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第3章:『仮面の城と霧の導標(しるべ)』

 東方へと延びる巡礼路は、王都の喧騒とは打って変わって、静謐な空気に包まれていた。

 朝靄の中、石畳と未舗装の道が交互に続く細道を、蓮たち四人は歩いていた。


 


 「……随分と寂しい道ですね。旅人の影も、見当たりません」


 


 イリーナが呟く。

 神官服のフードを風から守るように押さえながら、不安げに後ろを振り返った。


 


 「昔は行商もよく通ってたらしいが、戦争で道が潰されてからは人が減ったって話だ」


 


 蓮は前を見据えたまま答える。

 片手剣を背に、もう一方の腰にはソードブレイカーが装備されている。道の左右には林が広がり、野生の気配が微かに漂っていた。


 


 「なーに、用心棒は二人もいるんだ。狼が来たってイリーナちゃんの出番はないさ」


 


 セラフィナが明るい調子で言いながら、木の枝に巻きついた香草を片手で摘み取る。


 


 「……セラフィナさん、道草ばっかりしてると……!」


 


 「草だけにね?」


 


 「う、うぅ……っ、ま、またそんな……っ」


 


 イリーナが真っ赤になってうずくまるのを、セラフィナは楽しげに眺めながらふらふらと前に出る。

 それを見ていたゴルバが、少し離れた岩の上で屈み込み、地面の爪痕を見つめていた。


 


 「おい、気を抜くな。ここ、ついさっき獣が通った形跡がある。しかも、でけぇぞ」


 


 「……魔物、か?」


 


 蓮の問いにゴルバは首を横に振る。


 


 「いや、ただの獣だな。牙の深さからして熊か猪か。だが……動きが不自然だ。追われたか、何かから逃げたか、だ」


 


 「自然が騒いでるってことは……やっぱ、何かあるわね」


 


 セラフィナがふいに真顔になる。

 その目は、霧がかすかに立ち込め始めた東の山並みを捉えていた。


 


 蓮もまた、視線を同じ方向へ向ける。

 彼の胸の奥に、わずかな胸騒ぎがよぎった。


 


 (――何かが待っている)


 


 それが敵か、味方か。今はまだ知る由もない。

 けれど確かに、彼らの旅路は“何か”へと向かっている。

 誰も知らない、霧の向こう側へ――。


 


 日は高くなり、巡礼路に光が差し込む。

 その先には、霧に包まれた城塞都市ディアノートが、静かに彼らを待ち構えていた。


 薄曇りの空の下、蓮たちは霧深き谷を越え、ようやく目的地である辺境都市――ディアノートの外縁へと辿り着いた。


 


 「……これが、かつて“東方の守り”とまで呼ばれた都市……?」


 


 イリーナが思わず声を漏らす。

 外壁は黒ずんだ石で築かれ、重厚な門には古い聖印が掘り込まれていたが、その上に積もった苔と亀裂が、歳月と荒廃を物語っていた。


 


 「すっかり寂れちまってんな。こりゃ巡礼どころか、住民の影すら薄い」


 


 ゴルバが眉をひそめて辺りを見渡す。

 門の前には見張りらしき兵士が一人立っていたが、その表情には警戒というより疲弊が色濃く刻まれていた。


 


 「おい。あんたら、王都からの使節か?」


 


 「そうだ。命により、調査と記録の回収に来た」


 


 蓮が簡潔に名乗ると、兵士は深く頷き、門の鎖を解いた。


 


 「中へ……入っていい。ただ……気をつけた方がいい」


 


 「……何かあるのか?」


 


 セラフィナが鋭く尋ねる。

 兵士はほんの一瞬口を噤み、それからかすかに目を伏せた。


 


 「……この街は、“霧の祝福”を受けたと信じる者たちによって守られている。……だが、信じ過ぎるのも、よくない」


 


 その言葉の意味を問いただす間もなく、門が軋みながら開かれた。

 蓮たちは警戒を強めつつ、都市の中へと足を踏み入れる。


 


