45 再燃した想い
「はあ、はあ……」
メイソン侯爵邸から歩いて2時間は経過したであろうか。すっかり夜が明けてしまい、辺りは民家も無く、しんとした静けさの中に鳥の鳴き声だけが響く。
「どれだけ歩けば山から下りられるのかしら……」
体力の温存とお腹の子のために走ることはしたくない。とっくに身体はくたくただけれど、歩みを止めると捕まってしまうかもしれない恐怖で、リリアナはひたすら歩き続けていた。
「──メイソン侯爵邸では今頃、私が部屋にいない、と大騒ぎしている頃よね」
さらに進むと、進行方向に道標があることに気づき、文字を読んでドキリとした。
『この先 ユベイル州
ここまで チェイス辺境領』
(え? ユベイル州?)
「ユベイル州って、まさか、ガルシアナ帝国……? 私、道を間違えたの?」
ルーデンベルク王国に州はない。
ガルシアナ帝国は元々いくつもの周辺諸国を支配下に置いたために、国から州へ格下げされた小国の集まりだ。
ここまで歩いてきたのに、道を間違えていたと分かると、一気に疲労感に襲われる。
「……もう駄目」
道から外れ、木にもたれて座り込んだ。身体を休めると、眠気もやってくる。
(眠っちゃいけない……眠っちゃ……だ……め)
リリアナは木に身体を預けて寝入ってしまった。
……パタパタパタパタ。
……ペチペチ、ペチペチ。
(何の音?)
「……い……おーい、お嬢さん?」
「……生きてるか?」
(ほっぺた、叩かれてる……?)
「いたあ……い」
目を閉じたまま、泣き言を漏らす。
「お嬢さん、こんなところで寝たら風邪ひくよ」
うっすら目を開けると、黒い衣類が目に入る。それから、まだ大人に成りきれていない青年の顔が目の前にあった。
「……あれ? ちょっと待て、呼んでくる」
青年の後ろに立っていた男性が駆け出していった。
リリアナは冷静になって、自分の周りを取り囲んでいる人たちの服装をまじまじと見つめる。
「ガルシアナ帝国……軍……」
ガルシアナ帝国の黒い軍服は、リリアナの心の奥深くに眠っていたトラウマを呼び起こしてしまった。
「そうそう、俺たち帝国軍人」
「お嬢さん、よく見るとかわいい! ねえ、家はどこなの?」
「い……や……いやぁぁぁぁぁあ!!」
「……え?」
「近寄らないで……!!」
リリアナは絶叫すると、後ろに後退り、血色の良かった顔は一瞬で青くなる。そして両手を肩に回し、身体を小刻みにぶるぶると震わせる。
「……来ないで!」
遠くから黒い軍服と銀の髪色の男性が走ってきて、リリアナの前で息を整えると、上着を脱いで膝を落とす。
「……リリー! どうしてこんなところに……」
リリアナが俯いていた顔を上げると、つい先日に拒絶した人の心配そうな顔があった。
「───セドリック様……?」
「セドリック第二班長の知り合い!?」
「セドリックの特別な女性、だろ? なあ、セドリックがエスコートしてたじゃあないか!」
セドリックを呼び出した男性が、セドリックの背中をバシバシと叩く。
「か、からかわないでください!」
「セドリック様……この間は、酷い言葉で傷つけてしまってごめんなさい……やっぱり私、育てることにしました」
「……リリー? 何の話を?」
「お腹にいる子を、産むことにしたの」
リリアナはセドリックに柔らかく微笑んだ。
「…………!!」
セドリックはリリアナを見たまま感激のあまり言葉を失ったが、ハッとしてリリアナの両手を握る。
「リリー、俺と結婚しよう! いや、結婚して欲しい」
「し、しません!」
リリアナは上目遣いでセドリックを見る。
「リリーは狡いな……そんなかわいい顔で俺の心を弄ぶなんて」
「弄んでなんて……!」
「〝弄んでない〟と言い切れるのか?」
「勿論……よ」
リリアナの目と鼻の先にセドリックの顔が近づいてきたと気づいた時には、セドリックの唇はリリアナの唇を塞いでいた。
「ん……! ん……んん……ん……」
セドリックは何度も角度を変えては、リリアナの唇を堪能する。
「俺はまだ、リリーへの気持ちを捨て切れない。偶然でリリーと逢えるなんて、これはもう運命だと思う」
セドリックはリリアナの小さな肩に腕を回した。
「セドリック様……」
リリアナとセドリックが2人の世界から元の世界へ戻ってくると、セドリックの同僚たちに一部始終を見られ恥辱を受ける。
「〝氷の騎士様〟が実は一途で熱い男とはね」
「濃厚な口づけ、参考になります」
「寒いのにここだけ、あー、暑い暑い」
「お……お前たち! 見せもんじゃねえぞ!!」
セドリックが照れながら怒鳴ると、帝国軍人たちはガルシアナ帝国の方角に向けて散り散りに散会する。
「……ったく、リリーの家は王都のどこだ? 送っていく」
そこへガラガラと、ルーデンベルク側から馬車が1台走ってきた。そのまま通り過ぎると思われたが、リリアナの数メートル先で馬車が停車した。そして馬車の扉が放たれる。
「見つけたわよ、リリアナ!」
「───エミリアさん……!」
「今度はガルシアナ帝国の軍人を誑かしたの? 次から次へとまあ、お盛んねえ」
エミリアは馬車から降りると、持っていた扇子で口許を隠し、オホホホとあざ笑う。
「馬車に乗りなさい! リリアナ、今日はあなたの婚約者と大事な約束をしているのよ」
「いやです! 私は婚約なんてしていません!」
リリアナはセドリックの背中に隠れ、セドリックの右腕に両腕をぎゅっと絡める。
「リリー……」
「……私の、叔母なの……」
「リリアナ! 戻ってこないなら、ナシュダールの評判を落とす根も葉もない噂を流すわよ! 貴族なんて噂好きだから、あっという間に広がって結婚すら出来なくなるわね」
「……卑怯よ!」
「卑怯なのは承知の上! あなたが宰相の息子と結婚してくれるなら、どんな卑怯な手段も使うわ! 先方は乗り気でね、あなたと結婚したくて婚姻届にサインも記入済みですって!」
扇子でまたも口許を隠し、エミリアは高笑いする。
リリアナは不安気な顔でセドリックを見たあと、セドリックの右腕に絡めていた腕を緩め、スルリと離れる。
「───セドリック様、ありがとうございました」
今できる限りの精一杯の笑顔をセドリックに見せた。軽く会釈すると踵を返し、不自然に見えない歩幅で馬車の乗り口まで歩く。
「リリー!! 行くなっ!!」
セドリックの呼ぶ声に振り向くと、にこりと笑顔を見せる。けれども、満面の笑顔ではなく、自然に涙が零れ落ちていた。
「リリー!!」
リリアナが馬車に乗り込むとエミリアも馬車に乗り込み、御者が馬を走らせる。
「リリー!! 行くな、リリー!!」
セドリックがいくらリリアナを呼んでも、リリアナは窓の外を見ることはなく、馬車はセドリックの前から走り去っていった。
セドリックがなんと再登場です!
わー↑↑↑ あー↓↓↓
好き嫌いがハッキリくっきり別れそうなキャラになってまいりました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ブックマークと評価は作者の励みになります!




