サンタとオーガと人質
◇
赤いナイトキャップ。
傷み一つない艶のある金髪。
十人中十人が見惚れる整った顔。
爬虫類を想起させる真紅の瞳。
挑発的に歪む口元。
防寒具と思わしき赤い服。
白い手袋を身につけている両手。
赤い服に巻きついた黒いベルト。
黒い長靴。
そして、身体から放たれる独特な雰囲気。
『サンタクロース』を名乗る青年の身体から『匂い』は感じ取れなかった。
何も匂わない。
その所為で、彼が何を考えているのか分からなかった。
「さて、嬢ちゃん。俺は今から嬢ちゃんの価値を見定める」
体勢を整えた緑色の『何か』──商人達に背を向けながら、青年──『サンタクロース』は私の瞳を真っ直ぐ見据える。
「俺の力を借り続けたいんだったら、自分のの価値を示しな。嬢ちゃんに『助ける価値がねぇ』と判断した場合、俺は遠慮なく嬢ちゃんを見殺しにする」
「あ、え、……は? 価値? 示す? どうやって?」
「簡単に言っちまえば、俺の想定を超えろって事だ」
空気の裂ける音が鼓膜を揺るがす。
緑色の『何か』が槍を放り投げたのだ。
「人を知れ、世界を識れ」
振り返る事なく、青年は右手を少しだけ挙げると、右人差し指と右中指だけで飛んできた槍を受け止める。
「思考を止めるな。常に最善を追い続けろ」
一瞬だった。
瞬きした瞬間、青年の姿を見失う。
気がつくと、青年は舞台の上から姿を消していた。
「そうしたら、俺の想定くれぇ余裕で超えられるぜ」
青年の声が舞台の下──観客席の方から聞こえる。
いつの間にか、彼は商人達の目と鼻の先に移動していた。
「さっきの青臭え啖呵は、いい感じだ。アレは俺の想定を超えていた。あんな感じに頑張るんだったら、俺は嬢ちゃんを見捨てねぇ」
丸腰のまま、何の武器も持たないまま、青年は武器を携帯する商人達──緑色の『何か』達と睨み合う。
商人達からは嫌な匂いが漂っていた。
危ない。
このままじゃ、あの青年は商人達にボコボコにされてしまう──!
「あぶな……!」
忠告の言葉を口にしようとしたその時だった。
サンタクロースを名乗る青年が右腕を振るう。
その瞬間、緑色の『何か』達が持っていた全ての武器が、粉々に砕け散った。
「おいおい、盛んなよ『オーガ』共。まだ俺が話している最中だろうが」
私も『オーガ』と呼ばれる化け物になった商人達も気づかされてしまう。
サンタクロースを名乗る青年が、商人達の武器を破壊した事を。
「ま、やるって言うんだったら、遠慮なくやってやるぜ。ただし気をつけろよ」
そう言って、青年は無防備に佇む。
武器どころか魔力さえ扱おうとしない青年を見て、私は『こやつ……只者じゃない』みたいな事を思い始める。
「俺は悪い子に優しくする程、お人好しじゃねぇっ!」
そして、サンタクロースを名乗る青年の快進撃が始ま──らなかった。
「あり? 思ってたより魔力が出な……がぼぉっ!」
緑色の『何か』──サンタクロースがオーガと呼んだ商人達の成れの果て──の拳が、青年の顔面に突き刺さる。
さっきの攻防で魔力を使い果たしたのだろうか。
サンタクロースを名乗る青年は、オーガ達にボコボコにされていた。
「ちょ、タンマ……! 話し合おうぜ! 話せば分か……ぐはぁ!」
オーガ達の重い拳が、重い蹴りが、青年の身体に叩き込まれる。
オーガの打撃の威力は凄まじかった。
青年に当たらなかった彼等の拳が、蹴りが、劇場の床を砕き、壁を粉砕する。
多分、あの威力の打撃だったら、岩さえ余裕で砕けるであろう。
そんな一撃が何度も青年のからだに襲いかかる。
殴られる度に青年は宙を舞い、蹴られる度に鼻血を垂れ流す。
緊張感の欠片も感じられない断末魔を上げながら、青年はただひたすらに殴られ蹴られ続けた。
「あびょぉっ!?」
間抜けな悲鳴と共に青年は私の足下まで転がってくる。
やはり只者じゃなかったらしく、青年の身体には目立った外傷は見当たらなかった。
「ふう……」
鼻から出た血を拭いながら、青年はゆっくり立ち上がる。
そして、私の方に顔を向けると、快活な笑みを浮かべ、こう言った。
「悪りぃ、嬢ちゃん。助けてくれ」
「いや、助けて欲しいのはこっちなんだけど」
先程の強者感はどこに行ったのか、サンタクロースを名乗る青年は情けない事を言い出した。
「……こほん、さっきまでの余裕は何処に行ったのですか? なんか『俺に任せとけば万事上手くいくぜ』みたいな面晒していたましたよね?」
「あー、そんな時期もあったな」
「忘れるな、数分前の出来事だ」
「いや、いつもだったら上手くいってたんだよ。ただな集合無意識体から送られる魔力が、いつもより少ないっていうか何というか。なんつーか、イレギュラーが起きているっぽいんだよ」
鼻をチーンしながら、青年は明後日の方に視線を向ける。
