所作と悪女と火の粉
◇???
聖女エレナの細くて傷だらけの首を握り締める。
私が首を絞めているというのに、彼女は抵抗さえしなかった。
死を受け入れているかのように、両手両足から力を抜き、首から歪な音を鳴らしている。
息が吸えていないだろう。
苦しそうな小声を発しながら、口から涎を垂らしながら、聖女エレナは顔を歪ませる。
彼女の顔には恐怖も怒りも滲んでいなかった。
首を絞めている私に敵意さえ抱いていない。
窒息死しかけている魚を見るような目で、聖女エレナは私の顔を見つめていた。
自分が窒息死しかけているというのに、彼女は私に殺意どころか敵意も抱いていなかった。
「ふぅ……! ふぅ……!」
鼻息を荒上げながら、聖女エレナの首を絞め続ける。
此処が幻覚の中である事、幻覚の主導権を聖女エレナに奪われている事、そして、聖女エレナは殺そうと思えばいつでも私を殺せる事。
それらの事実を把握しているというのに、私は聖女エレナの首を絞め続けた。
聖女エレナは抵抗する素振りさえ見せなかった。
「こんなのに、なりたかった訳ないだろ……!」
聖女エレナの瞳に映る自分の姿を睨みつける。
犬の化け物。
それが今の自分の姿だと知った途端、吐き気を催してしまう。
「私は誰かを救える人間になりたかった……! 誰かを殺す化け物になりたかった訳じゃない……! あの日の騎士団長のような……苦しんでいる人達を助けられる人間になりたかった……!」
窒息死しかけている聖女エレナは目で訴える。
『でも、貴方は弱者を助けるため、その姿になったのでしょう? 圧政で苦しんでいる民を救うため、王族貴族達を殺したのでしょう?』、と。
「……っ!」
『必要な殺しがある』と言わんばかりの態度で、俺を見つめる聖女エレナ。
その視線に耐え切れず、私は聖女エレナの身体を放り投げてしまった。
「殺していい命なんてある訳ないだろ……!』
聖女エレナが観た幼い頃の幻覚を思い出す。
私が見た幼い頃の聖女エレナは、自分の母を殺した男を刺殺した。
生き残るため、男を殺害した。
あの幻覚が本当だったのか、それとも虚構なのか分からない。
けど、──
「先代の聖女は言っていました。『人も命を糧にする獣だ。幾ら綺麗事で濁そうと、生きるために必要な殺しは存在する。それは紛う事なき真理だ』、と」
ゆっくり立ち上がる聖女エレナが私の視線を惹き寄せる。
彼女の一挙手一投足は美しかった。
思い出す。
聖女エレナの幻覚に出てきた売女を。
聖女エレナが母と呼んだ爛れた女を。
『エレナ、自分の一挙手一投足に気を遣いなさい。人の視線だけでなく、五感を引き寄せる所作を身につけなさい。そうすれば、貴女は何処でも生きていけるわ』
聖女エレナの母の言葉が頭の中を駆け巡る。
『エレナ、美しく(つよく)なりなさい。私以上に美しい人間を見つけなさい。私以上に美しい人間から美しさを学びなさい。そうすれば、貴女は私以上に自由に生きられるわ』
母の言う通り、先代聖女を見つけ、美しさを学んだ聖女エレナが、私の瞳を見つめる。
ああ、ヤバイ。
この女はヤバイ。
聖女として振る舞う……いや、聖女と遜色のない美しさを身につけた彼女に恐怖心を抱く。
「貴方には酷な事実かもしれませんが、この世界には『必要な殺し』というものは存在します。必要な殺しがあるから、私達は肉を喰らい、葉を啄む事ができる。私達が生きるためには、命を頂く必要があるのです」
聖女エレナは魔法を使えない。
魔術は簡単なものしか扱えないし、貴族学院をトップで卒業したアリレルとは違い、頭脳も才能も美貌も持ち合わせていない。
にも関わらず、彼女は聖女になった。
第一王子以外、私達は誰も彼女が聖女である事を疑わなかった。
能力がないにも関わらず、私達は彼女を聖女として認めてしまった。
所作が美しいという理由だけで、彼女は聖女としての地位を獲得したのだ。
「私は貴方を否定しません。貴方が奪った命を尊重し続ける限り、私は貴方の選択を尊重します」
聖女として振る舞う目の前の彼女から目を逸らそうとする。
けど、目を逸らせない。
目を逸らす事ができない。
私の身体が、魂が、救済を必要としている。
気づいているつもりだ。
聖女エレナの深層意識に入り込んだ事で理解してしまった。
聖女エレナの本質を理解させられてしまった。
彼女が、自らの利のためだけに、聖女の振る舞いをしている事を。
私を救うためでも、誰かを救うためでもなく、生存競争を勝ち抜くためだけに、聖女を演じている事を。
否、演じているという表現は正しくない。
彼女は身も心も聖女になり切っている。
自分が普通の人間だと思い込み、聖女としての役目を全うしようとしている。
「もう一度、尋ねます。コレが貴方のなりたかったものですか?」
彼女の言葉に嘘はない。
