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あなたは誰

作者: 深見由貴
掲載日:2024/08/06

ホラーは初めて書きます。

少しでもぞわっと楽しんでいただけたら幸いです。

 都内某所、オフィスビルの十五階。見渡す限りデスクとモニターが並んだ、柱や壁などがないだだっ広いオフィスで私は一人、残業をしていた。フロアは暗く、私がいる区画だけ煌々とライトに照らされている。


「やっっっっっっっと終わったー……」


 ぐいーっと椅子の背にもたれかかるように伸びをし、その後デスクに突っ伏す。締め切りを忘れていた同僚の尻拭いで残業しているはずなのに、当の本人はどうしても外せない用事があるとかで先に帰って行った。


「くっそーーーー……絶対に高いランチを奢らせてやるー……」


 ぶつぶつ言いながらのろのろと体を起こし、コンピューターをシャットダウン。引き出しに書類やノートを適当に放り込んでから消灯し、オフィスを出た。

 大きな光源を失った薄暗い廊下を抜けて辿り着いた更衣室も無人で真っ暗だった。ぱちりと明かりを点けると、暗さに慣れた目がしぱしぱする。もそもそと制服から着替え、荷物を取り出す。財布やスマホをオフィス内用の小さなバッグから移し替えながら逡巡する。


(どうせ誰にも会わないだろうし、化粧直しはいっか)


 ロッカーのドアに付いた小さな鏡にげっそりした顔が映っていたが、見なかったことにしてロッカーを施錠した。




 ほとんど人のいないビルのエレベーターはすぐに来るのが残業の数少ないメリットの一つだ。メリットとして数えるには細やかすぎるけどね、と思いながらボタンを押すと、中層階で待機していたエレベーターが動き出し、ランプが「15」に近づいてきた。

 もちろん、エレベーターの中も無人だ。私はエレベーターの奥の壁に付いた鏡に背を向けて、ほっと息を吐いた。帰路につける実感がじわじわと湧いてきて、少し元気が出てきた気がする。


(今日って家に何があったっけ。たしか冷蔵庫に白ごはんがあと一膳分あるはず。おかず、が、ないな。うーん、じゃあ冷食のパスタでも食べようかな。チンしながらお風呂を洗って、洗濯物を、いやその前に明日出すごみをまとめて……)


 エレベーターが止まることもないだろうと家に帰ったらすることを頭の中で数えていると、ぽんと機械音が鳴った。ぱっと今の階数を確認すると十三階だ。ここには他社のオフィスと喫煙所がある。煙草を吸わない私には縁の薄い階だ。

 そんなことを思っているうちにドアが開く。ひんやりとした煙臭い空気と一緒に乗り込んできたのは、なんと私が密かに憧れている先輩だった。


「えっ先輩!」

「おお、お前もまだいたのか」


 ワイルドな雰囲気そのまま、大胆で快活な性格の先輩は私が新人だったころの指導役だった。がっしりとした肩に太い首、厚い胸板に腕まくりで覗く筋肉のついた腕。見たとおりずっと運動部だったらしく、短く刈られた髪を無造作にセットしていて、男所帯が長かった人特有の所作の大きさや暑苦しさがあったが、それがかえって男らしいと一部の女性社員に人気だった。

 かく言う私もその一人である。指導役についてもらった時には、先輩や同期にさんざん羨まれたものだ。最初こそ仕事を覚えることに必死で、声が大きく時に語気が強くなる先輩に怯んでいた私も、いつの間にかそのパワフルさの虜になっていた。

 そんな私ももう入社五年目、指導役の先輩とは部署からして離れ離れになってしまった。フロア自体は一緒だが、お互いの部署が使っている区画が遠く、さらには先輩の部署は外出が多いため、ほとんど姿を見ることもない。


「お久しぶりですね! 先輩も残業ですか?」


 思わぬ僥倖(ぎょうこう)に舞い上がりつつ、満面の笑顔とはしゃぐ声色で精一杯の喜びを表現してみせた。頭の片隅では化粧を直さなかったことを後悔する。でも、化粧を直していたらきっと出会えなかった。結果オーライだ。


「おう、そんなもんだな。上司に連れてかれた喫煙所のついでにコンビニでも行こうと思ってさ」

(あれ? 先輩、煙草は吸わないんじゃなかったっけ。吸わなくても付き合うこともあるのかな)


 引っかかりつつも、私はそうなんですねと頷いた。

 エレベーターは止まることなく降りていく。


「そういえば、お前んとこの同期、俺に泣きついてきたぜ。お前が相手にしてくれない、アドバイスくれってな」

「うわ、ご迷惑をおかけしてます」


 先輩は頭を掻きながら言った。思い当たる同期は一人だ。どうやら私を好いてくれているらしいのだが、私には先輩という想い人がいるので、適当にいなしているのだ。物腰は柔らかい優男なのに妙に押しが強く、いい加減諦めてほしいとうんざりした気持ちもある。それがどうして先輩に泣きつくことになったのやら。

