この行き場のない怒りに終焉を(2)
◇
「心器っ!!」
蜘蛛のような姿になった貴族の男が攻撃を繰り出すよりも先に、私が付与魔術で身体能力を強化するよりも先に、ヴァシリオスは切札を切ってしまう。
だが、彼の心器の発動は阻まれてしまった。
「悪い、嬢ちゃん。また一瞬で終わらせられなかった」
……跳んできたサンタがヴァシリオスの頭を踏んでしまった所為で。
「ぶふぉ!?」
サンタに頭を踏んづけられたヴァシリオスは、間抜けな音を発しつつ地面と激しい口づけを交わす。
サンタは悪びれる事なく、のほほんとした表情を浮かべると、笑いながらこう言った。
「いやー、あの絶対悪、弱体化している癖に、そこそこ強くてよ。危うく殺られる所だった」
血と糞尿に塗れた貴族の男が、蜘蛛の脚みたいな藍色の炎をサンタ目掛けて振るう。
サンタはそれを意に介していないのか、片手で弾き飛ばしてしまう。
小蝿でも追っ払うような動作だった。
……ああ、格が、格が違い過ぎる。
やっぱ、私が側にいたから苦戦していただけなのか。
「嬢ちゃん、ちょっと違うぜ。苦戦していたのは、嬢ちゃんが側にいたからじゃねぇ。コレを取り返すためだ」
私の心の中をナチュラルに読みつつ、サンタは懐から見覚えのあるものを取り出す。
彼が取り出したのは、ネックレス状の神造兵器──聖女の証だった。
「魔王の得意な接近戦に持ち込まねぇと、懐にあった神造兵器を盗る事ができなかったんだよ。いやぁ、魔王、全然隙なくてよ。討伐よりも神造兵器を盗む方が大変だった」
「……サンタ」
サンタに頭を踏まれているヴァシリオスを見下ろす。
気絶しているのか、ヴァシリオスの身体は指先がピクピク動いているだけで、殆ど動かなかった。
サンタを見る。
踏んでいる事に気づいていないのか、サンタはヴァシリオスの頭の上に乗ったまま、話を続行した。
「俺が目的果たしたからって不安になってんのか? 安心しな、嬢ちゃん。魔王討伐したからって、嬢ちゃんをほっぽり出すなんて無責任な事はやらねぇ。ちゃんと嬢ちゃんが納得いくまで付き合ってや……」
「今すぐヴァシリオスの頭から退いて」
「あん? 何言って……うおっ!? 何で坊主が俺の足下にいるんだ!?」
やっぱり気づいていなかったみたいだ。
慌ててヴァシリオスの頭から跳び下りたサンタは、再度攻撃を繰り出そうとした蜘蛛の男の顎にジャブを繰り出しつつ、私の隣に着地する。
サンタの軽い攻撃を顎に喰らった蜘蛛の男は、白目を剥くと、眠るように意識を失──わなかった。
「むぐっ!」
下唇を噛む事で強引に気絶を回避する。
蜘蛛の男は気絶したヴァシリオスを睨みつける。
そして、殺意を剥き出しにすると、蜘蛛の脚と化した藍色の炎で攻撃を繰り出そうとする。
「待て」
が、サンタのたった一言で、蜘蛛の男は動きを止めた。
「なぜ……なぜ止める……!? こいつは私達の手足を奪っただけじゃなく、私から妻を……子どもを……!」
「坊主とお前さんを生かしたのは、罪を償わせるためだ。それ以上の理由でも、それ以下の理由でもない」
「罪……!? 私達が何の罪を犯したと言うんだっ!?」
自身の糞尿と青色の血に塗れた状態で、蜘蛛の男は血走った目でサンタを睨みつける。
「貴族は被害者だぞ!? 何で罪を償わなきゃいけないのだっ!?」
「貴族がこの街に避難してきた庶民から資源を奪った挙句、力で押さえ込んだって聞いたが」
「資源を奪った!? 違うっ!! 管理だっ! 緊急時であるにも関わらず、庶民は食糧や資源を浪費していた!! それどころか、庶民の癖に貴族達と同じ待遇……一日三食を要求し、貴族達に肉体労働を要求したっ! だから、分からせてやったんだっ!」
「…………だから、騎士団を使って、庶民を力で押さえつけ、過酷な労働と一日一食を強要したのか……?」
「ああ、そうだっ! この緊急時、庶民に一日三食も与えていたら、近い将来、貴族達も一日一食の生活を余儀なくれるっ! 庶民の所為で、神々の末裔である貴族がひもじい思いするなんて事は、絶対に避けねばならないっ!!」
蜘蛛の男から悪意の匂いは漂ってこなかった。
思い知らされる。
彼が悪意なく、ヴァシリオス達を追い詰めた事を。
彼等は自分達の血統のために、ヴァシリオス達に苦を強いた事を。
「……テメェは自分達の生活レベルを保つために、孤児園の院長や坊主の友人達を殺したのか?」
「殺したのは騎士達だ! いや、私達に庶民と同じ生活をしろって言った庶民が全ての元凶だっ! 大人しく、私達に従っていたら、死なずに済んだっ!」
蜘蛛の男の四肢の代わりをしていた藍色の炎が崩れ始める。
多分、力の源である魔王を倒したからだろう。
彼は戦闘能力だけでなく、自由に動く力さえ失おうとしていた。
「それなのに、……あいつら、化物になって……! 私達の四肢を捥いで、地獄みたいな所に押し込んで……! 私や私の家族を汚物蔓延る地下室に監禁して……挙げ句の果てには、私から家族を……! 家族を……!」
