撤退と湖面と火傷の痕
◇
「よし! 撤退!」
そう言って、サンタは一瞬で第一王子を治療している私の下に駆け寄る。
「この状況は流石に分が悪過ぎるっ! 今すぐここから逃げるぞっ!」
「状況悪化させたのは、あんたの所為っすよね?」
巨大な犬と化した虐者を一瞥しながら、レベッカはサンタにツッコむ。
サンタはいうと、口笛を吹きながら明後日の方向を見始めた。
今、とりあえずサンタの責任は脇に置いといて、この状況を切り抜けるため全力を注ぎ込む。
「分かった……! サンタ、第一王子をお願い! 私達は走って逃げるから!」
「え!? 走って逃げる!? 流石にあのデカいワンちゃんから走って逃げるのは不可能でしょ!?」
第一王子の侍女であるレベッカは、巨大化した犬の化け物を指差す。
全長十メートル以上になった犬の化け物は雄叫びを上げると、新たに生えた尻尾で地面を叩き始めた。
雄叫びが周囲の木々を揺らし、尻尾が地面を縦に揺らす。
理性を失っているのか、犬の化け物は知性を感じさせない表情で破壊の感触に酔いしれていた。
「安心しろ、第一王子とやらに色目を使っている女」
「サンタ、その渾名はかなり失礼だと思う」
「──盗む事と逃げる事に関しては、俺の右に出るヤツはいねぇ」
そう言って、サンタは得意げな表情を浮かべながら、指を鳴らす。
すると、何の前触れもなく、私達の足下に『穴』が空いた。
「え、……あ、ぎゃああああ!!」
唐突に足場を失った私達は重力に従い、穴の中に落っこちる。
穴の中に落っこちた途端、星天と地平線の彼方まで広がる湖が私の視界に映し出された。
星空が映し出されている湖面を見つめながら、私は悲鳴を上げる。
「嬢ちゃん、何度も言うけど、『ぎゃあああ!』はねぇと思う」
「う、……うっさい」
気がつくと、私達は森の中で寝転んでいた。
さっき私の視界を埋め尽くしていた星天と湖は何処にも見当たらない。
木の葉を揺らす木々と泥濘んだ地面、遠くから聞こえる雄叫び、そして、地面に寝転ぶ私達を見下ろす第三王子の姿しか見当たらなかった。
「おかえりなさい、ミス・エレナ。無事で何よりです」
藍色の火柱の下に向かう時、森の中に置いてきた第三王子が私の瞳をじっと見つめる。
驚いているという割には、驚いているように見えなかった。
「ミス・エレナ達が突然この場に現れたのは、貴方の仕業ですか? ミスター・サンタクロース」
「まぁな」
どうやらサンタが何らかの手段を用いて、私達を瞬間移動させたらしい。
彼の底は一体何処にあるんだろうと思いつつ、第一王子の方に視線を向ける。
第一王子の上半身は黒焦げになっていた。
「王子っ! バカ王子しっかりするっす! ここで死んだら、ガチでバカですから! というか、何で私庇ってるんすか、このバカっ!!」
第一王子の身体を揺さぶりながら、侍女であるレベッカは声を荒上げる。
第一王子はちゃんと呼吸をしていた。
火傷は酷い。
でも、ちゃんと防御していたのか、私が思っている以上に傷は浅かった。
魔王の攻撃は致命傷にはならなかったんだろう。
が、私の治癒魔術では彼の傷を完全に癒す事はできそうになかった。
(危ない事には変わりない。とりあえず、彼の傷を治そう。傷跡や後遺症に関しては、後で考えればいい)
そう判断した私は躊躇う事なく、治癒魔術を行使──しようとした所で、ポケットに入っていた瓶の存在を思い出す。
即座にポケットから瓶を取り出した。
サンタから貰った青い液体──劣化エリクサーだ。
これさえ使えば、第一王子の傷は治るかもしれな──
「……待て、エレナ」
黒焦げの腕が瓶を握る私の腕を掴む。
声の主は黒焦げになった第一王子だった。
「………自分の傷は、自分で治す。それよりも、洞窟にいる人達をどうにかしてくれ……イースト病にかかって……」
地面に寝転んだまま、第一王子は私の腕を握り続ける。
