私は自分のやりたいように生きるのよ、婚姻はあなたへの従属契約ではないのだから。
長編に引き伸ばす気はないので、すっきりと読めると思います。
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「なぁ、いい加減事業は誰かに引き継いで落ち着かないか?」赤毛できれいな翡翠色の瞳をした王子様は私に言った。もう今月だけで3回は聞いた話だ。まだ2週目なのに。
「何度も言っているけれど、私は自分が立ち上げた事業を誰かに譲る気はないわよ」私は毅然と否定する。同じ台詞を何度も言ってきたせいで、まるで舞台俳優のような完璧な滑舌で発話できるようになってしまった。
「なぁ頼むよ、次期国王の妻が王宮の外でいつまでも好き勝手に商売してるなんて、僕の体面がさ」
私たちは現在、宮殿の寝室にあるソファーに並んで座っている。外は疾うに暗くなっている。
「そんなの気にしなければいいのよ」私は応える。「女性が男性の背中に隠れる時代はもう終わりを迎えようとしているの。その証拠に、《活動的な女性》をコンセプトにした私のブランドは国内だけでなく国外でも受け入れられているわ。それに、一部の立憲国家では普通選挙といって一般女性も政治に参加ができるの。この国もじきそうなるわ」
私の名前はガブリエラ・シャノワール。大陸の西端にあるシャノワール魔導王国の第一王子、ルシアン・シャノワールを夫に持っている(年齢は私が3つ上だ)。旧姓はコネイル、実家は公爵家であり父は国務大臣を務めている。ルシアンと婚姻する以前、私は父と懇意にあった商会と提携しファッションブランド『アナンシエーション』を立ち上げた。先述した《活動的な女性》をコンセプトに自身の魔法で伸縮性に優れた合成繊維を開発し、それを生地にした新しいスタイルを幾つも提案してきた。それまでロングスカートしかなかった女性の選択肢に、ミニスカートや男性と同じパンツルックを追加した。私自身幼少から外遊びが好きで、よく男性に交ざってハンティングやスポーツを嗜んできた経験がそこに織り込まれている。旧来の女性の定型的なスタイルは実に窮屈だった。同じ思いを抱いている女性はたくさんいるはずだ。私のその目論見は見事的中した。私のブランドは飛ぶように売り上げを伸ばし、大陸全土にまで浸透したのだ。いまでは私と似たコンセプトの別ブランドも多数登場し、女性のファッションはいまや爆発的な進化と多様性の渦中にある。それは同時に、女性の自立のアイコンにもなっているのだ。
「普通選挙がある国でも王室は変わらず存在している。そして、それらの国では実務の多くが一般国民の手に委譲された代わりに国家の象徴としての姿がより王室に求められるようになっている。一般国民、一般女性が自由に政治参加できる国がいいのなら、なおのことガブには王室の人間としての振る舞いを考えてもらわないと」
いつものルシアンならとっくに諦めてくれるのに、今日は未だ引き下がってくれないようだ。きっと誰かに相談して、何かしら入れ知恵でもされたのだろう。
「あら、そんな私でもいいから結婚してくれと懇願してきたのはルシアンじゃないの」私は試しに話をそらしてみる。
「そ、そうだけどさ、実際に次期国王が現実を帯びてくるとねぇ」ルシアンは応える。「王子として様々な集まりに出ると、周りは皆自分の妻を連れたりしているのにガブは自分の仕事優先でほとんど付いてきてくれないからよく言われるんだよ、自分の奥さんも御せない人間が国を治められるのかって、冗談交じりに。それが僕の中では日に日に深刻な問題になっているんだ」
「それは自分は家内をしっかり操縦できていると勘違いしている憐れな殿方の戯言に過ぎないのよ。本当は自分が操縦されていることに気付かないお馬鹿さんなの。惑わされてはいけないわ」
「でもさ「それにね」私はルシアンの言葉を遮る。「本当に私が必要な時は、仕事よりルシアンのことを優先してるじゃない。私は自分の仕事と同じくらい、うんうん、仕事よりもルシアンの方が大事なの。でもだからといって仕事を全てほっぽりだしてしまうと、きっとあなたが好きになってくれた私では無くなってしまう気がするの。だからね、多少のことは見逃して欲しいな」
「ううん……」ルシアンのなんだかんだ押しに弱いところが、私は好きだ。
ああああああああ。突如、寝室内に赤ん坊の泣き声が響いた。
「あらあら、もうルシアンの不安がダミアンにも移っちゃたじゃない」
私は立ち上がり、寝室の1台の大きなベッドの隣にある木組みのベビーベッドから泣きじゃくる赤ん坊を抱き抱えた。男の子だ。私とルシアンの子。翡翠色の瞳なんて瓜二つだ。
「うんうん、ああ、お腹がすいたのね」私は速やかにダミアンに乳房を含ませた。いま私が来ている室内着も私がデザインしたものだ。ゆったりとした黄色のシャツワンピースで、前のボタンを開けると容易に授乳ができるようになっている。
授乳中の私を眺めながらルシアンは言った。「ガブはすごいね」
「あら、今度は誉めちぎり作戦かしら」
「今日はもう諦めたよ。いまのはただの純粋な気持ちさ」ルシアンは言う。「貴族や王族なんて子育てを乳母に任せっきりにするのが普通なのに、僕の時もそうだった、でもガブは外で仕事をしながら子育てもしっかりしている」
「ダミアン、お父さんはあなたに焼きもちを焼いているみたいよ」ダミアンはどうでもいいよと言いたげな無反応で、乳を吸い続けている。
「私はただ自分のやりたいことをやっているだけよ」私は言う。「私を規定できるのは、私が私の意思で何をしているかだけなのよ。コネイル公爵家の令嬢であること、王国の第一王子の妻であることではまるで不十分なの。ダミアンを大事に育てて、『アナンシエーション』を通して世の女性に勇気と活力を与えながら、ルシアンを世界で1番愛すること。それがガブリエラ・シャノワールという人間をかたち作っているのよ。従属じゃなく、能動こそが肝腎なのよ」
「――分かった、もう仕事をやめて欲しいなんて金輪際言わないよ」ルシアンは言った。「僕はそういうガブだから好きなんだって、改めて身に染みたから」
ダミアンは満腹になるとまた眠りについた。私たちもそろそろ眠る時間だと同じベッドに入った。
掛け布団を被ってしばらくしてから、私は隣のルシアンに声をかける。「ねぇ」
「どうしたの?」
「さっき、私は自分の事業を誰にも譲る気はないって言ったよね」
「そうだね」
「実は譲ってもいいかなって人が1人だけいるの」
「それは誰なんだい?」ルシアンは純粋にその人物に興味があるようだ。
「随分先の話になるけどね。もし私たちの娘が興味があるのなら、是非引き継いで欲しいいなって」
「僕たちの娘、ねぇ」
「そう、だから、ね」私はルシアンの唇に、そっと人差し指を置いた。