蜘蛛の男の口から奥歯が砕ける音が聞こえてくる。
四肢を捥がれ、自身の糞尿に塗れた彼には同情の余地があった。
けれど、オーガ達の血を浴びている彼の背中には背負わなきゃいけない十字架がのしかかっていた。
「……僕らが、全ての元凶……?」
危険な匂いが再び私の脳を揺るがす。
案の定、匂いの源はヴァシリオスからだった。
「お前が……お前達が贅沢な暮らしをするために、僕らが築き上げたものを、……魔王にメチャクチャにされて、ゼロから頑張っていたものを、……横から奪い取って……、それどころか、院長の手足を捥いで、……十字架に……!」
「院長……ああ、そうか……!貴族達にバカみたいな提案してきた庶民の女の事か……! お前はあの女の仇を取るために、私達を逆恨みしたのか……!」
蜘蛛の男の四肢についていた蜘蛛の脚みたいな藍色の炎にヒビが入り始める。
それに気づく事なく、蜘蛛の男は院長を──私の友人を馬鹿にし始めた。
「あの女は殺されて当然だ……! 私達貴族を下々の人と同じ生活をさせようとしたからな……! あいつの出した提案は我々の祖先を、代々受け継いできた高貴な血を侮辱する提案だっ! だから、罰を与えたっ! ヤツの四肢を捥ぎ、広場に吊るしたのは、我々の血を貶したからだっ! お前らが私達の四肢を捥いだのと訳が違うっ!」
院長に凄惨な死を与えた貴族に殺意を抱く。
逆恨み?
罰を与えた
自分達の血を侮辱されたから四肢を捥ぎ、広場に吊るした?
提案しただけで?
生活レベルを庶民と同等のものにしましょうと提案しただけで?
沸々と黒い感情が湧き上がる。
「……落ち着け、嬢ちゃん」
いつの間にか、私の前に移動したサンタが私の口にクッキーを放り込む。
「我慢しろとは言わねぇ。が、そのドス黒い感情は抑えろ。じゃなきゃ、やり過ぎちまうぞ」
サンタのお陰で冷静さを取り戻す。
…………ちょっとだけ、商人やジェリカ、ヴァシリオス、そして、目の前にいる蜘蛛の気持ちが分かったような気がした。
「お前らが私達の四肢を捥ぎ、地下室にぶち込み、家畜の餌を我らに食べさせたのは、あのバカみたいな女以上の蛮行だっ! 私は永遠に忘れない……! 家畜の餌を食わされた時の気持ちを……! 自身の糞尿に溺れた時の感触を……! 妻や子ども、そして、他の貴族達の嘆き悲しみを……! 血だけじゃないっ! お前らは私達の尊厳さえ踏み躙った……!」
「お前らが最初に手出したのが悪いんだっ!」
ヴァシリオスの瞳が狂気の所為で澱んでしまう。
「お前らが、……みんなを……! 院長を、……ミアを、……ケイを、……ミリーを、クーを、……!」
「責任転嫁するなっ! 咎人はお前ら化物の方だっ!」
「……ああ、やっぱ、間違いじゃなかった」
ヴァシリオスの身体からドス黒い感情と魔力が零れ落ちる。
地面が小刻みに揺れ、近くにあった建物が独りでに崩壊し始める。
それを認識した途端、私はヴァシリオスの名を叫んだ。
が、彼の耳に私の声は届かなかった。
「お前ら貴族をあんな目に遭わせたのは間違いじゃなかった……いや、あれだけじゃ、まだ足りない。お前らには、もっと……もっと……!」
完全に狂気に呑まれてしまった。
ヴァシリオスの匂いが完全に変質し、黒くて危険なものに成り果てる。
彼の瞳には蜘蛛への憎悪以外、何も映っていなかった。
「坊主、止……!」
サンタがヴァシリオスを止めようとする。
すると、空から降り落ちた藍色の炎がヴァシリオスと蜘蛛の身体を踏み潰した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛」
空から落ちてきた巨大な藍色の炎が、人の脚を模った巨大な炎が、ヴァシリオスと四肢を失った貴族の身体を踏み潰す。
一瞬で四肢を失った蜘蛛の身体が焼け落ちてしまった。
ヴァシリオスの身体が藍色の炎塊に包まれてしまった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛ 熱゛い゛い゛い゛い゛!゛!゛ 熱゛い゛い゛い゛い゛よ゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛」
藍色の火の粉と灰が舞い上がる。
ヴァシリオスの断末魔が私の脳を直接揺さぶる。
彼の悲鳴を聞いている間、私は呼吸できない状態に陥ってしまった。
「──甘かったな、サンタとやら」
私とサンタの身体が強張る。
声は上から聞こえた。
空を仰ぐ。
そこには、
「頭擦り潰そうが、心臓取り出そうが、四肢を奪おうが、炎が消えねぇ限り、オレは死なねぇ」
全長百数メートル級の炎の巨人──魔王が、私達を見下ろしていた。
いつも読んでくれている方、ここまで読んでくれた方、ブクマ・評価ポイント・いいね・感想を送ってくれた方に感謝の言葉を申し上げます。
次の更新は8月8日(火)12時頃に予定しております。
 




