25 愛が憎悪に変わるとき
フローラは侍女からハンカチを渡されると、鼻血を押さえる。
「フローラ様、刺激の強すぎるお話で申し訳ございません」
「いいから、リリー。話を続けて」
「私も自分の痴態をこれ以上話したくはありません……相手は、その……フローラ様のお兄様ですので……」
興味津々なのはフローラに限ったことではない。この部屋にいる侍女たちが、耳をダンボにして聞いている。
セドリックの基本は、誰に対しても動じない心、ぶっきらぼうで無愛想だ。それが、リリアナに対しては表情が緩んでいると、屋敷内はその話題で持ちきりなのだ。
これが学園の中での話なら妬み嫉みで意地悪をされるだろうけれど、ロックウェル侯爵家の侍女たちはイジーヴァ以外は好意的であった。
「あら、リリーはドレスの用意が間に合わなかったの?」
フローラが自分のドレスしか置いていなかったことに気付き、リリアナに声を掛ける。
「セドリック様に『ドレスなら気にするな』と仰られたのですが、夜会など畏れ多いです……やはり私は侍女としてフローラ様たちに付き従います」
これは本当にそうだと思っている。
母が離婚をしないで子爵のままでいたとしても、爵位が低いので王宮から夜会などの招待状が届くことはなかった。それこそが派手好きな母が離婚をしたい理由のひとつだった。父は王宮勤めの文官だったが、重要な大役ではなかったと思う。
フローラ様がコルセットで締め付けられ、苦しそうな……苦しい顔をしている。何であんなにぎゅうぎゅうに締め付けるの、と見てる方がハラハラしてしまう。
今日のフローラ様のドレスは薄紫色がベースカラーだ。
「リリー、今日はわたくしのドレスを貸してあげるから、あなたも参加するのよ」
フローラはリリアナに笑顔を向ける。
突然に部屋のドアが開け放たれた。
「おい、誰だ!! 出しておいたドレスを勝手に仕舞い込んだ者は!!」
セドリックが水色のドレスを片腕に掛け、怒鳴りこむ。
「坊っちゃま、そのドレスは亡くなった奥様の物です! フローラ様がお召しになるならまだしも、まさか小娘に!?」
イジーヴァがリリアナを睨みながら異を唱える。
「イジーヴァ! お前が元の場所へ戻したのか? そうなのか!?」
「……はい、私が元の場所へ戻しました」
セドリックの追求にイジーヴァが自らの行いを認める。
「……このドレスは母の物であったが母が亡くなった今、これは侯爵家の持ち物だ。誰が着ようが、俺がいいと許可している」
セドリックはイジーヴァの顔を見ながら冷たく言い放つ。イジーヴァはわなわなと震えていた。
セドリックはリリアナを見つけると前に歩み寄り、ドレスをそっと手渡す。
「リリー、今日はこのドレスを着て欲しい」
そういうと、セドリックは口角の端を少し上げる。
「……はい」
リリアナの返事を聞くと、セドリックは部屋から退室した。
「リリー、急いで着替えなきゃね。手伝うわ」
メリッサがリリアナの肩をポンと叩く。
「……コルセットはきつく締めないから安心して」
「ありがとう、メリッサ……」
セドリックに渡されたドレスの色は、セドリックやフローラの瞳と同じ空色をしていた。
(元の持ち主の奥様も、侯爵様からこのドレスを贈られたのね)
ドレスの袖に腕を通し、丈を調整してもらう。
「……よし! 次は髪型を整えるわよ」
髪の毛を丁寧に梳かし、うなじを出してアップにし、横髪は耳が隠れない程度に下ろして、飾り花を着けてもらう。
「わっ! もうこんな時間!! ここから帝都まで馬車で1時間以上掛かるんだからもう出発しないとダメよ!」
メリッサがドアを開けると、セドリックの吃驚した顔がそこにあった。
「……あ、セドリック様……! リリーの準備は出来てます!」
「あ……ああ、ではリリー、行こうか」
セドリックは式典などでの礼装用の黒い軍服を身に纏う。
その胸元には褒章のバッジが2つ並んでいた。
(褒章が2つも……セドリック様はすごいお方なのかしら? そういえば私……セドリック様のこと、何も知らないわ……)
リリアナとセドリックは、馬車に乗っている間に暇だからと、フローラに散々からかわれたのは云うまでもない。
そして、皇宮に着いた時には出席者がほぼ入場した後らしく、受付は閑散としていた。
「少し……遅かったようですわね、お兄様」
「そのようだな……だが、まだ会は始まっていないみたいだ。リリー、俺の腕から離れるな」
「……はい」
会場に入ると、煌びやかで豪奢な装いの貴族たちに圧倒され、リリアナには驚きの連続だった。
(こんなすごい世界があったなんて!!)
