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第2章:揺れる影、揺るがぬ剣

 王都セレルガルド。


 その名は大陸中部に君臨する大国の象徴であり、堅牢な石壁と高くそびえる塔が連なる様は、他国の民にとって憧れと畏怖の対象だった。

 石畳の広場では、凱旋を祝う鐘の音が鳴り響き、王国の軍旗が風にたなびく。


 


「天城蓮、ならびに第七斥候戦闘隊、凱旋す――!」


 鼓手の合図とともに、大通りの両脇に詰めかけた民衆から歓声が沸き起こった。

 戦装束のまま行進する若者の姿に、人々の目は釘付けになる。


 


「見たか? あれが天城殿だ!」


「この前の北方掃討戦で魔獣巣を一掃したって……本当らしいぜ」


「おぉ……まるで本物の勇者様だなぁ……」


 


 賞賛の声に包まれる隊列の中央、蓮は表情を崩さぬまま馬を進めていた。

 その背には片手剣と、特徴的な短剣――投擲にも用いられるソードブレイカーが装備されている。


 防御と攻撃を兼ね備えた変則的な二刀流。その戦いぶりは、最前線の兵士たちの間でも話題に上っていた。


 


「……騎乗姿、意外と様になるじゃねぇか」


 馬上から横目で覗き込んできたのは、褐色肌の大男――ゴルバだった。


 全身を鎧で覆い、腰には鈍重な戦斧を下げている。戦い方は直球で、本人も深く考えることはない。


 「細けぇことは考えねぇ! おれは勝った、それでいい!」

 それが彼の信条だった。


 


「うるさいですよ、脳筋。前出すぎてまた馬潰すつもり?」


 後方から声をかけてきたのは、緋色の外套を翻す長身の女性――セラフィナだ。


 煌びやかな刺繍入りのローブ、精緻な魔導装飾を施した杖。

 彼女の魔法は派手で力強く、そして極端に燃費が悪い。


 「見た目が大事なの。わたしは美しく、華やかに勝ちたいのよ」


 そう語る姿はまさに舞台の主役のようだった。


 


 「……ふ、二人とも、しっかり前見て……!」


 震える声で呼びかけたのは、小柄な少女だった。

 緩やかな金髪に、神官服の裾を握りしめている。イリーナ。


 前線には立たず、治癒魔法や補助術を後方から支援する役割を担っている。

 怖がりで気弱な性格は変わらず、群衆の視線にも今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。


 


 それでも彼女の治癒術は確かだった。

 戦いのたびに、蓮たちを何度も救ってきた――その手は、何より信頼されている。


 


 「気にするな、イリーナ。今日はもう戦場じゃない。ちゃんと歩いてればそれでいい」


 蓮の声に、イリーナは顔を赤くして小さく頷いた。


 


 この国では、強き者は称えられ、成果は確かに評価される。

 今この時、彼らはまぎれもなく“英雄”として迎えられていた。


 


 だがその視線の奥に、称賛だけではない“興味”や“計測”の色があったことに、気づく者はまだいなかった。


 


 輝かしい陽光のもと、祝福と歓声に包まれて――

 若き勇者は、玉座のある都市へと、その足を踏み入れた。


 王都セレルガルドの北塔にある政庁施設――通称、将官の間。

 そこは戦功者が王に謁見する前段階として、評価と承認を受ける場でもあった。


 


「よくぞ戻ったな、天城蓮」


 静まり返った石造りの空間に、重厚な声が響く。


 声の主は王国軍の執政官・バルゼルド。白髪交じりの短髪と鋭い眼光を持ち、常に部下に冷徹な指揮を下す実務家だ。


 


「北方の魔獣巣の殲滅、および斥候任務の完遂……想定以上の成果だ。王も満足されるであろう」


 


 蓮は静かに頭を下げる。


「光栄です。これも仲間たちの支えあってのことです」


 


 隣で腕を組んでいたゴルバが鼻を鳴らし、セラフィナは魔導杖で床を軽く突くようにして座していた。


 