 内心イラっとしていると、先輩は笑いながら首を振った。


「別に俺は構わんよ。指導役だったから何かしら情報を持ってると思われたんじゃねぇかな。あんなになりふり構わず好きって言ってる奴だ、少し相手してやったらどうだ?」


 どくんと心臓が大きく跳ねたのが分かった。

 そんなことをよりによって先輩に言われるなんて。

 先ほどまでうきうきと弾んでいた気持ちが地に落ちた。

 ついでに、いつの間にか冷え切っていたエレベーターの空気のせいか手足の先が酷く冷えている。


「そうですね、お世話になった先輩に迷惑を掛けるくらいなら、話でも聞いてみようかな」


 強張った顔の筋肉をどうにか笑顔の形にして、俯くように頷いた。知らず涙が浮かんでいたのか、先輩の足元がぼやけて見える。

 ぽんと音がした。一階だ。


「そうしてやれ。じゃあ俺は財布を忘れたからまた上に戻るわ。じゃあ、またな」

「はい、お疲れ様でした」


 目線を下げたままぺこりとお辞儀をして、開くボタンを押してくれている先輩の横を急ぎ足で通り抜けた。

 もわりと蒸し暑いエレベーターホールの正面にある玄関に向かって足早に進んだが、さすがに今のは態度が悪かったかと反省した私は乗ってきたエレベーターを顔だけで振り返って見た。押し間違えたのだろうか、行き先はなぜか四階だ。開くボタンが光っている。


 先輩は手を振っていた。手の甲をこちらに向けて。

 変なの、と思いながら私は普通に手を振り返し、今度こそ振り返らずに玄関を出た。




♢♢♢




「ねえ、聞いた?」

「何を? あ、先輩が無断欠勤してる理由のこと?」


 昨日、私に残業を押し付けて帰った同僚が話しかけてきた。出社早々、ばったり出くわした時に今日は特上ランチを奢ってもらう約束を取り付けたので、もう私を置いて先に帰ったことは水に流し済みだ。

 それにしても、今朝も人はいないのにエレベーターはもうすでに蒸し暑かった。ここの社員の間ではエレベーターにもクーラーをがんがんに効かせてほしいよねと嘆くのがお決まりだ。


「そう、あなたが大好きな先輩なんだけどね……」


 噂話を絶対に聞き逃さない情報通な彼女は、続きを言い淀んでいる。


「どうしたの?」

「それがね……」

「えっ死んじゃったの!?」


 突然背後から大きな声が聞こえて、私と同僚は同時に振り返った。私たちと同じ制服を着た女性が三人、興奮気味に話している。


「ほら、彼、うちでも人気だったでしょう? どうも外でもモテモテだったみたいで、若気の至りかしらね、うちの社員とランチデート中に別の女が出てきて、持ってた包丁でグサッと。平日のオフィス街だったから目撃者がたくさんいて、その人たちで犯人を取り押さえて通報したからもう捕まってるんだって」

「でも彼のほうはそのまま亡くなった、ってことかー。うわあ、そんな週刊誌みたいなことがこんなに身近で起きるなんて……」

「男らしい男だったもんね。浮気の一つや二つ、男の甲斐性って人だったんじゃない」

「はー、結構推してたのに裏切られた気分だわー」

「で、それっていつだったの? 近くでそんな痕跡見かけたことないけど」

「昨日だったはず。場所はね……」


(え?)


「あの!」


 私はいてもたってもいられず、噂話に興じる女性社員たちに詰め寄った。突然の私の行動に、同僚が後ろでおろおろと制服の裾を引いている。それを無視して、私は叫ぶように言った。


「それ、何かの間違いじゃないですか? 私、昨日の夜、先輩(その人)に会いました!」


 三人は顔を見合わせた。


「ううん、残念だけど、これは本当。ほら、もう記事にもなってる」


 一人がスマホの画面を見せてきた。


「ここ。事件の発生日時が載ってるでしょ?」


 指差された箇所を凝視する。昨日の午後十二時過ぎ、路上で刺殺された人の名前。


「でも、たしかに私は......」


 だが、思い返すと違和感はいくつもあった。

 いつの間にか自席に戻っていた私は、一人蒼褪めていた。




♢♢♢




 一年後。


「ねえ、命日に先輩の墓参り、行かない?」

「えっいいの?」


 私は、先輩の死に落ち込み、怯える私に寄り添いつつも猛アタックしてくれた同期と付き合い始めた。私の先輩への恋慕も受け入れる優しくて器の大きい彼だ。周りの話をよく聞いたら、先輩は女癖の悪い面もあったようだし、彼を勧めてくれた先輩には感謝だ。


