処刑予定の私、なぜか英雄に保護されています
冷たい冬の朝だった。吐き出す息は白く、吸い込む空気は肺を刺すように鋭い。
広場を埋め尽くす民衆の罵声が、波のように押し寄せてくる。
「魔女を殺せ!」
「不吉な影の女!」
「王家を呪った報いだ!」
投げつけられた石が頬を掠め、ぬるりとした血の感覚が伝わる。
泥に汚れた純白のドレスは、かつて公爵令嬢として愛されていた頃の残骸のようだった。
私は、視界を塞ぐ乱れた髪越しに、貴賓席を見上げた。
そこには、私を陥れた義母と異母妹が、扇で口元を隠しながら勝ち誇った笑みを浮かべている。
かつての婚約者、第一王子エドワードは、私に軽蔑の眼差しを向けていた。
一ヶ月前、彼が私に突きつけたのは、身に覚えのない【王太子暗殺未遂】の罪だった。
「リゼット、貴様が影の力を使って私の寝所に忍び込み、毒を盛ろうとした証拠は挙がっているのだ!」
エドワード王子が指し示したのは、私の影の中に隠されていたという身の毛もよだつような毒薬の瓶と、暗殺ギルドとの契約書。
……すべては、義母と妹が用意した偽造品だった。
私がどれほど「その夜は書庫にいた」と訴えても、父である公爵は顔を背け、王子は私を突き放した。
「不気味な影を操る女など、最初から愛してはいなかった。その力、王家に仇なす呪いとして、断頭台で清算するがいい」
説明しても、叫んでも、誰も信じてはくれなかった。
生まれ持った”影を操る力”。
それはただ、幼い頃に迷い込んだ犬を助けたり、夜道で転んだ誰かを支えたりするために使ってきた力だった。
けれど、人々にとっては理解できないものはすべて“悪“なのだ。
(ああ……もう、いいわ。信じ合うことのない家族も、愛のない誓いも、すべてこの刃が断ち切ってくれる)
「リゼット・フォン・クラウゼヴィッツ。異端の力を持ち、王家に仇なした大罪人として、本日、その命を絶つものとする!」
宣告が響き渡る。
私は執行人に促されるまま、冷たい木の板に膝をつき、細く白い首を晒した。
見上げた先には、冬の鈍色の空と、それ以上に冷たく光る断頭台の巨大な刃──。
「処刑開始!」
鎖が外れる、忌々しい金属音が響く。
死の足音が聞こえる。私は静かに目を閉じた。
せめて最後は、痛みを感じることなく闇に溶けたい。
愛されなかった人生の幕引きを、ただ静寂の中で迎えたいと願った。
──だが。
ギ、ギギッ……!!
不快な金属音が、途中で止まった。
肉を断つ衝撃も、魂が抜ける感覚も訪れない。
代わりに聞こえてきたのは、民衆の悲鳴でも罵声でもない、肺から空気が漏れるような“絶句“の音だった。
「……え?」
恐る恐る目を開けた私の視界に、信じられない光景が飛び込んできた。
頭上、数センチのところで止まっている巨大な鉄の刃。
それを、たった一本の指が受け止めていた。
逆光の中で、漆黒の外套がバサリと風に揺れる。
背中には、人の身では扱うことすら叶わないであろう、身の丈ほどもある大剣。
その男が放つ威圧感だけで、処刑場の空気が物理的に重くなったように感じられた。
「……誰の許可を得て、俺の所有物に触れようとしている?」
地響きのような低音が、凍りついた広場を支配した。
男の鋭い眼光が執行人を射抜くと、筋骨隆々だったはずの男が、まるで赤子のようにガタガタと震え、その場に腰を抜かした。
「……あ、あ……あ……」
王子の警護騎士の一人が、震える声でその名を漏らす。
「……シ、シグルド様……!? なぜ、北方戦線を一人で壊滅させた『戦神』が、このような場所に……!」
そこに立っていたのは、人類最強の守護者。
一国を滅ぼすことさえ容易いと言われる英雄、シグルド・ヴォルハルトだった。
彼は断頭台の刃を、まるでおもちゃを払うかのように指先で弾き飛ばした。
凄まじい音を立てて、鉄の塊が広場の石畳に突き刺さる。
彼はゆっくりと私の方を向き、膝をついた。
泥にまみれ、死を待つだけだった私の顔を、大きな手が包み込む。
「遅くなったな、リゼット」
その声だけが、冬の風の中で不思議なほど熱を持っていた。
◆
「シ、シグルド様! 何をなさるのですか!」
貴賓席から立ち上がったエドワード王子が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