──目的は人を救うためではなく、自らの生存を勝ち取るため。
彼女は本気で私を救おうとしている。
──自分の生存を勝ち取るついでに、私を救おうとしている。
「言葉を重ねます。貴方は今の自分を肯定する事ができますか?」
ああ、分かっているのに。
彼女の本質が聖女とかけ離れたものである事を分かっているのに。
彼女の所作が私の認知を歪めてしまう。
私の心が、身体が、彼女を聖女として認めてしまう。
「……私は、間違っているのか?」
分かっている。
今、自分が彼女の掌の上にいる事を。
幻覚の主導権を奪ったにも関わらず、言葉と所作だけで私の心を掻き乱している事を。
魔法も魔術も幻覚も使う事なく、言葉と所作で私の心身を掌握しようとしている事を。
分かっている。
にも関わらず、私は選んでしまった。
救済を。
聖女が差し出す救いの手を。
「それは分かりません。私は、貴方がしてきた事を全て把握できていません。けど、これだけは断言できます」
聖女エレナは躊躇う事なく、私の下に歩み寄る。
私の視線を惹きつけるような歩き方。
私の鼻腔を釘付けにする歩き方。
私の聴覚を、触覚を、味覚を、虜にする所作。
彼女の放つ甘い匂いが弱い私の心身を溶かしていく。
「貴方がなりたいものは、それじゃない事を」
彼女が差し出す甘い救済を摂取してしまう。
ああ、頭では分かっている。
聖女の振る舞いをしているだけ。
心も身体も聖女として成り切っているだけ。
それらの事実を理解しているのに。
私の心身が認めてしまう。
彼女が『聖女』である事を。
「だから、一緒に探しましょう、最善を」
聖女エレナの両手が私の手を握り締める。
化け物と化した私を忌み嫌う事なく、聖女エレナは今の私を受け入れてしまう。
「命と向き合ってください」
聖女エレナの煌めく瞳が、私の荒んだ心身を射抜く。
その瞬間、聖女エレナが発した毒が私の身体を蝕んだ。
気づいている。
目の前の女が毒蛾である事を。
聖女の皮を被った悪女である事を。
自分の生存のためだけに聖女のフリをしている獣である事を。
それらの事実に気づいているというのに、私は彼女の手を取って──
◇
「嬢ちゃん、お疲れ」
起き上がった私を見るや否や、サンタは私にクッキーを投げ渡す。
私は飛んできたクッキーを口でキャッチすると、大袈裟に胸を張った。
「嬢ちゃんだったら、勝って当然の闘いだ。これ以上は褒めねぇよ」
そう言って、不機嫌そうに顔を歪ませる第三王子に視線を送る事なく、サンタは私の中から出てきたデッカいワンちゃん──元騎士を睨みつける。
上半身だけ起き上がらせた彼は放心した様子で、自らの掌を見つめていた。
「おい、ワンちゃん。お前には聞きてぇ事が山程ある。──全部、答えてもらうぞ」
「…………ああ、好きに、聞くといい」
元騎士の力ない一言が私達の鼓膜を微かに揺らす。
彼の一言よりも、周囲の木々の揺れる音の方が大きかった。
◇side:魔王
「とりあえず、今は様子見だな」
小高い山の上。
遠く離れたサンタと聖女、そして、犬みたいな見た目をした虐者を見つめながら、オレはデカい独り言を口にする。
「あの虐者もサンタも無能じゃねぇ。あいつらが協力すりゃあ、第二王子の居場所なんて一刻もかからず特定できるだろう」
隣で燃えている騎士だった肉塊を睨みつける。
俺が回収した騎士──あのデッカい虐者から逃げていた騎士は、護衛対象である第二王子の居場所を把握していなかった。
どうやら第二王子は騎士団長と有力な騎士数名と共に、拠点を転々としているらしい。
俺が捕まえた騎士は、ただの捨て駒。
索敵するためだけに使われていた捨て駒。
虐者やオーガ達を見つけた場合、狼煙で第二王子達に敵の居場所を教える役目を担っていただけの道具。
それが今オレの隣で燃えている騎士の使い途だった。
「オレを恨むなよ、恨むならお前を捨て駒として使い潰したヤツを恨め」
オレの炎に灼かれる騎士だった肉塊を横目で睨みながら、思った事を口にする。
「そもそも道具だったお前が悪い。道具はな、今のオレみたいに生き方を選べないんだよ。いや、生き方だけじゃない。死に方も。……自分で選ぶ事ができないんだよ」
かつて道具として神に使い潰されたオレの姿と、聖女としての役目を全うし続けた聖女エレナの姿が、脳裏を過ぎる。
「……オレは生き方も死に方も選んでみせる。オレは道具じゃねぇ。それを証明する。オレは、オレの納得のためだけに、生き続けてやる」
隣で炎に包まれた死骸から目を逸らし、歯を食い縛る。
弾ける火の粉が独り言を呟くオレを嘲笑い続けた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は10月11日(水)20時頃に予定しております。




