同物同治と心器と神造兵器
◇
「あああああああ!!」
現聖女の悲鳴が辺り一面に響き渡る。
サンタクロースと一緒に瓦礫の陰から飛び出した私は、現聖女の鼻に齧り付く『彼女』の名を叫んだ。
「ジェリカっ!」
私の友人の一人である中流貴族の娘──ジェリカは、現聖女の鼻から口を離す。
現聖女の鼻には見ているだけで痛いと思ってしまう程の噛み跡が刻み込まれていた。
「……うそ」
鼻を齧るのを止めたジェリカは私の方に視線を向ける。
そして、私の姿を視界に収めるや否や、目を丸くした。
「なんでエレナさんがここに……そんな、……貴女は、」
「そこまでだ、ジェリカとやら」
いつの間にか、ジェリカの背後を取ったサンタが、彼女のうなじに何処かで拾った木の棒を突きつける。
「事情は分からねぇが、鼻を齧るのはやり過ぎだ」
突如現れたサンタと私の姿を見て、十字架周りに集まっていたオーガ達が戸惑いの声を上げる。
一方、ジェリカはというと、動じる事なく、背後にいるサンタを睨みつけた。
「……貴方は貴族の味方ですか?」
「いや、今は誰の味方でもねぇ。強いて言えば、俺は聖女の味方だ」
ゆっくり私の方に身体の正面を向けながら、ジェリカは険しい表情を浮かべる。
そして、ゆっくり息を吐き捨てた後、変わり果てた彼女と正面から向かい合った。
絹のように滑らかな長い金髪。
ぱっちりとした二重瞼の奥にある星のような瞳。
小顔で整った輪郭。
桜色の唇。
モデルのような高い身長。
ドレスの上からでも分かる引き締まった肢体。
胸元が大きく開いた黒いドレスと、そこから覗く白い肌の組み合わせが、彼女の美しさをより際立たせている。
まるで神話に出てくる女神みたいだ。
だが、尖った耳と頭に生えた一本の角、背中に生えた翼、そして、全身から放たれる禍々しい匂いが彼女を普通の人間ではない事を証明していた。
「……ジェリカ」
「お久しぶりです、エレナさん」
久しぶりに会った友人の目は嫌な匂いを放っていた。
商人と同じ匂いだ。
彼女がオーガとなった商人と同じように狂気に侵されている事を何となく理解する。
「よく私だと気づきましたね。自分でも言うのもなんですが、元の面影がないくらい変わったと思うのですが」
買ったばかりの玩具を見せるように、ジェリカは自分の美貌を私に見せつける。
満たされた表情を浮かべる彼女を見て、何て声を掛けたら良いのか分からなかった。
「やっぱり、エレナさんはちゃんとワタシを見てくれているのですね」
いつもの愛嬌のある笑みではなく、何処かトゲのある笑みを浮かべながら、彼女は背中に生えた翼を少し動かす。
見た事のない笑みだ。
彼女とはそこそこ長い付き合いだったが、こんなトゲのある笑みは見た事ない。
「どうです? エレナさん? 美しくなったでしょう?」
身も心も変わってしまったジェリカを見て、私は言葉を失ってしまう。
何て声を掛けたら良いのか分からなかった。
私は知っている。
出会った時からジェリカは自分の容姿に劣等感を抱いていた事を。
生まれ持った容姿の所為で、他の貴族達からも中流貴族である家族全員から腫物扱いされていた事を。
それでも、めげる事なく、彼女は『良い女』になるため、努力を重ねていた事を。
私は知っている。
知っているからこそ、何て声を掛けたら良いのか分からなかった。
「……」
『綺麗になったよ』なんて言葉は口が裂けても言えなかった。
今の危険な匂いを漂わせる彼女よりも、愛嬌のある笑みを浮かべた昔の彼女の方が好きだったから。
でも、『昔の方が好きだった』という言葉も言えなかった。
私の価値観を彼女に押しつけたくないと思ったから。
『昔の彼女』も『今彼女が持っている価値観』も否定したくない。
そんな身勝手な我儘を抱えながら、私は口を閉じ続ける。
「……もしかして、まだ足りないんですか?」
私が反応しない事に不安を抱いたのか、ジェリカは顔を曇らせる。
遠く離れた木の葉の揺れる音が私と彼女の間に雪崩れ込んだ。
「そう、……ですよね。昔よりかは良くなったとは言え、今の鼻は百点満点じゃないですよね。百点じゃないと、他の人はワタシを嘲笑してしまいますよね」
「……え」
なにを、言っているのだろうか。
ジェリカの思考を読み取る事ができず、動揺してしまう。
「そうですよね。今のままだと、また笑われてしまう。今のままだと、また貴女はワタシを守らなきゃいけなくなる」
もしかして、私のために彼女は綺麗になろうとしているのだろうか。
なんで?