私の腕を握る手の力は弱々しかったが、言葉は力強いものだった。
「ああ、もう! 好きな人を前にして強がるなっ! 大人しく治療を受けろっす!」
パコンと頭を殴りながら、第一王子の侍女はレベッカは目から涙をポロポロ溢す。
「おい……命の恩人兼雇い主に向かって、その口の利き方はないだろ……」
「うっさい、バカ王子っ!!」
瓶の中にある青い液体と第一王子を交互に見ながら、私は眉間に皺を寄せる。
喋れるって事は私が思っているよりも傷が浅そうだ。
多分、私の治療魔術だったら、ある程度治せるだろう。
……でも、間違いなく火傷の痕が残ってしまう。
現状を分析しながら、自分の身体についた火傷の痕をじっと見つめる。
第一王子は次の国王だ。
もし身体に火傷の痕が残ったら、他の王族貴族に嘲笑われるだろう。
私と同じように、火傷の痕が残った彼にも『醜い』という言葉が降りかかるだろう。
そう思った私は瓶の蓋を開けようとする。
「……エレナ、その瓶の中の液体は……取っておけ」
だが、第一王子は青い液体を使う事を許さなかった。
「……ちゃんと防御した。見た目に反して傷は浅い……その液体が傷を治す効力を持っているんだったら、取っておけ……本当に必要な人に、使って……くれ」
「…………このままだと間違いなく火傷の痕は残りますよ」
「……王位は捨てた、問題な……い……火傷の痕よりも、……命を、助けられない方が怖……」
限界を迎えたのだろう。
第一王子はゆっくり瞼を閉じる。
そして、安らかな寝息を立てると、再び意識を手放した。
「王子っ!? しっかりしてください、バカ王子っ!!」
「レベッカ、寝かせてあげて。彼の言う通り、見た目に反して、傷は浅いから」
黒焦げになった第一王子の頬を叩くレベッカに静止を求める。
彼女は私の言う事を聞く事なく、黒焦げになった彼の頬をぺしぺし叩き続けた。
「嬢ちゃん。治療の続きするんだったら、場所を移した方がいい。ここだと虐者や魔王に見つかっちまうかもしれねぇ」
そう言って、サンタはレベッカの方に視線を向ける。
そして、私達の下に歩み寄ると、こう言った。
「おい、そこの不器用片思い娘。お前らの拠点に案内しろ。何とかって病にかかっているヤツがいるんだろ? 嬢ちゃんが第一王子の傷を治している間、俺が病人の治療をやってやるよ」
気絶した第一王子の身体を肩に担ぎながら、サンタは不器用片思い娘──レベッカに提案を投げかける。
レベッカは涙を拭うと、弱々しく首を縦に振った。
「………」
無意識のうちに第三王子の方に視線を向けてしまう。
第三王子は眉間に皺を寄せながら、気絶した第一王子の事をじっと見つめていた。
そんな彼を見て、私はつい疑問の言葉を発してしまう。
「……どうしたんですか、第三王子。そんな厳つい顔をして」
「あ、いえ。ちょっと考え事をしていただけです。特に深い意味はありません」
私の疑問を一蹴した後、第三王子は移動し始めるサンタとレベッカを一瞥する。
そして、私の下に近寄ると、私にしか聞こえない声量で、第三王子はこう言った。
「……気をつけてください。第一王子は人助けする程、お人好しではありません。恐らく先程の自分よりも病人を優先して欲しいという発言には、何かしらの裏があるのでしょう」
「………」
「一応、警戒しておいてください。第一王子が自己中心的な人間である事は、ミス・エレナも分かっている筈。彼は私の父──国王と同じタイプの人間です。心を許したら最後、骨の髄まで吸い尽くされますよ」
私に忠告を告げた後、第三王子はサンタ達の後を追いかけ始める。
私は手中にある瓶を睨みつけた後、第三王子と同じようにサンタの後を追い始めた。
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次の更新は8月29日(火)20時頃に予定しております。
 