 「それで……我らの今後の任務は?」


 セラフィナが問いを投げる。声色には飾り気があったが、その瞳は油断なく相手を見据えている。


 


「王都周辺の治安維持と、北辺部の補強を担当してもらう」

「軍令としてはそれだけだが……」


 


 言葉を切ったバルゼルドが視線をわずかに逸らす。

 そして、奥の扉が静かに開いた。


 


「――陛下、おいでなされました」


 


 現れたのは、深紅のマントを纏った若き王。

 ヴェルゼ=リュミエール。


 その姿はまだ青年に近い若さを残しながらも、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま歩み寄る様は威厳すら帯びていた。


 


「皆、よく尽くしてくれた」


 穏やかな声。その奥に燃えるような意志を宿す黄金の瞳が、蓮を真っ直ぐに捉える。


「天城蓮よ。……お前の名は既に、南方にも届いている。いずれ……もっと大きな役目を託す時が来よう」


 


 蓮は短く礼を取った。


「その時が来れば、全力を尽くします」


 


 ――部屋に沈黙が訪れる。

 それは畏敬によるものか、それとも別の何かを探ろうとする静寂か。


 


 その一歩後方、列の端に立つイリーナは、王の視線に思わず身を縮こませた。


 (こ、怖い……いえ、怖いわけじゃ……ないけど……)


 淡い茶髪が小さく揺れ、胸元の小さな十字の飾りをぎゅっと握りしめる。

 震える手を袖で隠すようにして、なんとか膝が崩れないように耐えていた。


 


 ――王の眼差しは、次に彼女へと向けられた。


「……名は?」


 


「ひっ……! あ、あの……イリーナ、と申します……神官を……しております……」


 蚊の鳴くような声で答えると、ヴェルゼはわずかに眉を上げたが、咎める様子はなかった。


「治癒の才もまた、剣に勝る価値を持つ。己の務めを、忘れぬようにな」


「は、はいっ……!」


 


 そのやりとりを、蓮は黙って見守っていた。

 王の振る舞いには奇異な点はなく、言葉も威圧ではなく導くようだった。


 ――それでも、心のどこかで引っかかる何かが、確かにあった。


 


「さて……今日は労をねぎらえ。明朝より、王都の内政補佐も兼ねた再編に入る。兵の再配置、商隊の監査――」


「ふあぁ~~、眠い……」


 急に声を上げたのはセラフィナだった。


 「え、えっ……あのっ……っ!?」とイリーナが青くなる中、彼女は欠伸をかみ殺しながら軽く手を振る。


「ごめんなさーい、さすがに昨日の戦闘続きで魔力回復してないのよね。式典は退屈だわ~」


 


 重苦しい空気が、思わず緩んだ。


 「……おまえは、相変わらずだな」バルゼルドが苦笑し、王も微かに口元を緩めた。


 


 その隙に、蓮は小さく深呼吸をした。


 剣の務め、仲間の支え、そして――この国の未来。

 英雄としての称号を背負いながらも、蓮はまだ、自分が何者かを知らないままだった。


 王都の夜は静かだった。


 昼間の喧噪が嘘のように収まり、石畳を渡る風が灯籠の炎を揺らす。高く積まれた城壁の影が、冷たい月光の下で長く伸びていた。


 


 「……ん、静かね」


 セラフィナは肩掛けのローブを羽織りながら、王宮の回廊をのんびり歩いていた。彼女の足取りは軽く、まるで舞台の上を歩いているかのような優雅さがあった。


 


 その隣を歩くのは、背を丸めてローブの裾をぎゅっと握るイリーナ。


「こんな時間に、ほんとに……出歩いてよかったのでしょうか……」


 


「いいのよ。あんたの気分転換も兼ねて、ね?」


 セラフィナは軽く肩をすくめ、イリーナに微笑みかける。


「昼間のあんた、ほんっとに緊張してたもの。王様に話しかけられたときなんて、膝がカクンってなってたじゃない」


「うぅ……っ、忘れさせてください……」


 イリーナは顔を真っ赤にして項垂れた。


 


