この行き場のない怒りに終焉を(5)
◇
「引っかかると思ったよ。第三王子は良くも悪くも純粋だからな」
胸から黒い血を垂れ流す黒くて大きな蛇──第三王子を見つめながら、サンタは意地の悪い笑みを浮かべる。
「俺の心器を破らせたのも、先代聖女の力を借りたのも、万策尽きた感を出したのも、そして、魔王と手を組んだのも、全部この状況を作り出すためだ」
「サンタ……クロース……!」
眼球から憎悪の匂いを放ちながら、第三王子は親の仇を見るような目でサンタを睨みつける。
『彼』は息を荒あげながら、口から黒い血を吐き出すと、憎々しいと言わんばかりの声色で疑問の言葉を絞り出した。
「なんで、……いや、どうやって魔王と手を組んだ……!? 貴方と魔王は敵同士だった筈……!」
「だから、お前は坊ちゃんなんだよ。全ての事象が白と黒で分けられると信じている」
持っていたハンドベルを握り締め、サンタは先代聖女に視線を送る。
サンタの視線を感じ取った先代聖女は魔力を練り上げ始める。
私達が逃げようとしている事に勘づいているんだろう。
第三撃王子は苦しみながら、私達を睨み、攻撃を繰り出そうとする。
「────奇跡謳いし聖夜の恩寵っ!」
だが、第三王子よりもサンタの方が圧倒的に速かった。
光り輝く吹雪が私達と第三王子の間に雪崩れ込む。
光り輝く吹雪が吹き荒れる所為で、第三王子の姿が見えなくなる。
吹雪が私達と第三王子の視界を覆い尽くす。
「あばよ、第三王子」
視界がぐにゃりと歪む。
先代聖女の心器が私とサンタの身体を此処から引き離す。
「サンタ、…….クロォオオオオスぅぅ!!」
第三王子の叫び声が聞こえてくる。
鼓膜を揺るがす彼の叫びは呪詛のような響きを持ち合わせていた。
◆side:現国王
「星……屑のような目だな」
つい星のような目だと言ってしまいそうになった。
私の前に現れた聖女見習い──エレナを見て、つい本音を口遊みそうになる。
私にとって彼女の存在は衝撃的だった。
あの女の子どもが、いや、私達の子どもが、私の前に現れると思っていなかったから。
星のように煌めくあの眼を、もう一度見れると思っていなかったから。
「もし貴様が聖女になれたのなら。その時は『星屑の聖女』と名乗るがいい。貴様にはそれがお似合いだ」
あの女と同じ眼をした少女は『はい』と呟く。
彼女の眼には私の姿が映っていなかった。
◇side:現国王
聖クラウスと聖女エレナの姿が消え失せる。
私と傷ついた王族貴族数十人、そして、黒くて大きな蛇みたいな化物が、この場に残り続ける。
悔しそうに憤る黒くて大きな蛇を横目で眺めながら、私は思う。
一度しか見てくれなかった、と。
「くそっ……! あの男……! サンタクロースっ……! よくも、よくも僕を騙して……! 本当、嘘つきはダメだ……! あんな男、ミス・エレナの横に相応しくない……!」
駄々を捏ねるように黒くて大きな蛇みたいな化物は悔しがる。
そんな化物の様子に構う事なく、私は呆然とする。
聖女エレナが私を置いて逃げた事実に強い衝撃を受ける。
「……まあ、いいでしょう。この浮島の核は手に入れた。第一王子達が目覚めても、強さの純度を維持でき……あぁ……!」
黒くて大きな蛇が情けない声を上げる。
彼が見たのは、空間の中心。
濁った色をした巨大な岩石──この浮島の核を見て、黒くて大きな蛇みたいな化物は奇声を上げる。
ひび割れた浮島の核を見て、化物は駄々を捏ねる子どものような声を発し始める。
「い、いつの間に……!? 僕は警戒していた筈だ……! なんで、なんで浮島の核にヒビが……!? コレじゃ、あと数日で浮島が……この浮島の大地が朽ちて無くなってしまう……!」
取り乱す化物の姿を見ても、私は何も思わなかった。
聖女エレナが私を見てくれなかった。
あの星のように煌めく眼で私を見つめてくれなかった。
その事実に私はショックを受け──
「……いや、まだ魔王が生きている。魔王を浮島の核に加工すれば、この浮島は延命できる」
化物のデカい独り言が私を現実に引き戻す。
気がつくと、私は黒くて大きな蛇を見つめていた。
何で見つめたのか分からない。
気がついたら、視線がそちらの方に向いていた。
「そのためにはミス・エレナを取り戻して、サンタクロースを殺さなければならない。でも、サンタクロースは僕の裏の裏を突いてくる……となると、僕は裏の裏の、そのまた裏を突く必要が……」
「……お前は、一体何者だ?」
意図していない言葉が口から出る。
無意識の疑問が私の首を締め上げる。
「僕は、アナタ達ですよ」
