躊躇いと音と貴女の味方
◇side:魔王
同じだと思ってた。
聖女とオレは同じ道具だと思ってた。
親から与えられた役目を果たすためだけに加工された操り人形。
与えられた役目を果たす以外の機能も感情も排除された、親にとって都合の良い道具。
オレが創造主に使い潰されたように、聖女も先代聖女に聖女として使い潰される……いや、使い潰されていると思った。
思っていた。
だから、オレは聖女を助けようとした。
聖女にオレと同じ末路を辿って欲しくない。
オレは救われなかったけど、せめて聖女だけは救われて欲しい。
道具じゃない生き方をして欲しい。
そう思って、オレは聖女を助けようとした。
けど、──
「お前、一体何を考えているんだよ……!?」
──どうやらオレは聖女を見誤っていたらしい。
愉しそうにオレに挑む聖女を見て、オレは確信する。
飢えた獣のように拙い体術を披露する聖女を見て、オレは気づかされる。
自分の過ちを。
目の前にいる女は聖女とかいう高尚な存在なんかじゃない。
オレのように誰かの道具として使い潰される可哀想な存在でもない。
この女はオレが想定している程、か弱くもなければ、繊細でもない──!
(思考を今すぐ切り替えろ……! この聖女について考えるのは後だ……!)
すぐに平静を取り戻し、オレは目の前の聖女を睨みつける。
星のように煌めく瞳を持った聖女は、『ふぅ……』と艶やかな吐息を吐き出すと、一瞬だけ視線をサンタの方に寄せた。
オレも聖女と同じように地面に伏せているサンタを一瞥する。
ほんの一瞬、サンタの方に視線と意識を傾けた瞬間、聖女はオレの前から姿を消した。
(また見失って……!)
右脇腹に軽い衝撃が走る。
すぐさまそこに目を向けると、オレの身体を蹴り終えた聖女と目が合った。
(魔力で身体能力を底上げしているのは分かる……! だが、全然速くない……! サンタの方が圧倒的に速い……!)
拳を握り締める聖女の姿を目視する。
殴りかかる聖女の姿を睨みつける。
聖女の速度は、完全に力を取り戻した今のオレにとって、鈍重以外の何物でもなかった。
コレだったら、圧倒的にサンタの方が速い。
幾らオレが油断していたとしても、この速度の聖女を見失うのは絶対にあり得ない筈だ。
(なのに、何でオレは聖女を見失う……!?)
再び思考の迷路に足を踏み入れてしまう。
まだサンタが生きているというのに、オレに長考させる事が聖女の狙いである事を熟知しているのに、オレは考えてしまう。
聖女の狙い通り、思考してしまう。
(魔法を使って……いや、身体に纏っている魔力以外のモノは考えられない。となると、魔法と魔力以外の手段で速度を上げ……ああ、クソ……! 面倒臭え……!)
とりあえず、聖女を拘束しよう。
ごちゃごちゃ考えるのは後だ。
そう思ったオレは聖女を拘束するため、自らの身体を後方に転送させようとする。
「──神威」
だが、聖女はそれを許さなかった。
あの時と同じように、聖女は自分の身体諸共、オレを封印しようとする。
オレの身体も聖女の身体も、茜色の結界の中に閉じ込められる。
封印される。
そう思ったオレは反射的に転送を中断し、地面に魔力を流し込む。
地面に流し込んだオレの魔力は瞬く間に辺り一面に駆け巡ると、聖女が繰り出した結界を跡形もなく粉砕した。
(ちっ……! 完全に聖女のペースだ……!)
殺す事が目的なら、簡単に殺せる。
けど、今のオレだったら、ちょっと力んだだけで、聖女の身体が消し飛んでしまう。
それ程、オレと聖女には差があるのだ。
下手に動いたら、聖女の身体が消し飛んでしまう。
ちょっとでも力んだら、聖女の命が潰えてしまう。
(拘束したり逃げたりするのは論外だ……! 聖女が許さねぇ……かと言って、闘うには聖女が弱過ぎる……!)
