52 薔薇色の日々をあなたと
最終話です。
「リリー、忘れ物は無い?」
馬車の中でライリーをずっと抱いているわけにもいかないので、籠を用意して、中に厚目にタオルを敷いた簡易ベッドに寝かせることにする。
「お兄様、アルヴィン、ありがとう。侍女長や侍女の皆さんもお世話してくださってありがとうございました」
リリアナは丁寧に頭を下げる。
アルヴィンはリリアナを抱きしめると、
「公子様との結婚生活が駄目になりそうだったら、僕のところに来ていいから」
とリリアナの耳元で囁く。
「アルヴィン、言ってなかったけど、コンラートさんも転生者なの。しかもね、前世で私が好きだった人。今世では絶対に幸せになるわ」
微笑むと、アルヴィンの胸を両手で押しやる。
アルヴィンは「そっか……」と悲しげに言った。
リリアナが馬車に乗り込むと、コンラートも皆に向かって会釈をしてから馬車に乗り込む。馬車が走り出してもリリアナは馬車の窓から顔を出し、見送る人たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「見えなくなっちゃった……」
身体を馬車の中に戻し、窓を閉め、コンラートの隣に着座すると途端に寂しさが募った。
「リリー」
コンラートに名を呼ばれ、顔をそちらに向けると、綺麗な整った顔がリリアナを見つめ、唇が合わさる。
「これからは、僕が隣にいるから」
(私には、これからもコンラートさんが居てくれる……)
リリアナは安息してコンラートに身体を委ねる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セントアルカナ公国に入国すると、リリアナの希望でキオリ村の診療所に寄ってもらい、いつかの治療費の残りの銀貨5枚を支払い、礼を述べる。
「おや? ご一緒しているのは、まさか公太子様じゃ……」
「そのまさかです」
大変驚かれてしまったけれど、説明するのも面倒なのでそのまま何も言わずにお別れをした。
次は『ラフラの店』に寄ってもらう。
奥さんに大泣きされ、生まれたばかりのライリーを抱いてデレデレしていた。
私のことを本当の娘のように思っていたんだって、打ち明けられてとても嬉しかった。
そんな話をしていると、バルの店長のステラさんもたまたま店にやって来て、感動の再会になった。
ステラさんは「上手くやったな」とコンラートさんの胸を何度も肘で小突いていたんだけど、私には何のことだかよく分からなかった。
私に宛がわれていたパン屋の2階の部屋はそのままになっていると言われ、元々少ない自分の持ち物だけをまとめ、階下に降りてくる。
「たったそれだけ?」
小さな鞄ひとつに収まっていたので、奥さんとコンラートさんに大変驚かれた。
「娯楽品や服を買う余裕も無かったんだもの」
と言うと、またしても奥さんに
「ごめんねえ、お洒落したい年頃だったのに、充分なお給金をあげられなくて……」
と、さめざめと泣かれてしまった。
「奥さん、私は元々そんなにお洒落をしないから気にしないで」
と宥める。
「リリーはアクセサリーをほとんど持っていないから、これから贈り物のしがいがあるよ」
コンラートさんはにこにこと笑顔を崩さなかった。
馬車に乗ると「じゃあ僕の家に行こうか」とコンラートは言い、御者にも行き先を伝える。
「リリー、もしかしたら僕の母上がリリーに失礼な物言いをするかもしれないけど、僕が絶対に守るから」
コンラートはリリアナの目を見て話し、リリアナの両手を包み込むように握る。
「頼りにしているわ、コンラートさん」
リリアナは照れて頬を染めると、コンラートの頬にちゅっと口づけた。
馬車が到着すると、リリアナはコンラートにエスコートされ、馬車を降りる。ライリーはコンラートが連れ出してくれた。
リリアナがコンラートの居宅を訪れたのは、今回でまだ2回目だ。相変わらずのそびえ立つ白亜の大きな宮殿に、リリアナは怖じ気づく。
「お帰りなさいませ、コンラーティシア様」
「「「お帰りなさいませ!!」」」
通路の端に並んだたくさんの使用人たちに出迎えられる。
(前回はこんなに大勢の使用人の姿を見なかったわ、どうしてかしら?)
