29 帝都でのニアミス
カストロは身動ぎすら出来なかった。
男が相手なら武技で負けても仕方ないと思っていた。しかし、淑女であるべき婦女子に負けるはずはないと根拠のない自信があった。
だが、カストロはあまつさえ目を奪われ、見惚れてしまうほど自分好みの容姿のリリアナに負けて自信喪失に陥る。
自身でも知らないうちに手を抜いていたのだ、と思いたかった──。
「す、すまないが……僕は、これで失礼するよ……」
カストロは金縛りから解けたかのように動けるようになると、その場から逃げるように立ち去った。
「リリー、あなたとても強かったのね」
「お誉めの言葉を賜り恐悦至極でございます」
リリアナはマリエールの前で胸に手を当て、頭を下げる。
「女を小馬鹿にするカストロ様のあの鼻っ柱を折ってやりたいと思っていたから、いい気味よ」
マリエールは〝ざまぁ〟とばかりに小声で囁く。
リリアナには返す言葉がなく、呆気にとられた。
「お父様にもカストロ様は武術がまったく出来ないことを実証してもらえてスムーズに婚約破棄できそう。リリーのおかげよ、ふふ」
マリエールは声を弾ませる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コンラートがリリアナの姿を見なくなってから3ヶ月が経過した。もう12月も半ば、どこかで凍えて悴んだりしていないだろうか、と思いを馳せる。
コンラートは部下を従え、帝都の城下町で露店がひしめき並ぶ市場を歩いていた。
あれから、リリアナに繋がる情報収集のために、頭領以外の一味はすべて捕縛している。何人かの貴族も捕らえ、制裁を課した。
その中で聞いた話に『金貨500枚で落札された少女』がちらほらと出てくる。少女の特徴がリリアナとしか考えられなかった。
(リリー、一体……この国のどこにいるんだ……?)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「リリー、今から帝都にある洋裁のお店へ糸や布を買いに行きたいの。一緒についてきて」
マリエールの買い出しのために、午前中からフィッツモルス辺境伯家の馬車を出してもらう。
フィッツモルス辺境伯邸から帝都まで馬車で2時間は掛かる。長い道のりをガタガタと揺られ、リリアナはマリエールとおしゃべりしながら時間を潰し、帝都の城下町へやっとのことで辿り着いた。
「すごい! 露店がたくさん並んでる!!」
「リリーはここの市場に来るのは初めて?」
「はい! 何もかも初めてです!」
リリアナは瞳を輝かせる。
「ちょっとはしたないけど、食べ歩きもできるのよ」
今日は令嬢らしくない町娘の装いのマリエールがいたずらっぽくウィンクした。
大通りをしばらく歩いて、大きな店構えの手芸店にやってくるとマリエールは立ち止まらずにずんずんと店に入っていく。リリアナもマリエールの後を追いかけた。
マリエールは刺繍糸や手縫い糸をいくつか選び、生地も何種類かを選び、購入する。何度も足を運ぶからなのか、買い慣れているようにリリアナは感じる。
「買い物に付き合ってくれてありがとう、リリー。良いものが買えたわ」
マリエールは満足な買い物ができたようだ。
すれ違った女性の2人組がキャッキャしながら「先ほどの方、素敵な殿方でしたわ」「〝氷の騎士〟様といい勝負でしたわね」と色めき立っている。
「〝氷の騎士〟? マリエール様は〝氷の騎士〟様をご存知ですか?」
「ええ、寡黙な方で表情が一切変わらない、強い騎士様と伺っています。でも、彼は直近に出席した夜会でパートナーを連れていたと聞いたわ」
マリエールは残念そうに嘆息する。
「素敵な殿方は売れ残ることはありませんものね……」
リリアナはそう言いながら、この国の第一皇子のヨハネスは売れ残っているな……と思い返す。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
帝都の市場を部下と歩いていたコンラートは、自身の後をぞろぞろとついてくる令嬢たちにうんざりしていた。
コンラートは部下にひとこと告げる。
「……撒くぞ」
「はい」
コンラートと部下は猛ダッシュして、露店商に頼んで身を隠す。
「いた?」
「こっちにはいませんわ!」
バタバタとあちこちを駆け回る令嬢たちの足音がなかなか鳴り止まない。
「──〝氷の騎士〟様にお相手ができた今、狙うは先ほどのお方ですわ」
「〝氷の騎士〟様のお相手の女性ってどんな方でしたの?」
「亜麻色の髪がとても素敵で瞳は赤く、まるでお人形のように可愛いらしかったですわ」
(……リリーだ!!)
「あら、その女性なら先ほど手芸店の大きな紙袋を持っていたのを見ましてよ?」
(リリーが、今この近くにいる!?)
コンラートは逸る気持ちを落ち着かせる。
そして、露店商に〝氷の騎士〟と
「ご令嬢たちの〝氷の騎士〟はロックウェル侯爵家のセドリック様ってぇのは有名な話だ」
「店主、ありがとう」
コンラートは店主に銀貨を1枚渡し、部下とともにその場から離れた。
そこへリリアナとマリエールの2人が、コンラートと入れ替わりでやってくる。
「リリー、ピタは食べたことある?」
「ピタ? 初めて聞く食べ物です!」
マリエールは「ピタを2つくださいな」と注文して代金を支払う。
「お嬢さんたち可愛いねぇ。おじさん、オマケしちゃうよ!」
店主はパンの間に挟むチキンを通常よりも多く入れ、紙に巻いて2人に渡す。
「わあ、美味しそう! いただきます!」
リリアナは大きく口を開けてピタを頬張った。
「ん~! チキンが香ばしくて柔らかい!」
コンラートの耳に聞き覚えのある声が届く。
「──リリー!!」
振り返って咄嗟に名を叫んだ。先ほどまで匿ってもらった露店商を見ると、この3ヶ月間、捜し続け恋焦がれた女性の姿をはっきりと捉える。人波を掻き分け、リリアナに近づこうとすると、撒いたはずの令嬢たちに囲まれる。
「そこを通してくれ!」
「「どうかお名前を教えてくださいませ!」」
「リリー!! 通してくれ……くそっ! リリー!!!」
「……もの凄くたくさんの人ね」
「……リリー!」
「マリエール様、今、私の名前を呼びましたか?」
「いいえ? 次はあちらの飲み物が欲しいわ」
(あれは……あの声、まさか? こんなところまであの人が捜しに来てくれるはずないわ)
リリアナは頭を振って打ち消す。
「リリー? あちらへ行きましょう」
「……はい、マリエール様!」
人垣から離れ、振り返って人垣を再度見たけれど、その人の姿は見つからず、リリアナはマリエールを見失わないように後をついていった。
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