ACT3 Dame von Edelweiss
2027年 7月25日 午前11時51分
第三人工島 第184航空隊 待機室
この日は僕のスクランブルのシフトだ。と、言ってもあと9分で交代だ。
平和な時代と言えども不審機の領空侵犯は絶えることなく、防空識別圏に侵入した国籍不明機にスクランブル発進をかけなければならない。故に軍縮ムードの国際社会の中でもパイロットの需要は減る事は無い。
だけど……
「暇だ」
アラートハンガーの待機室のソファで腰かける、颯太はついつい口から不平を漏らしてしまった。
国籍不明機が現れると言っても、その領空侵犯の頻度は年々減少している。来て2週間に一回やそれ以下か。はっきり言って、航空隊の存在意義を問いたくなるくらいだ。早く飛びたい。次の飛行訓練もあと一週間先……まさに不毛な時間。これなら、部屋でゴロゴロした方がマシだ。
「暇なの?ソータ」
デスクにへばりつくナターシャは颯太に問う。
「まぁ……だって、スクランブルも無いしね」
「そう。なら、私のレポート書くの手伝ってよ。お願い」
ナターシャは猫なで声で颯太に頼む。
「パス。自分の仕事は自分でやりなよ」
この前のレポートとは矢吹副長が隊のパイロット達に与えた、自機の整備を担当する下士官質達への評価書の事である。ABC評価と一言コメントを書くだけのシンプルなデスクワークで、颯太は一日もかからずに終わらせてしまった。
「女の子一人の頼みを聞けないなんて小さい人間だな……あそこも小さいんじゃないの?」
「女の子らしい女の子なら頼みの一つや二つくらいなら聞けるけど?」
「それ、どういう事よ?」
「さっきの発言をICレコーダーにでも録って、聞かせてあげた方が良かったかな?意味が簡単に理解できるのに」
「嫌味たらしくて女々しい奴……」
「そう。なら、僕の女らしさをナターシャに分けてあげた方が良いかな?」
「うるさい!!そんな大きな口は私に勝ってから叩きなさいよね!!」
颯太の放ったカウンターはナターシャの情緒にクリーンヒットしたようだ。
「ナターシャ、こりゃお前の負けだよ。きちんと仕事済ませとくんだな。勤労は尊ばれるもんだぜ?」
颯太の隣のソファに腰かけるマルコが艶めかしい女性の水着姿を表紙にしている雑誌を片手に彼に助太刀した。
「……マルコ、不潔」
ボソり、チクりとヘルガがマルコにツッコミを入れた。
「……もういいわよ」
しょげた様子でナターシャはふらりと立ち上がり、そのままヘルメットバックを手に待機室の外へと出て行った。
「あ、ナターシャ!!まだシフトが……」
どうせ5分もせずに交代だけれど、その5分で領空侵犯機が来てしまったら、対処が遅れてしまう……でも、本当に来るのだろうか?こんな辺鄙な所に。
前線は遥か数千キロ先。いくら大きく炎が燃えたとしても、ここまで飛び火する事は無いであろう。
「俺らもここらでお開きにするか。後続のグリフォンの連中も来たようだし」
―――コンコンコン
「よぅ、交代だぜ」
ナターシャと入れ違いに入ってきたのは4人の白人男性だった。複座のF型のパイロット達だ。颯太に声をかけたのは筋骨隆々で、絵に描いたようなタフなアメリカの南部男のリック・ハーソン大尉。彼は第二小隊、グリフォンの隊長である。
「どうだ、異常はあったかい?」
「はい。今日も平和です。ハーソン大尉」
「そいつは良かった。まぁ、こんな辺鄙な所で戦争をおっぱじめるような奴はいないだろうよ」
「ですよね……では、自分はこれで」
「おう、お疲れさん」
颯太は、マルコとヘルガと共に敬礼を先輩搭乗員達にして、アラートハンガーを後にした。
ドアを開け、外に出ると人を蒸し殺せそうな熱気が僕を不快に包んだ。
「平和か……」
戦争は終わった……でも、平和なんて呼べるような状況じゃない。ユーラシア大陸では残党狩り、そして海では国無き敗残の艦隊が縦横無尽に駆け海賊紛いの行為に身をやつしている。
僕は、形は見えるけれど掴むことの出来ない――そう、雲のような平和な時代で生きているんだ。
「そんな事より……」
颯太の脳内での堂々巡りは腹の鳴る音と共に止まってしまった。
†
同日 12時43分 第三人工島 居住地区
第三人工島、通称クレイドルは居住を前提として作られた島で、広さは東京都23区ほど。島の中には住宅街の他にも、工業、商店街、金融街などの商業区画も存在している。だいわば、一つの都市として太平洋の真ん中に浮かんでいるのだ。
海軍及び空軍の航空隊の所属する、民間の空港と併設された航空基地から歩いてすぐの所に商店街を颯太はあてもなくさまよっていた。
今、颯太のいる場所の名はマグノリア地区と呼ばれている。
マグノリア地区は緩やかなスロープに石畳が敷かれ、景観もヨーロッパの古風な街並みが特徴。居住者は、先の大戦――主にヨーロッパにおける戦闘で住む場所を追われた人々が主となっている。
颯太の知る第三人工島は本当に殺風景な場所だった。12年前に疎開した時はもっと店や一般の商業施設も無く、無機質な鉄骨やら島の土台のアスファルトが目立っていた。