長々と言い訳を口にする彼を見て、『カッコ悪いな〜』と思った。
「つー訳だ。嬢ちゃん、魔力くれ。あいつら瞬殺してやるから」
「分かりました。じゃあ、貸し一つですね」
青年の右手を差し出す。
私の『貸し一つ』発言を不服に思ったのだろうか、青年は嫌そうな顔を私に見せつけた。
「待て待て、貸し一つ? お前、俺に貸し作るつもりなの? 命の恩人である俺を? 嬢ちゃん、図太過ぎない?」
「想定を超えろって言ったのは、貴方の方でしょう?」
「いや、そういう意味で言ってねぇ」
観客席の方からオーガ達の怒声と喧しい足音が聞こえてくる。
舞台に向かって駆け出し始めるオーガと微笑を浮かべる青年を交互に見つつ、私は思った事をそのまま口にした。
「なら、取引しましょう」
そう言って、私は青年の瞳を睨みつける。
彼は引き攣った笑みを浮かべながら、私の瞳を真っ直ぐ見据えていた。
「戦闘に必要な魔力を与えます。その代わり、貴方の力、私に使わせ……」
迷う事なく、青年は私の右手を握る。
「ああ、いいぜ。俺の力、使わせてやるよ」
『してやったり』みたいな表情を浮かべながら、サンタクロースを名乗る青年は私の右手を握り直す。
その瞬間、青年の右手の甲に魔法陣のようなものが刻み込まれた。
「今のズル賢い所は良かったぜ、俺の想定をいい感じに超えていた」
私の中にあった魔力がごっそり吸い取られる。
それと同時に、オーガと呼ばれる『何か』になった商人達は舞台の上に辿り着いた。
「……僧侶の格好をしているからと言って、性格が善いとは思わないでください」
「でも、いい性格していると思うぜ?」
私から貰った魔力を噴き出しながら、青年は挑発的な笑みを浮かべ──
「──っ!?」
再び青年の姿を見失った。
見失った彼の姿を探し始めると同時に、舞台に上がったばかりのオーガ達は身体から青い血を噴き出す。
「おい、咎人共」
いつの間にか観客席に降りていた青年が口を開く。
彼の手には青く染まった短剣が握られていた。
「切札は奪われないよう、大事に持っておいた方がいいぜ」
オーガ達の足下を見る。
青い血で染まった彼等の足下には十数本の短剣が落っこちていた。
「──じゃねぇと、俺みてぇな手癖の悪いヤツに盗まれちまうぞ」
把握させられる。
あの一瞬で青年は商人達が隠し持っていた短剣を奪った事を。
奪っただけでなく、奪った短剣で商人達の身体を切り裂いた事を。
「ぐっ……! お前、何者だ……!?」
「義賊気取りの盗人だ」
理解させられる。
あの青年が桁違いに強い事を──!
「ま、まだだ……!」
聞き覚えのある声──商人の声が鼓膜を揺らす。
商人と思わしきオーガは足下に落ちている短剣を拾うと、私の下に向かって駆け出した。
何も映っていない商人の瞳を見て、私は彼の狙いを瞬時に理解する。
──私を人質にするつもりだ。
反射的に身構える。
商人が走り出した途端、青年の身体の匂いが変わった。
「…….ま、待って! 殺さないでっ!」
青年の身体から殺意の匂いが漏れ出た。
その匂いを感じ取った途端、私は理解してしまう。
──あの青年は商人を殺すつもりだ、と。
「……っ!」
商人を睨みつける。
彼は傷ついた身体を引き摺るように走っていた。
彼の瞳を睨みつける。
彼の瞳には憎しみと敵意しか映し出されていなかった。
冷静じゃない。
言葉で静止を求めても、聞く耳を持たないだろう。
かと言って、私の力では商人とサンタを止める事なんてできない。
付与魔術で……いや、魔術を使ったら、商人を更に刺激してしまうかもしれない。
(なら……!)
大人しく人質になる事で、商人を説得するための時間を作り出そうと試みる。
もしかしたら、商人に刺されるかもしれない。
或いはサンタクロースを名乗る青年に『助ける価値なし』と判断されて、殺されてしまうかもしれない。
それらの可能性を考慮した途端、死の恐怖が脳裏を掠める。
死にたくない。
でも、商人を殺したくない。
この状況を打破するための方法も何一つ思いつかない。
考える。
だが、人質になる事以外に最善の策は思いつかなかった。
覚悟を決める。
刺されようが、殺されようが、商人の愚行を止めてみせる。
──それで彼等に罪を償う時間を与えられるのなら。
「……」
商人とサンタに自分の意思を伝えるため、両腕の力を抜く。
私が無抵抗になった瞬間、商人の瞳に私の姿が映し出された。
商人は私の姿を目視すると、乾いた笑みを浮かべる。
商人は野太い断末魔を上げると、持っていた短剣で突き刺した。
──自分の腹を。
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次の更新は明日7月17日(月)12時頃に予定しております。