 あの夜のことは、先輩が自分を慕っていた後輩の私を心配して話しに来てくれたのだと結論付けることにした。

 そう結論付けた頃も、彼は私に寄り添っていてくれた。先輩のアドバイスと彼の献身的な態度を受け入れて少しずつ彼と向き合い始めたら、その人柄に惹かれて付き合うようになったのだ。


 花屋で仏花を購入し、電車に乗る。お盆前の平日が先輩の命日だったので、車内は空いている。私と彼は並んで座り、とりとめのない話をしながら電車に揺られた。彼は途中でうとうとと眠ってしまい、私は持ってきた本を開いて読んだ。

 先輩のお墓は田舎のほうにある。遠いからと私が遠慮したら、彼は僕も行きたいし、避暑でもするつもりで行こうよと背中を押してくれた。つくづく良い人だ。私が彼の立場だったら、同じ振る舞いができるだろうか。


「やっぱりこっちは涼しいな」

「本当だね。えっと、ここからはどう行くんだっけ」


 私がスマホを取り出そうとすると、彼はその手を引いて歩き始めた。


「こっちのタクシー乗り場から行くんだよ」


 タクシーに乗って彼が手際よく行き先を運転手に告げる。運転手は行き先をすぐに心得て、するりと滑るように発車させた。

 どうやら話好きな運転手のようで、二人の関係、馴れ初め、今日の目的をあっという間に聞き出されてしまう。人懐っこい人柄のせいか、ぐいぐい聞かれても嫌な感じはしなかった。


「そっか、その先輩のお墓参りに来たんだね。その墓地の辺りは心霊スポットらしくてね、夜は若者が肝試しをしようって集まってくるんだよね。ふざけて不吉なことをわざとしたりしてさ、『怖い』を安易に娯楽にしちゃうのは個人的にはあまり好かないんだ」

「不吉なこと、ですか?」

「そう。肝試し自体が駄目なんだけど、さらに口笛を拭いてみたり、怪談までしてみたり、わざと手の甲で拍手してみたりね。この裏拍手は本来、霊がやることだからね。生きた人間がやると死んだと勘違いして連れてかれちゃう。ここいらは田舎だからさ、まだそういうものって健在でね。本当に危ない目に遭うこともあるんだよ。おっちゃんのいらないお節介だけど、ついつい心配になっちゃってね」


 発車したときと同じように、車は目的地でするりと動きを止めた。料金を支払い、礼を言いながら二人が車を降りると、扉を開けたまま運転手が念を押す。


「絶対に変なことはしないでね。二人ともこんなおっちゃんの話に付き合ってくれた良い人たちだから、危ない目には遭ってほしくないんだ」

「わかりました」


 大きく頷いて車を離れると、タクシーはハザードランプを二度光らせて視界から外れた。


「じゃあ、行こうか」


 車の中では少し口数の少なかった彼が、にこりと笑顔を向けて手を差し出してくれた。まだ付き合い始めて日が浅いので知らなかったが、もしかしたら怖い話は苦手なのかもしれない。微笑ましく思いながら手を繋ぎ、階段を上っていく。

 墓地は山の傾斜に位置しており、墓と細い通路近くにも樹木が生えており、昼間なのにどこか薄暗い。たしかに肝試しにはうってつけかもしれないなと私は内心納得しつつ、彼がついてきてくれて良かったとほっとした。

 途中で手桶に水を汲み、彼の案内でひんやりと湿った空気の墓地を進んでいった。


「えっこのお墓?」

「うん、そう。荒れてるな」


 恥ずかしいな、と言いながら彼が墓に絡まった(つる)や、どろどろに溶けた果物の残骸を取り除いてゴミ袋に入れていく。私も慌てて手桶の水で果汁を洗い流したり、蔓を入れやすいようにゴミ袋の口を広げたりした。


「うん、ばっちり!」

「ありがとうな」

「あはは、なんであなたがお礼を言うの? 変なの」


 そんなやり取りをして、すっかり綺麗になったお墓の前にしゃがみ、手を合わせた。


「実はさ」


 立ったままの彼がぽつりと話し始めた。


「先輩、お前のことが本気で好きだったんだ」

「え?」


 晴天の霹靂だ。目が零れそうなほど見開きながら、私は彼を見上げた。薄暗いせいか、前髪に隠れた表情はよく見えない。


「嘘ぉ、知らなかった!」

「おう、言わなかったからな。自分の女癖の悪さを呪ったのは後にも先にもあのときだけだって」


 と彼が頭を掻きながら照れくさそうに笑った。


「うわあ、その時に知ってればなあ」


 私も照れくさくてついつい俯きながら言う。


「今でも手を合わせてくれて嬉しいよ」


 鈍い拍手の音が聞こえた。手を合わせてるのだろうと私は気に留めなかった。


「でも今はあなたがいるから、幸せだよ」


 クサイ言葉だから勇気を出して言ったのに返事がない。もう、と膨れながら彼を見上げる。

















 彼はこちらを睨みながら見ながら手の甲を合わせていた。

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