 街は静かだった。

 いや、静かすぎるほどだった。霧が街路を這い、足元から視界を奪っていく。遠くで木製の扉が閉まる音がして、誰かの視線のような感覚が首筋を撫でる。


 


 「……気味が悪いわね」


 


 セラフィナの声もいつになく低い。


 


 「人の気配があるのに、姿がない。……わたし、ちょっと、苦手かも……」


 


 イリーナは蓮の後ろに隠れるようにして歩く。

 その手は無意識に、胸元に下げた聖印を握っていた。


 


 やがて、石造りの礼拝堂が現れた。

 教会らしき建物の扉は開かれており、奥から白い仮面をつけた人物が現れる。


 


 「お待ちしておりました。勇者殿と、その一行……ですね」


 


 男か女かも分からぬ声音。

 白く滑らかな仮面は、見る者の表情を奪うように無機質だった。


 


 「私はこの教会の預かりをしております。どうか、奥へ。……話すべきことが、ございます」


 


 蓮はほんのわずか、違和感を覚えた。

 だが、それが何なのか、明確な形はない。


 


 (……誰かを、思い出しそうな……)


 


 名も知れぬ違和感が、霧と共に彼の意識を静かに蝕んでいく。


 礼拝堂の奥は、外の霧と打って変わって静謐な空気に包まれていた。

 高い天井、鈍く光を反射するステンドグラス、そして長く伸びる石の回廊。

 その最奥に、仮面の神官は立っていた。


 


 「ようこそ、巡礼の勇者様。そして、忠義なる従者の皆様も」


 


 無表情な仮面が向けられる。

 だがその目の奥に、得体の知れぬ観察の色が浮かんでいるように思えた。


 


 「……依頼にあった記録の回収と調査について、協力を願いたい。あんたが、この地の管理者か?」


 


 蓮の問いに、神官はゆっくりと頷いた。


 


 「この礼拝堂と周辺の管理は、我が聖堂会が担っております。……ですが、今は私ひとり」


 


 その言葉に、背後のイリーナがわずかに肩を震わせた。


 


 「……どうして、他の人は……?」


 


 問う声はか細く、まるで消え入りそうだった。

 仮面の神官は答えを濁すように、祭壇の方へと歩み寄る。


 


 「失われたのです。“神の祝福”という霧に魅入られ、過去へ縛られ、未来を閉ざしてしまった……」


 


 意味深な言葉。だがそれは、禍々しさではなくどこか哀れみに満ちていた。


 


 「あなたは――覚えておいでですか?」


 


 突如、神官が蓮をまっすぐに見据え、問うた。


 


 「この地を、そして……“かつて祈りを捧げた誰か”を」


 


 蓮の眉が僅かに動いた。

 記憶に覚えは――ない。だが、胸の奥がわずかに痛む。

 まるで、言葉にできない何かが、その名もなき痛みに姿を変えているようだった。


 


 「……知らない。だが、そう聞くと……不思議と、懐かしい気もする」


 


 蓮の答えに、神官は微かに頷く。


 


 「記憶は、神の与えたもうた最大の恩寵。されど時に、それは呪いにもなりましょう」


 


 それきり神官は黙り込む。

 蓮の胸には、得体の知れぬ疑念と霧のような感情が残された。


 


 イリーナはその場を離れ、扉の陰に隠れるように身を寄せていた。

 その背中は、声にならぬ怯えに満ちていた。蓮はちらりと彼女を見やりながら、そっと右手を拳にする。


 


 「……俺たちは、巡礼路の記録を探しに来た。案内を頼めるか?」


 


 神官は静かに一礼し、背を向ける。


 


 「……もちろん。ですがその前に、ひとつだけ。

 この都市に残された“本当の記録”は、地下の奥深く――かつての信仰の墓場に、ございます」


 


 重く響くその言葉に、礼拝堂の空気が僅かに揺れた。


 地下礼拝堂へと続く螺旋階段は、苔と湿気に蝕まれていた。

 石を打つ水音がかすかに響き、ランタンの火が揺らぐたび、壁に伸びる影もまた不安げにうごめいた。


 


