1. ラスボス、クビになる
俺はガウド。三百年、魔王の迷宮の最奥を守ってきたラスボスだ。
玉座の間には燭台の煤の匂いがこもり、石の床の冷たさが足の裏から伝わってきた。
顔を上げると、後ろへ反った二本の黒い角が高い天井をこする。ざり、と音がして、細かな粉が肩に落ちる。
玉座の魔王ヴァルザークは、金箔を貼った角をこちらへ傾けた。
魔王の柘榴色の目と、俺の金色の目が向かい合う。呼びつけられた訳には、心当たりがある。
長い指が帳面を放り、ぱさりと開いた白い頁が俺の足元を滑った。
「ガウド。最奥の牢の帳面が、三百年、白紙だ」
「……ばれたか」
魔王の指が、何も書かれていない頁を突く。負けた冒険者は牢に入り、町が身代金を払うまで出られないのが、この迷宮だ。
負けたやつは、牢へは運ばず、出口まで担いで帰した。四十一人、全部だ。
「最奥まで来た冒険者は、身代金がいちばん高いのだぞ!」
俺の肩には、出口で身じろぎするやつらの重さが残っている。下ろす前から足を伸ばすから、俺はいつも膝を深く曲げてから下ろす。
「だが、あいつらは帰りたがってた。出口はすぐそこだ」
「貴様、我の稼ぎを何だと思っている!」
「稼ぎは知らない。俺は、番だ」
魔王が玉座の肘掛けを叩く。乾いた音が、俺の背後まで響く。
「冒険者を逃がすような役立たずはクビだ。そんなに好きなら、お前も冒険者になれ!」
大剣の柄から、ひとりでに手が離れる。胸の奥で、三百年動かなかったものが鳴った。
冒険者。最奥の扉の向こうから、何度も聞こえてきた言葉だ。帰り道を相談する声や、宝を数える笑い声と一緒に。声が遠ざかると、俺はひとり、閉まった扉を見ていた。
「いいのか、魔王様。じゃあ、魔王様の迷宮から始める」
「……は?」
「冒険者になれと言ったのは、魔王様だ」
俺は玉座の後ろの、宝物庫の扉へ目を向ける。
「魔王様、宝箱は全部いただきます」
魔王の口が横にひきつる。俺は返事を待った。冒険者なら、こういう挨拶で合っているはずだ。
「その役立たずを、裏口からつまみ出せ!」
骸骨の兵が四体がかりで俺の腕を引いた。
俺の足は床から動かず、兵の足だけが滑る。かしゃかしゃと鎧が鳴って、なかなか終わらない。
「歩く。手を離してくれ」
兵が離れたので、俺は自分で裏口まで歩いた。
戸口に角がつかえる。頭を下げて通ると、背中で職員の通路の扉が閉まる。続いて魔王の封の音が響き、もう玉座の間の声は聞こえない。
◇
町へ出ると、朝の光がまぶしくて、俺は目を細めた。
三百年ぶりの空は、迷宮のどの天井よりも高い。角の先が、どこにも当たらない。俺はゆっくり背を伸ばした。
パンの焼ける匂いを追い、冒険者組合の帳場へ行く。頬にインクの染みた帳場の娘が、帳面を開いた。
「お名前は?」
「ガウド」
「前のお仕事は?」
「ラスボス」
「はいはい。新人さんは、みんなそう言うの」
娘は顔も上げない。ペンの先が、紙の上を忙しく走る。
「三百年やった。本当だ」
「はいはい、三百年ね。次は、得意なこと」
「立ってること」
「……それ、門番向きね」
ペンは止まらない。娘は手のひらほどの木の初心者札を、俺の首に下げた。
鎧の胸で、札がこつんと鳴る。俺の肩書きにしては、ずいぶん小さい。
今日からは、宝箱を開ける側だ。
「この札で、迷宮に入っていいのか?」
「初めて潜る人は、二人一組。決まりだからね」
「それも冒険か?」
「……決まりは、決まり」
娘はそこでようやく顔を上げ、ペンの先で入口の丘を示した。
「そこで組む相手を探すの。帰ったら、宝はこっちへ持ってきてね」
「値段も分かるのか?」
「分かる人がいるよ。新人さんはまず、相棒を見つけてきな」
俺は札を指で持ち上げる。剣を持つより、ずっと軽い。文字の溝を親指でなぞり、そっと胸へ戻す。
