停滞と自分の命とエレナ
◇
「多分だけど、先代聖女は『これ以上』逃げられないと思う」
地平線の彼方まで広がる黒い空と砂の海が、私達の周りを取り囲む。
多分、この心器──先代聖女の切札は、私達の感情……いや、意思に反応しているのだろう。
『追う』という意思を捨てた途端、攻撃がピタリと止んでしまった。
「あん? これ以上、逃げられない? 一体、どういう意味だ?」
「もし逃げられるんだったら、とっくの昔に逃げていると思う」
「おい、嬢ちゃん。言葉足りねぇぞ。もっと具体的に語れ。じゃねぇと、俺みたいなバカには通じねぇ」
私は言った。
先代聖女の目的は逃亡じゃない。
私の予想が正しければ、彼女の目的は時間稼ぎだ。
「なるほど。魔王が復活するために必要な時間を稼いでいるのか」
「いや、先代聖女が時間を稼いでいるのは、そんな前向きな理由じゃない。多分、彼女は停滞し続けるために時間を稼いでいると思う」
さっき見た先代聖女の記憶を思い出す。
彼女は逃げたくても逃げられない状態に陥っていた。
常に決断しなきゃいけない状況、前に進まなきゃいけない状態に陥っていた。
強い人間じゃないにも関わらず、彼女は常に決断しなきゃ行けない状況・状態に陥り続けた。
本当は何もかも投げ出したかったにも関わらず、本当は誰かに何もかも押し付けたかったにも関わらず、彼女は何もかも背負い続けた。
たった一人で何もかも決断し続けた。
本当は逃げたかったにも関わらず、彼女は聖女という役目を全うするため、前に進み続けた。
「前進したい訳じゃない。でも、これまで費やした時間を無駄にしたくないから後退もできない。だから、先代聖女は停滞を選んでいると思う。停滞を選び続ける事で、問題を先送りしたいんだと思う」
私の話を聞き続けながら、サンタは口を閉じ続ける。
彼の瞳の色は普段と違うものだった。
それを見て、私は思う。
試されている、と。
「でも、先代聖女が解消すべき問題は、私達でも浮島の寿命でも魔王でも国王でもない。自分自身だ」
サンタから与えられた挑戦を乗り越える。
自分の罪と向き合う事で、サンタに自分の価値を示そうとする。
「先代聖女は、……いや、私達は自分自身の命と向き合っていない。自分の気持ちを蔑ろにしている。糧にした命の尊厳を踏み躙り続けている」
以前、サンタが言っていた言葉を思い出す。
彼は言った。
『自分が犯した罪を自覚しろ』、と。
そして、彼は言った。
『嬢ちゃん。命を説くには、ちと青過ぎる』、と。
「『聖女だから』という理由で、自分の気持ちを押し殺した」
今なら分かる。
自分が犯した罪を。
サンタが言っていた言葉──『命を説くには青過ぎる』という意味を。
「『聖女だから』という理由で、自分よりも他人を優先し続けた」
私も先代聖女も『聖女でいる事』に熱中し続けた。
聖女でいる事に熱中し続けた所為で、目の前にいる命と向き合う事に注力し続けた所為で、見落とし続けた。
自分という生命から目を背け続けた。
「自分の気持ちから目を背け、自分という命から逃げ続けた」
自己犠牲という言葉が持つ甘美な聖性は、個人から正常な思考を奪い取る。
きっと私も先代聖女も聖女をやり過ぎた所為で、価値観が狂ってしまったんだろう。
聖女という役割を全うしようとした所為で、自分という生命を軽視してしまったんだろう。
「『誰かのため』という理由を盾にする事で、暴走する自分を正当化し続けた」
私も先代聖女も神聖視していた。
聖女になった人達を。
人々のために尽くす聖女という存在を知ってしまった所為で、私も先代聖女も忘れていた。
自分達が人間である事を。
その所為で、自分の能力以上の事をやろうとしていた。
「先代聖女、私達は咎人だ。自分の命と向き合えていない。だから、一回やり直そう。今の私達が命を説くには少し青過ぎる」
サンタの言う通りだ。
私は非常に危うい存在だ。
多分、自分の命と向き合わないまま強くなったら、取り返しのつかない過ちを犯していただろう。
先代聖女のように、道を踏み外していただろう。
『人々を救うため』という理由で、越えたらいけない一線を超えていただろう。
いや、サンタがいなかったら、間違いなく越えていた。
サンタがいなかったら、私も先代聖女達と同じように異形になっていた。
『暴走した彼らを止められるだけの力が欲しい……もうこれ以上、後悔したくない。後悔しない生き方が選べるよう、強くなりたい』
過去の自分の言葉を思い出す。
サンタに強くなりたいと言っていた自分の姿を思い出す。
もしサンタがいなかったら。
サンタじゃなくて、『黒い龍』とやらが私の前に現れていたら。
『暴走する人々を止めるため』、私は先代聖女達と同じように黒い龍から力を授かっていただろう。
先代聖女達と同じように異形となって、暴走し続けただろう。
異形となった人達と同じように、歪んだ正義を振りかざしていただろう。
「……先代聖女、私はサンタのお陰で踏み留まる事ができた」
先代聖女に声を掛ける。
彼女に聞こえているかどうか分からない。
それでも、私は過去の自分と決別するため、言葉を紡ぎ続ける。
「サンタがいなかったら、多分、私は聖女であり続けたと思う」
これは先代聖女に聞かせるための言葉じゃない。
自分に言い聞かせるための言葉だ。
これからの自分に言い聞かせるための言葉だ。
「聖女という役目を否定する訳じゃない。でも、今の私達にとって聖女の銘は毒だ。私達のためになり得ない。だから、……」
貴女も聖女である事を辞めるべきだ。
その言葉を吐き出そうとした瞬間、炎の巨人が空から現れる。
以前見たものと違い、炎の巨人が纏っている焔は藍色ではなく、黒一色だった。
「◼️◼️◼️◼️……!!」
先代聖女の声が炎の巨人から漏れ出る。
巨人から漏れ出た彼女の声は、獣の雄叫びと大差なかった。
「どうやら獣に成り下がったみたいだな」
黒い炎を纏った巨人を仰ぎながら、サンタは溜息を吐き出す。
そして、私の方に意識を傾けると、先代聖女ではなく、私に声を掛け始めた。
「嬢ちゃん、とりあえず合格点だ。まだ命を説くには青過ぎるが、まあ、それが分かったんだったら、とりあえず大丈夫だろう」
黒い炎を纏った巨人が拳を振り下ろす。
私を抱き抱えたサンタがバックジャンプを繰り出す。
「行くぞ、嬢ちゃん……いや、『エレナ』。こっから先はフルスロットルだ。出し惜しみはしねぇ。全力で突き進むから、ちゃんと着いてこい」
私の名前──エレナを口にしながら、サンタは右手で私を抱き抱えたまま、左手を前に突き出す。
そして、不適な笑みを浮かべると、今の今まで隠していた切札を繰り出した。
「──心器」
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は3月16日(土)22時頃に予定しております。
今回のお話は執筆時間があまり取れなかった+ずっと温めておいた話なので、もしかしたら後日書き直すかもしれません。
書き直した時はx(旧ツイッター)のアカウント等で告知致しますので、ご理解の程よろしくお願い致します。
 




