星天と湖と大きな袋
◇
「──心器」
サンタの呟きが地面に穴を開ける。
気がつくと、私もサンタも先代聖女も穴の中に誘われていた。
重力が私達の身体を引き摺り下ろす。
ほんの一瞬だけ、視界が真っ黒に染まる。
だが、落下したのも視界が真っ黒に染まったのも、一瞬だった。
「………」
麻痺していた私の視界が元の状態に戻る。
先ず目にしたのは、星空を映し出す湖面の姿だった。
地平線の彼方まで広がる湖が、頭上で激しく瞬く星々が、私と先代聖女を圧倒する。
この光景は一度見た事がある。
以前、巨大化した犬の化け物──元騎士から逃げる時に見たものだ。
あの時も私は穴に落ち、この星天と湖を目視した。
空と湖からサンタの匂いが漂う。
その匂いを嗅いで、私は確信した。
この光景こそがサンタの心器である事を。
「──『恵まれぬ者に金塊を』」
抱き抱えていた私の身体をゆっくり下ろしながら、サンタは視線を前に映す。
私達から少し離れた先には化物が立っていた。
緑に染まった肌。
ドブみたいな色をした鱗に覆われる両腕。
膨張した胴体によってビリビリに引き裂かれた衣服。
私の太腿よりも長くて太いトカゲのような尾。
丸太みたいに太い両脚。
歳を経ても尚、美しさと気品を兼ね備えていた顔は爬虫類を想起させるものに成り果て、大きく裂けた口から牙のようなモノが生え出ている。
異形の瞳は狂気によって歪んでおり、何処からどう見ても化物にしか見えなかった。
「◾️◾️◾️◾️……!」
異形が雄叫びを上げる。
異形から微かに漂う理性の匂いが、『アレが先代聖女の成れの果てだぞ』と囁く。
鼻腔を貫く禍々しい匂いを認知しながら、私は眉間に皺を寄せる。
『義母のあんな姿、見たくなかった』という本音が口から溢れそうになった。
「この心器は武器でも防具でもない。ただの袋だ。敵の息の根を止めるどころか、人を傷つける事さえできない」
異形と化した先代聖女が動き始める。
獣染みた咆哮を上げながら、煙のように姿を消す。
サンタはゆっくり私の前に躍り出ると、淡々と自分の手の内を語り続けた。
「自らの心象世界を袋状に加工しただけのものだ。袋以上の役割を果たす事なんてできねぇ。モノを出し入れするので精一杯だ。息絶えるまで生き物を心器の中に収めるみたいな芸道さえできねぇ」
そう言って、サンタは指を鳴らす。
その瞬間、空から異形と化した先代聖女の巨体が降り落ちた。
「◾️◾️……!?」
目を大きく見開きながら、変わり果てた先代聖女の身体が湖面に叩きつけられる。
それと同時に、私達を閉じ込めていた鳥籠が消え、星空と湖面が再び私達の前に躍り出た。
「だが、袋の中にある『モノ』なら自在に出し入れできる」
先代聖女の身体が消える。
上空から先代聖女の匂いを感じ取る。
空を仰ぐと、先代聖女の姿を目視した。
目を大きく見開いたまま、落下し続ける先代聖女を見て、私は確信する。
この心器にいる限り、生物も『モノ』として扱われる事を。
「逃げたきゃ、いつでも逃げていいぞ」
再び湖面に叩きつけられる先代聖女を見下ろしつつ、サンタは表情を強張らせる。
先代聖女は憎悪を瞳に秘めたまま、サンタを睨みつけた。
「心器から逃げられるんだったらな」
サンタの身体から余裕──ではなく、焦りの匂いが滲み出る。
優勢であるにも関わらず、サンタから余裕というものを感じ取れなかった。
心の中で冷や汗を流すサンタを見て、私は理解する。
『心器は決定打にならない』事を。
「◾️◾️◾️◾️……っ!!」
先代聖女の成れの果てが雄叫びを上げる。
その瞬間、数多の星によって彩られていた空が、地平線の彼方までは広がっていた湖が、真っ黒に染まる。