 二人の姿が通り過ぎた後、しばらくして廊下の向こうから別の足音が響いてくる。


 それは、石畳を踏みしめる硬質な音。

 金属のこすれるかすかな音が交じり、やがて姿を現したのは――


 


「……あら、ゴルバ」


「おぅ。おまえら、こんな夜更けに何してやがる?」


 手斧を肩にかついだゴルバが、不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしてくる。


 


「ちょっとした散歩よ。あんたこそ、また一人で鍛錬? 好きねえ」


「当たり前だ。あの王様がなんと言おうが、剣は怠けた分だけ裏切る。……蓮のやつも、黙って訓練場行ってたぜ」


 


「えっ、蓮さんが……?」


 イリーナが思わず顔を上げる。心なしか、瞳に淡い光が宿ったようにも見えた。


「ふん、まぁ……“勇者様”は気負いすぎだな。まじめすぎて息切れすんぜ」


 ゴルバが鼻を鳴らしながら去っていくのを見送り、セラフィナがぽつりと漏らす。


 


「……まじめすぎる、か」


 


 その夜、王宮の隅にある剣術場では、ひとりの少年が黙々と剣を振るっていた。


 燭台の灯りだけを頼りに、片手剣とソードブレイカーを交互に握りしめ、無音の斬撃を繰り返す。


 


 ――片手剣の突きを躱す動き。ソードブレイカーで刃を絡めて捌く感覚。


 蓮の瞳は真っ直ぐで、汗が額を流れても、微塵も崩れない。


 


 「……もう少し。あと十本だけ……」


 


 独り言のような呟きが、夜の空気に溶けていく。

 疲労に軋む体を押しながら、それでも足は止まらない。


 


 「――皆を、守るために」


 


 誰に聞かせるでもなく、蓮はそう誓うように剣を振った。

 王の前で称えられ、仲間に支えられ、それでも彼は「自分の責任」に向き合おうとしていた。


 その背に、まだ誰も気づいていない影が――確かに、忍び寄っていた。


 王宮の地下区画。

 陽の差さぬ石造りの回廊を、ローブを纏った数人の影が音もなく歩いていた。


 


 「……勇者一行の帰還は順調であったと、報告を受けております」


 


 囁くような声が響いた。

 男の声だが、感情を排したそれは、まるで記録の読み上げのように平坦で冷たい。


 


 「ふむ……王は、例の少年にどこまで心を許している?」


 


 問うたのは、頭巾で顔を隠した初老の男。

 その衣には、表向きの官服ではない、簡素な十字紋が刺繍されていた。


 


 「……王自らの“玉座の間”にまで案内されていたと」


 


 「――危ういな」


 


 男は立ち止まり、回廊の壁に設けられた燭台に目をやる。

 静かに揺れる炎の向こうには、薄く細い魔術の結界が張られていた。


 この場所が、王の耳には届かぬ場所であることを確認し、男は低く呟く。


 


 「……やはり、彼が“召喚の子”である可能性を見過ごすべきではあるまい」


 


 「魔術省の観測では、次元転移の痕跡は薄いと」


 


 「薄い、だけだ。存在の位相が合致しなかったとも、観測者の目が曇っていたとも取れる」


 男はローブの袖から何かの札を取り出す。それは、封印された結界の鍵符だった。


 


 「王は穏やかすぎる。若さ故か、あるいは――」


 


 言葉はそこで切られた。

 誰かが、回廊の入り口に現れたのだ。


 


 「……あまりに露骨な集まりですね。諸君」


 


 現れたのは、銀の髪を後ろに束ねた青年――王直属の近衛であり、王命を受けて動く情報監察官、ゼス・ラグレインであった。


 


 「ゼス殿……これは、夜の警邏にすぎませんよ」


 


 「ならば、地下封印庫の鍵など持ち出す必要はないはずです」


 