「コンラート、帰ったの」
「ああ、ただいま母上」
華美な服装で口元を扇子で覆った夫人が姿を見せる。
ところが、夫人は私の顔を見た途端に驚き、慌てて目の前に駆けつけた。
「まあ、コンラート! あなたったら私が婚約させたことを根に持っていたのに、まさかジュール王国からルイーゼ様を連れてきたの!?」
「ルイーゼ様? 違うよ、彼女は」
「申し遅れました。私、ルーデンベルク王国から来ました、ローズウッド子爵家のリリアナと申します」
久しぶりのカーテシーに緊張してしまったけれど、舌を噛まなかったので心の中では安堵していた。
「リリアナ? ルイーゼ様じゃないの?」
「だから、違うって」
私はどうやら、コンラートさんの婚約者にとても似ているらしい。
「ところでコンラート、その腕に抱いている赤子は……? 髪の色があなたたち2人の色ではないようだけど?」
「ああ、この子は僕たちの子として育てるから」
「どういうことなの! コンラート!!」
「リリー、行こう」
怒り出した夫人をコンラートさんは無視し、私を客間へ案内した。
「リリーの部屋を用意するまでは、この客間を自分の部屋と思っていて。僕は今から父上に挨拶してくるから、リリーたちはこの部屋で待ってて」
コンラートさんからライリーを受け取り、授乳をしていると、扉がノックされメイドたちがお茶の一式を持って入室する。
「ありがとう」と礼を言うと、メイドたちはにこりと笑顔で退室していった。
お茶を啜ってみたが適温だし、毒が入ってもいない。
(使用人から私は嫌われてはいないみたいね)
(コンラートさんのお母様を攻略すれば、ゲーム的にはハッピーエンドなのかしら?)
と考えてから、以前にコンラートさんに、
『こ……んのバカッ!! ヒロインらしくストーリーを守れ!!』
と言われたことを思い出し、ぷっと吹き出した。
とても不思議な気分だった。
アルヴィンと恋人になると隣国からの侵攻で死亡するとミレーネに言われたのに、捕虜としてルーデンベルク王国から出国したら『バラあな』にはないストーリーで物語が進んでいった。
私は断罪されることもなく、好きな人とこれから幸せに暮らす未来しかないなんて、これってハッピーエンドルートじゃなくて何なのかしら?
詳しいことはコンラートさん……『とーやさん』に訊いてみなきゃ分かんないわね、『バラあな』の製作者だもの。
ふと思い立って、文机の引き出しから便箋を取り出し、セドリック様に手紙を書くことにした。
セドリック様との間に出来た子どもにライリーと名付けたこと、これからはセントアルカナ公国に永住し、コンラートさんと暮らしていくと書いた。そして、ライリーの顔を是非、見に来てあげて欲しいと手紙を結ぶ。
部屋の扉がノックされ、コンラートさんが「リリー!」と呼んで入ってきた。
「なあに?」
「父上からは僕とリリーの結婚について、簡単に許可をもらえたんだけど、条件があってさ……」
コンラートさんが申し訳なさそうに頭を掻く。
「……何かしら? まさか公太子妃教育を受けろって?」
「ご明察! さすが僕のゲームのヒロイン!!」
「セントアルカナ公国の建国の歴史から学び直しなのね……剣の腕なら自信があるのに……」
授乳の終わったライリーの背中をトントンと叩きながら、私はとほほ……と、この世界は厳しいと実感する。
「剣の腕に自信があるなら、息抜きにこの屋敷の護衛たちと手合わせしてみたら?」
「いいの!?」
「『えりなちゃん』は勉強よりも身体を動かしたい方なんだね」
「えへへー! そうかも!」
「じゃあ僕も久しぶりに剣を握るかな」
「コンラートさんは私が護衛するから必要ないわよ!」
「コラコラ……リリー、キミも護られる側の人間なんだよ」
「そうね、ふふ」
コンラートさんは私の後ろから手を回して、私のお腹で手を組み、私の頬に口づける。
私がコンラートさんの顔を見ると、ちゅっと唇が重なる。私は、そっと目を閉じた。
〈了〉
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