「お兄様、わたくしは学園の友人にエスコートしてもらいます。お2人で自由になさってくださいな」
フローラは学友の輪の中に入っていった。
「セドリック! とうとう婚約したのか?」
セドリックの同僚であろう、同じ礼装軍服姿の男性がセドリックに絡む。
「婚約はまだしてない」
「リリーです。お初にお目にかかります」
リリアナは淑女の礼をする。
「……かわいい……かわいいじゃねーか! どこで拾ったんだ!」
「犬猫を拾った訳ではないんだぞ」
ふと、会場を見回すと、参加者たちを高い位置から椅子に掛けて眺めている皇帝陛下と皇后陛下、皇子たちの姿がそこにあった。
(ヨハネス皇子!!)
リリアナは過去の出来事を思い出すと、途端に気分が悪くなった。
「どうした、リリー? 顔が真っ青じゃないか」
セドリックに伴って長椅子に座らせてもらう。
「待ってろ、水をもらってくる」とセドリックがその場から離れようとするのを、腕を引っ張って止める。
「……一緒にいてください、セドリック様……少し休めば、大丈夫ですから……」
「……リリー」
セドリックは自身の肩にリリアナをもたれさせる。
コツコツと数名の靴音がこちらに近づいてくる。
その音はリリアナとセドリックの前でピタリと止んだ。
「楽しんでおるか? セドリック・ロックウェル第一騎士団第二班班長殿」
「ヨハネス皇子……今宵はお招き頂き感謝致します。生憎、連れ合いの気分が優れないため、掛けたままで失礼します」
「気にするな、そなたの大事な者であろう」
(何度聞いても嫌になる……ヘビのような声……)
「そなたの活躍はこちらにも聞き及んでおる。ルーデンベルク王国への奇襲は槍術使いのそなたが先導したと」
「恐れ入ります」
(な……に? 何の話をしてるの?)
「辺境の砦であるべき場所を守れず犬死にした者が多かったらしいな」
「武器を持たない者ばかりでした」
「私はあの時、赤い瞳の美しい娘を手に入れたが、逃げられてしまった」
「……赤い瞳?」
「そなたの連れ合いと同じような瞳、いや……本人だな私のリリアナよ」
セドリックとヨハネス皇子が私に視線を向けるが、慌てて目を逸らす。
(バレて……いる!?)
リリアナはそうっと薄く目を開き、ヨハネスの姿を捉える。
ヨハネスはリリアナの顎を掴み、蛇のような顔を近づける。
「セントアルカナ公国へ戻ったはずであろう、お主が何故ここにいる?」
「……リリー、ヨハネス皇子の言っていることは本当なのか?」
「……本当です……私からもセドリック様にお聞きしたいことがあります」
リリアナはセドリックの瞳を見るのが辛かったが、こらえながら声に出す。
「ルーデンベルク王国への奇襲の際に、武器を持たない領民の胸を槍のひと突きで仕留めたのは、セドリック様、あなたなのですか?」
「知ってどうする?」
「教えてください!」
「……セドリック・ロックウェル第二班班長が率先して領民を殺して回った、という報告を私は受けている」
「──ヨハネス皇子!!」
リリアナの目からボタボタボタと大粒の涙が零れ落ちる。
「……私の家族を殺したセドリック様は……私の仇です……殺したいほど…憎い……!!」
涙を蓄えた赤い瞳には怒りがこもり、リリアナの唇はぶるぶると震えていた。
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