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恋焦

作者: るうき


  一目出逢ったその日から、とはよくいったものだ。呻き悶える雌百足の目前には、人間の男が眠っている。

 年の頃は十の半ばを過ぎたくらいか。人間にしては目鼻立ちが整っておる。


 雌百足は一目見たその時から、この人間の男に恋慕の情をい抱き、ここ十日ほど男を見守っていた。

 ある時は天井に張りつき、寝顔を眺め、ある時は住処の穴から男の動向所作を見つめていた。


 あろう事か、よもや人間の男に惚れるとは!雌百足は華奢な身体をくねらせた。なれど事実は変えられぬ。

 興奮しながら、ふとして思い浮かぶは人間の男、男の纏う空気、低い声、黒髪、閉ざされた眼。

 雌百足は度々思い返して黄色い声を上げ、充足を感じ、心を高揚させていた。


 この雌百足の様子を知った幼馴染の雄百足は、憤怒と憤慨の複雑に混じった感情でもって雌百足の住処を訪れた。



  雄百足は声を荒げた。君は人間の男に恋をしているのか!

  雌百足はあっさりと肯定した。ええ、そうよ。あの人を好いているわ。

  雄百足は全身を真っ赤にしながら言った。人間の身勝手さに絶望するぞ。

  雌百足はそれでも肯定した。構わないわ。きっと、これが私の宿命なのよ。

  雄百足は、もう何も言えなかった。



 雄百足が去ってからも、雌百足はあい変わらず人間の男を天井より見下ろしていた。

 なにゆえ人間でないのだろう、なにゆえ男は同族でないのだろう。

 雌百足の心は人間の男で満たされ苦悶する。さすれば叶ったやも知れぬのに!

 ひとり悶絶した雌百足は、気づくと黒い毛なかに横たわっていた。黒毛は無論、かの人間である。

 雌百足は慌てて飛び退い、這々の体で枕を下りおおせた。心を弾ませたは言う迄もない。



  物陰から窺っていた雄百足は息を潜めつ嘆息した。

  どうして人間になど、自分が先に好いていたというのに!

  雄百足の心は、終いに報われることはなかった。




  雌百足は、もっと人間の男について知りたくなり、男の出掛ける先を丹念に調べた。

 少しずつ男の通る道を土や草に隠れ探り、辿り着いた場所は何がしかの店のようであった。

 ここまでくると、もはや恐るべき執念と呼ぶほかはあるまい。


 雌百足は眩い世界のなか、男を探しまわった。

 といっても雌百足の体躯は儚く小さかったので、店の出入り口に到達するまでが大変だったが、雌百足は根気よく足を這わせた。

 しかしながら出入り口は危険であった。なれば、と雌百足は店壁の隙間を探し、縫って店なかに進入した。


  暗く、狭く、苦しい道は、雌百足にとって至福の道であった。




 なぜこれほど人間の男に拘るのであろうか。それはいつぞや、雌百足をこの男が助けたからである。

 人の子の餌食になりかけた際、男が子の所業を押し止めた。

 恐る恐る見上げた雌百足は、人間の男に助けられたことと、その瞳に、一目惚れたというわけだ。


  いっときの感情で終わらせることを、純な百足は知らなんだ。




 雌百足が光に飛び出ると、なにやら悲鳴がこだました。

 目を凝らすと、周囲に人間が三人、立ち尽くし、あるいは後退り、もしくは背を向けておる。


 間違いか、雌百足が落胆した矢先、目当ての想い人を発見した。その時であった!

 ―― きゃああ!

 雌百足は全身を押し潰される痛みに悲鳴を発した。足はすぐさま退けられた。

 ―― あ、……あなた…逢え、た…。

 雌百足は幾度か踏まれ、白い何かに柔らかに包まれ、絶命した。


  悲哀と歓喜が雌百足の最期の記憶であった。



 * * *



 男は無造作に紙を箱に棄てた。二人の人間に賞賛をおくられ、けれども、えも言われぬ悪寒が踏んだ足より這い上がるのを感じた。

 男は捨て箱に手を合わせ次いで百足を踏んだ場所で手を合わせてまた、念仏を唱えた。


  悪寒は、深くて無邪気で、ひたむきな切望であった。



                                         了

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― 新着の感想 ―
せつないですね……。 でも百足相手だとなかなかに……。 想像するとゾクゾクする絵面なのに、文章だと報われない純愛物語となる、発想がすごいと思いました。 るうきさん、ありがとうございました。
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