致命的だった。
口を開くべきじゃなかった。
自分がどうしようもなく詰んでいる事を肌で感じ取る。
明瞭な破滅が私の喉仏に手を置いた。
「僕は、俺でもあり、私でもあり、アタシでもあり、ボクでもあり、被験体一〇三八号でもあり、一〇三九号でもあり、貴方が愛した一〇四〇号でもあり、そして、国王でもある」
地面から湧き出た黒い水が私の右腕に触れる。
「僕は貴方達の無意識によって生じたものですよ。貴方達が無意識の内に終わりを望んだから、僕という自滅装置が完成した。それだけの話です」
「私が破滅を望んだ……だと? 嘘だ、私は生きたいと願っている……!」
王に相応しくない情けなくて無様な声が、私の口から漏れ出てしまう。
「ええ、そうですね。少し前の貴方は自滅を望んでいませんでした。現状維持……いえ、魔王が現れる前の生活を望んでいる。あわよくば、その時以上の生活を求めている。だから、僕という存在が降誕したんです」
右手に絡みついた黒い水が心身に染み込み始める。
その瞬間、骨の軋む音が私の右手から聞こえてきた。
「貴方は統治者であるにも関わらず、弱者に犠牲を強いた。『青い石』を造るという名目で浮島中の浮浪者や孤児をかき集め、被験体の命を雑に消費した。被験体の行き場のない怒りが、僕/私/俺/ワタシという自滅を引き寄せ、貴方の破滅を呼び寄せた」
「ひ、被験体を集めたのは、この浮島の大地を延命させるためだ……! そのために、私は……」
「僕は貴方の無意識も内包している。だから、分かるんですよ。貴方が浮島の核の延命を重要視していない事くらい。王族の生活水準を上げるため、青い石というエネルギー源を造ろうとした。違いますか?」
「ち、違……私は……!」
「嘘つきは泥棒の始まりですよ」
唐突だった。
私の右腕が歪む。
人の形を忘れる。
歪み、曲がり、膨らみ、私の右腕が見るに耐えない醜い前脚に成り果てる。
「今の貴方は終わりを望んでいる。ミス・エレナに見捨てられたという事実が、貴方に自滅願望を宿らせた。違いますか?」
痛みはなかった。
まるで土を捏ねるかのように、私の右腕が変貌する。
歪み、曲がり、膨らみ、変わり果てる。
不可視の力が私の腕を捏ねる度、私の口から今まで出した事のない声が漏れ出てしまった。
「何を叫んでいるのです? 痛みはないのでしょう?」
痛みがあった方がマシだった。
痛みがあった方が、この現実から眼を背ける事ができた。
目に見えない力によって腕を捏ねられる現実を、自分の身体が変わっていく瞬間を、直視せずに済んだ。
「た、たすけ、たすけ、……誰か、たす……!」
王に相応しくない情けなくて無様な音が次々に漏れ出る。
そんな私に追い打ちをかけるかの如く、不可視の力は右腕だけでなく、両脚や胴体も捏ね始めた。
「騎士……! 騎士はいないのか……!? 先代聖女……! 第一王子……! この際だ、誰でもいい……! 私を、わたしを、助け……!」
助けを求める。
だが、私の周りにいるのは傷ついた王族貴族のみ。
十字架に架けられた血だらけの彼等は私の言葉に耳を貸してくれなかった。
「大丈夫です。貴方の身体を加工しているだけです。サンタクロースを確実に殺すには、頭数が必要ですからね。貴方には尖兵として活躍して貰います」
身体が膨れ上がる。
両脚が後脚になり、前脚と化した両腕に筋肉が纏わりつき、尾骶骨から蛇のような尾が生える。
内臓も変わっているのか、身体の中で何かが蠢く度、吐瀉物が私の口から飛び出す。
「や、やめ……! 私の身体を変えない、……うぼえっ!」
「いつまで国王気取りですか、父上。もう貴方は使い潰されるだけの駒なんですよ」
一瞬、ほんの一瞬だけ、私は黒くて大きな蛇のような化物を見る。
化物の姿に息子──第三王子アルフォンス・エリュシオンの姿を見出してしまう。
なぜ化物の姿に息子の面影を見出してしまったんだろう。
そんな事を考えていると、不可視の力が私の両頬を押し潰す。
頭蓋骨がぐにゃりと歪み、私の眼球がびろんと飛び出る。
「やめろ、……! 顔だけは……顔だけはぁぁあああ……!」
命乞いをする。
助けてくれと懇願する。
だが、化物は私の声に耳を貸してくれなかった。
冷めた眼で、褪めた眼で、覚めた目で、私を見つめる。
終わりゆく私を淡々と見つめ続ける。
「たすけ、おねが……、たすけ、たすけ、……たすけてぇ! ママぁぁあああ!!!!」
視界がぐにゃりと歪む。
最期に私が見たのは、星のように煌めく瞳で明後日の方向を見つめるエレナの姿と、
──『ざまぁみろ』と呟く売女の姿だった。
 




