ほんの一瞬と死角と『アレ』
◇
先ず動いたのは、元騎士だった。
デカいワンちゃんと化した元騎士が幻覚を行使する。
狂気に身を委ねた彼の身体から甘い匂いが放たれる。
遺跡の奥の奥が甘い匂いに満たされた途端、私達の視界は摩訶不思議な世界に連れて行かれた。
「──神威」
神造兵器を放とうとするサンタ。
第三王子が動き出したのを見て、静止するサンタ。
そして、幻覚の陰に隠れようとする元騎士の姿を捉えようとする私。
「ぐおおお!」
先手を打ったのは、案の定、元騎士だった。
理性を手放した元騎士が黒い霧に包まれる。
──来る。
元騎士の身体から放たれる言語化不可能な匂い。
甘くて苦い匂いが私の鼻腔を擽る。
一瞬、ほんの一瞬だけ、元騎士の姿を見失ってしまった。
一瞬、ほんの一瞬だけ、私の足が止まる。
一瞬、ほんの一瞬だけ、サンタの視線がブレる。
本当に、ほんの一瞬だった。
だが、その一瞬で、状況が一変してしまう。
「◾️◾️(アニマ)ぁ!」
元騎士が切り札を切ろうとする。
私とサンタは一瞬で幻覚を振り切る。
サンタが元騎士の姿を視認した瞬間、私が元騎士の匂いを捉えた瞬間、元騎士の腹に『大きな穴』が空いた。
「オレ達に幻覚は、一瞬しか通用しない」
元騎士の腹を突き破った藍色の炎が咀嚼し始める。
藍色の炎の中から第一王子と第二王子の匂いを感じ取った。
「だが、裏を返せば、オレ達でさえも幻覚は一瞬だけ通用する」
デカい犬と化した元騎士の身体が地に伏せる。
それと同時に、元騎士の背後にいた『魔王』が私達の視界に映し出された。
「その一瞬さえあれば、お前らの知覚を一瞬だけオレから逸らす事ができる。ほんの一瞬だけ、オレはお前らの死角に入る事ができる」
元騎士の腹を突き破った藍色の炎が、魔王の身体の中に取り込まれる。
藍色の炎が魔王の身体の中に還った瞬間、不可視の圧力が私の身体を圧迫し始めた。
瞬時に理解する。
本能で理解する。
魔王の力が増した事を。
本能で、理性で、身体で、理解する。
「……っ!」
魔王の身体から放たれる匂いが、より濃密で、より苛烈で、より危険なものに成り果てる。
ヤバイ。
本当に、ヤバイ。
私の感覚が正しければ、今の魔王はサンタよりも──
「さ、…….サンタっ!」
いつの間にか足を止めていた私は、サンタの名を呼ぶ。
余裕がないのか、サンタは私の声に応えてくれなかった。
「サンタ、テメェなら分かっている筈だ」
鼻血を垂れ流しているサンタを睨みつけながら、魔王は険しい表情を浮かべる。
「テメェじゃ、今のオレでさえも勝てねぇ。大人しく降伏して、聖女をオレに渡せ。そうしたら、お前を見逃してやるよ」
魔王の身体から尋常じゃない量の魔力が噴き出る。
魔王の身体から放たれる熱くて冷たい魔力を浴びた途端、私の身体は小刻みに震えてしまった。
「──ミス・エレナ、そこから動かないでください」
第三王子の声が聞こえて来る。
第三王子の身体から敵意と殺意、そして、焼け焦げた魔力の匂いが放たれる。
「ま、待ってください、第三王……」
第三王子の意図を把握する。
魔王に攻撃するつもりだ。
反射的に第三王子を止めようと、声を荒上げる。
だが、私の声は魔王が鳴らした指の音によって阻まれた。
「……ぁっ!?」
第三王子の短い断末魔が、私の視線を引き寄せる。
気がつくと、第三王子の身体は遺跡の壁に叩きつけられていた。
口から血を吐き出しながら、地面に身を委ねる第三王子を見て、私は言葉を失う。
知覚できなかった。
第三王子に仕掛けた魔王の攻撃を。
いつ攻撃したのか、どういう方法で攻撃したのか、何一つ理解できなかった。
(超高速の一撃……!? それとも、不可視の攻撃……!? いや、魔力を使った攻撃じゃない可能性も……)
「落ち着け、嬢ちゃん。ワンちゃん相手に使う予定だった策が残っている」
鼻から垂れた血を掌で拭い落としながら、浅い呼吸を繰り返す第三王子と元騎士から目を背けながら、恐怖のあまり意識を失った第二王子を敢えて無視しながら、サンタは言葉を発する。
そんなサンタの反応を想定したのか、魔王は特に動じる事なく、表情を強張らせていた。