「どこがいいかな……?」
どこが良いのか皆目見当もつかない。
一般的なハンバーガーチェーン店やカフェに、パブ、高級そうなレストラン……日本人の感覚からするとどこも自分には場違いな感じ――というより、「ここに行きたい」といった衝動に駆られないのだ。
「ん……?」
落ち着いた街並みを歩いている中、映画とかに出てきそうな子洒落た雰囲気を持ったレンガ造りの一軒の店を颯太は見つけた。白い花の絵を背に、ドイツ・アルファベットで『Edelweiß』と銘打たれた看板が特徴のレストランのようだった。
日本人の琴線に触れるよな、落ち着いた佇まいの店に惹かれ颯太は入り口前のメニュー表を見た。
ランチの価格設定も財布に適切だったので、颯太はここに入る事にした。
「いらっしゃいませ」
出迎えたのは女性の声とひんやりと心地よい雰囲気の店内だった。
店内は外見と同じように落ち着いた雰囲気だった。木製のテーブルやカウンター席と石造りと木造住宅が融合した洒落た店内――今、ここにいるのは颯太だけ……実に穴場的な店である。
とりあえず窓際の席に座る事にしよう。
颯太はテーブルについて、メニューを開いて何を頼むか思考を巡らせる。
「いらっしゃいませ、お水と冷たいタオルをどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
厨房から現れたのは一人の若いゲルマン系の女性だった。カールした美しいブロンドに青い瞳、この蒸し暑い南海の島には似つかわしくない白い肌の女性……柔らかく人当たりの良さそうな雰囲気はまさに貴婦人といった様子だ。
……だが、普通の人とは少し違っている。
車いすだ。電動の車いすを利用しているのだ。
「今日のおすすめのランチはとおすすめの紅茶はアールグレイのアイスです」
「はぁ……じゃあそれでお願いします」
「はいです。少々お待ちくださいね。あ、私はアリシア・エンフィールドです。本日は来ていただいてありがとうございます」
「東颯太って言います。こちらこそよろしくお願いします。エンフィールドさん」
「アリスでいいです」
そう言って女性は車いすの駆動音と共に厨房へと去って行った。
綺麗な人だ。
外見もそうだが、雰囲気が更に美しさを際立たせているといっても過言ではない。どこかの誰かさんに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいような女性……そして、この店の雰囲気も中々だ。ここだけ外の忙しい時間から隔絶されていて、時がゆっくりと流れているみたいだ。
癒される……時々来たくなりそうだ。
待つこと三十分前後、特殊なプレートにポークソテーとアイスティーの入ったグラスを乗せて女店主は現れた。
「お待ちどう様です。ポークソテーと紅茶のセットです」
出来立ての香ばしいポークソテーにマッシュポテトと人参、ライ麦パンが実に美味しそうに僕の瞳の中に移る。
颯太がナイフとフォークを手にご馳走にあり付こうとした刹那、静かな水面のような店内に岩が投げ込まれた。
「あぢぃい……アリスさん……アイスティーちょうだい」
「あら、ナターシャさん。ナターシャさんもお昼ですか?」
「うん。とりあえず、いつもの……って、何でソータいんのよ!?」
ナターシャだ。ナターシャが来てしまったのだ。
「あら、ナターシャさんのお友達ですか?」
「友達というか、ウィングマンというか……」
あ、ウィングマンなんて一般人には解らないか……説明を付け足そうと颯太は口を開こうとしたが、アリスと呼ばれた女店主は
「あ、颯太さんもパイロットなんですね?じゃあ、ナターシャさん、こちらにどうぞ」
アリスはナターシャの注文したアイスティーを作りに厨房へと戻る。その入れ替わりのように不機嫌のナターシャは乱暴に颯太の向かいの椅子に腰かけた。
「どうしたの?」
「……何であんたがいんのよ」
「何でって……ここにお昼を食べに来ただけだよ。悪い?」
「悪い。ここはあたしの行きつけの店なの。穴場なの」
「そうかい。じゃあもっと悪い事を教えてやるよ。この店が気に入ったから、僕も常連になるんだ」
ナターシャの無茶苦茶な発言に対して大人げないが反撃することにした。
「ふぅん……まぁいいわ。アリスさんの為だから許してあげる」
「え……?」
「だから、アリスさんの為よ……別に、あんたを認めた訳じゃないけど」
意外だ。あの子供っぽいナターシャが誰かの為を思うだなんて……いや、彼女も人間なのだから誰かを思う事もあるだろう。ましてや、あのアリスさんのような人を思うのは無理もない話か……。
「早く食べなさいよ。アリスさんの料理は世界一なんだから。食べないなら、あたしが」
「ちょっ!!」
「ん~美味しい!!」
ナターシャはぱくりとポークソテーの一切れをつまんで頬ばる。そして、幸せそうな顔をした。
だが、彼女の幸せそうな顔で解る……この店は正解なのだと。
「いただきます」
仕事終わりのちょっとしたご褒美で、僕は美味しいご馳走にあり付いたのであった。