その隣で、義母と妹も驚愕に目を見開いていた。
「その女は国を揺るがした異端者、死罪と決まった大罪人です! 処刑を邪魔されるというのなら、いかに救国の英雄といえども……ただでは済みませんぞ!」
王子の合図とともに、処刑台を囲んでいた数十人の近衛騎士が一斉に剣を抜く。
しかし、シグルド様は私を守るようにその背を向けたまま、わずかに首を動かして背後を睨みつけた。
「……五月蝿いぞ、羽虫どもが」
彼が放った“圧“だけで、空気がびりびりと震えた。
剣を構えていた騎士たちは、まるで見えない巨大な重石を背負わされたかのように、その場に縫い付けられた。
ガチガチと鎧が鳴り、誰一人として一歩も前に踏み出せない。
「異端? 違うな。貴様らの無知が、この宝の価値を理解できないだけだ」
シグルド様は冷徹な声で断じる。
「彼女が持つのは、不吉な呪いなどではない。“聖なる影“だ。太古の魔王をその身に封印し続け、この世界に光を繋いできた……選ばれし高貴な血筋の力だ。貴様らのような凡俗が、泥を投げていい存在ではない」
「な……何を馬鹿な……!」
王子の狼狽を余所に、シグルド様は私の手首を縛っていた重い鉄の枷を掴んだ。
そして、熟した林檎でも握りつぶすかのように、素手でメキメキと粉砕したのだ。
「あ……」
自由になった私の手首を、彼の大きな手が優しく包み込む。
その瞳が私を射抜いた。戦場を支配する冷徹な英雄の目はどこへやら、そこには抗いようのない意志が宿っていた。
「リゼット。お前を、俺の直轄領へ連れて行く」
「え……? あの、どういうこと……」
「拒否権はない。異論も認めない。お前を正しく扱えぬこの国に、お前を置いておく理由は一秒分も残っていないからな」
答えを待たず、視界がふわりと浮き上がった。
気づけば、私は彼の逞しい腕の中に抱き上げられていた。
いわゆる、お姫様抱っこだ。
鼻先をかすめる、戦場帰りの微かな血の匂いと、冷たい鉄の匂い。
けれど、彼が発する体温は驚くほど高く、絶望で凍りついていた私の心にじわりと熱が溶け込んでいく。
「待て! その女を連れ去ることは許さん──衛兵! 射殺せ! その男もろとも射抜いてしまえ!」
王子の狂ったような叫びとともに、城壁の上の弓兵たちが一斉に矢を放つ。
しかし、シグルド様は鼻で笑うと、私を抱いたまま軽く地面を蹴った。
「舌を噛むなよ」
爆発のような音が足元で響く。
次の瞬間、景色が飛んだ。
重力から解放された私の体は、彼の腕の中で空を舞っていた。
王都の巨大な城壁すらも一飛びで越え、豆粒のようになった追っ手たちの叫びを置き去りにして、私たちは一気に森の奥深くへと消えていった。
私の頬を打つ風は冷たかったが、彼に抱きしめられた胸の奥だけは、生まれて初めて感じる安らぎで満たされていた。
◆
シグルド様の私邸は、王都から遠く離れた、辺境の険しい山脈の麓にひっそりと佇んでいた。
豪華絢爛だが冷淡な王宮とは違い、太い梁と頑丈な石で造られた、堅牢で温かみのある館だ。
「ここで暮らせ。結界も張ってある。追っ手は羽虫一匹通さない」
館の玄関に私を降ろすと、シグルド様は一度もこちらを見ずに、ぶっきらぼうに言い捨てた。
「……まずはその汚れたドレスを着替えろ。見ていて不愉快だ」
その言葉に、私は思わず身を縮めた。
泥と石を投げつけられ、処刑場の汚れがついたドレス。
公爵令嬢として、そして女として、今の自分の惨めさを突きつけられた気がしたのだ。
けれど、次に聞こえてきたのは、彼の低く、どこか焦ったような声だった。
「……そんな格好では、お前が冷えるだろうと言っている。……おい、誰か! この方を案内しろ」
彼が呼ぶと、待ち構えていたかのように整列したメイドたちが現れた。
それからの数時間は、夢のような、あるいはひどく現実味のない贅沢な時間だった。
バラの花びらが浮かぶ温かいお風呂。
肌を滑るような絹の寝着。
そして、食堂に運ばれてきたのは、王宮の凝りすぎた料理とは違う、肉の旨みと野菜の甘みが凝縮された滋味溢れる食事の数々。
「これまでの人生で食べた何よりも美味しい……」
処刑台で死を待っていたはずの私は、なぜかこの雪深い辺境の館で、この上ない極上の客人として扱われていた。
数日後──。
ようやく体力が回復し、顔色も戻ってきた私は、意を決して二階の奥にある書斎を訪ねた。
