
「はっ!」
門番は柱に付けられたプレートに軽く触れた。
数人がかりでなければ開けることが不可能に思える、その大門が音も無くゆっくりと開く。
ドゥルジはそれが開ききる前に門の中に見える階段に向かって足を進めた。
薄暗い雰囲気は加速する。まるで見通しの利かない霧の中を歩いているようである。
階段の遥かな両端には明かりがあるのだが、点けているだけ無駄のような気がした。
〈これでパイプオルガンの音色でも流れれば、絶対に『悪の秘密結社』だな〉
相変わらず他人事な剛史である。
階段はかなり急でまるで壁を上っている気分だった。真正面をみるとちょうどドゥルジの腰からお尻にかけてになるので、なるべく上か足下を見るようにしている。
いったい何段上れば気が済むのだろう、そう思い目の前の彼女に休もうと言おうとしたとき。
「さあ、ついたわ」
視線を足下から上に向けると階段が無くなっている。
ドゥルジに続いて剛史も階段を上りきると、そこはまるで黒魔術の集会を行っていそうな非常に怪しい広場になっていた。
照明の弱さもあるのだがどこまで続くか判らない空間がそこにあり、床一面に怪しい模様やら記号が書かれていた。
階段を登り切った位置から奥に向かって燭台が等間隔で並んでおり、ドゥルジはさらに奥に突き進んでいく。
〈……オカルト研の連中が見たら泣いて喜びそうだな〉
ふと、ドゥルジの足が止まった。
そこから五メートルほど奥に玉座らしい物がある。
床が五〇センチほど高くなっておりその四方が黒いレースのカーテンのような物で囲まれている。中に誰かが座っているのは判るが表情や服装までは判らなかった。
カーテンの左右には召使であろう女性が目を伏せたまま座っていた。
「……お連れしました」
ドゥルジはそう言って片膝をつき顔を伏せる。
その中に居るのが‘あ・り・す’と呼ばれる人物なのだろう。
「ご苦労であった、ドゥルジ」
玉座から聞こえてきたのは女性の声だったが、とてもしゃがれた老女のものだった。ただ声自体に張りがあるのか、距離があるわりには鮮明に届いている。
「……アリスなんて言うからもっと可愛い女の子の声かと思ったぜ」
「タルウィ!」
剛史は立ったままで玉座をにらみつけている。
「教えてくれ、ここはどこなんだいアリスばあさん」
「無礼であろう!」
そう叫んだのは玉座の左右に立っていた衛兵、だがカーテンの中で腕がゆらゆらと動き衛兵も直立の姿勢になった。
「無理もない。タルウィとしての記憶はなく今のおまえは草薙剛史でしかないのだからな」
「俺の事を知っているのか?」
「知っているとも。シャマシュでのおまえの生活も、そしてここでの生活も。ここはマルドゥックの世界だよ」
「マルドゥック……」
確か華蓮と指切りしようとして電撃が自分を襲ったとき、耳元でそんな単語を聞いていた。
「おまえの生まれ故郷さ。もっとも草薙剛史としての記憶しか持たないおまえにとっては、そこに控えるドゥルジも西村和美にしか見えまい」
「あんた、何でそんな事を知っているんだ?」
「もっといろいろなことを知っているぞ。例えばネボの‘あ・り・す’。おまえを助けようとした女」
「なに?」
「顔色が変わったな。そうだよ、何と言ったかな。名前は……美咲華蓮」
「知っているのか、美咲がどうなったか」
「そんなにあわてるな……おまえの恋人が悲しむぞ。もっともタルウィの記憶の中の恋人でしか無いがな」
それはすなわち剛史のすぐそばで片膝をついたまま動かないドゥルジの事なのだろう。彼女は俯いたまま肩を震わせていた。
「やはり報告通り、ネボの‘あ・り・す’に感化されようとはな」
「どこにいる、美咲は!」
「慌てなくとも逢うことは出来る。もはやあの女もネボの街に入ったはずだ。いずれ……自然と逢うことになる」
カーテン越しに聞こえてくるのは笑い声だった。
その声に震えるように剛史の腕が粟立っていた。
■Scene 13 勇者【Hero】に続く
 