 「……こんなに深いなんて、思ってなかった……」


 


 イリーナが足をすくませながら、蓮のすぐ後ろを慎重に降りていく。

 セラフィナとゴルバは既に前方を進んでおり、階段の先に広がる闇を警戒していた。


 


 やがて階段が終わると、そこにはひとつの鉄扉が現れた。

 神官が取り出した鍵でそれを開けると、かすかに軋む音と共に、封じられた空間が姿を現す。


 


 「……ここは?」


 


 「この地にあった旧教団が、“神の真理”を記したとされる禁書と聖具を保管していた場所。

 ですが、戦乱の折に略奪と焼失を受け、今は……ただの廃墟です」


 


 神官が静かに告げる。

 蓮が一歩踏み入れると、そこには砕け散った石像、破り捨てられた書物、焼け焦げた木材の残骸が無惨に広がっていた。


 


 「……これが“記録”か。全部、滅茶苦茶だな」


 


 ゴルバが剣の柄に手を置きながら周囲を警戒する。

 一方セラフィナは、焼け残った巻物の断片を手に取り、眉をしかめた。


 


 「これ……一部は、魔法陣の記述。しかも、“召喚術”系……?」


 


 「召喚……?」


 


 蓮がその言葉に反応し、断片を覗き込む。

 そこには崩れかけた文字列と共に、逆五芒星のような紋様が僅かに残っていた。


 


 「ただの召喚じゃない。“逆位の召喚”……? でも、構成が歪んでる。まるで……本来の用途とは違う目的で使われたみたい」


 


 セラフィナの声に、神官が再び口を開く。


 


 「それが、“彼ら”の痕跡です。

 この地を襲った一団は、記録を奪い、ねじ曲げ、世界の理すら変えようとした。

 ですが……名も、姿も、すべて霧に紛れてしまった」


 


 仮面の奥から、淡い哀切が滲んでいるようだった。

 蓮は破れかけた書を手に取る。途切れた一文が、煤けた紙の端に残っていた。


 


 > 『――この術は、異界より来たる存在を“偽りの使命”と共に迎え入れる。

 >  されど、その魂を縛るは、聖印ならず“影”――』


 


 その言葉を読んだ瞬間、蓮の頭に強い痛みが走った。


 


 「っ……ぐ、あっ……!」


 


 「蓮っ!?」


 


 イリーナが駆け寄り、治癒魔法をかける。

 淡い光が蓮の額に触れ、痛みが静かに和らいでいった。


 


 「……すまない。ちょっと、目眩が」


 


 「無理をなさらないでください……! い、今は、とにかく、外へ……」


 


 神官もそれ以上は何も言わず、静かに後ろで頭を垂れた。

 礼拝堂の空気はなおも重く、何かが“目覚めかけている”気配が、誰の胸にもわずかに残っていた。


 地下から戻った礼拝堂の外は、さらに濃くなった霧に包まれていた。

 夕暮れの光も届かぬほどに灰色の靄が街路を覆い、まるで別の世界に迷い込んだような錯覚を与える。


 


 「……街の様子、さっきと違うわね」


 


 セラフィナが警戒を込めた声で呟く。

 建物の窓はすべて閉ざされ、住人たちの姿も見えない。だが、どこかから――鈍い太鼓の音と、詠唱のような囁きが聞こえてきた。


 


 「……この音……儀式か?」


 


 ゴルバが耳を澄ませ、太い眉をしかめた。


 


 「この都市には、今も信仰の名残があると聞いた。だが……何かがおかしい」


 


 蓮の言葉に、イリーナが震えるように囁く。


 


 「そ、その音……どこか、嫌な感じがする。胸が、ざわざわして……」


 


 彼女はぎゅっとローブの端を握り、蓮の背にぴたりと付いて歩く。


 


 やがて、街の中心にある広場にたどり着いた一行は、異様な光景を目にする。


 


 火の灯された柱の周囲に、白い仮面をつけた人々が集まり、無言のまま円陣を組んでいた。

 その中央には、天を指すように立てられた一本の槍――かつての聖印の残骸が突き立てられ、赤黒い布がそれに絡まって揺れている。


 