重厚な扉を叩くと、中から短い許可が響く。
「……あの、シグルド……様」
「シグルドでいいと言ったはずだ」
彼は山積みの地図や書状を前に、眉間に皺を寄せていたが、私の姿を見るとわずかにその険しさを緩めた。
「体調はどうだ。足りないものがあれば言え。……国の一つや二つ、明日には用意してやる」
「いえ、そんなものは必要ありません。……ただ、どうしてもお聞きしたかったのです」
私は彼の机の前まで歩み寄り、その鋭い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「なぜ、私を助けたのですか? 私の力は、国を滅ぼすとまで言われた呪いです。誰からも忌み嫌われ、捨てられた私を、あなたのような英雄が守る理由なんて、どこにもないはずです」
シグルド様はペンを置き、椅子の背にもたれかかった。そして、顔を上げないまま、遠い記憶をなぞるように淡々と語り始めた。
「……十年前。魔物の森に迷い込み、飢えと寒さで死にかけていたガキがいた。名もなき平民の餓鬼だ。周囲の大人は『魔物を呼び寄せる呪われた子だ』と俺を捨てた。だが……」
彼はゆっくりと顔を上げた。
「偶然通りかかった馬車から降りてきた令嬢だけが、俺の隣に座った。そして自分の昼食だったパンを半分に割って、俺に分け与えたんだ。……『あなたのその影は、いつか誰かを守るための盾になるわ。だから、自分を嫌わないで』。そう言って笑った少女の姿を、俺は死ぬまで忘れないと決めたんだ」
「え……?」
記憶の底から、泥だらけでうずくまっていた少年の姿が鮮明に蘇る。あの時、お忍びの領地視察で出会った、寂しそうな瞳の男の子──。
「……あの時の、あの子が?」
「そうだ。お前の言葉があったから、俺はこの力を呪わずに、剣を振るう力に変えてこれた」
シグルド様は椅子から立ち上がり、私との距離を詰めた。
圧倒的な体躯。
けれど、そこから発せられるのは、私を威圧するものではなく、守り抜こうとする強烈な意志だった。
「リゼット。お前が処刑台に送られると聞いた時、俺は今すぐこの国を地図から消して、お前を奪いに行くつもりだった。……間に合ってよかった」
彼はようやく私を見て、ふっと優しく口角を上げた。
その瞳には、戦場を統べる英雄としての冷徹さは微塵もなく、ただ一人の女性をひたむきに想う、不器用で真っ直ぐな情熱が宿っていた。
◆
辺境の館での穏やかな生活は、一通の書状によって破られた。
一ヶ月後、王都からシグルドのもとへ送られてきたのは、金縁の紋章が刻まれた【最終通告】だった。
『大罪人リゼットを直ちに引き渡せ。さもなくば、シグルド・ヴォルハルトを王国に対する反逆者と見なし、全軍をもって討伐する』
実質的な宣戦布告だった。
書状を読み上げたシグルドは、それをゴミ屑のように握りつぶすと、窓の外を眺めていた私を振り返った。
「どうするんだ、リゼット? 俺一人いれば、この館に近づく軍勢など塵にできる。だが、お前自身はどうしたい?」
彼の問いに、私は自分の両手を見つめた。
今まで、奪われることにも、疎まれることにも耐えてきた。
耐えることこそが美徳であり、波風を立てない唯一の方法だと信じ込んでいた。
けれど、シグルドがくれた温かな食事、柔らかな寝床、そして「盾になる」と言ってくれたあの言葉……それらを理不尽に奪い去ろうとする者たちを、私はもう許せなかった。
「……私の無実を、証明したいです。そして、私を貶め、あなたまで罪人にしようとした者たちに、相応の報いを与えたい」
「いい返事だ」
シグルドは私の腰を強引に引き寄せ、野性的な笑みを浮かべた。
「行こうか。お前を裁こうとした愚か者どもに、真の『審判』を見せてやる」
私たちは再び、あの因縁の王都へと降り立った。
王宮の広場は、英雄の帰還と“大罪人“の再来に騒然となった。
数百の近衛兵が私たちを包囲し、槍の先を向ける。
その中心で、エドワード王子が勝ち誇ったように叫んだ。
「シグルド! その魔女を連れて自ら現れるとは、潔いのか狂っているのか! 貴様、魔王の力で英雄をたぶらかしたか!」
シグルドは冷笑を浮かべ、私を庇うように一歩前に出た。
「どけ。この女を裁く資格がある者がいるなら、前に出ろ。……ただし、俺の剣を一度でも凌げたらの話だがな」
