ACT1 暴風
2027年 6月21日 午前11時57分
第三人工島 クレイドル沖上空
梅雨明け空の群青に一筋の純白を曳く銀翼が一つ。音よりも速く、何よりも高く空を翔けるF-28Eワイバーンはその機首を第三人工島へと向けていた。
「……あそこに戻るんだ」
酸素マスクの中で東颯太少尉が小さく、そして感慨深く言葉をつぶやいた。東颯太はこの6月にF-28のパイロットとなった尾に卵の殻がとれていないような新人パイロット――それも17歳の幼年搭乗員である。
パイロットスクールでの成績は中の上で、パイロットとしての能力は優秀と呼べる一歩手前である。
そんな彼は今現在、F-28の最新モデルのE型と共に初任務に従事している任務の内容は至ってシンプル。このF-28を、日本の百里基地から第三人工島のクレイドル海軍航空基地に本拠地を置く第184戦闘攻撃隊『イーグルナイト』へと運搬飛行する事である。
第184航空隊は10年前の大戦からF-28を運用していた『ヘルハウンズ』を母体としら部隊である。184航空隊は艦隊の防空任務から、近接航空支援といった幅広い作戦に従事し、尖閣諸島海戦、日本奪還作戦などの東部戦線で大きな戦果を挙げた。
だが、軍縮のあおりを受け、その規模は年々縮小され、今では脅威が皆無に近い第三人工島の防空部隊として活動していた。かつての英雄達のいた部隊は今では、『お飾り部隊』と揶揄され、パイロット達の掃き捨て場と化していた。
そんな廃れた航空隊が彼の配属先だ。だが、颯太は全く落胆しておらず、むしろ心の底から喜んでいた。
長年の夢が叶うんだ……
12年前、地獄の中から逃げ惑う人々を孤軍奮闘しながらも救ったあの部隊に、地獄の中から自分を救ってくれたあの部隊に入れるんだ。
ずっと憧れていた第184航空隊の一員になれる……そう思っただけで、自然と操縦桿を握る力が強くなった。
そして、彼の駆るこのワックス掛けが施されたかのように真新しいF-28Eこそ彼の愛機。世界随一の艦上マルチロール戦闘機である。
F-28EはF/A-18ホーネットの好後継機としてアメリカのニューグラマン社が設計開発された、マルチロールの艦上戦闘機である。その特徴は、ベクタードノズルやカナードによる高機動戦闘力や積載能力の高さなどが挙げられるが、最大の特徴は高性能コンピューター制御による、少年兵をはじめとする低練度のパイロットでも容易に操縦できる操作性と言えよう。
第三次大戦末期において、熟練の搭乗員の損耗によって両軍とも若輩の兵士を戦場に投入する事態に陥った。その結果、睡眠教育などの応用で即席のパイロットを作り、戦線へと送り出すといった、世が世なら「非人道的」と非難される様な狂気の芝居を始めたのだ。
そして、その狂気の舞台で一際輝いたのが第184航空隊のエースパイロット――――風宮翔だ。
総撃墜数96機、地上撃破目標12両――まさに獅子奮迅の活躍だった。
『鷲の騎士』、『海軍最強』、『エースキラー』――彼を表する言葉は少なくない。だが、その輝きの陰となって今を生きるのが『戦場帰り』と呼ばれる少年兵達だ。あまりに膨れ上がった兵員を維持しきれなくなった軍は生き延びた少年兵達の半数以上を退役させ、社会に返した。
だが、戦う術しか知らない彼らを社会は受け入れてはくれなかった。
職にもつけない少年兵が溢れる一方、国際情勢も即座に平和という訳にもいかなかった。敗残した旧ソ連の兵士たちは戦後十年経ってもなお敗戦の事実を受け入れず戦い続けている。それは局地的なゲリラ戦のみならず、武装解除に応じずに公海をさまよう機動艦隊も存在する。
他にも中国は共産党が崩壊した事をきっかけに百年前のような、軍閥が群雄割拠する始末になっている。
だが、戦火のある所にビジネスのチャンスは転がっている。余剰の兵器や『戦場帰り』達を集めて、民間軍事組織を発足する資本家達が台頭し始め、ゲリラ活動の鎮圧といった軍の下請け仕事に従事している。
その中でも最大規模は「ピースメーカー社」で、海軍で解体寸前の正規空母を無償貸与し、独自の機動部隊と独自の陸上戦闘部隊を持つほどである。その戦力は小国のそれを凌駕しており、一部からは世界秩序の脅威になるといった声も上がっているが、軍が行うことの出来ない汚れ仕事に従事する点などから、一種の必要悪に近い形で存在している。
戦争が終わっても世界は平和ではない。大火の残り火が未だに燃えているのだ。故に颯太のような年端もいかないパイロットが産声を上げ続けている。
「ん?こっちに何か来る」
コックピットのタッチパネル式の計器盤中央下にあるレーダースクリーンに1つの点――高速でこちらに接近する光点が映し出された。速度からしてレシプロでは無い事が解る。小型のジェット機?いや、これは戦闘機だ。不審機と間違えて、こちらに来てしまったのだろうか?とりあえず、クレイドル管制塔に連絡報告をしようと、颯太は無線機を操作した。