 「……なんだ、こりゃ……?」


 


 ゴルバがつぶやく。

 仮面の神官が静かに、だがはっきりと口を開いた。


 


 「……これが、“今の彼ら”です。

 もはや信仰ではない。ただの形骸。

 けれど、この都市を覆う霧は、彼らの“信じたいもの”に応え続ける。例え、それが本来の祝福と異なっていたとしても――」


 


 蓮の胸に、先ほど地下で見た“召喚陣の残骸”が重なる。


 


 (――異界より来たる存在。偽りの使命。魂を縛る影)


 


 「まさか……この霧が、“それ”の影響なのか……?」


 


 その疑問に、神官は答えなかった。

 だが、沈黙が返答であるかのように重くのしかかる。


 


 「このままじゃ……ここの人たち、全員……」


 


 イリーナの声が震える。

 彼女の目は、円陣の中心に佇む一人の小さな仮面の子供に釘付けになっていた。


 


 蓮は、剣に手をかける。

 その瞬間――


 


 「――来訪者は、立ち入りを禁ず」


 


 円陣の中から、もう一人の仮面の者が歩み出た。

 他とは異なる、銀の面。

 その存在が、今までの空気を一変させる。


 


 「勇者を名乗る者よ。霧の意志に、抗うというのか」


 


 声には、確かな敵意が宿っていた。


 


 セラフィナが魔導杖を構え、ゴルバが剣を抜く。

 そして、蓮もまた――


 


 「……この街を覆う霧が“祝福”かどうかは、俺たちが確かめる」


 


 闇の中で光る目が、蓮を射抜いた。


 銀の仮面をつけた司祭が、一歩、また一歩と蓮たちへ近づいてくる。

 その足取りは音もなく、まるで霧と一体化したかのようだった。


 


 「――この地において、異物は淘汰される。それが、霧の戒律」


 


 その言葉と同時に、広場の地面に刻まれた細工が、淡く青い光を放った。

 円陣の内側から立ちのぼる光が、まるで封印陣のように蠢き始める。


 


 「来るぞ!」


 


 蓮が叫んだ瞬間、広場の周囲に潜んでいた仮面の信徒たちが一斉に襲いかかってきた。


 


 「“閃光弾”――ッ!」


 


 セラフィナが魔導杖を高く掲げ、爆ぜるような閃光を放つ。

 そのまばゆい光が広場を照らし、仮面の者たちの動きを一瞬止めた。


 


 「イリーナ、援護を!」


 


 「は、はいっ、え、えっと、“加護の光”……っ!」


 


 震える声で唱えられた呪文が、蓮たちの足元に防御の光環を展開する。

 そのかすかな煌きの中で、ゴルバが咆哮とともに突撃した。


 


 「うおおおおッ! まとめて吹き飛ばしてやるぜぇっ!」


 


 巨体がなぎ払う一撃に、数人の仮面の者たちが吹き飛び、石畳に叩きつけられる。

 しかし、彼らは血を流すことも、声を上げることもなく、まるで人形のように再び立ち上がる。


 


 「……何かに操られてる?」


 


 蓮が言いながら、片手剣を構え、ソードブレイカーを反転させる。

 霧の中、敵の動きが読みにくい。だが、蓮の感覚はそれすらも切り裂くかのように研ぎ澄まされていた。


 


 「“風刃”――ッ!」


 


 セラフィナの魔法が一体を貫き、仮面が砕けて地面に落ちる。

 中から転がり出たのは――まだ幼さの残る少女の顔だった。


 


 「――っ……!」


 


 イリーナが声を詰まらせ、足元が震える。


 


 「彼らは……ただの信徒じゃない。“祝福”を受けた犠牲者だ」


 


 銀仮面の司祭が、どこか誇らしげに告げた。


 


 「この地では、意志も個も捨て去り、ただ“霧”となる。

 貴様たちのような“名前を持つ者”こそ、異端なのだ」


 


 「……それが、お前たちの正義か。ふざけるなよ」


 