その圧倒的な『戦神』の殺気に、兵士たちが数歩後退する。
「リゼット! 貴様、まだそんな不吉な影を……!」
「不吉? ……いいえ、殿下。これが私の『真実』です」
私はシグルドの隣で、生まれて初めて、自分の内側に眠る力を限界まで解放した。
「影よ、すべてを暴きなさい」
私の足元から伸びた影が、巨大な漆黒の翼のように広がり、王宮全体を飲み込まんばかりに膨れ上がる。
影の触手は地面を潜り、王宮の地下室や義母の私室へと一気に伸びていった。
「なっ……何だ、それは!?」
悲鳴が上がる中、影の触手が次々と“真実”を広場に引きずり出した。
義母が暗殺ギルドに宛てた直筆の手紙、私を嵌めるために用意された偽造書類、そして口封じのために軟禁されていた証人たち──。
「私の影は、隠された闇を暴く鏡でもあります。……殿下、義母様。これで誰が本当の『大罪人』か、明白ですね?」
証拠の数々が民衆の目の前に晒される。
義母は顔を真っ青にしてへたり込み、王子は震える手で剣を落とした。
シグルドの絶対的な武力に押さえつけられ、私の影によって嘘を剥ぎ取られた彼らに、もはや逃げ場はなかった。
「……さあ、断罪の時間だ」
シグルドの低い声が響く。
王太子も義母も、あまりの衝撃と恐怖に膝を突いた。
彼らを待っていたのは、かつて私が受けるはずだった、そしてそれ以上に過酷な“運命“の始まりだった。
◆
嵐のような断罪劇が幕を閉じた。
真実が白日の下に晒され、私を陥れた義母と妹は北方の塔へ幽閉、エドワード王子は王位継承権を剥奪され、辺境への追放が決まった。
すべてが終わった後、国王陛下は私を呼び戻し、深々と頭を下げた。
「リゼット。これまでの不当な扱いに、心から詫びをしたい。名誉の回復はもちろん、莫大な慰謝料と、没収した公爵家の家督を正式にお前に譲る。どうか、この国のために戻ってきてはくれないか」
王家の威信を保つため、そして何より最強の英雄シグルドを繋ぎ止めておくための、身勝手な懐柔策──。
私はかつて憧れたそのきらびやかな玉座の間を一瞥し、微笑んで首を振った。
「そんなものより、私にはもっと大切な場所がありますから」
私は豪華なドレスも、権力も、冷え切った血縁も、すべてをその場に置いてきた。
王都の巨大な正門の前。
そこには、軍馬の傍らで退屈そうに空を眺めている漆黒の外套姿──シグルドがいた。
私の姿を認めた瞬間、彼の鋭い瞳が揺れる。
私は重い宝石も身に付けていない軽やかな足取りで、彼のもとへ駆け寄った。
「リゼット。……本当にいいのか? 公爵令嬢の地位も、家督も、王都の贅沢も。すべてを捨てて俺についてくるというのか。俺の領地は冬が長く、雪に閉ざされ、何もないぞ」
彼はどこか不安そうに、けれど私を試すような低い声で尋ねた。
私は彼の目の前で立ち止まり、弾む息のまま答える。
「いいえ。世界一頼りになる英雄様がいます。……それに、あの館には温かいスープと、私の影を『盾だ』と言ってくれた優しい方がいらっしゃいますもの」
私はつま先立ち、シグルドの逞しい首筋に自ら腕を回して飛び込んだ。
戦場では無敵を誇るシグルドが、私の不意打ちに驚いたように大きく目を見開く。
けれど、すぐにその大きな手で私の背中を引き寄せ、壊れ物を扱うように、けれど二度と離さないという強い力で抱きしめ返してくれた。
「……ああ、わかった。もう、処刑予定なんて呼ばせない。お前を傷つけるものは、この世界の果てまで追い詰めて俺が断つ。……リゼット、お前は今日から、俺の最愛の妻だ」
「はい、シグルド。……どこまでも、ついていきます」
耳元で囁かれたその誓いに、頬が熱くなる。
断頭台の上の、あの冷たい冬の朝──。
あそこで終わるはずだった私の物語は、一人の英雄に保護され、そして彼を愛するという、最高に幸せな新しい章へと書き換えられたのだ。
門の向こうに広がる雪解けの道。
その先には、私たちが共に歩んでいく、光あふれる未来が続いていた。
〜〜〜fin〜〜〜
貴重なお時間を使ってお読み頂き、本当に有難うございました。
興味を持って頂けたならば光栄です。
作者のモチベのために☆やいいねを残して頂くと幸いです。感想などもお待ちしております。
ブクマ頂けたら……最高です!