「……やっぱりな。さっきの攻撃は敢えて喰らったのか」
先程、元騎士の攻撃を喰らったサンタを見たのだろう。
顔面にそこそこの傷を負ったサンタを見ながら、魔王は警戒心を強める。
サンタは『まぁな』と呟くと、口を閉じてしまった。
無表情を貫くサンタと警戒し続ける魔王を交互に見る。
駆け引きが高度過ぎて、私には水面下で何が行われているのか、一切理解できなかった。
「ま、何を企んでいようが関係ねぇ。もうお前如きじゃ、」
轟音が鳴り響き、サンタの身体が後方に吹き飛ぶ。
「──オレは止められねぇ」
サンタの方に視線を向ける。
サンタの左腕は黒焦げになっていた。
多分、魔王の攻撃を喰らったのだろう。
苦しそうに顔を歪めるサンタを見て、危機感を抱く。
それと同時に、サンタと魔王の闘いが数秒程度で終わる事を理解した。
(ああ、……この状況は本当に、ヤバイ)
圧倒的な力を獲得した魔王と左腕に火傷を負ったサンタ。
彼等を交互に見つめながら、私は額に汗を滲ませる。
(サンタの力じゃ、魔王の猛攻を数秒程度しか止められない。かといって、私の力じゃ魔王とサンタの闘いに割り込む事なんてできない。多分、無理に加勢したとしても、サンタの脚を引っ張ってしまうだろう)
「サンタ、大人しく聖女を手放せ。聖女を救うのは、このオレだ」
勝ち誇った表情を浮かべながら、魔王は痛みを堪えるサンタに最後通牒を突きつける。
絶体絶命の危機に陥っているにも関わらず、サンタは呆れた笑みを浮かべると、溜息を吐き出しながら、こう言った。
「お前じゃ誰も救えねぇよ」
その一言が開戦の狼煙だった。
煙のように消える魔王の姿。
何処からともなく槍を取り出すサンタ。
サンタが後方目掛けて槍を振るう。
一瞬でサンタの背後を取った魔王が拳を振るう。
藍色の炎を纏った魔王の拳が、サンタの振るう槍を弾き飛ばす。
サンタの口から吐息が漏れる。
魔王の眉間に皺が寄る。
この間、僅かレイコンマ三秒程度の出来事。
辛うじて知覚できた。
けれど、知覚するのが精一杯だった。
(やっぱり、今の私じゃ加勢する事ができない……!)
魔王の猛攻が始まる。
サンタは槍一本で魔王の猛攻を捌き始める。
たった一秒で、サンタの身体に無数の擦り傷が刻まれてしまう。
きっと魔王の猛攻を完璧に捌けていないのだろう。
サンタの身体から放たれる『苦』の匂いが、私を更に焦らせる。
(どうしよう、どうしよう……!?)
考える。
浅い呼吸を繰り返す第三王子を無視して、致命傷を負った元騎士を無視して、考える。
(考えろ……! 何か私にもできる事がある筈……!)
考えろ。
何かある筈だ。
考えろ。
考えろ。
考え──
『私は、何もできない今の自分と決別したい』
先程、サンタに告げた私の言葉が脳裏を過ぎる。
『できる事を増やしたい。聖女のままだと、ダメだ。聖女のままだと、この状況を何とかできない。だから、聖女じゃない自分を見つけ出したい』
思い出す。
あの時、自分が吐いた本音を。
『あー、ややこしい。一言でまとめろ』
思い出す、私の頭を撫でるサンタの顔を。
『──美し(つよ)くなりたい』
思い出す。
今の自分の願望を。
聖女の皮を脱ぎ捨てたい事を。
そして、──
『……おい、聖女。お前、何している?』
瓦礫を踏んだ魔王の姿を。
「……っ!」
──掴んだ。
この状況を打破するための鍵を。
確実に結果を出すための方法を。
(今の私にできる事はない……!)
ポケットに手を突っ込む。
三秒もの間、魔王の猛攻を防ぎ続けるサンタに視線を送る。
(だから、私は──)
魔王の攻撃によって、腹部や左肩に重い傷を負ったサンタを見つめながら、私はポケットから『アレ』を取り出す。
そして、サンタから手渡された『アレ』の封を開けた。
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次の更新は10月30日(月)12時頃に予定しております。
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