 蓮の声が低く響き、霧の中に冷たい怒気を帯びた。


 


 「なら俺たちは――その戒律を、斬ってでも越えてみせる」


 


 剣を振るい、霧を切り裂きながら蓮が突き進む。

 ソードブレイカーの刃が銀仮面の腕をとらえ、火花が散った。


 


 「ならば、見せてみろ。外より来たりし者よ……貴様が“勇者”と呼ばれるに値するかを――!」


 


 霧の深奥、異形の術式が再び輝き始める。

 戦いは、まだ終わらない。


 剣と魔法の衝突、霧の中で鳴り響く衝撃音。

 そのすべてが、街の中心――礼拝堂の広場を包み込むように広がっていた。


 


 「ッらああああっ!!」


 


 ゴルバの大剣が地を穿ち、仮面の一団を薙ぎ払う。

 だが倒れた者たちは、感情もなく再び立ち上がり、粛々と蓮たちへと迫ってくる。


 


 「終わりがない……これは、もう“戦い”じゃない。祭儀だわ」


 


 セラフィナの顔から笑みが消えていた。

 彼女の背後で、イリーナが震えながらも必死に補助魔法を維持し続ける。


 


 「か、回復術……っ、“聖なる加護よ、癒しを与えたまえ……”っ……!」


 


 汗と涙が交じった声。それでも、彼女は止まらなかった。


 


 蓮は剣を構えながら、中央の銀仮面――“司祭”の動きを睨みつける。

 その足元にはすでに、一つの巨大な“印”が完成していた。


 


 (召喚陣……いや、“転写陣”……?)


 


 瞬間、蓮の脳裏を過る記憶の断片。

 かつてどこかで、似たものを見た――そう、異界より来た者を呼び寄せる、“門”の術式だ。


 


 「それを発動させる気か!」


 


 蓮が叫び、駆ける。


 


 「――間に合わんよ。勇者とやら。

 これは、私の記憶に刻まれし、“唯一の祈り”。

 この街を守る“神”はすでに滅びた。ならば――別の力を呼ぶまでだ」


 


 術式が発光し、空気が震え、霧がうねる。


 


 「ぐ、ああ……!? 頭が……!」


 


 イリーナが苦しげにうずくまる。

 彼女の持つ祈りの力が、術式の異質な“波長”に反応しているのだ。


 


 「っ、イリーナ!」


 


 蓮が彼女を抱き起こそうとしたその時――


 


 風が、吹いた。


 


 この霧に覆われた街にはありえない、清らかな風。

 それが、イリーナの髪を優しく揺らし、光の粒子が宙に舞った。


 


 「……これは……風の……?」


 


 どこからか聞こえる囁き。


 


 《汝ら、忘れるな。

 この地に在りしは、“加護”なりしもの。

 ゆえに、汝の誓いに応えよう。》


 


 ――風の精霊、シルフィアの声。


 


 術式が、一瞬にして霧と共に掻き消えた。

 銀仮面の司祭が、信じられないとばかりに目を見開く。


 


 「バ、バカな……この祈りは……絶対の、はず……!」


 


 「お前の祈りは、自分のためのものだ。

 だが、俺たちは――誰かを守るために、戦ってる」


 


 蓮が踏み込む。

 剣が、銀仮面を裂いた。


 


 仮面が割れ、下から現れたのは――かつて“導師”と呼ばれた、壮年の男の顔だった。

 その表情は、苦悶とも、安堵ともつかない、奇妙な静けさを湛えていた。


 


 「……ならば……お前たちは……今度こそ、正しいのかもしれないな……」


 


 その言葉を最後に、男は崩れ落ちた。


 


 霧が、晴れていく。

 街に射すのは、雲間から差し込む、淡い陽の光。


 


 イリーナは、その場にへたり込みながら、ほっと息をついた。


 


 「……怖かった……でも、助かった……みんな……」


 


 蓮は静かに、彼女の頭を優しく撫でた。


 


 「ありがとう。あの風は――きっと、お前が祈ったからだ」


 


 その言葉に、イリーナは目を見開き、そして、ようやく微笑んだ。


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