「こちらワイバーン219。こちらに戦闘機らしき機影が接近しています。そちらで何か解りますか?」
『ぇ……?あ、こちらクレイドルコントロール。多分の哨戒飛行に出たイーグルナイトの機体です……大丈夫かと思います。多分』
やたらとオドオドとした女性管制官の返答が来た。
「多分って……どういうことですか?」
『いえ、その……哨戒任務中にそちらを捕捉したので挨拶したいと……』
「え?」
哨戒コースを外れてこっちに来ているのか!?なんてパイロットが乗っているんだよ。
颯太は事実を確認して衝撃を受けた。だが、来ている事は事実……どうした物か。
「了解しました。ワイバーン219、交信終了」
颯太は無線を切って、レーダーディスプレイを見やる。光点は案の定こちらへの足を止めずに距離を詰めてきている。
無断でのコース変更を行うようなパイロットが友好そうに「ごきげんよう」みたいに挨拶する訳が無い。体中を突き抜ける嫌な予感が颯太に身構えさせた。
5000、4500、3000……音速近いそれは徐々にこちらに姿を露わにせんとする。
「来る……」
IFF(敵味方識別)照合、目視でもそれがF-28Eである事が判明。どうやら敵機では無いようだ。そして数秒後、颯太の機とそのワイバーンはニアミスに近いような距離ですれ違う。
「危ないじゃないか!!」
コックピットのパイロットの姿すらも見えるような無謀な飛行に颯太は声を荒げて怒りを露わにした。首を動かして、彼は件のF-28を探す。
見つけた。
シルクのように滑らかな旋回をしてこちらの左翼側に近づき、颯太のF-28の左10メートルに付いた。
ゆらり、ゆらり。その機は前触れもなく翼を左右に振った。
「え……ドッグファイト?」
翼を左右に振る。それは海軍航空隊のスラングで、格闘戦の申し出を意味する。ずいぶんと本格的な後輩いびりである。だが、颯太は
「おもしろい……やってやる」
翼を振って了承した。そして、颯太が了承するや否や相手機は左に4G旋回。彼もそれに合わせて、ドッグファイトの開始の基本状態である、真正面になるように右へ旋回した。
「悪いけどセンパイ……なめてると、痛い目にあうよ」
4Gの旋回の中で口の端を歪ませて颯太はつぶやく。
颯太はさほど成績が優秀なパイロットではない。総合成績はクラスでは中の中ぐらいの成績だ。だが、そんな彼には唯一誇れるものがある。それは格闘戦だ。ミサイルの性能が向上し、アウトレンジからの攻撃が主体になってきていても、数キロの間合いで背後を取り合うこの戦いは衰退することはなかった。
そして、今この2機が行っている戦闘機動の応酬も訓練の一つである。相手の背後に回り込んでロックオンをした方が勝者という、オーソドックスな空戦訓練である。
颯太のドッグファイトの能力は訓練生の中で一番高かった。空間認識力と反射神経、そのどれも秀でている彼にとってドッグファイトは一番の十八番といっても過言ではない。
「ヘッドオン……左旋回、ナウッ!!」
瞬間とも呼べる時間の対峙。交差の後に身に降りかかるGを堪えながら操縦桿を引く。滑らかだが、スナップの効いた旋回が功をなし、颯太の機はドッグファイトで一番優位な位置―――相手の背後を取れた。
傾く空とそれを移すHUD。
キャノピー越しに見える目標。
現在、二人は巴戦と呼ばれる状況にある。互いに同方向へ旋回し相手の背後を取り合う、犬で擬えるなら尻尾に噛みつかんとしているのだ。
旋回の手を緩めた方の負け。実にシンプルだが、航空機が戦場に導入された第一次世界大戦から現代まで変わる事の無い基本中の基本。
モンスターマシンの身にかかるGで血流が狂いそうになるが、颯太は腹筋に力をこめて堪え続ける。
F-28Eの外見は前モデルのCやD型に似ているが、その中身は別人になったかのように違う。一新されたアビオニクスや、高度な火器管制レーダーはもちろん、エンジンノズルは板式推力偏向ノズルに改修されている。
だが、その最大の特徴は『エンジン』と言える。
PEF-128プロトニウムエンジン―――先の大戦の原因となった高出力化石資源を燃料とするジェットエンジンだ。
XF-36ガルーダに搭載されていたEPX-128のモンキーモデルで、出力などはXF-36のそれには及ばないが、長時間で高出力の飛行が可能になり、航空燃料の積載量を高性能な電子機器や武装に割り当てられたのであった。
だが、新兵に扱えるはずも無かった。目標補足の為の細かい挙動を行えずに、颯太は何度も敵機をHUDの外へと逃がしてしまう。
「くっ……機体がピーキー過ぎる」
対する相手はじゃじゃ馬のようなこの機体を手足のように扱い、上下左右に颯太を翻弄させる。しかし、チャンスは訪れた。
「垂直上昇……?」
突如、相手の機は颯太の目の前で鎌首を上げて垂直上昇した。
垂直上昇は航空機の特性的に左右の身動きがとり難い状況。つまりは、敵に背を向けて立ち止まるような物である。
よし……これで!!