何のために?
というか、私はそんな事望んでいない。
綺麗になろうがなるまいが、貴女が幸せだったら、どっちでもいい。
彼女に私の意思を伝えようと、口を開こうとする。
が、彼女の瞳に私の姿は映っていなかった。
「もう貴女に守られない。ワタシは今よりもっともっともっと美しくなって、貴女の隣に──」
「おい、ジェリカとやら」
ジェリカの背後にいるサンタが口を開く。
彼の言葉には怒りのような匂いが滲んでいた。
サンタに話しかけられたジェリカの顔が険しい顔になる。
彼女の身体から放たれた敵意と殺意の匂いがサンタの身体に纏わり付いた。
それに気に欠ける事なく、サンタは額から汗を溢す。
そして、声を震わせながら、疑問を口にした。
「……お前、どうやって美しくなった?」
「食べました、美しい部位を」
サンタの言葉が、現聖女の鼻を食べようとしたジェリカの姿が、私の脳を揺さぶる。
真実を知った途端、鳥肌が立っ──
「──なぁっ……!?」
土埃が舞うと同時に突風が吹き荒れる。
驚く私の声は鳴り響いた打撃音によって掻き消された。
目を見開く。
サンタが振るった木の棒を右腕で受け止めたジェリカの姿が目に入った。
「お前……! 人を食ったのか……!!」
「ええ、確実に美しくなるために」
サンタ達の激しい攻防によって突風が巻き起こる。
その瞬間、砂埃が私と十字架周りにいたオーガ達の身体に叩きつけられた。
砂埃の所為で、反射的に目を閉じてしまう。
鈍い打撃音が鼓膜を揺さぶり続ける。
何が起きたのだろう。
目を開ける。
目にも止まらぬ速さで木の棒を振るうサンタの姿と、目にも映らぬ速度でサンタの攻撃を避け続けるジェリカの姿が、私の視線を引き寄せた。
知覚できない速度で行われる攻防。
次元が違い過ぎる攻防を見せられ、私も十字架周りにいるオーガ達も、十字架にかけられた現聖女達も言葉を失う。
「ちっ……!」
一瞬で私の右隣まで後退したサンタは、折れた木の棒を投げ捨てる。
そして、何処からともなく、ハンドベルを取り出すと、渾身の力で地面を蹴り上げ──
「──心器」
悪寒が地面を蹴り上げようとしたサンタと私の動きを止める。
悪寒の源であるジェリカは邪悪な笑みを浮かべながら、膨大な魔力を身体の外に溢していた。
「──鏡面映りし我が美貌」
スイセンを纏った歪な鏡がジェリカの背後に現れる。
私達の背丈を優に超える大きさの鏡は、ジェリカの背後姿と私とサンタだけを映していた。
「──嬢ちゃん、そこから一歩も動くなよ」
今まで聞いた事のない鬼気迫った声を発しながら、サンタは私の前に躍り出る。
そして、ハンドベルを天高く掲げると、煌めく鏡を睨みつけた。
「──神威」
サンタが持っているハンドベルが淡い光を発し始める。
ハンドベルの輝きに対抗するかの如く、ジェリカの前に現れた巨大な鏡が巨面から黒い枝のようなものを吐き出す。
何が起きているのか全く分からなかった。
現状を何も把握できないまま、事態だけが進展する。
理解の範疇を超えていた。
私が割って入るには次元が違い過ぎる──!
「鏡よ、鏡。我が惑いを掻き消せ」
スイセンの花を纏った歪な鏡から無数の黒い枝が射出される。
骸の腕のような形をした歪な黒枝は、サンタの身体を蜂の巣にするためだけに、私達との間合いを詰めていく。
「────奇跡謳いし聖夜の恩寵っ!」
サンタがハンドベルを振るう。
その瞬間、白い光と黒枝が混ざり合って───
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次の更新は7月23日(日)20時頃に予定しております。