◇
昼、迷宮の入口の列に並ぶと、俺の隣だけがぽっかり空いた。
「その鎧に初心者札かよ。ずいぶんでかい新人だな」
三人組の頭目が鼻を鳴らす。声をかけてくれたので、俺は空いた隣を指す。
「組むか?」
「俺たちは三人組だ。よそを当たれ」
石段を上がりかけたところで、縁の欠けた兜の門の番兵が俺を止めた。
「一人じゃ通せねえぞ」
番兵は石垣を顎で示す。そこにも、周りの空いた場所がある。
「そこの弓の姉ちゃんも一人だ。ほら、組みな」
高い位置で結んだ栗色のポニーテールが揺れ、女が石垣から立ち上がった。
女は鼻のそばかすを指でこすり、俺の角を見上げる。その目が、角から顔へゆっくり下りてきた。
「……最奥の化け物じゃない。私と……組むの?」
「元、だ。今日から新人」
半年前、最奥で俺に負けて、俺が担いで帰した四人組の、弓の女だ。
女は弓を胸の前に抱えた。俺との間に、それだけを置くみたいに。
「……覚えてないでしょ、あたしのことなんか」
「帰したやつは、全部覚えてる」
「……なに、それ?」
女は唇を噛んだ。言い返してきそうで、声は出てこなかった。
そっぽを向いても、弓を抱く腕はほどけない。俺は急かさず、次の言葉を待つ。
「あの日から、誰もあたしと組まないの。最奥で負けて、化け物に担がれて帰ってきた弓なんて……」
「お前は、俺の背中で、弓だけは離さなかった」
女の指が、弓の握りをきつく締める。指先が白くなるのを、俺は黙って見ている。
「……そんなとこまで、覚えてなくていいのに」
「俺は、組みたい」
「……変なの。いいよ、組む。あたしはルッカ」
ルッカが俺の隣に立った。小柄な頭は、俺の胸にも届かない。さっきまで空いていた場所に、靴の先が並ぶ。
「今度は、自分の足で帰るからね!」
「分かった。一緒に帰る」
「……一緒に、って。あんた、化け物のくせに」
「元、だ」
ルッカは鼻を鳴らし、そっぽを向いたまま笑った。俺は急に、早く歩きたくなる。
門の番兵が道を空ける。門の脇の声の石が光り、その上に魔王の幻が浮かんだ。
玉座から口上を言う、いつもの幻だ。金箔を貼った角まで本人そっくりである。入口で聞くと、ずいぶん偉そうに響く。
「よくぞ来た、愚かな冒険者どもよ。我が迷宮から、帰れると思うな」
幻の目が、俺の札でぴたりと止まる。持ち上がっていた顎が、すっと下がる。
「……ガウド!? 門番、その役立たずを通すな!」
門の奥から鼻輪を鳴らし、牛頭の門番が出てきた。
「兄貴、すまねえ。通すなって言われてるっす」
「通してくれ」
「む、無理っすよ」
俺が踏み出しかけると、隣から袖を引かれる。弓使いは門番の後ろの石段へ目をやり、自分の肩を軽く押してみせる。
「なら、少しだけ座っててくれ」
俺は大剣を抜き、刃を横へ向ける。示された段へ座らせるつもりで、剣の腹で肩をとん、と叩いた。
門番が石段に尻もちをつき、ぽかんと俺を見上げる。門の向こうが空っぽになる。
「あ、兄貴……昼寝、するっす……」
「ああ。寝てろ」
「門番を、一撃だと!?」
列の冒険者たちが、揃って口を開けた。さっきの頭目まで、俺の初心者札を見ている。
「育てるのに、五十年かかったのだぞ!」
門の番兵も門番を見下ろし、兜の下から長く息を吐く。ルッカは弓を抱えたまま、俺を見上げる。
「……一撃」
ルッカは俺の横をくぐり、空いた道へ足を踏み出す。さっきより、弓を抱く腕が少し緩い。
「半年前も、あんたは一撃だった。あたしたち四人を、まとめて」
「お前の矢は、俺の兜に当たった」
「……覚えてなくていいってば!」
俺も木の札を揺らして門を越える。石の床を踏む音に、小さな足音がついてくる。歩幅を緩めると、すぐ隣に並んだ。
「で、宝箱は、どこだ?」