 ゼスの言葉に、初老の男は舌打ちを噛み殺し、ローブの裾を翻す。


 


 「王の意志に背くつもりはない。だが、我らもまた――この国のために動いている」


 


 「……ならば、その正義の名のもとに、せめて“見せ方”には気をつけるべきでしたね」


 


 ゼスは冷ややかに言い放ち、薄く笑った。


 


 彼の背後、闇の奥では別の“何か”が動いていた。

 召喚、勇者、そして王。すべての歯車が、静かに、だが確実に噛み合い始めていた。


 王都の外縁、使節団の野営地。

 任務を受けた勇者一行は、翌朝の出発に備えて簡易な幕営を張っていた。


 


 「……静か、ですね」


 


 そう呟いたのはイリーナだった。

 火の粉が舞う焚火の前に、彼女はそっと膝を折り、小さく肩をすぼめて座っていた。紫の神官服の裾が、風にふわりと揺れる。


 


 「そりゃ、ここじゃ野獣くらいしか騒がねぇからな」


 


 ごつい体躯のゴルバが、火の番をしながら笑う。

 その手には、串刺しにされた兎の肉が焼かれていた。野営地周辺を軽く狩って得たらしい。


 


 「だがまあ、今夜くらいは腹一杯くって寝ようぜ。明日からまた街道暮らしだ」


 


 「……本当に、行くんですね。東方の“巡礼路”……」


 


 イリーナは不安げに呟く。

 小さな指が、焚火の光を頼りに、膝の上でぎゅっと組みしめられていた。


 


 「なに、王都から出るのは二度目だろ? 聖堂の床の冷たさに比べりゃ、野宿の方がまだマシってもんさ」


 


 背後から軽やかな声がかかる。

 金の装飾が施された杖を肩にかけ、セラフィナがふらりと戻ってきた。どこかから香草酒を調達してきたらしく、手に小瓶を持っている。


 


 「……あんた、また酒……っ」


 


 「明日から禁酒でしょ? 今のうちに楽しんどかなきゃ♪」


 


 「セラフィナさん……任務前夜ですよ……?」


 


 イリーナが小さく抗議の声を上げるが、彼女はくすくす笑って瓶を一口煽ると、満足げに焚火のそばに腰を下ろした。


 


 「……いい火ね。あんた、たまには役に立つじゃないゴルバ」


 


 「うるせぇ、誰が誰のお守りしてると思ってんだ」


 


 そんな軽口が交わされる中――。


 


 蓮は、一歩離れた場所からその光景を見守っていた。

 腰に下げた剣とソードブレイカーの柄をそっと撫で、焚火越しに仲間たちを見つめる。


 


 (……明日から、また“戦場”だ)


 


 自分は勇者として選ばれた。

 だが、何と戦うのか――その問いが胸の奥で時折重く揺れる。


 


 「……蓮」


 


 そっと呼ぶ声に振り返ると、イリーナが立っていた。

 焚火の温もりを名残惜しげに背にしながら、遠慮がちに近づいてくる。


 


 「少しだけ……話せますか?」


 


 「もちろん。寒くない?」


 


 「……平気、です」


 


 二人は焚火から少し離れ、静かな木立の影へと歩く。

 夜風がそっと草葉を揺らし、遠くから夜鳥の声が聞こえた。


 


 「……わたし、まだ……怖いんです。戦うのも、旅に出るのも。何もできなくて、みんなに迷惑ばかりで……」


 


 イリーナの声は震えていた。

 それでも、蓮にだけは素直に本音をこぼせる――その雰囲気があった。


 


 蓮は、彼女の言葉に優しく応える。


 


 「大丈夫。イリーナは、もう“いるだけで”助けになってる。……少なくとも、俺には」


 


 イリーナは目を見開き、やがてほんの少し、微笑みを浮かべた。


 


 「……ありがとう、ございます。わたし……少しだけ、頑張ってみます」


 


 夜の静寂に、淡い希望の灯りがともる。

 旅立ちを前にした彼らの絆は、静かに深まっていくのだった。

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