命と失望と笑み
◆side:イザベラ
星空を映し出す湖面の上。
頭上で激しく瞬く星々と地平線の彼方まで広がる湖しか存在しない敵の心器の中で、私はサンタクロース──本物のセント・A・クラウスと言葉を交わす。
「必要悪がエレナを必要としているのか、それとも自称クラウスがエレナを欲しているのか、どっちかは分からなねぇが、手を打っておいた方がいい事には違いねぇ。──だから、先代聖女。エレナを守るため、力を貸してくれ。あんたの力が必要だ」
サンタクロースに抱いていた敵意が少しだけ薄れる。
エレナが狙われている。
その事実の所為で、私は──わたしは戸惑いを抱いてしまう。
でも、戸惑いを抱いたのは一瞬だった。
何故なら今の私は黒い龍──必要悪の僕だから。
「……私は黒い龍──貴方が言う必要悪から力を分け与えて貰っています」
「大丈夫だ。あんたを生き返らせる事はできねぇが、あんたを別のモノに加工できる。もし力を貸してくれるんだったら、その異形をどうにかしてやる」
私の言いたい事。
今の私が置かれている状況。
それらを的確に理解した上で、サンタクロースは言葉を紡ぐ。
『エレナを助けるんだったら、先代聖女を救ってやる』と告げる。
「……貴方の要求を呑んだ場合、私はどうなるんですか」
「逃げられない状態になるだろうな」
それを聞いて、わたしは口を閉じてしまう。
視線を下に向けてしまう。
無意識だった。
無意識のうちに私は──わたしは逃げようとしていた。
「なぁ、先代聖女。あんたは何で魔王と手を組んだんだ?」
「………」
答えられなかった。
魔王と手を組んだ理由。
絶対的な善になれないから、絶対的な悪になろう。
そんな理由で手を組んだような気がする。
けど、本当にそんな理由で手を組んだのだろうか。
わたしは何故魔王と手を組んだのだろうか。
分からない。
頭も気持ちもグチャグチャになっていて、自分が何を考えているのか分からない。
「この浮島の民やエレナだけでなく、魔王も助けたいと思ったから、魔王と手を組んだんじゃないのか?」
分からない。
自分が何を考えているのか分からない。
私は、わたしは、何で今ここにいるんだろう。
「先代聖女。お前さんが求めている答えは未来にある」
サンタの右掌が私の視線を引き寄せる。
私ではなく、『わたし』に差し伸べられた手が動揺を生み出す。
この手を取っていいのかどうか、わたしには分からなかった。
「その答えを得られるのは、明日かもしれない。明後日かもしれない。一年先かもしれないし、もしかしたら百年先かもしれねぇ」
「……わたしに長生きしろと?」
「命と向き合えって言っているんだよ」
悪戯っ子を諭すような優しい口調で、彼は『わたし』の目を見つめる。
見るに耐えない異形と化した私の姿が、今にも泣き出しそうな『わたし』の姿が、彼の瞳に映し出されていた。
「人を知れ、世界を識れ。思考を止めるな。常に最善を追い続けろ。そうすりゃ、いつか求めている答えと巡り会えると思うぜ」
そう言って、彼は変わり果てた私の腕を掴む。
『わたし』の目を見つめる。
それを見て、わたしは思った。
心の底から思った。
『コレをエレナにやるべきだった』と。
◇
「ああ。どう足掻いても、今の『必要悪』には絶対勝てねぇからな」
サンタが奥の手として用意したものは、『トナカイの置物』だった。
ちょこんと頭から生えてた角。
つぶらな瞳。
赤い鼻。
はるか昔、王都の美術館で見たトナカイの絵画を思い出す。
あの時に見た絵画とは違い、目の前にあるトナカイを二頭身にしたような置物は非常に可愛らしかった。
「ミスター・サンタクロース。コレが貴方の奥の手ですか?」
「いや、俺のじゃねぇよ」
サンタが黒くて大きな蛇──第三王子の疑問に答える。
その瞬間、景色がぐにゃりと歪んだ。
「──彼女の心器だよ」
可愛らしいトナカイの置物から魔力が漏れ出る。
置物から漏れ出た魔力が眼前の光景を捻じ曲げる。
目の前にいた第三王子の姿が消え失せ、私とサンタは森みたいな空間に放り出される。
「…………私の心器で必要悪を遠ざけました。逃げるなら早くしてください」
聞き覚えのある声が、嗅ぎ覚えのある匂いが、トナカイの置物から聞こえてくる。
その声を聞いた瞬間、私は動揺した。
何故なら、置物から聞こえてきたのは──
「ああ、言い忘れていた。エレナ、このトナカイの置物は先代聖女だ。お前の義母の成れの果てだ」
「人の義母に何してんの!?」
トナカイの置物から聞こえてきた聞き覚えのある声。
その正体は案の定と言うべきか、私の義母──先代聖女だった。
「この展開を予期して、予め先代聖女を俺専用の使い魔に作り変えておいた」
「人の義母を何だと思っているの!?」
サンタの口から衝撃的な事実が飛び出る。
先代聖女が『この期に及んで貴女は私を義母と思っているんですか……』みたいな事を呟いていたけど、それどころじゃなかったので無視した。
「低級の精霊に加工しちゃったから、誰かが殺さない限り、お前の先代聖女は半永久的に小さいトナカイ擬きのままだ」
「本当、人の義母に何してくれてんの!?」
「まあ、落ち着け嬢ちゃ……いや、エレナ。お前の義母が病死も老衰もできない可愛らしいトナカイ擬きになっただけだ。何も問題はない」
「あるよ! ありまくりだよ!」
「まあ、細かい事は置いといて。今最優先すべきなのは、この場からの逃走だ。第一王子達が目覚めるまでの間、『必要悪』から逃げ続けなきゃならね……ん?」
唐突だった。
足下から黒い水が湧き出る。
サンタの声が途切れる。
湧き出た黒い水が、眼前に広がる森を粉々に砕く。
あっという間だった。
あっという間に森の中にいた私達の身体は神殿出入口前に引き戻されてしまった。
「失望しました、ミスター・サンタクロース。先代聖女の未熟な心器如きで、今の僕から逃げられるとでも?」
再び眼前に黒くて大きな蛇──異形と化した第三王子が立ちはだかる。
「嘘、……だろ」
万策尽きた。
そう言わんばかりの表情で、サンタは目を大きく見開く。
トナカイの置物となった先代聖女の口から短い悲鳴が漏れ出る。
動揺する彼等を見て、私は危機感を抱くと同時に胸を高鳴らせてしまった。
「絶対に逃しませんよ、ミスター・サンタクロース。ミス・エレナに悪影響を与えた罪、その身を以て償え」
そして、第三王子は異形と化した顔面を歪ませる。
膨大な魔力を練り上げ、攻撃を仕掛けようとする。
万事休す。
絶体絶命としか表現しようがない状況下。
そんな状況下でサンタは頬の筋肉を少しだけ緩め、笑みを浮かべた。
「これで終わりです。死──」
サンタの笑みに気づく事なく、第三王子は攻撃を仕掛ける。
血走った目でサンタを睨みながら、口から魔力の塊を吐き出そう──としたその時。
何処からともなく飛んできた『藍色の炎』が、黒くて大きな蛇──第三王子の胸を射抜いた。
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次の更新は8月28日(水)20時頃に予定しております。
 