ペロリと酸素マスクの下で乾いた唇をなめ、敵機を追撃するために颯太は操縦桿を引き倒す。
「距離2000……サイドワインダーだな」
颯太は操縦桿の武装選択ボタンの突起を『SW』に合わせる。そして、サイドワインダーに積まれた熱源センサーが相手の放つエンジンの熱を捉え、シーカーを照準器の中で踊らす。
「もらった!!」
颯太は勝利を確信した。訓練生内でやった空戦シミュレーションの際に何度かこれと同じ状況に身を投じ、その度に勝利の美酒を味わった。
新人いびりに来た実戦部隊の先輩を打ち負かした時に味わう勝利の美酒はどのような味がするのだろうか……?颯太はそんな事を考えながらHUDの向こうの目標を眺める。
酒を口に含もうとした刹那、器が割れた。
「え……」
突然の出来事だった。
HUDに収めた目標が鎌首をいきり立つコブラのように上げ、そのまま急減速。颯太は今何が起きたかは判断が付く。
「プガチョフコブラ……!!」
プガチョフコブラ。迎え角を90度以上にして、機体そのものに発生する空気抵抗で急減速するソ連の戦闘機のお家芸ともいえる空戦機動だ。話には聞いたことがあるが、実際にお目にかかるのは、颯太にとって初めての事である。
ロックオンが終了するより早く、相手機は颯太の背後に回り込んで……
――ビィイィイイィイ!!
ロックオンした。
コックピット内に響くある種の死刑宣告。これが抜き身の剣ならば颯太はこのまま死んでいたかもしれない。だが、これは演習……相手にとってはある種の遊びだ。
「くっ……」
遊ばれていた。その事実を認識すると颯太は辛酸に呻く羽目となった。
空と海の群青の狭間――叫びたい気持ちを堪えつつ、銀翼は第三人工島の海軍基地を目指す。
†
1時間後 第三人工島
釈然としない気持ちのまま颯太のF-28のギアは勤務地のアスファルトを打った。颯太は誘導員の指示に従い、機を駐機エリアへと向かわせる。
駐機しても颯太はしばらくキャノピーも開けずに、しばらく敗北感に打ちひしがれた。鉛のように重くなった気分は時間を鈍化させる。コックピットに何十分――何時間も居座っているような気分だった。
『他の機が降りてきて忙しくなるから、早く出んしゃい』
いつまでも機体から降りない颯太に、色あせた青いキャップをかぶった整備士がタラップを機の横に掛け、コックピットから出るように近接無線で促した。
整備士は東洋系の女性だった。顔は童顔気味で年がいくつか判らないような外見をしているが、肩の階級章は自分より一つ上の中尉のものをつけている。
「失礼しました。自分は本日より184航空隊に転属になった東颯太少尉です。よろしくお願いします」
「ん。私は184航空隊付の整備士、弥生那琥中尉。あんたの機の担当になったんよ。よろしくね~」
機体から降りた颯太の敬礼に崩した敬礼を返し、整備中尉は名乗った。
この人なら、自分とドッグファイトした相手の事を知っているかもしれない。颯太はそう思って、彼女に『そいつ』について聞く事にする。
「あの、中尉……」
「なに?」
「さっき、この隊のワイバーンに洗礼を受けたんですが、何か知っていることありませんか?」
「あぁ、アイツの事ね。それなら、ほら」
弥生中尉の指さす先にいた人物に僕は言葉を失った。
「え……?」
自分と変わらないくらいの年ごろの女の子だった。赤くて長い髪を吹き抜ける春風になびかせ、顔立ちも色白で整っている。ロシア系……ロシア系の少女だった。
「ナターシャ~今回の新人はどうだった?」
ナターシャ、そう呼ばれた少女は颯太の前に立ち止まりマジマジと彼の体を嘗めるように見回す。
「……ダメダメ。まぁ、他の新入りよりは強かったけど」
事実かもしれない。でも、こんな事を同年代に言われると少しイラッとくる。でも、一応ここでは自分のほうが後輩である。とりあえず、挨拶ぐらいはしておこう。
「本日付で184に所属になった東颯太少尉です。よろしくおねがいします」
「ふぅん。ソータね……私はナターシャ・チェレンコフ少尉。アンタが私に勝つには1万光年くらいかかりそうだけど、頑張って」
「お言葉だけど、光年って時間じゃなくて距離の事だと思うんだけど」
「「え!?」」
那琥とナターシャは声を一緒に上げる。知らなかったようだ。どうやら、僕の放った一矢は有効打だったらしい。ナターシャは顔を少し恥ずかしそうに赤くしている。
「う、うるさい!!そんな口は勝ってから叩きなさいよ!!」
「そうさせて頂きます。先輩」
「ふん――――まぁ、良いわ。隊長からあんたの世話するように言われたからついてきて」
颯太はナターシャに言われるがまま基地の隊舎へと向かう。