「──掴んだ」
どうすれば最善なのか迷いに迷っていると、唐突に何の前触れもなく、聖女は愉しそうに頬を歪ませた。
星のように煌めく瞳を見て、オレは気づく。
いや、気づかされる。
彼女が勝機を獲得した事を。
「ちぃ……!」
このままじゃ、オレが聖女に殺されてしまう。
そう判断したオレは、即座に聖女を殺す事を選択する。
今の今まで選ぶ事ができなかった攻撃を選択する。
距離を詰める敵目掛けて、右腕を振り下そうと──したその時だった。
『──私を、助けて』
先程の聖女の言葉が脳裏を過ぎる。
オレに助けを求める彼女の言葉が躊躇いを抱かせる。
あの言葉が聖女の本心じゃない事は薄々勘付いている。
けど、もしあの言葉が聖女の本音だったら。
そんな事を考えてしまうと、躊躇いを抱いてしまう。
彼女に『お前は道具じゃない』事を証明してやりたいと思ってしまう。
彼女を心の底から助けてやりたいと思ってしまう。
殺意が、揺らいでしまう。
──それが致命的だった。
「いくよ、魔王」
オレの下に走り寄る聖女が『聖女の証』を投げ捨てる。
唯一の対抗策を手放した敵を見て、オレは目を大きく見開く。
彼女の意図を理解できず、オレは一瞬だけ困惑してしまう。
そんなオレに構う事なく、目と鼻の先まで押し迫った聖女が、両手を前に突き出した。
「……っ!?」
聖女は右掌と左掌を合わせる。
ヤツの手から鋭くて強烈な音が鳴り響く。
その音を聞いた瞬間、オレの視界も意識は真っ白に染ま──
◇
魔王の下に接近した私は、両手を前に突き出し、勢い良く右掌と左掌を合わせる。
両掌から『ぱん』という音が鳴り響いた瞬間、魔王は失神してしまった。
「思った通りだ。魔王の身体を覆う目に見えない防壁は『音』を防げない」
地に両膝を突く魔王を見つめながら、私は頬の筋肉を緩める。
「もし音を防げてたら、私と会話できなかった筈だ。でも、貴方は私の声に応えた。私と言葉を交わした」
私の声に応える魔王を見て、私は思った。
『聖女の証無しでも、音による攻撃なら通じるんじゃないか』、と。
「だから、私は強化魔術で両腕を強化した。全力で両掌を打つ事で、大きな音を鳴らした」
大きな音で魔王の聴覚を麻痺させる。
その目的で私は魔王に音撃を繰り出したが、……どうやら効き過ぎたらしい。
私が鳴らした想定外の音は魔王の意識を刈り取った。
「多分、今の魔王は……完全に力を取り戻した貴方は基本的なスペックが人間の域を超えている。魔力や腕力だけでなく、五感も超人染みていると思う。だから、私の音撃が過剰に効いた」
もし魔王が私の事を警戒していなかったら。
魔王の聴覚が人並みだったら。
私の所作に注目していなかったら。
もっといい加減なヤツだったら。
こんな音如きで気絶なんかしなかっただろう。
魔王が私を殺すつもりだったら、こんな結末を迎えられなかっただろう。
過剰に私を警戒し、過剰に私の一挙手一投足に注目し、過剰に私に想いを寄せていた魔王が相手だから、意識を刈り取る事ができた。
恐らく同じ状況・同じ条件で同じ事をやっても、この結末に陥らないだろう。
サンタが言っていた言葉──『私なら魔王に勝てる』という言葉の意味を真の意味で理解する。
「……」
右掌が軽く痺れる。
心臓が高鳴る。
サンタでさえ敵わなかった魔王を倒した。
私一人の力で倒した。
その事実に歓喜する。
生きている実感を得る。
「………っ!」
思わず右掌を握り締める。
笑みを浮かべてしまう。
歓喜、してしまう。
(ああ、やばい。これ、……)
挑戦する事の楽しさを知ってしまった。
困難を乗り越える愉しみを熟知してしまった。
もう元には戻れない。
この愉しみを知らなかった頃には戻れない。
(今、一番生きているって感じがする……!)