地面も空も地平線の彼方も黒一色になってしまう。
「なるほど。俺の心器の中でも、ヤツは心器を使えんのか」
闇に飲まれた訳じゃないのだろう。
世界は黒一色に染まったけど、サンタの姿も自分の身体も視認する事ができた。
けど、異形と化した先代聖女の姿は何処にも見当たらない。
敵の匂いを探り出そうとする。
その瞬間、サンタの右肩から血が噴き出た。
「サンタ……!」
怪我を負ったサンタの下に駆け寄ろうとする。
その瞬間、私の鼻はヤバイ匂いを感知した。
屈み込む。
屈み込んだ途端、不可視の攻撃が私の頭上を通り過ぎた。
「エレナ、気をつけろ。先代聖女に対する敵意や殺意が強ければ強い程、敵の攻撃がより強く速いものに成り果てる。なるべく敵意や殺意を発しないようにしろ」
そう言って、サンタは指を鳴らす。
その瞬間、彼の足下から現れた『何か』が、黒に覆われた地面を穿つ。
「──神威」
サンタの足下から棒状の『何か』は槍だった。
シンプルな装飾が施さた、白を基調とした細い槍。
それがサンタの手中に収まる。
「──聖夜を駆ける我が僕」
細くて白い槍の鋒から光が放たれる。
槍の鋒から放たれた白い光の球体は、天を穿つかのように浮上すると、世界を真っ白に染め上げた。
細くて白い槍の鋒から光が放たれる。
槍の鋒から放たれた白い光の球体は、天を穿つかのように浮上すると、世界を真っ白に染め上げた。
眩い白い光が世界を照らし上げる。
黒に覆われていた空と地面が色を取り戻し、姿を消していた異形──先代聖女が姿を現す。
彼女は私達から数十歩程離れた所にいた。
「ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドンダー、ブリツェン」
サンタが持っていた細くて白い槍が分裂する。
一本だった槍は瞬く間に八本の槍へと変貌し、サンタの手から離れる。
八本の槍は宙を掻い潜るように飛翔すると、異形と化した先代聖女の身体に突き刺さる。
ダメージが入っていないのか、彼女は悲鳴を漏らすどころか、苦痛で顔を歪める事さえしなかった。
「駆けよ、翔けよ、架けよ、聖なる夜に我が懐は潤う」
先代聖女の身体に突き刺さった八本の槍が形を変える。
白い縄のような形になり、異形となった先代聖女の四肢を縛り上げる。
「──我が驕りが聖夜を乱す」
頭上で瞬いていた星々が地に堕ちる。
地に墜ち始めた星々を見て、私はようやく気づく。
頭上で瞬いていた星々が、星じゃない事を。
「──我が過信が秩序に爪を立てる」
私が星だと思っていた武器の大群が隕石の如く降り注ぐ。
数えるのがアホらしくなる程の数の剣が、無数の槍が、数多の矢が、四肢を縛られた先代聖女の身体に射し当たろうとする。
だが、先代聖女の身体に無数の武器が当たる直前、彼女の身体は煙のように消えてしまった。
「──神威」
姿を消した敵に構う事なく、サンタはいつものハンドベルを取り出し、煙のように消えた筈の先代聖女を心器の力で引っ張り出す。
そして、自らの目の前に現れた先代聖女目掛けて、サンタはハンドベルを振るった。
「────奇跡謳いし聖夜の恩寵っ!」
光り輝く吹雪が異形と化した先代聖女の身体を襲う。
彼女は野太い悲鳴を上げると、眩い光を放つ吹雪と共に天高く浮上した。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は3月23日(木)22頃に予定しております。
もしかしたら、次の更新までに前回のお話と今回のお話を書き直すかもしれません。
もし書き直した場合、最新話の前書きで告知致しますので、これからもお付き合いよろしくお願い致します。