ようやく自分の欲求を自覚する。
自分が真に求めているものを。
多分、聖女である事に拘っていたのも、人々を救いたいとか先代聖女のようになりたいとか、そういう高尚な理由じゃなかったと思う。
きっと私はコレを得るため、聖女である事に拘っていたんだと思う。
『──命と向き合え、咎人。たとえ神が赦したとしても、私は許さない』
思い出す。
王国劇場──商人達に襲われた時の事を。
あの時、心臓の鼓動が早くなった理由を。
あの時、感じた得体の知れない感情を。
高揚感に似た何かを感じた事を。
(そうか、……あの時、私、興奮していたんだ)
私──エレナは危機的状況を求めている。
危機的状況を乗り越える事に愉しみを見出している。
聖女であり続けたのも、きっと困っている人を助けたいとか、先代聖女のようになりたいとか、そういう高尚な理由じゃなくて、『聖女だったら挑戦する機会が沢山あるから』って理由で続けていたんだろう。
商人が死んだ時も、ジェリカが死んだ時も、ヴァシリオス達が死んだ時も、私は彼等の死を悲しんでいたのではなく、『彼等を救うという挑戦を乗り越えられなかった』事実に悲しんでいたんだろう。
自らの根源的な欲求を自覚すると同時に、自分の性根が碌でもない事を理解する。
『エレナ、……お前は善良な人間じゃねぇ。どっちかというと、悪だ』
サンタの言う通りだ。
私は善というよりも悪側の人間だ。
みんなの幸せよりも、みんなが危機的状況に陥る事を願っている。
みんなの笑顔よりも、みんなが苦しんでいる状況を望んでいる。
平和な世界よりも荒廃した世界に愉しみを見出して──
「お見事、聖女」
視界がぐにゃりと歪む。
気がつくと、私の身体は神殿前で立ち竦んでいた。
サンタも魔王の姿も見当たらない。
真っ黒に染まった空。
浮かぶ固形化した極光。
神殿を取り囲む無数の木。
そして、私から少し離れた所で立ち尽くす老男。
それ以外のものは一切見当たらなかった。
「貴女の活躍、しっかりこの眼で見させて貰いました」
傷み一つない艶のある白髪。
爬虫類を想起させる真紅の瞳。
十人中十人が見惚れる整った顔は皺だらけで、挑発的な笑みを浮かべる口元には深いほうれい線が刻まれている。
黒い祭服を着込んだ身体は、骨と皮だけになっており、ティーカップの取手に絡めている指は見るに堪えない程、皺くちゃになっていた。
所作、雰囲気、そして、態度。
目の前にいる老人の身体から漂う匂いが、私に事実を突きつける。
──この老人はサンタだ、と。
皺くちゃだけど、いつも私の隣にいるサンタと同じだ。
サンタよりも年老いているけど、雰囲気も態度も匂いも全部同じだった。
「……貴方が私を呼んだの?」
「ええ、そうです」
何処かで見た事のある柔らかい笑みを浮かべながら、老男は声を発する。
そして、私の姿をじっと見つめると、老男は自らの名前を口にした。
「はじめまして、聖女の責務を担う者。僕の名前はクラウス。セント・A・クラウス。──貴女の味方です」
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方、そして、新しくブクマしてくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
今回のお話で5章はお終いです。
次回から6章(=最終章)を始めます。
まだ完結まで時間かかると思いますが、ちゃんと最後まで更新していきますので、お付き合いよろしくお願い致します。
次の更新は5月18日20時頃に予定しております。




